第20話 停戦まで六十秒
歴史上の偉人たちと、名もなき人々が“記憶”を武器に戦う物語です。
※本作には戦闘・死亡・一部残酷な描写があります。
最初に見えたのは、王冠の旗だった。
その下を、何十人もの参加者が進んでくる。
砲撃はなく、騎兵も突撃してこなかった。ただ、整然と前へ進んでいた。
朝倉湊はスマートフォンを握り直した。
「やっぱり王冠軍」
黒瀬凛が隣で呟いた。
無名軍の三十一人が目指しているのは、緑軍側の《COMMAND MEMORY》だ。
王冠軍も、そこへ向かっていた。
赤い霧の向こうに、灰色の外套が見えた。
牧野壮真が嫌そうな顔をした。
「よりによって、あの人かよ」
ナポレオン・ボナパルト。
危険度S。遺想能力《GRANDE ARMÉE》。
何十人もの参加者を、一つの軍隊として動かす歴史記憶体だった。
「戦いますか」
桐生大地が革手袋を握った。
相馬源一郎は、すぐには答えなかった。
こちらは三十一人。
向こうも、少なく見積もって同程度はいる。しかも、指揮しているのはナポレオンだった。
「避けられるなら避けたいですが」
「向こうも同じ場所に来てる」
凛が言った。
そのとおりだった。
湊たちに一時開示された地点へ、王冠軍も真っ直ぐ進んでいる。
高瀬蓮がイヤホンを押さえた。
「止まりました」
「何が?」
「王冠軍」
見ると、数十メートル先で、王冠軍が一斉に停止していた。
ナポレオンだけが前へ出て、護衛らしい数人が少し後ろに続く。
「私が行きます」
相馬が言った。
湊も前へ出た。
「俺も」
「朝倉さん」
「向こうが何を知ってるか分からない」
相馬は少し迷ってから頷いた。
凛もついてきた。
壮真も動こうとしたが、相馬に止められた。
「牧野さんは待ってください」
「また俺だけ?」
「負傷者です」
「そろそろその肩書き外してほしいんだけど」
「治ったら」
「はい」
三人は、ナポレオンへ歩み寄った。
距離が縮まると、ナポレオンは最初に相馬を見た。
「第五軍の教師か」
相馬が少し驚いた。
「覚えていたんですか」
「名を聞いた」
「相馬源一郎です」
「一度聞けば十分だ」
その視線が、湊へ移った。
「そちらは」
名前は知らない。
当然だった。前に相馬は名乗ったが、湊は名乗っていない。
「朝倉湊」
自分から答えた。
ナポレオンが、少しだけ目を細めた。
「朝倉」
「はい」
「覚えた」
どこかで聞いた言葉だった。
織田信長にも、同じように名前を覚えられた。
何で歴史の有名人ばかりに名前を覚えられていくんだ。
少し嫌だった。
「何を見つけた」
ナポレオンが聞いた。
湊はすぐには答えず、聞き返した。
「そっちは?」
ナポレオンの後ろで、王冠軍の参加者が動きかけた。
だが、片手が上がると止まった。
「戦争を終わらせる条件だ」
湊の表情が変わった。
やはり、同じところへ辿り着いている。
「勝っても終わらない」
ナポレオンが言った。
「はい」
「敵軍を全滅させても戻る」
「こっちは勝敗を逆にしました」
ナポレオンの眉が、わずかに上がった。
「結果は」
「再構成」
「当然だ」
壮真がいなくてよかった。
たぶん、「だったら聞くな」と言っていた。
湊は続けた。
「別の渡河路も作りました」
「ほう」
「一度は戦闘が止まった」
今度は、明らかにナポレオンの表情が変わった。
「どれほど」
「数十秒」
「なぜ再開した」
「敵っていう関係が残ってたから」
ナポレオンは黙っていた。
湊は、青軍側の《COMMAND MEMORY》を取り出した。
紙へ、ナポレオンの視線が落ちる。
「これを見つけました」
「指揮命令か」
「青側です」
相馬が続けた。
「戦争開始の命令は存在します。しかし、作戦終了条件がありません」
ナポレオンは数秒、紙を見た。
「なるほど」
それだけで、理解したらしかった。
「緑側にもある」
「だから向かっていたんですか」
「ああ」
「どうして場所が?」
ナポレオンは自分の後方へ目を向けた。
「見つけた」
簡単な答えだった。
湊たちは、情報を少しずつ集めて辿り着いた。
この男は、戦場を観察して自力で見つけたらしい。
歴史に名を残した軍人の力は、こういうところにもあるのかもしれなかった。
ナポレオンが歩き出した。
「行くぞ」
「一緒に?」
湊が聞いた。
「目的地は同じだ」
「COREは?」
ナポレオンが足を止め、湊を見た。
「欲しいか」
「欲しいです」
「私もだ」
空気が少し張り詰めた。
凛がICカードへ手をかけ、王冠軍の参加者たちも武器へ手を伸ばした。
だが、ナポレオンは言った。
「ならば今は争う理由がない」
湊が眉を寄せる。
「最後は争うかもしれない?」
「当然だ」
平然とした答えだった。
「だが条件も分からぬうちから互いを削るほど愚かではない」
相馬が小さく笑った。
「同感です」
ナポレオンが相馬を見た。
「やはりお前は指揮官ではないのか」
「違います」
「理解できん」
相馬も困ったように笑った。
無名軍と王冠軍は、並んで進み始めた。
味方になったわけでも、同盟を結んだわけでもなかった。
今だけは、撃ち合う理由がない。
それだけだった。
数分後、緑軍側の陣地へ着いた。
青軍側とほとんど同じだった。
土嚢に囲まれた天幕の中に、軍用机が置かれている。顔のはっきりしない指揮官が座り、兵士が命令書を受け取って前線へ向かっていた。
蓮のイヤホンが光った。
「聞こえます」
「何て?」
「敵軍の渡河を阻止」
少し間を置いて、続ける。
「橋梁を保持」
さらに、蓮は言った。
「後退する敵を追撃」
湊の顔が曇った。
青軍と、ほとんど同じだった。
互いに、相手を排除するよう命じられている。
ナポレオンは、躊躇なく天幕へ入った。
指揮官が顔を向けた。
「命令を、伝達せよ」
紙が差し出される。
ナポレオンが受け取った。
――COMMAND MEMORYを取得。
同時に、戦場の銃声が少し減った。
ナポレオンが紙を見ると、湊たちも覗き込んだ。
《渡河阻止》
《橋梁保持》
《敵戦力排除》
《後退時追撃》
その一番下には、同じ空欄があった。
《作戦終了条件 ――》
何も書かれていなかった。
青と緑、二枚の《COMMAND MEMORY》。
湊とナポレオンが、それぞれの紙を近づけた。
光が生まれた。
――対向COMMAND MEMORYの接触を確認。
全員が身構えた。
二枚の紙から白と赤の光が伸び、絡み合っていく。
――同期条件を確認。
――戦争終了条件設定機能を一時解放します。
「来た」
凛が呟いた。
続いて、文字が浮かんだ。
《両軍へ同一の作戦終了条件を設定してください》
壮真が後ろから顔を出した。
「これ書けるの?」
ナポレオンが紙へ触れると、候補が表示された。
《敵軍全滅》
《敵指揮機能破壊》
《指定領域確保》
《相互撤退》
《相互停戦》
「選択式?」
真奈が言った。
「みたい」
湊は候補を見た。
敵軍全滅では、終わらないと分かっている。
敵指揮機能破壊はどうだろう。命令所を壊せば、戦争そのものを終わらせられるのか。
指定領域確保は、勝者を決めることだ。今までの勝敗と、何が違うのだろう。
残るのは、相互撤退と相互停戦。
「どれを選ぶ」
ナポレオンが聞いた。
湊は少し驚いた。
「俺に聞くんですか」
「ここまで来たのはお前たちだ」
少し間を置いて、続けた。
「意見くらいは聞く」
湊は《相互停戦》を見た。
「これ」
「危険です」
王冠軍の一人が、すぐに言った。
「なぜ?」
湊が聞いた。
「敵軍を残すことになります」
ナポレオンは黙っていた。
男は続けた。
「指定領域確保なら勝敗を確定できる」
「でも、今までも勝敗はついてた」
「条件として設定すれば別かもしれない」
確かに、その可能性はあった。
そのとき、相馬が口を開いた。
「一つ聞いてもいいですか」
王冠軍の男が相馬を見た。
「何です」
「私たちは今、戦争を終わらせようとしているんですか。それとも、勝者を決めようとしているんですか」
男が言葉を止めた。
湊も、同じだった。
《WAR》の条件は、《戦争を終わらせよ》。
勝て、ではない。
「相互停戦」
湊は、もう一度言った。
凛も頷く。
「私も」
「一回試す価値はある」
大地が言った。
「私はそれがいい」
真奈も続いた。
「失敗したら次」
壮真が言った。
皆の考えが、少しずつ同じ方向へ傾いていた。
ナポレオンは、まだ答えなかった。
「あなたは?」
湊が聞いた。
ナポレオンは《相互停戦》の文字を見た。
「戦争とは、敵が消えれば終わるものではない」
静かな声だった。
誰も口を挟まなかった。
「目的が達せられたと双方が認めるか」
一呼吸置いて、続ける。
「これ以上戦う価値がないと双方が判断したときに終わる」
「じゃあ」
湊が聞くと、ナポレオンは答えた。
「停戦を試す」
《相互停戦》が選択された。
青側と緑側、二枚の紙が同時に光る。
――作戦終了条件を仮設定。
《双方が攻撃行動を停止した状態を60秒間維持》
続いて、新しい説明が表示された。
――戦争終了判定範囲。
――当該戦闘記憶領域内における全敵対行動。
湊が眉を寄せた。
「全敵対行動?」
凛も表示を見る。
「青軍と緑軍だけじゃない?」
システムは、それ以上説明しなかった。
ナポレオンが周囲を見た。
「この領域内で戦えば、誰であろうと失敗と判定されるということだ」
壮真が顔をしかめた。
「参加者同士も?」
「おそらく」
相馬が言った。
「なら、私たちも攻撃してはいけない」
「六十秒?」
壮真が改めて聞いた。
次の説明が届いた。
――条件達成時、当該戦闘記憶を終了状態へ移行します。
全員の表情が変わった。
できる。
本当に、戦争を終わらせられる。
「でも、どうやって止める?」
凛が聞いた。
答えは、すぐに示された。
二枚の《COMMAND MEMORY》が光り、両軍の指揮官が同時に命令を発した。
「全軍、攻撃停止」
MEMORIAの翻訳が、その意味を伝えた。
遠くで、今までとは違うラッパが鳴った。
青軍が銃を下ろした。
緑軍も動きを止める。
砲兵が火を消し、騎兵が手綱を引いた。
戦場から、音が消えた。
砲声も、銃声も、悲鳴もない。
湊は思わず息を止めた。
――停戦状態を確認。
数字が現れた。
60
59
58
「始まった」
真奈が呟いた。
56、55。
誰も喋らず、戦場を見ていた。
青軍と緑軍が、川を挟んで武器を下ろしている。
51、50。
湊は不思議な気持ちだった。
つい先ほどまで、何度死んでも元へ戻り、殺し合いを続けていた兵士たちが、今は止まっている。
46、45。
「いける」
壮真が小さく言った。
相馬が首を振る。
「まだです」
42、41、40。
湊のスマートフォンが、小さく震えた。
――領域内敵対行動監視中。
先ほど表示された、全敵対行動という言葉が頭に浮かんだ。
青軍と緑軍だけではない。
ここにいる自分たちも、王冠軍も含まれる。
「誰も武器を使うな」
湊が言った。
ナポレオンも、すぐに命じた。
「全員、その場を動くな」
《GRANDE ARMÉE》を通じて、命令が王冠軍へ共有された。
35、34、33。
王冠軍も無名軍も、誰も動かなかった。
戦闘記憶体も止まったままだ。
30
半分だった。
湊は、少し笑いそうになった。
本当に、できる。
29、28。
蓮が突然、イヤホンを押さえた。
「……待って」
湊が振り向いた。
「何?」
「音」
「どこ?」
蓮の顔が青くなった。
「近い」
26、25。
「誰か、走ってる」
蓮が周囲を見た。
大地が構えかけた。
だが、湊が止めた。
「武器使うな!」
大地の手が止まる。
24、23。
湊には、まだ足音は聞こえなかった。
蓮だけが、イヤホンに混じる微かなノイズを追っていた。
「後ろ!」
全員が振り向いた。
22
崩れた塹壕に、人影が見えた。
一瞬、黒いものが見えた。
21
湊の心臓が跳ねた。
「……あいつ」
黒いノート。
間違いなかった。
20
男は、王冠軍の参加者の後ろへ立っていた。
狙われている一人だけが、こちらを見ていなかった。
19
「離れろ!」
湊が叫んだ。
黒いノートの男が振り返り、笑った。
18
その手に、短い刃があった。
「やめろ!」
17
男が刺した。
王冠軍の参加者の身体が揺れた。
16
光が溢れた。
「おい!」
王冠軍の仲間が振り向いた。
だが、そのときには、刺された参加者は消え始めていた。
――MEMORY DELETION COMPLETE.
15
全員の表情が、一瞬止まった。
今、誰が消えた。
分からない。
14
――領域内敵対行動を検出。
湊の顔が歪んだ。
最初に示された警告のとおりだった。
参加者による攻撃も、判定される。
13
――停戦維持条件に違反。
「違う!」
湊は叫んだ。
「そいつだ!」
12
黒いノートの男が後退し、煙の中へ入った。
11
――停戦同期を解除します。
「待て!」
10
青軍の兵士が一人、銃を構えた。
9
緑軍も構える。
8
「動くな!」
ナポレオンが叫んだ。
だが、戦闘記憶体には届かなかった。
7
湊は《COMMAND MEMORY》を見た。
「もう一回!」
6
紙は光らなかった。
5
――再同期不可。
4
――敵対状態へ復帰。
3、2、1。
両軍が、一斉に発砲した。
轟音が響き、戦争が再開した。
湊は動けなかった。
あと十七秒。
あの男が刺したとき、たった十七秒しか残っていなかった。
銃声、砲撃、悲鳴。
先ほどまでの静けさが、嘘のように消えていく。
「朝倉!」
ナポレオンの声に、湊は顔を上げた。
「追うな!」
だが、もう走っていた。
「湊!」
凛の声が、背後から聞こえた。
煙の向こうへ、黒いノートの男が逃げていく。
「待て!」
何で。
何のために。
あと十七秒だった。
戦争は、終わるところだった。
男が、崩れた建物の角を曲がった。
湊も追った。
凛と大地が続き、後ろから壮真の声が聞こえた。相馬も来ている。
だが、男に一番近いのは湊だった。
一人で距離を詰める。
「止まれ!」
男が、ようやく足を止めた。
背中に、黒いノートが見えた。
ゆっくりと振り返る。
笑っていた。
「何だよ」
湊は息を切らしながら聞いた。
「何で殺した」
男は少し首を傾げた。
「誰を?」
湊の足が止まった。
「今……」
誰だった。
名前も顔も、思い出せない。
王冠軍の男だった。
分かるのは、それだけだった。
男が自分の手を見た。
刃には、もう血が残っていなかった。
「俺、誰か殺した?」
湊は歯を食いしばった。
「殺した」
「そう」
男は黒いノートを開いた。
何本もの線が並ぶページへ、一本追加する。
「じゃあ、これで忘れない」
ペンを閉じた。
「何を」
「一人減ったこと」
湊は男を睨んだ。
「戦争を終わらせようとしてたんだぞ」
男の笑みが、少し深くなった。
「知ってるよ」
「じゃあ何で!」
男は遠くの砲声を、嬉しそうに聞いた。
「だって」
湊を見る。
「終わったら」
一呼吸置いて、続けた。
「もう殺せないだろ?」
湊の背筋を、冷たいものが走った。
男は初めて、真正面から湊を見た。
「それよりさ」
黒いノートを軽く振った。
「君」
笑った。
「何で覚えてるの?」
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
『MEMORIA WAR ―記憶戦争―』は、“記憶”と“歴史”をテーマにした異能バトル長編です。
少しでも続きが気になった方は、ぜひ次話もお読みいただけるとうれしいです。




