第2話 第五軍
歴史上の偉人たちと、名もなき人々が“記憶”を武器に戦う物語です。
――第七記憶戦争を開始します。
その声が消えても、すぐに動き出す者はいなかった。
いや、動けなかったという方が正しい。
朝倉湊も同じだった。
巨大な広場には数千人もの人間が立ち尽くし、その頭上には三つの文字列が浮かんでいる。
5 ARMIES
7 CORES
1 VICTOR
「戦争って……」
どこかで誰かが呟いた。
その一言をきっかけにしたように、広場のあちこちから声が上がり始める。
「ふざけんな! 帰せよ!」
「ここどこなんだよ!」
「警察呼べ!」
「スマホ繋がらないんだけど!」
「これ撮影とかじゃないよね!?」
怒鳴り声に悲鳴、泣き声まで重なった。
湊だって、聞きたいことはいくらでもあった。
なぜ自分がここにいるのか。なぜ知らないアプリが入っていたのか。《第七記憶戦争》とは何なのか。
そして――どうすれば帰れるのか。
だが、そのどれにも答えないまま、再び無機質な声が頭の中へ響いた。
――全参加者へ基本規則を開示します。
騒いでいた人々が、一人、また一人と口を閉じる。
空に五つの紋章が浮かび上がった。
王冠、砕けた鎖、盾、開かれた本。そして、何も描かれていない白い円。
――第七記憶戦争には、五つの軍が存在します。
最初に、王冠の紋章が強く光った。
――第一軍、《王冠軍/CROWN》。
――分類傾向、統率・支配・征服・秩序。
――高い指揮能力、支配性、戦闘適性を有する参加者が優先的に配属されます。
広場の一角へ視線が集まった。
甲冑姿の男や、古い軍服のような服をまとった者がいる。現代人らしい服装の者も混じっていたが、他の場所と比べて、妙な威圧感を持つ人間が多かった。
「……強そうなの、だいたいあそこじゃね?」
近くから声が聞こえた。
確かにそう見える。だが、それが実際の強さを意味するのかどうかは、湊にはまだ分からなかった。
次に、砕けた鎖の紋章が光る。
――第二軍、《革命軍/REVOLT》。
――分類傾向、変革・抵抗・解放・反逆。
――既存の秩序への抵抗、変革への強い意志を持つ参加者が優先的に配属されます。
「革命って、そのままだな」
また近くの誰かが呟いた。
システムは構わず続ける。
――第三軍、《聖域軍/SANCTUARY》。
盾の紋章が淡く光った。
――分類傾向、防衛・救済・献身・保護。
――他者の保護、生存、救済に高い適合性を持つ参加者が優先的に配属されます。
「戦争なのに……救済?」
湊は思わず口にした。
誰かを守るための軍。
それが、これから始まるという戦争の中で何を意味するのか。今はまだ想像もつかなかった。
続いて、開かれた本の紋章が光る。
――第四軍、《叡智軍/ACADEMIA》。
――分類傾向、知識・解析・発明・戦略。
――知識、研究、分析、創造に高い適合性を持つ参加者が優先的に配属されます。
その一角には、研究者のような服装をした者や、本、設計図、奇妙な器具を遺想具として持つ者が多かった。
最後に残ったのは、何も描かれていない白い円だった。
――第五軍、《無名軍/NAMELESS》。
「……無名?」
湊は眉をひそめた。
王冠軍、革命軍、聖域軍、叡智軍。どれも名前から、ある程度の意味は分かる。
だが、《無名軍》とは何なのか。
他の四軍と同じように説明が続くと思った。
――分類傾向。
そこで、システムの声が止まった。
数秒経ってから、続きが告げられる。
――該当分類なし。
「……は?」
湊だけではない。白い円の下にいる人々からも、戸惑う声が上がった。
――既存四分類への適合値が基準を満たさない参加者、および分類不能個体を配属します。
今度は、はっきりとざわめきが起こった。
「それって……」
「余り物ってこと?」
誰かが言った。
誰も否定できなかった。
王でも、世界を変えようとする者でもない。誰かを救う者でもなければ、天才でもない。
どこにも当てはまらない者たち。
だから――無名軍。
湊は空に浮かぶ白い円を見上げた。
妙に納得してしまう自分がいた。
二十四年間、何かに秀でたことも、何者かになれたこともない。
そんな自分には、これ以上なく似合っている名前かもしれない。
――以上を基本分類情報とします。
――各参加者は適合判定に基づき、いずれかの軍へ配属されます。
直後、参加者一人一人の頭上に紋章が浮かび始めた。王冠や砕けた鎖、盾、本、白い円が、広場のあちこちに現れる。
同時に、湊の頭の中だけに音声が流れた。
――参加者、朝倉湊。
――所属、第五軍《無名軍》。
やっぱりか。
湊は小さく息を吐いた。
周囲を見ると、同じ白い円を持つ人々が一か所へ集まり始めていた。
高校生や会社員、主婦、老人、大学生らしい青年。服装だけを見れば、どこにでもいる普通の人間ばかりだった。
歴戦の兵士が集まった軍には、とても見えない。
「本当にハズレ組じゃん……」
誰かが言った。
そのとき、広場の別の場所から大きなどよめきが起こった。
「おい……見ろよ」
「何だ、あの格好」
湊も視線を向けた。
王冠の紋章の下には、明らかに現代人とは思えない者たちが何人も混じっていた。
赤黒い衣装をまとった男。古い西洋軍服のような服を着た人物。甲冑姿の男や、古代中国を思わせる装束の者もいる。
単なるコスプレには見えなかった。
服装だけではない。立ち方も、周囲を見る目も、普通の参加者とは違っていた。
「何なんだ、あいつら……」
その疑問に答えるように、システム音声が流れた。
――補足情報を開示します。
――一部参加者には、人類史に記録された人物を基に構成された特殊個体が存在します。
広場が静まり返る。
――分類名、《歴史記憶体》。
次の瞬間、ざわめきが爆発した。
「歴史記憶体?」
「人類史に記録された人物ってどういうことだ?」
「昔の人間がいるってこと?」
「本人なのか?」
「コピー?」
質問が飛び交う中、湊は王冠軍の方を見た。
赤黒い衣装の男が、ほんのわずかに眉を動かしていた。自分に向けられた言葉を確かめるように、《歴史記憶体》という呼び名を受け止めている。
だが、混乱しているようには見えなかった。
自分が誰なのか分からない人間の顔ではない。むしろ、自分が何者なのかなど疑う余地もない。そんな顔だった。
別の場所では、甲冑姿の男が自分の手を見ていた。西洋風の軍服をまとった人物も、黙って周囲を観察している。
彼ら自身も、《歴史記憶体》という呼び名については、今初めて知らされたのかもしれない。
やがて誰かが、空へ向かって怒鳴った。
「歴史記憶体って何なんだ! ちゃんと説明しろ!」
一拍置いて、システムが答える。
――当該質問への回答権限はありません。
「は?」
――歴史記憶体も、本戦争における正式な参加者です。勝利条件における権利差は存在しません。
それ以上の説明はなかった。
本物なのか、偽物なのか。なぜ歴史上の人物がここに存在しているのか。
何一つ分からない。ただ、彼らもまたこの戦争の参加者だということだけは分かった。
空の表示が切り替わった。
五つの軍章が消え、代わりに七つの光が現れる。
赤、青、金、緑、白、黒。そして、色のない光。
――戦場内には七つの《MEMORIA CORE》が存在します。
――各軍はCOREの取得を目指してください。
――七つのCOREのうち四つを同一軍が保有した場合、中央記憶領域《ZERO》への侵入権を付与します。
「ZERO……?」
――ZEROを制圧した軍を、第七記憶戦争の勝者と認定します。
今度はすぐに声が飛んだ。
「勝ったらどうなる!」
「帰れるんだろうな!」
「ここから出せ!」
数秒の沈黙のあと、答えが返った。
――勝利軍の生存参加者には、現実世界への帰還権を付与します。
空気が変わった。
湊も息を呑む。
帰れる。
勝てば、ここから帰れる。
それだけで、今の湊には十分だった。
しかし、システムは続けた。
――さらに、勝利軍には《RESTORE》権限を一度のみ付与します。
空に巨大な文字が浮かぶ。
RESTORE
復元。
――RESTORE権限では、失われた記憶、失われた人物、または一つの出来事を復元することが可能です。
今度のざわめきは、それまでとは明らかに種類が違った。
「失われた人物って……」
「死んだ人間も?」
「過去を変えられるってことか?」
だが、システムはそれ以上答えなかった。
――復元対象は勝利確定後、選択可能です。
「……マジかよ」
湊の近くで男が呟いた。
二十代後半くらい。茶色いジャケットを着ていて、左腕には古びた腕時計がある。
男はしばらく、その腕時計を見つめていた。さっきまで周囲を面白そうに眺めていたのに、今だけは表情が違っている。
やがて湊と目が合うと、男は気まずそうに笑った。
「……悪い。見てた?」
「いや」
「そっか」
男の視線が、湊の手にあるひび割れたスマートフォンへ移る。
「あんた、それが遺想具?」
「らしい」
「スマホかあ。俺も結構ハズレだと思ってたけど、下がいたな」
「初対面でそれ言うか?」
「悪い悪い」
男は笑いながら手を差し出した。
「牧野壮真。二十七」
システムから名前を教えられたわけではない。本人が名乗った。
湊も、その手を握った。
「朝倉湊。二十四」
「ミナトね。よろしく」
妙に馴れ馴れしい。
だが、この状況では、その軽さが少しありがたかった。
「その時計は?」
湊が聞くと、壮真は左腕を上げた。
「父親にもらったやつ」
それだけだった。
一瞬だけ表情が変わった理由も、RESTOREという言葉に反応した理由も、湊は聞かなかった。
「二人とも、ずいぶんのんきだね」
女の声がした。
振り向くと、黒髪を肩のあたりで切った女性が立っていた。二十代前半くらいで、その手には古い交通系ICカードが握られている。
「帰れるかどうかも本当か分からないのに」
壮真が笑った。
「帰れるって今言ってたじゃん」
「システムが言っただけでしょ」
「疑り深いな」
「信じすぎる方がおかしい」
女は湊のスマートフォンを見た。
「あなたがUNKNOWN?」
「……何で知ってる」
「さっき目立ってたから」
確かに、遺想具認証にあれだけ時間がかかれば、嫌でも目立つ。
「黒瀬凛。二十三」
彼女は短く名乗った。
「朝倉湊」
「聞いてた」
「そっか」
何とも言えない沈黙が流れた。
そこへ、大きな声が響く。
「皆さん! ひとまず、同じ軍の人間同士で集まりませんか!」
無名軍の人々の前に、一人の中年男性が立っていた。
五十歳くらい。眼鏡をかけ、地味なシャツを着ている。どこからどう見ても普通の人だった。
その手には、何十人もの名前や言葉が書かれた寄せ書きが握られている。
「誰だよ、あんた!」
若い男が声を上げた。
「指揮官気取りか?」
男性は首を振る。
「違います。相馬源一郎、五十二歳。少し前まで高校教師をしていました」
「教師?」
「軍人でも戦士でもありません。だからこそです」
相馬は周囲を見回した。
「ここにいるほとんどの人が、戦いなんてしたことがないでしょう」
誰も答えなかった。
その通りだった。
「なら、まず名前くらい覚えませんか」
「名前?」
「同じ軍なんです。何が起きるか分からないなら、せめて誰と一緒にいるかくらい知っておいた方がいい」
少し間を置いて、相馬は続けた。
「知らないままいなくなるのは、嫌でしょう」
なぜか、その言葉だけが湊の胸に引っかかった。
そのとき、広場全体にアラートが鳴った。
――初期配置準備を開始します。
――各軍に開始領域を割り当てます。
――初期保護期間、三十分。
空に大きな数字が現れる。
00:30:00
「保護期間?」
誰かが呟いた。
――保護期間中、参加者間の直接攻撃行為を禁止します。
――軍間戦闘制限は、保護期間終了と同時に解除されます。
広場の空気が一気に重くなった。
「三十分後から……殺し合っていいってことかよ」
壮真の声からも、さっきまでの軽さが消えていた。
その瞬間、無名軍の少し離れた場所で悲鳴が上がった。
「やめろ!」
湊たちが振り向くと、一人の若い男が頭を抱えていた。
「無理だ……無理だって!」
男の足元には、古びた金属製の箱が落ちていた。その箱が、淡く発光している。
――遺想具の異常共鳴を検出。
初めて聞く言葉だった。
――共鳴値、急上昇。
「何だよ、これ!」
男が叫んだ。
「止めろ! 俺は何もしてない!」
金属製の箱の蓋が勝手に開き、内部から黒い光が溢れた。
周囲の参加者が後退する。
「離れろ!」
相馬が叫んだ。
だが、遅かった。
空気そのものが破裂したような音が響いた。
すぐ近くにいた一人の青年が衝撃で吹き飛ばされ、地面へ叩きつけられる。
「おい!」
相馬が駆け寄った。
青年の胸元から血が流れていた。本人も、何が起きたのか理解できていないような顔をしている。
「大丈夫ですか!」
相馬の呼びかけに、青年は口を動かした。
何か言おうとしていた。
しかし、声にならない。
やがて、その身体の端が淡く光り始めた。
「……何だ?」
足も、指先も、腕も、胸も、光の粒子へ変わっていく。
「待って……」
誰かが呟いた。
青年の顔まで光に包まれた。
数秒後、その姿は完全に消えていた。
地面には何も残っていない。
湊は動けなかった。
名前も知らない。会話もしていない。
それでも、一人の人間が確かにそこにいた。
それなのに。
「……あれ?」
隣にいた女性が首を傾げた。
「どうした?」
「いや……」
女性は何かを思い出そうとするように眉を寄せた。
「何でもない」
相馬も動きを止めていた。
「今……」
その先の言葉が続かない。
壮真が怪訝そうに聞いた。
「何です?」
相馬は空になった地面を見つめた。
「ここに……誰か……」
「誰か?」
湊の背筋が冷えた。
「いた」
全員が湊を見る。
「今ここに、人がいた」
凛が眉を寄せた。
「誰?」
「それは……」
答えようとして、湊は言葉を失った。
名前は知らない。それは当然だ。
だが、顔まで思い出せなかった。
つい数秒前まで、目の前にいたはずなのに。
何色の服を着ていた?
髪型は?
年齢は?
何一つ、はっきりしなかった。
それでも、誰かがいたという事実だけは、なぜか消えていない。
「俺も……」
相馬が苦しそうに言った。
「名前も顔も出てこない。でも確かに誰かいた」
その瞬間、湊のスマートフォンが震えた。
勝手に《MEMORIA》が開き、黒い画面に白い文字が浮かぶ。
MEMORY DELETION COMPLETE
湊の喉が乾いた。
「記憶……削除?」
凛が画面を覗き込んだ。
「何それ」
誰も答えられなかった。
さらに、その下へ一瞬だけ別の文字が浮かんだ。
EXCEPTION DETECTED
例外を検出。
表示はすぐに消えた。
「……今の」
湊は何度も画面に触れたが、文字は戻らなかった。ログにも残っていない。
その間にも、空の数字は減り続けていた。
00:27:41
00:27:40
00:27:39
先ほど暴走した男は、地面へ座り込んだまま震えていた。
「俺が……やったのか?」
誰も答えられなかった。
本人にも、能力を使った自覚はなかった。
湊は男の足元にある金属製の箱を見た。さっきまで黒く光っていた遺想具は、今は何事もなかったかのように静かだった。
共鳴。
さっき、システムはそう言った。
能力は、ただ使えるだけではない。何かをきっかけに、本人の意思すら超えて変化することがあるのかもしれない。
だが、今の湊たちには、そんなことを考える余裕はなかった。
三十分。
いや、もう三十分もない。
その時間が終われば、今度は事故ではない。誰かが意図的に、誰かを攻撃できるようになる。
相馬がゆっくり立ち上がった。
顔から動揺は消えていなかった。それでも、声を張った。
「全員、聞いてください!」
無名軍の人々が振り向く。
「残り二十七分です。戦えるかどうかは後でいい。まず、生き残る準備をしましょう」
誰も反論しなかった。
湊はもう一度、誰かが消えた場所を見た。
名前も顔も分からない。
それなのに、忘れたくないと思った。
なぜそう感じるのか、自分でも分からない。
空ではカウントダウンが続いていた。
そして第七記憶戦争は――まだ、本当の意味では始まってすらいなかった。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
『MEMORIA WAR ―記憶戦争―』は、“記憶”と“歴史”をテーマにした異能バトル長編です。
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