第16話 三十一人
歴史上の偉人たちと、名もなき人々が“記憶”を武器に戦う物語です。
※本作には戦闘・死亡・一部残酷な描写があります。
――MINOR CORE。
――第五軍《NAMELESS》へ所有権を付与。
透明だった結晶が白い光に染まり、砦の中央で静かに脈打っていた。
無名軍所有MINOR CORE数、一。
たった一つ。それでも、朝倉湊のスマートフォンに表示される世界は、先ほどまでとは明らかに違っていた。
情報開示率、27%。
空白だった場所へ経路が現れ、高危険区域や戦闘記憶密度、さらに《WAR》が存在すると推定される中央領域まで表示されている。
その下には、取得条件の断片があった。
《戦争を終わらせよ》
「これだけで、こんな変わるのかよ……」
牧野壮真が画面を覗き込んだ。
「だから欲しかったんでしょ」
黒瀬凛はそう答えたものの、自分が触れて取得したMINOR COREを、まだ信じられないように見ていた。
瀬川玲奈も、白く変わった結晶を見た。
「先越されたな」
「ごめん」
「だから何で謝るの」
玲奈が苦笑した。
「次は革命軍が取る。それだけ」
敵意よりも、悔しさの強い声だった。
少し前までは同じ地下壕を走り、負傷者を助け合っていた。名前も知った。
それでも、軍は違う。
そのとき、新しい通知が響いた。
――MEMORIA NOTICE.
白い結晶の周囲に、文字が浮かび上がる。
――MINOR CORE所有状態を確定。
――敵対軍による再取得が可能です。
――再取得には継続接触認証を必要とします。
壮真の顔が引きつった。
「……取って終わりじゃないの?」
玲奈が笑った。
「じゃあ、まだうちにもチャンスあるね」
「今言う?」
「戦争でしょ」
凛は中央から離れながら、周囲を見回した。
王冠軍、革命軍、聖域軍、無名軍。
砦の外からは、戦闘記憶体まで増え続けている。
MINOR COREを取得しても、争いは終わらなかった。むしろ所有者が決まったことで、狙われる理由がはっきりした。
王冠軍の男が剣を上げた。
「白円が取ったぞ!」
別の男が叫ぶ。
「奪え!」
空気が変わった。
「来る!」
凛がICカードを握った。
「固まらないでください! 負傷者は後ろへ!」
相馬源一郎の声に、佐伯真奈がすぐに動いた。
「怪我してる人、こっち! 蓮、手伝って!」
「はい!」
高瀬蓮が駆け出した。
直後、銃声とともに砦の石壁が弾け飛んだ。
戦闘記憶体からの攻撃だった。
反対側では王冠軍の遺想能力による青白い光が地面を走り、革命軍からは光の鎖が飛んでいた。聖域軍は負傷者を守りながら後退している。
四つの軍と、戦闘記憶体。
一瞬で、誰が誰を狙っているのか分からなくなった。
「これが戦争かよ!」
壮真が叫んだ。
「今さら!?」
湊も叫び返した。
その目の前で、王冠軍の参加者が革命軍の槍に胸を貫かれた。
男が膝をついた。
身体の端から光が溢れ、指も腕も、肩も顔も、粒子へ変わっていく。
ほんの数秒で、一人の人間が消えた。
――MEMORY DELETION COMPLETE.
湊のスマートフォンに文字が浮かんだ。
「……っ」
だが、すぐ隣で戦っていた王冠軍の男は、もうそちらを見ていなかった。
仲間が死んだ場所に、誰かがいたことさえ気にしていない。
違う。
忘れたのだ。
もう、最初からいなかったことになっている。
「湊!」
凛の声がした。
剣が迫っていた。
湊は反射的に身体を引いたが、間に合わない。
カチッ。
世界が一秒戻った。
「右!」
壮真が叫んだ。
湊は一秒前とは違う方向へ跳び、剣が空を切った。
「助かった!」
「後で言え!」
壮真が腕時計を押さえた。顔色が少し悪かった。
凛も気づいた。
「使った?」
「一回だけ!」
「肩は?」
「今それ言ってる場合じゃないだろ!」
戦闘記憶体が、砦へ雪崩れ込んできた。
槍や銃、弓を持つ兵士が、何十体も迫っている。
湊はスマートフォンを操作した。
花火では足りない。
この数なら、雨だ。
「《REPLAY》!」
砦の一角へ、大量の雨が叩きつけられた。
銃を構えていた戦闘記憶体の視界が遮られる。だが、王冠軍も革命軍も、まとめて豪雨に巻き込まれていた。
「お前、全員にやってるぞ!」
「分かってる!」
「味方もびしょ濡れ!」
「そこは我慢して!」
三秒で、雨は消えた。
「湊!」
今度は、桐生大地の声だった。
両手の革手袋が光っていた。
《ANCHOR》。
大地は砦の狭い入口へ立った。
戦闘記憶体が盾や槍を押しつけ、その身体へぶつかってくる。
それでも、大地の足は地面へ打ち込まれた杭のように動かなかった。
「長くは無理だ!」
「どれくらい!」
「知らん!」
「みんなそればっかだな!」
壮真が叫んだ。
大地が敵を止めている間に、真奈たちは負傷者を後ろへ移していった。
相馬は、中央の白いMINOR COREを見た。
ここを捨てれば、王冠軍か革命軍に奪われるだろう。
だが、守り続ければ誰かが死ぬ。
「相馬さん!」
湊が叫んだ。
相馬は迷っていた。
ほんの数秒。
だが、戦場では長すぎた。
そのとき、一人の無名軍参加者が中央へ走った。
手にしているのは、短い鉄棒だった。
湊には見覚えがあった。
信長とMINOR COREを奪い合ったとき、真っ先に突っ込み、床へ転がされた男だ。
男が湊を見た。
「今度は止められねえぞ!」
「え?」
「そういや、まだ名乗ってなかったな!」
こんな状況で。
男は鉄棒を構えたまま笑った。
「柴崎直人! 三十一!」
湊も思わず叫び返した。
「今!?」
「後で忘れるなよ!」
柴崎は笑い、COREへ向かう王冠軍の男へ突っ込んだ。
鉄棒と剣がぶつかった。
能力は発動していない。ただの鉄棒だった。
それでも、柴崎は相手を一歩押し返した。
「蓮!」
真奈の叫びに、高瀬蓮が振り向いた。
すぐ横で、戦闘記憶体が槍を構えていた。
「え」
蓮の身体が固まった。
柴崎が、その姿を見た。
迷わなかった。
王冠軍の男を突き飛ばし、蓮へ向かって走る。
「伏せろ!」
蓮を押した。
槍が、柴崎の胸を貫いた。
時間が止まったように見えた。
「……あ」
柴崎が、自分の胸を見た。
大地が横から飛び込み、槍を持つ戦闘記憶体を殴り飛ばした。
「おい!」
湊が走った。
柴崎が倒れ、血が流れた。
蓮も起き上がった。
「大丈夫ですか!」
返事はなかった。
「柴崎!」
湊は叫んだ。
まだ、名前を覚えている。
柴崎の身体の端が光り始めた。
「待て」
湊が手を伸ばした。
触れられなかった。
足も、腕も、握っていた鉄棒も、顔も、光へ変わっていく。
つい先ほど聞いたばかりだ。
柴崎直人。
三十一歳。
「柴崎!」
最後に、もう一度名前を呼んだ。
光が広がり、その姿は完全に消えた。
――MEMORY DELETION COMPLETE.
湊は口を開いた。
「柴――」
止まった。
「……え?」
今、誰の名前を呼ぼうとした。
地面には誰もいなかった。
だが、違う。
つい先ほどまで、ここに誰かがいた。
その事実だけが、胸の奥に引っかかっていた。
名前が出てこない。
顔も、年齢も分からない。
何を持っていたのかさえ、思い出せなかった。
「……誰だ」
自分の口から、その言葉が漏れた。
真奈が振り向いた。
「どうしたの?」
「今……ここに」
「ここに?」
「誰か……」
言葉が続かなかった。
「湊!」
凛が腕を掴んだ。
「来る!」
「でも」
「誰の話!?」
分からない。
誰かがいた。
それだけしか、分からなかった。
「蓮!」
真奈が少年へ声をかけた。
「何してるの! 下がって!」
蓮は地面に座り込んだまま、震えていた。
「俺……」
「どうしたの?」
「分からない」
自分の胸を押さえる。
「誰かに……押された気がして」
真奈が首を傾げた。
「転んだんじゃない?」
「違う」
蓮は、空になった場所を見た。
片方だけのイヤホンが、ほんの一瞬、淡く光った。
すぐに消えた。
「誰か」
蓮の声が震えた。
「誰か……いた気がする」
湊の背筋が凍った。
蓮にも、何かが残っている。
名前や顔を思い出せるわけではない。ただ、誰かがいたという残響のようなものが、完全には消えていない。
だが、考えている暇はなかった。
「退きます!」
相馬の声に、全員が振り向いた。
「COREは!?」
誰かが叫んだ。
「捨てます!」
相馬は、はっきり答えた。
「これ以上ここで戦えば死人が出ます!」
湊の胸が、また痛んだ。
もう、出た気がする。
でも、誰が。
分からなかった。
凛がICカードを握った。
「帰り道なら作れる!」
ここへ来るまでに通った経路へ、《ROUTE》の白い光が伸びた。
「負傷者から!」
相馬も真奈も、大地も玲奈も、今度は同時に動いた。
「うちも退く!」
玲奈が革命軍へ叫んだ。
MINOR COREは、まだ白かった。
無名軍の所有を示している。
だが、守る人間はいなくなる。
王冠軍が中央へ向かっていた。再取得される可能性は高い。
それでも、相馬は振り返らなかった。
「走ってください!」
参加者たちが《ROUTE》へ入っていく。
銃弾が飛び、爆発の光が走った。
革命軍の一人が、背中から撃たれた。
倒れた身体が光へ変わり、消えていく。
――MEMORY DELETION COMPLETE.
次の瞬間には、そこに誰かがいたことさえ、誰も気にしていなかった。
革命軍の人々も、走り続けている。
何を失ったのか、知らないまま。
湊も走った。
最後に相馬と大地が光の道へ入り、全員が抜けたところで《ROUTE》が閉じた。
砦が遠ざかる。
白いMINOR COREの前へ、王冠軍の参加者が辿り着いた。
手を伸ばす姿が見えた。
それきり、砦は視界から消えた。
数秒後、無名軍の参加者たちへ一斉に通知が届いた。
――第五軍所有MINOR COREへの敵対接触を確認。
全員の表情が変わった。
――継続接触認証中。
壮真が振り返る。
「戻る?」
相馬は首を振った。
「戻りません」
――再取得認証完了。
――当該MINOR COREの所有権を更新。
――第一軍《CROWN》。
凛が唇を噛んだ。
――第五軍所有MINOR CORE数。
0
湊はスマートフォンを見た。
情報開示率は、27%のままだった。
数字は下がっていない。
「……残ってる」
《WAR》推定存在領域も、開示された地形も、取得条件の断片も残っていた。
《戦争を終わらせよ》
一度知った情報は、消えていなかった。
だが、次の通知が続いた。
――既開示済み固定情報を保持します。
――MINOR CORE所有権喪失に伴い、動的領域情報の更新を停止します。
画面が変わった。
危険区域、参加者反応、戦闘記憶密度。
リアルタイムで変化していた情報が、灰色になっていた。
「そういうことか」
湊は呟いた。
知ったことまでは消えない。
だが、新しい情報は入らなくなる。
MINOR COREを失う意味が、はっきり分かった。
それでも、戻らなかった。
一行は走り続けた。
どれほど進んだのか、ようやく戦闘音が遠ざかった。
崩れた建物と塹壕の陰へ入り、凛が《ROUTE》を解除する。
皆が、その場へ崩れるように座り込んだ。
誰も喋らず、荒い呼吸だけが聞こえていた。
真奈は負傷者の状態を確かめていた。
大地の《ANCHOR》の光も消え、壮真は肩を押さえていた。
蓮だけが、ずっと自分の手を見つめていた。
相馬が立ち上がった。
いつものように、一人ずつ人数を数え始める。
湊はその姿を見ていた。
嫌な感じがした。
理由は分からなかった。
相馬の視線が、最後の一人まで辿り着く。
そして、小さく息を吐いた。
「三十一人」
湊の心臓が跳ねた。
相馬は続けた。
「全員います」
「……え?」
湊が声を漏らすと、相馬がこちらを見た。
「どうしました?」
「三十一?」
「はい」
「俺たち……」
喉が詰まった。
出発したときは、何人だった。
三十一人。
違う。
何かが、引っかかる。
「最初から……三十一でしたっけ」
周囲が湊を見た。
真奈が首を傾げる。
「そうじゃない?」
大地も、疑問を持っていないようだった。
「何で?」
壮真が聞いた。
「いや……」
湊は額を押さえた。
一人、足りない気がした。
だが、誰なのか分からない。
顔も、名前も出てこない。
ただ、鉄のような、何か硬いもの。
それを持った誰かが、走った気がする。
「……っ」
スマートフォンが震えた。
湊が見ると、黒い画面に一瞬だけ文字が浮かんだ。
EXCEPTION DETECTED.
すぐに消えた。
「また……」
凛が気づいた。
「何?」
「今――」
答えようとした湊の目が、少し離れた場所で止まった。
崩れた石壁の向こうに、一人の男が立っていた。
現代の服を着て、黒いノートを持っている。
足元には、負傷した参加者が倒れていた。どの軍なのかは見えなかった。
男がしゃがんだ。
湊は、なぜか目を離せなかった。
「……何してる」
男の手に、短い刃があった。
それを、倒れている参加者の胸へ突き立てた。
「おい!」
湊は立ち上がった。
倒れていた人間が、光へ変わっていく。
――MEMORY DELETION COMPLETE.
男の動きが止まった。
刃を見て、空になった地面を見て、首を傾げる。
「……あれ」
黒いノートを開いた。
ページには、縦線が何本も並んでいた。
男は、新しい線を一本書き足した。
「誰だっけ」
湊の身体が固まった。
男は忘れている。
自分が今、誰を殺したのか。
それでも、笑った。
「まあいいか」
ノートを閉じた男と、目が合った。
ほんの一瞬、その笑みが少しだけ深くなった。
次の瞬間、爆発が起きた。
石壁が崩れる。
「湊!」
凛に腕を引かれた。
煙が広がり、視界が消えた。
「今、あそこに!」
湊は指さした。
だが、煙が晴れたときには、誰もいなかった。
黒いノートの男も、消えた人間も、何も残していなかった。
「誰かいたの?」
凛が聞いた。
湊は答えられなかった。
殺された人物が誰なのか、もう分からない。
それでも、あの男が誰かを殺したということだけは、なぜか胸に残っていた。
湊は煙の向こうを睨んだ。
今までとは違う寒さが、身体に残っている。
この戦場で怖いのは、歴史の英雄だけではなかった。
戦争そのものだけでもない。
同じ時代から来た、普通の人間の中にも、何かが壊れ始めていた。
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『MEMORIA WAR ―記憶戦争―』は、“記憶”と“歴史”をテーマにした異能バトル長編です。
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