第14話 名を知らぬ将軍
歴史上の偉人たちと、名もなき人々が“記憶”を武器に戦う物語です。
※本作には戦闘・死亡・一部残酷な描写があります。
赤い光が、地下壕の奥から溢れていた。
暗闇の向こうから現れる兵士は、一人、十人、二十人と増えていく。
顔はぼやけ、軍服も統一されていなかった。銃を持つ者、槍を構える者、盾を持つ者、剣を抜く者。
時代も国も違う。
ただ、戦うために残された記憶だということだけは分かった。
――大規模戦闘記憶の再構成を確認。
――戦闘記憶密度、上昇。
――MEMORIA WARNING.
「休ませる気ないの?」
黒瀬凛がICカードを握った。
「この世界に聞いてくれ」
朝倉湊もスマートフォンを構える。
《REPLAY》は使える。
だが、工事現場の動画は同期率が落ちていた。同じ記録を連続で使うことは避けたかった。
その前方では、軍章を持たない男が軍刀を抜いていた。
長い外套をまとい、無駄のない姿勢で立っている。
後ろにいる三人の参加者には、それぞれ王冠、盾、砕けた鎖の紋章が浮かんでいた。
王冠軍、聖域軍、革命軍。
所属はばらばらなのに、三人とも同じ方向へ武器を構え、互いに向けようとはしなかった。
湊は少し眉をひそめた。
未所属らしい男と、敵対するはずの三つの軍。
なぜ、一緒にいるのだろう。
だが、考えている時間はなかった。
「ここを離れろ」
男が、後ろを振り返らずに言った。
日本語ではない低い声だった。それでも、MEMORIAの翻訳によって意味が頭へ流れ込んでくる。
「離れろって、どこに!」
瀬川玲奈が言い返した。
男は、地下壕の右側へ目を向けた。
ただの石壁にしか見えなかった。
「そこだ」
「壁だけど」
「入口がある」
「どこに?」
「見えないのか」
玲奈の顔が引きつった。
「見えてたら聞かない!」
その瞬間、銃声が響いた。
男が動き、軍刀を上げる。
乾いた音がした。
湊には一瞬、何が起きたのか分からなかった。
銃弾を斬ったわけではない。
男は撃たれる直前に射線から身を外し、同時に、後ろにいた聖域軍の参加者を壁際へ押していた。
すぐに王冠軍と革命軍の二人が前へ出た。
盾と槍が構えられる。
銃弾が盾へ叩きつけられた。
軍は違っても、今は同じ敵に向かっていた。
「今だ!」
男が叫んだ。
「何が今なの!」
玲奈も叫び返す。
男は一瞬だけこちらを見た。少し面倒そうな顔をしてから、自分で石壁へ向かった。
軍刀の柄で、壁の一点を叩く。
コン、と音がした。
少し右を叩いても、同じ音だった。
さらに右を叩くと、ゴン、と響きが変わった。
「空洞だ!」
桐生大地が反応した。
壁へ近づき、拳で何か所か叩いて確かめる。
「ここだけ薄い!」
「壊せる?」
玲奈が聞いた。
「道具があれば!」
「能力なら?」
革命軍の中から、先ほど塹壕を破った大柄な男が出てきた。
古いハンマーが淡く光る。
《BREAK LINE》。
「待て!」
軍刀の男が叫び、ハンマーが止まった。
「何!」
「そこを崩せば、上まで落ちる」
男は壁ではなく、足元を見ていた。
周囲とわずかに色の違う石が、一枚だけある。
「ここだ」
大地がしゃがみ、埃を払った。
石の周囲に、細い溝が現れた。
「蓋……?」
数人が石板へ手をかけた。
重く、簡単には動かなかった。
「せーの!」
力を合わせると、石板がずれた。
その下に、階段があった。
「マジか」
牧野壮真が声を漏らした。
「何で分かったんだよ」
男は答えなかった。
背後では、戦闘記憶体が迫っていた。
「入れ」
男が告げると、相馬源一郎が声を上げた。
「負傷者から!」
今度は、誰も反対しなかった。
佐伯真奈がすぐに動く。
「怪我してる人、こっち! 蓮、手伝って!」
「はい!」
高瀬蓮が走った。
その直後、銃声とともに石壁が弾けた。
戦闘記憶体との距離が、さらに縮まっている。
「伏せろ!」
湊が身を低くすると、銃弾が頭上を抜けた。
凛がICカードを握ったが、すぐに表情を変えた。
「駄目」
「何が?」
「この道、まだ通ってない」
階段の先は、未知の経路だった。
凛自身が通った道を利用する《ROUTE》では、今の段階でその先まで逃がすことはできなかった。
壮真が腕時計へ触れた。
相馬が見る。
「牧野さん」
「まだ使ってないです!」
「使う顔をしていました」
「どんな顔だよ!」
湊はスマートフォンを操作した。
雨、風、花火、雑踏。
だが、ここは狭い地下壕だ。豪雨を出せば味方まで動けなくなる。風も危険だった。花火で止められるのは、数秒しかない。
他に何かないか。
迷っていると、軍刀の男が言った。
「灯りを消せ」
「え?」
湊が顔を上げた。
男が示したのは、地下壕に残っている古い照明だった。
「暗くしろ」
玲奈が眉をひそめる。
「向こうも見えなくなるってこと?」
「ああ」
「こっちも見えないけど」
「お前たちは逃げるだけだ」
男は軍刀を構えた。
「見る必要がない」
湊の指が止まった。
そうか。
勝つ必要はない。
階段の場所さえ分かっていれば、敵の姿を見る必要すらないのだ。
「灯り消して!」
湊が叫んだ。
「全部?」
壮真が聞く。
「全部!」
無名軍と革命軍の参加者たちが動いた。
照明やランタン、古い電灯が、一つずつ消されていく。
最後の灯りが消えると、地下壕は完全な暗闇に包まれた。
誰かの息遣いと、戦闘記憶体の足音が聞こえた。
銃声が響き、発砲の瞬間だけ、赤い火花が闇を切り裂く。
「動くな!」
軍刀の男の声がした。
誰に向けた言葉なのか、湊には分からなかった。
直後、すぐ横を誰かが通り抜けた。
男だった。
暗闇の中でも、その動きに迷いはなかった。
発砲しようとする兵士の腕を押し上げ、銃口を天井へ逸らす。別の兵士の足を払い、さらに盾を持つ者の外側へ回り込んだ。
軍刀の柄で肩を打ち、必要な場所だけを崩していく。
能力発動のアラートは鳴らなかった。
技能だけで、押し寄せる兵士たちを止めている。
湊の頭に、宮本武蔵が浮かんだ。
だが、この男の動きは違った。
武蔵は、目の前の相手の肩や足、視線、癖を見て、次の動きを読んでいた。
この男は、もっと広い範囲を見ている。
誰がどこにいて、どこから撃たれるのか。誰を下げ、どこを空ければ、全員が生き残れるのか。
まるで、戦場全体を一枚の地図として捉えているようだった。
「湊!」
凛の声がした。
「階段!」
「ああ!」
湊も後退した。
壮真や相馬、玲奈をはじめ、参加者たちが次々と階段へ入っていく。
軍刀の男は、最後まで前に残っていた。
最初からついていた三人も、異なる軍章を持ったまま、短い指示に従っていた。
「右!」
王冠軍の男が身体をずらす。
「下がれ!」
聖域軍の参加者が後退する。
「そこを塞げ!」
革命軍の男が槍を横へ構えた。
今だけは、軍の違いなど意味を失っていた。
湊は階段へ片足を入れたところで、止まった。
「あなたは?」
男は、こちらを見なかった。
「行け」
「でも」
「邪魔だ」
また言われた。
歴史上の人物は、どうしてこういう言い方をするのだろう。
「名前くらい――」
「今聞くことか!」
玲奈に怒鳴られた。
「確かに!」
湊が階段を下りようとした瞬間、頭の中に認証音が響いた。
男との距離が縮まり、識別可能範囲に入ったらしい。
――歴史記憶体を確認。
湊の足が止まった。
男にも聞こえたようで、ほんの少し顔を上げた。
――所属。
一拍置いて、音声が続く。
――該当なし。
未所属だった。
「また?」
壮真が下から言った。
宮本武蔵と同じ、五軍のいずれにも属さない歴史記憶体。
――遺想能力強度。
LEVEL 2
「……2?」
湊は目を見開いた。
低い、と思いかけた。
だが、ナイチンゲールもLEVEL 2だった。
数字だけを見ても、意味がない。
――危険度。
A
――希少度LEGEND。
――個体識別を開始。
男は暗闇の中で軍刀を振るった。
一歩進むたびに銃声が響き、兵士が倒れる。
その中で、名前が告げられた。
――BELISARIUS.
ベリサリウス。
「……誰?」
湊は思わず言った。
壮真も下から顔を出す。
「俺も知らない」
ベリサリウスが、ほんの一瞬だけこちらを見た。
「俺も、お前たちを知らん」
「ですよね」
「ならば問題ない」
妙に納得させられた。
「会話してないで下りろ!」
玲奈が叫んだ。
「はい!」
湊は階段を駆け下りた。
頭上で、石板が動き始める。
最後に見えたのは、暗闇から迫る数十の戦闘記憶体と、その前に立つベリサリウスの姿だった。
三つの異なる軍章を持つ参加者たちも、まだ彼とともにいた。
石板が閉じ、銃声が遠くなった。
湊たちは、湿った空気の中、細い階段をさらに下りていった。
「ベリサリウスって誰だよ」
壮真が言った。
誰も答えなかった。
「知ってる人?」
無名軍の中から、四十代くらいの男性が一人だけ手を上げた。
「東ローマ帝国の将軍だったと思う」
「強い?」
「かなり有名な将軍だよ。少ない兵力で戦ったことで知られてる」
「それ先に言って」
「俺だって確信なかったんだよ」
凛が湊を見た。
「LEVEL 2」
「うん」
「でも危険度A」
「やっぱり数字だけじゃ分からない」
ナイチンゲールとベリサリウスは、どちらもLEVEL 2で危険度Aだった。
だが、強さの意味はまったく違う。
一人は、傷ついた者を生かす。
もう一人は、少ない人数で戦場を生き残る方法を知っている。
遺想能力強度は、その人物の強さそのものではなかった。
「三十一」
蓮の声がした。
階段の先は、少し広い地下室になっていた。
蓮が、下りてきた人々を数えている。
「三十二」
最後に相馬が階段を下りると、蓮が頷いた。
「無名軍、三十二人います」
相馬も頷いた。
「ありがとうございます」
革命軍でも、玲奈たちが人数を確かめていた。
「十五。全員いる」
真奈が壁へ背を預けた。
「よかった……」
初めて、少し疲れた顔を見せた。
大地が水を渡す。
「自分も飲めよ」
「在庫減るから」
「倒れた方が困る」
真奈は少し迷ったあと、一口だけ飲んだ。
湊は、その様子を見ていた。
真奈も、大地も、蓮も、少し前までは、ただの無名軍参加者だった。
今は名前を知っている。
それだけで、見え方が変わる。
誰かが傷つけば分かるし、いなくなれば気づく。
そのはずだった。
「……」
湊の胸に、妙な違和感が走った。
いなくなる。
その言葉で、何かを思い出しかけた。
最初の広場。
光に包まれ、誰かが消えた。
顔は分からない。名前も知らない。
それでも、確かにいた。
「湊?」
凛が呼んだ。
「何でもない」
「最近それ多くない?」
「そう?」
「多い」
凛が顔を覗き込んできた。
近い。
湊は少し後ろへ下がった。
「何」
「本当に大丈夫?」
「大丈夫」
「さっき他人の記憶見て倒れそうだったでしょ」
「倒れてない」
「言い方の問題じゃない」
凛の声が少し強くなった。
湊は黙った。
「……分かった」
「何が?」
「気をつける」
「何に?」
「全部」
「雑」
それでも凛は、それ以上言わなかった。湊から少しだけ離れる。
壮真が二人を見ていた。
「何」
湊が聞くと、壮真は笑った。
「いや。別に」
「それさっきも言ってた」
「生きて帰ったら教えるって言っただろ」
「くだらないことだったら怒るぞ」
「多分くだらなくない」
凛が壮真を見た。
「何の話?」
「秘密」
「気持ち悪い」
「ひどい」
少し離れた場所で、蓮が笑っていた。
ほんの少し、先ほどまで緊張していた顔が緩んでいる。
この子も、普通の高校生だったのだ。
湊がそう思ったとき、蓮の手の中で、片方だけのイヤホンが微かに光った。
「え?」
蓮自身が驚いていた。
同時に、システムの音が響く。
――遺想具共鳴反応を検出。
全員が蓮を見た。
「俺?」
イヤホンの光が、少し強くなった。
――共鳴値、一時上昇。
――未解放能力による微弱干渉を確認。
壮真が近づいた。
「能力?」
だが、続いて別の情報が表示された。
――初期遺想能力解放条件、未達。
「まだ使えないってこと?」
凛が聞いた。
「分かりません」
蓮は片方だけのイヤホンを耳へ入れた。
数秒後、顔色が変わった。
「……誰か」
「何?」
「喋ってる」
相馬が近づいた。
「何と?」
蓮はイヤホンを強く押さえた。
「遠い……」
ノイズに混じる声を、そのまま口にする。
「……聞こえる者はいるか」
全員が静かになった。
蓮は続けた。
「第五軍……」
ノイズが入っているらしく、言葉が途切れた。
「こちらも……NAMELESS……」
相馬の表情が変わる。
「同じ無名軍?」
蓮は答えず、聞こえてくる声を追っていた。
「それから……」
しばらく黙ったあと、表情を変えた。
「歴史記憶体が……一人……いる」
そこで、イヤホンの光が消えた。
――共鳴反応終了。
蓮がイヤホンを外す。
「聞こえなくなりました」
「場所は?」
相馬が聞いた。
蓮は首を振りかけた。
そのとき、本人だけに何かが表示されたらしく、目を見開いた。
「北……」
「何?」
「反応源推定。北側領域って出てます」
誰も、すぐには口を開かなかった。
別の無名軍がいる。
可能性としては、考えられた。この広大な世界で、自分たちの集団だけが第五軍の全員であるはずはない。
だが、今度は実際に声が届いた。
しかも、その中には歴史記憶体までいる。
「無名なのに?」
壮真が小さく言った。
湊は、自分の頭上を見た。
白い円。何も描かれていない紋章。
「名前があるかどうかじゃないんだろ」
「何が?」
「無名軍って」
最初に、システムが言っていた。
該当分類なし。
王冠、革命、聖域、叡智。そのどれにも分類されなかった者たちだ。
なら、歴史に名前が残っている人間が無名軍にいたとしても、おかしくはない。
相馬は、北へ続く通路を見た。
《WAR》は、まだ先にある。
だが、進む理由が、もう一つできた。
別の無名軍。
そこにいる、名前のある無名。
湊は、なぜか少しだけ、会ってみたいと思った。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
『MEMORIA WAR ―記憶戦争―』は、“記憶”と“歴史”をテーマにした異能バトル長編です。
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