第13話 知らない誰かの記憶
歴史上の偉人たちと、名もなき人々が“記憶”を武器に戦う物語です。
※本作には戦闘・死亡・一部残酷な描写があります。
地下壕へ入った瞬間、外の砲声が少しだけ遠くなった。
完全に聞こえなくなったわけではない。土と石でできた壁を通して、低い振動が身体へ伝わってくる。
ドン。
少し間を置いて、また響く。
まるで巨大な心臓が、地下のどこかで脈打っているようだった。
朝倉湊は荒い呼吸を整えながら、最後に入ってきた相馬源一郎を見た。
「全員?」
相馬はすぐに周囲を確認した。
暗い地下壕の狭い通路には、無名軍と革命軍の参加者たちが入り混じっていた。先ほどまでは、別々に動いていた者たちだ。
「無名軍は……」
相馬が、声に出さず一人ずつ数えていく。
壮真が壁にもたれたまま言った。
「またやってる」
「大事ですから」
「分かってるけど」
相馬の視線が、最後の一人まで辿り着いた。
「三十二人。います」
その一言で、張り詰めていた空気が少し緩んだ。
誰も死んでいない。
まだ。
革命軍でも、人数確認が始まっていた。
「十五人!」
先ほど相馬と話していた女が声を上げた。
「全員いる!」
「怪我人は?」
「二人。歩ける!」
軍は違う。
だが、今この瞬間にしていることは、ほとんど同じだった。
湊はスマートフォンを見た。
《REPLAY》は消えていなかったが、工事現場の動画には新しい警告が表示されていた。
同期率低下。
連続使用非推奨。
「これも連発できないか」
凛が画面を覗き込んだ。
「雨とかと同じ?」
「多分」
「多分ばっかり」
「システムがちゃんと説明しないんだから仕方ないだろ」
「でも、あれなかったら通路見つからなかった」
凛は暗い後方を見た。
自分たちが入ってきた穴は、もうここからでは見えなかった。
「役には立った」
「珍しく褒めた?」
「事実を言っただけ」
壮真が横から笑った。
「そういうの、もっと素直に言えばいいのに」
「何が?」
「別に」
凛に睨まれ、壮真はすぐに目をそらした。
湊には意味が分からなかった。
「それより」
相馬が声を上げた。
「少し休みましょう。ただし長居はできません」
地下壕が安全なのかどうかも、分からなかった。
ここも《CRIMSON FRONT》の内部だ。戦闘記憶体や、別の参加者が入ってこない保証はない。
何より、《WAR》はさらに奥にある。
「水ある人、少しずつでいいから回して」
無名軍の一人が声を上げた。
二十代後半くらいの女性だった。小さなリュックから、何本かのペットボトルを取り出している。
「一気に飲まないで。まだどれくらい歩くか分からないから」
壮真が一本受け取った。
「ありがとうございます」
「一口だけ」
「厳しい」
「肩怪我してる人が文句言わない」
「何で全員俺の肩知ってるの?」
「包帯巻いてるから」
当然だった。
女性は、次の人へ水を渡した。
湊は何となく、その姿を見ていた。
開始領域でも、何度か見かけた気がする。
だが、名前を知らなかった。
そう思ったところで、相馬が口を開いた。
「そういえば」
皆が相馬を見た。
「今回一緒に来たのに、まだ名前を知らない方がいますね」
壮真が苦笑した。
「この状況で自己紹介?」
「この状況だからです」
相馬の答えは早かった。
湊には、その言葉に覚えがあった。
最初に広場へ集められたときも、相馬は似たことを言っていた。
名前くらい覚えておこう。
知らないままいなくなるのは嫌でしょう、と。
その言葉が、なぜか少しだけ胸に引っかかった。
「じゃあ私から」
水を配っていた女性が言った。
「佐伯真奈。二十九歳」
壮真がすぐに聞いた。
「水係?」
「違います」
「すみません」
「スーパーで働いてたから、こういう人数分けたり在庫数えたりするのは慣れてるだけ」
真奈の手には、使い込まれた小さなノートがあった。表紙には、子供が描いたような絵がある。
「それ、遺想具?」
湊が聞いた。
真奈はノートを見た。
「みたい」
少し笑ってから、続けた。
「母のレシピノート」
それ以上は言わなかった。
能力も、まだ発現していないらしい。
次に、大柄な男が手を上げた。
湊には見覚えがあった。
信長とMINOR COREを奪い合ったとき、凛と一緒に地下へ向かった男だった。
「桐生大地。三十六」
「やっと名前知った」
凛が言った。
「俺も」
大地が笑う。
「前のとき名乗る暇なかったからな」
かなり体格が良く、手は傷だらけだった。
「仕事は?」
壮真が聞いた。
「建設」
「だからあの地下の機械とか分かったの?」
「分かったというか、何となく似たものは見たことあるって程度」
大地の遺想具は、古い作業用の革手袋だった。
まだ能力は使えないらしかった。
「次」
相馬が促すと、少し離れた場所に座っていた少年が顔を上げた。
高校生くらいに見えた。
「……高瀬蓮。十八」
小さな声だった。
「高校生?」
真奈が聞くと、蓮は頷いた。
「三年」
「受験生じゃん」
壮真が言った。
「……でした」
その言い方に、少しだけ空気が止まった。
帰れる保証はない。
受験も、学校も、卒業も、今は妙に遠い言葉だった。
蓮の手には、片方だけになった古いイヤホンが握られていた。
「それが遺想具?」
湊が聞いた。
「はい」
「能力は?」
「まだ」
「俺も最初そうだった」
蓮が少しだけ顔を上げた。
「本当ですか」
「本当」
「スマホだったんですよね」
「知ってるの?」
「最初、ちょっと有名だったから」
「悪い意味で?」
蓮は答えなかった。
壮真が笑う。
「悪い意味だな」
「お前も笑ってた側だろ」
「今は評価してる」
「偉そうだな」
小さな笑いが起きた。
地下壕の外では、戦争が続いている。
それなのに、笑える瞬間があった。
湊には、それが不思議だった。
革命軍でも、名前を言い合う声が聞こえ始めた。
先ほどの女が、こちらを見た。
「じゃあ私も言っとく」
相馬が振り向く。
「瀬川玲奈。二十六」
「革命軍?」
壮真が聞いた。
玲奈は自分の頭上にある、砕けた鎖の紋章を見た。
「見れば分かるでしょ」
「名前じゃなくて」
「普通の会社員だった」
「革命要素どこ?」
「私が聞きたい」
凛が少し笑った。
玲奈も笑う。
ほんの一瞬、敵軍という感じが消えた。
そのとき、湊のスマートフォンが震えた。
皆の笑いが止まった。
――MEMORIA NOTICE.
湊は画面を見た。
「何?」
凛が近づく。
――戦闘記憶密度、上昇。
先ほども見た表示だった。
だが、今回は続きがあった。
――記憶干渉濃度、規定値を超過。
「記憶干渉?」
玲奈も自分の表示を確かめていた。
革命軍にも、同じ通知が届いているらしい。
――領域内参加者へ警告。
――外部戦闘記憶との混線に注意してください。
「混線?」
壮真が言った。
次の瞬間、湊の頭の中へ何かが流れ込んだ。
寒い。
最初に感じたのは、寒さだった。
目の前にあったはずの地下壕が消えている。
どこまでも白い雪原だった。
足が動かない。指先の感覚もない。
すぐ横に、軍服を着た誰かが倒れていた。
知らない顔だった。
その口から、知らない言葉が漏れている。
それなのに、何を言っているのか分かった。
帰りたい。
その言葉だけが、頭の中へ直接流れ込んでくる。
家。
妻と子供。
暖炉と、パン。
誰かの名前も聞こえた。
だが、聞き取れなかった。
「……っ!」
湊は壁へ手をついた。
「湊?」
凛の声が、遠くから聞こえる。
目の前は、まだ雪原だった。足元には血が広がっている。
違う。
知らない場所だ。
俺じゃない。俺は、ここにいない。
俺は――。
「湊!」
肩を掴まれた。
視界が戻った。
雪原は消え、地下壕の暗い壁が見えた。
凛がすぐそばにいる。
壮真も相馬も、真奈、大地、蓮、玲奈も、こちらを見ていた。
湊は荒く息をした。
「……今」
「何?」
「雪……」
壮真の顔が変わった。
「お前も?」
湊は壮真を見た。
「壮真も?」
「一瞬だけ」
壮真は腕時計ではなく、自分の手を見つめていた。
「海だった」
「海?」
「船の上」
顔が青かった。
「砲弾が飛んできて……隣の奴が」
そこで言葉が止まった。
「知らない奴」
壮真が言った。
「なのに」
喉が動いた。
「知ってた」
凛も黙っていた。
「凛は?」
湊が聞くと、凛は少し間を置いて答えた。
「森」
「何があった?」
「逃げてた」
「誰から?」
「分からない」
凛はICカードを強く握った。
「でも、怖かった」
全員が同じものを見たわけではなかった。
違う戦争、違う場所、違う時代の記憶が、それぞれに流れ込んでいた。
「私も」
真奈が呟いた。
大地や蓮も、見知らぬ光景を見ていた。
周囲の参加者たちから、次々と声が上がる。
塹壕、砂漠、城、船、雪原、炎に包まれた都市。
誰もが、自分のものではない戦場の記憶を見ていた。
システムが、新たな情報を表示した。
――記憶混線を確認。
――当該現象は《CRIMSON FRONT》領域特性によるものです。
――戦闘記憶との過度な同期に注意してください。
玲奈が険しい顔で聞いた。
「過度に同期したらどうなるの?」
返答はなかった。
「そこ説明しろよ」
壮真が言った。
だが、湊には別のことが引っかかっていた。
先ほどの雪原も、知らない兵士も、自分には何の関係もない。
それなのに、「帰りたい」という言葉を思い出すと、胸が痛んだ。
まるで本当に、自分があそこにいたようだった。
「湊」
凛が、まだこちらを見ていた。
「大丈夫?」
「うん」
反射的に答えた。
「本当に?」
「……多分」
「また多分」
凛の顔が少し近かった。
肩に置かれた手も、まだ離れていない。
湊がそちらへ目を向けると、凛も気づいた。
すぐに手を離す。
「倒れそうだったから」
「何も言ってないけど」
「じゃあ倒れてればよかった?」
「そういう意味じゃない」
壮真が二人を見ていた。
何か言いかけて、やめる。
「何だよ」
湊が聞いた。
「別に」
「絶対何かあるだろ」
「生きて帰ったら教える」
その言葉に、誰も続けられなくなった。
生きて帰ったら。
当たり前のはずの言葉が、ここでは約束のように聞こえた。
そのとき、地下壕の奥から音がした。
カツン。
全員が動きを止めた。
もう一度、硬い足音が響く。
一人ではなかった。複数の足音が近づいてくる。
大地が前へ出た。
玲奈も武器を構え、湊はスマートフォンを握った。
「静かに」
相馬が低い声で言った。
暗闇の向こうに、松明の光が見えた。
四人の人影が近づいてくる。
先頭の男だけ、頭上に軍章がなかった。
後ろに続く三人には、王冠、盾、砕けた鎖が、それぞれ浮かんでいた。
軍はばらばらだった。
それなのに、三人とも軍章のない男について歩いている。
先頭の男は長い外套をまとい、片手に軍刀を持っていた。
システムが反応した。
――高出力記憶反応。
全員が身構えた。
だが、まだ距離があるのか、名前は表示されなかった。
男は暗闇の向こうからこちらを見たあと、地下壕のさらに奥へ視線を向けた。
何かから逃げているのか。
湊はそう思ったが、その様子は違って見えた。
むしろ、何かを追っているようだった。
男の後方、遠い暗闇の奥で銃声が響いた。
悲鳴が重なり、大量の足音が続く。
男が初めて口を開いた。
「そこにいる者」
日本語ではなかった。
それでも、意味が頭へ入ってくる。
MEMORIAの翻訳だった。
「死にたくなければ」
男は軍刀を抜いた。
「ここを離れろ」
直後、地下壕の奥から赤い光が溢れた。
戦闘記憶密度が、急上昇する。
――MEMORIA WARNING.
湊のスマートフォンが震えた。
――大規模戦闘記憶の再構成を確認。
「来る!」
玲奈が叫んだ。
暗闇から、無数の兵士が現れた。
湊は息を呑んだ。
休む時間は、終わった。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
『MEMORIA WAR ―記憶戦争―』は、“記憶”と“歴史”をテーマにした異能バトル長編です。
少しでも続きが気になった方は、ぜひ次話もお読みいただけるとうれしいです。




