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「大丈夫ですか?」
日没が迫りつつある路地、少年が喉の辺りを押さえながらうずくまっていると、そう声をかけられた。
彼が顔を上げると、目の前には心配そうな表情の少女がいた。彼と同年代くらいの少女であり、平民の服を着ている彼とは対照的な貴族の服に身を包んでいる。
「……くす、りを……」
息が苦しくて、少年はそれ以上声を出すのが困難だった。上着のポケットに手を伸ばすが、力が上手く入らなくてなかの薬を取り出せない。
少年は気管支系の持病を患っていた。その発作がいま唐突に始まり、路地の外を行き交う人々に助けを求めることもできなかった。
そんなところに、この少女が現れたのである。
「そこに薬があるのね?」
尋ねると同時に彼女が彼のポケットに手を入れて、錠剤の入った小さなガラス瓶を取り出す。
「いくつ必要なの?」
少年は震える指で二個だと示す。少女は瓶の蓋を開けると錠剤を二個取り出して彼に渡した。
「そのままで飲める? 水出そうか?」
言うと同時に少女は水魔法で小さな水球を作り出して、彼のそばにふよふよと浮かばせた。
少年はその水球に錠剤を入れて、液体とグミの中間のような感触のそれを口元に引き寄せてごくりと嚥下していく。
彼の呼吸が元の落ち着きを取り戻すまで少女はそばにいて、彼の背中に優しく手を触れていた。
やがて少年の呼吸が元の状態に戻り、彼は少女にお礼を述べる。
「……ありがとう、ございます……」
「どういたしまして、もう大丈夫そう?」
「……はい……なんとか……」
「良かった。たまたま路地のほう見たら誰か苦しそうにうずくまってるんだもん。びっくりしたよ」
安堵して、にこやかに少女は笑いかける。その笑顔が少年にはきらきらと輝いて見えた。
「……あの、お名前を伺っても……?」
「わたし? わたしはデイジー=イーザ。あなたのお名前は?」
「……僕は、ファルマ=シークエンス、です……」
「素敵なお名前ね」
そのとき路地の入口のほうから年配のメイドが慌てた様子でやってきた。
「お嬢様、こんなところにいたのですか。探しましたよ」
「メイド長」
「おや、そちらの方は……?」
「ファルマくんよ。さっき知り合ったの」
「そうですか。お嬢様、そろそろ夕ご飯のお時間です。お屋敷に戻りますよ」
「はーい。それじゃあね、ファルマくん。またいつか、どこかで会えたらいいね」
笑顔で少年に手を振りながら、少女はメイド長に連れられて路地を出ていく。
その後ろ姿を、彼もまた小さく手を振り返して見送っていた。
――――――――。
イーザ家、薄暗い室内、カーテンの隙間から朝の光が一つの筋を浮かび上がらせているなか。
ベッドに寝ていたファルマは目を覚まして、うーんと伸びをした。窓へと近付いてカーテンを開ける。
「今日も良い朝ですねぇ」
朝の日差しを一身に受けながら、彼は眩しさとうれしさに目を細めていた。
○
朝食の時間。デイジーは朝食の準備をしているメイドに声をかけた。
「メディ、無理しなくてもいいのよ。一昨日、銃で撃たれたんだから」
デイジーの誘拐事件から二日が経過していた。メイドの怪我は魔法で回復していて元通りにはなっていたのだが、それでもデイジーは心配したのである。
「ご心配ありがとうございます。けれど私ならもう大丈夫です。回復魔法のおかげで怪我は完治しておりますし痛みもありませんから」
「…………」
「私のことより、むしろお嬢様の方が心配でございます。外傷はなかったとはいえ、お心にトラウマでもおありになったら……」
「私の方こそ大丈夫よ。すぐにファルマさんが助けに来てくれたし」
デイジーが同席するファルマのほうを見て、メイドもそちらに顔を向ける。彼は微笑んでいた。
いつもは真顔なので、デイジーは不思議に思ってファルマに聞いた。
「ファルマさん、何か良いことでもあったの? 妙に嬉しそうだけど」
「良い夢を見た気がするのです。どんなものなのかは忘れてしまいましたが」
「夢……?」
「はい。デイジーさんは見ましたか? 今日の夢」
「いえ、特には」
「そうですか。それにしても、あの事件では看護師さんと御者さんがお怪我をなされたそうですが、命に別状がなく治って良かったですね」
「ええ、そうね」
あのとき。腹部に銃撃を受けた看護師は自力の魔法で怪我を塞ぎ、その後、救急馬車が到着するまでの間に御者とメイドの応急処置をしていたのである。
朝食の皿を並べながらメイドが言う。
「さすがデイジーお嬢様の掛かり付けの看護師さんですよね。彼女がいなかったら、私とじいやさんはどうなっていたことか」
「……何だかごめんね。私がいたせいで、みんなを危険に巻き込んじゃって……」
「そんな、お嬢様がお謝りになる必要はありません。全部悪いのはあの誘拐犯達です」
メイドの言葉にファルマも続ける。
「そうですよ、デイジーさん。貴女が気に病む必要は全くありません。貴女のほうこそ最大の被害者ですし、それにさっきも言いましたが幸いにも死者はいなかったのですから」
「…………」
「そんなことより朝ご飯を食べましょう。相変わらず美味しそうですねぇ」
朝食の準備を終えたメイドがくすりと微笑んだ。
「ファルマさんたら、以前よりも明るくなりましたね。ここに来たばかりの時はずっと真顔だったのに」
「そうですか?」
「目元にもくまが出来てましたし」
「最近はよく寝れているからでしょう。食事もしていますし」
「どちらもお嬢様が仰ったことですね」
「そうですね、それもこれもデイジーさんのおかげです。ありがとうございます」
デイジーは照れ隠しのようにそっけなく答える。
「べ、べつに、私は当たり前のことを命じただけです。お礼を言われることではありません。それより朝ご飯を食べますよ」
「そうですね、では、いただきます」
そうしてファルマとデイジーは朝食を食べ始めた。
…………。朝食のあと。自室に戻ったファルマは気合を入れた目で机の前に立つ。
「さて。では今日もやりますか。睡眠と食事を取る分、それ以外の時間は可能な限りお薬の研究と調合を進めなければ」
本来なら薬に関わる時間を睡眠と食事にあててしまっているのだから、その遅れを取り戻さなければ。
そう考えて、ファルマは机の前に座って没頭し始めるのだった。
○
朝食後。デイジーはベッドで読書をしていた。最近流行っている恋愛小説だが、気になっていることがあるからかなかなか内容が頭に入ってこない。
室内の壁際の椅子にはメイドが座り、いつものように編み物をしている。事件で負った傷は本当に完治しているらしく、その様子は普段とまったく変わらない。
読書を一時中断して、デイジーはメイドに声をかけた。
「ねえメディ」
「何でしょうか、お嬢様?」
メイドも編み物を中断してデイジーのほうを見る。
「気になることがあるのだけど……お父様、はお仕事でいないだろうから、お母様のところに聞きに行ってもいいかしら?」
「気になること……? 何がお気になさるのでしょう?」
「一昨日の誘拐犯達、何で私を狙ったんだろうな?って」
「……!」
小説を脇に置いて、デイジーは下半身にかけていた布団を取り、ベッドの縁側に居住まいを直す。
「病気のせいもあって、私って普段あまり外に出ないじゃない。あの日は体調が良かったから、私から買い物に行こうって言ったけれど……その私を狙うのって、誘拐犯達からすれば狙いにくいんじゃないかなって。私が言うのもあれだけどね」
「お嬢様……」
いつ外出するか予測しにくい者を狙うよりは、他の狙いやすい貴族を狙うのが妥当ではないか……とデイジーは言いたいらしい。
「偶然にしては出来すぎている、お嬢様が外出するのを待っていたのだとすれば効率が悪いのではないか……そう仰りたいのですね?」
「まあ、そうね」
「…………、もしや、このお屋敷に彼らの間者がいるとお考えなのではないですか?」
「…………」
この屋敷に誘拐犯達の仲間がいて、デイジーが外出するように誘導し、それを仲間に伝えた……メイドはそう疑問を持ったのだ。
しかしデイジーは言う。
「分からないわ。さっきも言ったけど、あの日外に出ようって言ったのは私だし……」
「…………、お嬢様の体調が良かったのは、ファルマさんのお薬をお飲みになったからでもありますね。それまではお薬をお飲みになっていませんでしたから」
婉曲的に、メイドはファルマに疑問の目を向けているようだった。デイジーは即座に否定する。
「ファルマさんは関係ないと思うわ。誘拐犯達を倒したし、彼らもファルマさんのことを知らないみたいだったし」
「…………」
「とにかくお母様に聞いてみようと思って。お母様なら警察から何か聞いているかもしれないし。本当なら私自身が警察や誘拐犯達に直接聞きに行きたいのだけれど……」
「それはなりませんお嬢様……!」
思わずといった様子でメイドは立ち上がっていた。
「またお嬢様を狙う者がいるかもしれませんし、あの誘拐犯達に会えば逆恨みされるかもしれません! ご用命とあらば、私達使用人にお申し付けください!」
「そう言うと思ったから、ね」
デイジーは立ち上がり、ドアへと向かう。
「だから、お母様に話を聞きに行くくらいなら許してくれるでしょう?」
「…………、お供致します」
「うん、お願い」
デイジーはドアを開けて、母親の元へと話を聞きに行った。
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