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朝食と朝の問診が終わってファルマが自室に戻ったあと……デイジーはその彼の部屋の前に来て、ドアを少しだけ開けて室内を覗きこんでいた。
「やっぱり机にいる……」
ファルマは机に向かって座っていて、目の前の作業に集中していた。
「今日だって一時間しか寝てないって言ってたのに……」
自室に戻ったファルマがちゃんと睡眠を取るのか見にきたのであるが、案の定、彼は作業を再開していたのである。
睡眠不足が祟っているのか、ファルマは作業をしながらも左右に小刻みに揺れていた。ふらふら、ゆらゆら……まるで海中に漂う海藻のようである。
見るに見かねてデイジーはばん!とドアを開け放った。
「ファルマさん!」
「わっ⁉ デイジーさん⁉」
びっくりした顔のファルマが振り返る。その手にはフラスコとピペットがあった。
「何かご用ですか? 朝食も問診も済ませましたし、お昼にはまだ早いですよ。あ、お茶のお誘いですか?」
「寝てください!」
「へ?」
ずかずかと室内に足を踏み入れて、彼に人差し指を向けながらデイジーが言う。
「今日は一時間しか寝てないんでしょう⁉ さっきから見てましたけどふらふらのゆらゆらじゃないですか⁉ ちゃんと睡眠を取りなさい!」
「ね、寝ますよ。とりあえずこの作業を終わらせたらすぐにでも……」
「いつ終わるんですかそれ⁉」
「え、えーっといつになるかな……? たぶん二、三時間後くらいには……」
「お昼になっちゃうじゃないですか⁉ いますぐ寝なさい!」
「し、しかし、それだと薬が……」
「薬を実用化する前に貴方が倒れちゃいますから! いいから寝る! それ置いて!」
「は、はい……」
デイジーの剣幕にファルマもさすがにたじたじとなってしまった。持っていたものを所定の場所に安置する。
「ほらほらベッドに行きますよ! ってベッドまで本まみれじゃないですか⁉」
「それはその、寝る直前まで資料を読んでいて……」
「また寝落ち⁉ それもう気絶と変わりませんよ⁉」
「否定は出来ませんね……しかしよくよく考えてみれば睡眠と気絶に明確な違いはないのではとも思えてきて……」
「変な屁理屈しない! とにかくちょっと待ってください!」
デイジーはベッドに散乱していた本や資料をてきぱきとまとめて、近くの本棚の空いている場所に入れていく。本に埋もれていたベッドが再び使命を全うできる程度には顔を見せた。
「とりあえず寝る場所だけは確保しました。残りは自分で片付けてください」
「面目ないです、ありがとうございます」
「ほら横になって、布団をかけて」
「はは、まるで子供を寝かしつけるお母さんですね」
「手のかかりすぎる子供ですねっ!」
ようやくファルマの寝る準備が整ったとき、開いていたドアにノックの音がした。二人がそちらを見ると、メイドのメディがかしこまった様子で立っていた。
デイジーがここに来ることはメディには伝えていたのである。
「お嬢様、お出掛けの準備が整いました。いつでも出発出来ます」
「ありがと。いま行くわ」
ちゃんと寝るようにとファルマに釘を刺そうとしたとき、そのファルマががばっと上体を起こした。
「お出掛けですか? 私もお供します!」
「貴方は寝ていなさい!」
「しかし発作が起きた際に……」
「掛かり付けの看護師さんが一緒ですから大丈夫です。貴方は寝ていなさい」
「お買い物のお荷物を運ぶ役目が……」
「収納魔法具があるから大丈夫です。とにかく貴方は寝ていなさい」
「デイジーさんが寂しくないように話相手を……」
「私を何歳だと思ってるんですか⁉ いまは寝るのが貴方の役目なの!」
半ば押し倒すようにしてファルマをベッドに戻し、ぷりぷりと肩を怒らせながらデイジーがドアへと向かう。メイドが呆気に取られているなか、ばたん!とデイジーがドアを閉めた。
廊下を歩きながらデイジーが文句を言う。
「まったく! 子供扱いしないでよね!」
メイドが苦笑する。
部屋に一人残されたファルマは、残念に思いながら目を閉じる。睡眠不足の身体は正直で、目を閉じた瞬間になにかを思考することもなく意識は夢へと落ちていった。
○
街なかを走る馬車のなか、デイジーの対面に座るメイドが彼女に尋ねてきた。
「ファルマさんをお連れしなくて良かったのですか? すごく残念そうでしたが」
「寝不足でくまがあっていつ倒れてもおかしくない人なんか連れていけないわよ。いくら私の薬の為だからって頑張りすぎなの」
彼女の文句に、メイドの隣に座っていた看護師がくすりと笑った。
「デイジーさんはお優しいですね。彼のことを心配して面倒を見るなんて」
「私のせいで倒れられたら嫌ですからね。まったく手のかかる……」
「あらあら。話を聞いていた限りだと、まるで想いびとのようにも聞こえましたけどね」
「な……っ⁉」
デイジーの耳が赤くなった。
「そんなことありません! 一昨日会ったばかりの人なんですよ!」
「一目惚れという言葉もありますし」
「ありえません! 私があの人に一目惚れするなんて!」
「あらあら。じゃあ普通に好きになっちゃったのかしら?」
「もっとありえません!」
必死に反論するデイジー。女性の看護師はあらあらうふふと優しい笑顔を浮かべていた。
そんな二人の会話を見て……より正確にはデイジーの様子を見て、メイドが真面目な顔つきで口を挟んでくる。
「お嬢様。ご理解いただいていると思いますが、お嬢様は……」
「…………、分かってるわよ」
勢いづいていた様子を引っ込めて、デイジーも真面目な顔になって答える。
「私の心臓病には現状、特効薬が存在しない。症状や発作をいまある薬でなんとか誤魔化して、こうして見た目的には普通の生活を送っているように見せているだけ」
「「…………」」
「でもそれもいつまでもつかは分からない。ファルマさんが新薬を作ってくれてはいるけど、それも本当に効果があるのか、あったとしてもどの程度なのかは実際に飲んでみないと分からない。もしかしたら私の体質に合わなくて、せっかくの新薬も無駄になるだけかもしれない」
こうして馬車に乗り、買い物に出掛けているいまも病気は少しずつ、しかし着実に進行している。
「余命を引き延ばしているだけで、いずれ私は死んでしまう可能性はとても高い。だからこそ、こうしていままで通りの何気ない日常を過ごしていきたいのよ。……その『時』がきたときに、後悔がないように」
「お嬢様……」
メイドがつぶやきをこぼす。
看護師が言った。
「お変わりになられましたね、デイジー様」
「変わった? 私が?」
「はい。つい一昨日まではお屋敷の自室に閉じこもっておいでになったのに。そのような心境の変化がおありになったとは」
「……自分でも不思議に思います。何故だか、そう考えるようになって……」
「ちょうどファルマさんがお屋敷にいらっしゃった時と同時期ですね。もしや何かご関係が?」
「そそそ、そんなことありません! 決して断じて絶対に!」
「あらあらうふふ」
「本当です!」
デイジーがまたも耳を赤くする。メイドが溜め息を吐いていた。
そうしていくらかの距離を走ったあと、馬車が停止してドアが開く。そこに立つ白髪の御者が恭しく言った。
「ご到着致しました」
「ありがとう。じいやは近くの馬車置き場で待っていて」
「かしこまりました」
デイジーが先頭に立って馬車から降りる。続いてメイドが降車しようとしたとき、道を走っていた他の馬車がそばに停止して、それに乗っていた御者が拳銃を向けてきた。
ガンガンガンガン! 突如として銃声が鳴り響く。デイジーも含めて悲鳴が辺りに響き渡る。
弾丸はデイジー達の馬車に命中し、馬は血を流して倒れ、看護師は腹部に、白髪の御者は肩からそれぞれ血が流れ出た。
「メディ⁉ じいや⁉ 看護師さん⁉」
デイジーが叫ぶ。メイドは幸いにも弾丸は当たらなかったが、馬が横転した衝撃で馬車が揺れ、地面に放り出されてしまっていた。
デイジーがそばに倒れるメイドを抱き起こそうとしたとき、拳銃を撃ってきた馬車から複数の男達が飛び出してきて、デイジーの口を布で塞いで腹部を殴打する。
「ぅぐ……っ⁉」
抵抗する間もなく彼女は気絶してしまい、男達が彼女を自分達の馬車に連れ込んでいく。ようやく上体を起こしたメイドが叫んだ。
「お嬢様⁉」
メイドは弾かれたように立ち上がって、逃げ走っていく馬車を追いかけようとする。しかし馬車の窓から銃口が伸びて、彼女へと何発もの弾丸を撃った。
「きゃあっ⁉」
それらの一発がメイドの足に命中し、彼女は地面に再び倒れてしまう。当たったのはそれだけだったが、その間に誘拐犯達の馬車は遠くへと遠ざかってしまっていた。
「お嬢様……っ!」
メイドには悔しい顔を浮かべることしかできなかった。
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