5
日没後。夕食の前。
デイジーはファルマの部屋を訪れていた。しかしドアをノックするも返事はなかった。
「ファルマさん? いないんですか? それともまた寝落ちですか?」
ドアノブに手をかけると鍵はかかっていなく、簡単にドアは開いた。隙間から顔を覗かせて室内を見渡してみる。
室内は暗かった。壁にある燭台や照明魔法具は灯されていなかった。
だが完全な闇ではなく、部屋の奥にランタンのような小さな明かりと、それに照らされる机と座る人影が見えた。
「なんだ、いるんじゃないですか。返事くらいしてくださいよ」
ほっとして、デイジーは部屋に足を踏み入れる。ファルマに近付きながら背中に話しかける。
「夕食の時間ですよ。わざわざ私がお迎えに来たんですから感謝してくださいよね」
ついそっけない態度をとってしまう。
デイジーの部屋ではメイドが二人分の夕食の準備をしていた。その間にデイジーがファルマを呼びに来たのである。
しかし彼女の呼びかけにファルマは答えなかった。ずっと机に向いたままである。
「ファルマさん?」
それは本当にファルマなのかと不安になってデイジーが名前を呼ぶが……彼はぶつぶつとつぶやきながら目の前の作業に没頭していた。
「……あの病原菌はあの成分に弱いらしい……この花から抽出された成分はそれに近いから、何とかして成分を変化させれば……その為には、熱するのはやった、この植物の成分と合わせるのもやった、他は……」
「…………」
どうやら散歩から戻ってきてからずっと薬の調合に取り組んでいたらしい。机のフラスコやビーカーには様々な色の液体が入っていて、そのうちのいくつかはいまも火で加熱や蒸留がされていた。
デイジーはファルマの耳元に口を寄せて、そっとささやくように言う。
「夕食の時間ですよ、ファルマさん」
「うわぁっ⁉」
びっくりさせないように静かに小声で言ったのだが、それでもファルマは盛大に驚いてしまったようだった。あまりにも驚きすぎて椅子から転げ落ちるようにして床に尻餅をついていた。
「だ、大丈夫ですか⁉」
「な、何だ、デイジーさんでしたか……」
「ご、ごめんなさい、集中していたみたいだから小声で言ったんだけど、びっくりさせちゃったみたいで……」
「いえいえ、こちらこそ気付かずに申し訳ありません。加熱器が倒れなくて良かった」
幸いにも机上の加熱器は倒れていなく、火はゆらゆらと液体の入ったフラスコを熱し続けていた。
「そうですね、危うく火事になるところでした」
「はい、危うくまた最初から調合し直すところでした」
「え?」
「ん?」
ファルマにとっては火事になることより調合が失敗することのほうが大変なことらしい。
デイジーが呆れた顔をしていると、ファルマは立ち上がって服についたほこりを払いながら言った。
「それで夕食でしたっけ? 私のことならお気になさらずにお食べになっていてくれていいのに」
「そうはいきませんよ。いまも私に気付かないくらい没頭していたみたいですし、放っといたら倒れるまでやってそうですからね」
「あっはっはっ、ご心配なく。日常茶飯事です」
「心配ありすぎます! 日常茶飯事なんですか⁉」
「今日はマシな方ですよ。自宅で調合や研究をしていたら途中で寝落ちして、気付いたら異臭騒ぎで救急馬車や警察を呼ばれたこともありますからね」
「異臭騒ぎ⁉ 救急馬車と警察⁉」
「調合していた薬液がこぼれて他のと混ざってしまっていたんです。いやはやあの時は大変でした」
「……また調合し直さないといけなかったから?」
「はい」
「…………」
「どうかしましたか? 呆れたような顔をしていますが?」
「本当に呆れているんですよっ」
デイジーは盛大な溜め息を吐いてしまう。まさかここまでずれているとは。
「……調合馬鹿ってやつかしら……?」
「? 何か仰いましたか?」
「何でもありません。それより夕食の時間です。ほら私の部屋で食べますよ」
「お誘いは天にも昇るくらい嬉しいのですが、私には貴女のお薬を作るという使命が」
「いいから来なさい!」
デイジーはファルマの手を引っ張って開けっぱなしのドアへと向かう。
「あ、せめて火を消してから」
「早く消して!」
魔法具の加熱器を停止してから、二人はデイジーの部屋へと行って夕食を食べるのだった。
○
翌日の朝食時。ファルマはデイジーの部屋へとやってきていた。
「今朝は私が行かなくても来ましたね」
「毎朝の問診は日課ですからね。デイジーさんの体調には気を配っていないと」
そう答えるファルマの目元にはくまができていた。ろくに寝ていないことが容易に分かってしまった。
いま思い返してみれば、一昨日紹介されたときも、昨日の朝もくまがあった気がする。
「ファルマさん、ちゃんと寝ました? すごいですよ、くま」
「寝ましたとも。ついさっきまで一時間ほど」
「……はあ……」
デイジーは溜め息をついてしまった。朝食の準備をしていたメイドも目を丸くしてこちらを見ていた。
つまりファルマはまたほとんど徹夜をしていたということである。
……それは寝てるうちに入らない気がしますけどね……。
そう思いながらデイジーが口を開く。
「また私の薬を作る為、ですか?」
「はい。徹夜したおかげで、試薬品が今朝出来上がりました。あはは」
ファルマは本当にうれしそうな笑顔をした。メイドがびっくりしたように、朝食の準備の手を一旦止めて彼に言う。
「凄いじゃないですか! これでお嬢様の病気が治るかもですね! さっそく飲んで……」
「それはまだ駄目です」
「「え……?」」
真面目な顔に戻ったファルマに、メイドとデイジーが同時に声を漏らした。デイジーがファルマに尋ねる。
「何か問題でもあるんですか?」
「大ありです。出来たとはいえ、これはまだあくまで試薬品。本当に病原菌に効果があるのか、あるとしたらどの程度なのか、デイジーさんの身体に悪影響を及ぼす危険はないのか……などなど、まだ確かめなければいけないことが山ほど残っています」
「な、なるほど……」
たとえ病気に効果があったとしても、デイジーに悪影響があっては元も子もないのだから。
「デイジーさんに実際に処方するのは、それらの課題をクリアして有効性と安全性を得られた時になります。どんなに早くても……いえ、私なら一週間ほどで確かめてみせましょう……!」
ファルマは拳を握って意気込んで言う。……が、デイジーにはむしろそれが心配だった。
「それって、一週間はほとんど徹夜するってことじゃ、ないですよね?」
「よく分かりましたね。デイジーさんを治す為なら、一週間くらい余裕で徹夜してみせましょうとも!」
「…………」
デイジーは額に手を当てる。また頭が痛くなってくるようだった。
呆気に取られている様子のメイドに、デイジーが言った。
「メディ、あとでお父様に言っといて。ファルマさんに無理な徹夜をさせないように見張りを付けるようにって」
「あ、はい、かしこまりました」
びっくりしたのはファルマである。
「デイジーさん? 私に見張りなんて不要ですよ?」
「必要ですっ。一週間も徹夜なんかしたらそれこそ死んでしまいます!」
「あっはっはっ、一週間くらいなら死にませんよ。せいぜいぶっ倒れて滅茶苦茶大変なことになるくらいです」
「それが駄目だって言ってるんです! ファルマさんはもっと自分の身体を大事にしてください!」
「デイジーさん……」
「もし貴方が死んだら……!」
そこでデイジーははっとなった。
……私は何を言おうとしてたの……っ⁉
デイジーの言葉の続きを、ファルマは真面目な顔で、メイドは固唾を飲んで待っていた。
時が止まったかのような静寂が一瞬流れて……それからデイジーがようやく言葉を続ける。
「……貴方が死んだら、誰が私を治せる薬を作れると思っているの?」
その口調にさっきまでの勢いは失われていた。メイドや、デイジー自身ですら、それが彼女が本当に言いたかったことだとは思えなかった。
無論、いま彼女が言った言葉も嘘ではなかったことは確かではあるのだが。
ファルマは彼女の言葉を否定しなかった。
「……そうですね。デイジーさんの言う通りです。ではそれなりに睡眠を取るということで、試薬品の実用までは最低でも二週間ほどはお待ちください」
「……それ、本当にちゃんと寝るんですよね?」
「もちろんです。私が死んだら、デイジーさんが悲しんでしまうようですから。貴女のそんな顔はもう見たくありません」
「……っ……⁉」
デイジーは赤面してしまう。顔から火が出ているくらい恥ずかしく思った。
ファルマから顔を背けて、デイジーがメイドに言った。
「メディ、早く朝食をっ! お腹が空いたわっ!」
「は、はいただいま!」
メイドが朝食の準備を再開する。
その日の朝食の間、デイジーはファルマと目を合わせられなかった。
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