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検査室にて。一通りの検査を終えたあと、デイジーは医者に声をかけられていた。
「お疲れ様です、デイジーさん。検査は以上となりますので、もう戻ってもらっても結構ですよ」
「あ、はい、ありがとうございます」
「いえいえ。検査結果が出るまでには数日掛かりますので、結果が出たら通知致します。それまではお屋敷にて安静にしてお待ちください」
「分かりました……あの、お母様とメディは?」
きょろきょろと周りを見回しながらデイジーが尋ねる。さっきまで離れた場所で見守ってくれていたはずだが、気付かぬ間に二人はいなくなっていた。
「奥様はお花を摘みに行ったようです。メイドさんも付き添いで向かいました」
「あ……そうですか……」
「もう少ししたら戻ってくると思いますけど」
「いえ……私は先にファルマさんの部屋に戻っていると伝えてください」
「では私はまだ皆と作業の続きがあるので、看護師に案内を……」
「あ、いえ、部屋の番号や場所を教えていただければ、自分で向かいます……」
かかりつけのその医者とそばの看護師はぴんときたようだった。
「そうですか、では部屋をお教えしますので、お気を付けて。奥様とメイドさんにはそう伝えておきます」
「ありがとうございます」
ファルマの部屋の場所を聞いて、デイジーは検査室の外に出ていく。閉まるドアの向こうで医者と看護師がむふっと笑んでいたが、それには気付かなかった。
(ファルマさん……少しだけ、だけど……二人きりでお話を……)
たった三時間ではあったが、検査をしている間、彼と離れていることを寂しく感じている自分がいた。
一刻も早く会いたい。ちょっとでも長くそばにいたい。
なにを話せば良いのかは分からない。視線も恥ずかしくて合わせられないかもしれない。
それでも、彼のそばにいたかった。
あふれてくるその想いがそうさせるのか、歩みは自然と早足になっていた。もし病院内でなければ走っていたかもしれない。
それくらい彼女の心ははやる気持ちでいっぱいだった。
やがて廊下の角が見えてくる。あの角を曲がった先に彼の部屋がある。
高鳴る気持ちを抑えるようにしながらデイジーが角を曲がろうとしたとき。
廊下の角の向こう、視界のなかにファルマと、彼の前に立つ一人の女性が見えた。貴族の華麗な服装に身を包んだその女性は、デイジーの知るオリヴィエ=リヴァーだった。
(……っ……⁉)
反射的に思わずデイジーは身体を引っ込めて、廊下の角に身を隠してしまう。
悪評の流布や誘拐事件のことなどでオリヴィエから狙われた過去があるからというのもあるが、自分が想うファルマが他の女性と二人で会って話しているということに、少なからず戸惑いを覚えたからでもあった。
たとえそれが、ありえない、ありえるはずがないと分かっている相手であったとしても。
そーっと、二人に気付かれないように様子を見てみる。オリヴィエは彼の手を取って楽しそうに話をしていて、当のファルマは戸惑いの表情を浮かべているようだった。
「ファルマさんでしたっけ? ずっと会いたかったんですわ! まさか今日こんなところで再会出来るなんて、まるで運命ね!」
「リヴァーさん、どうしてこの病院に? 貴方は警察に捕まっていたはずでは?」
警察という単語に、一瞬オリヴィエの表情が固まる。しかしすぐに何事もなかったように笑みを再開した。
「いまは保釈されて自宅で謹慎中ですわ。けれど風邪を引いてしまいまして、この病院に検査しに来ましたの。使用人達に無理を言ってね」
「…………、屋敷には掛かり付けの医者がいるはずです。病院からの往診も受けられるでしょう。何より、いまの貴女は全然風邪を引いているようには見えません。失礼ですが、本当に風邪なのですか?」
「……ウフフ。掛かり付けの先生は故郷に帰ってしまいましたわ。往診も今日は大事なお客様が検査に来ているから手が空いていないと言われてしまいましたの。お疑いのようですけど、本当に風邪ですわ。いわゆる恋の病、ワタクシは貴方にお熱なのですわよ」
「……⁉」
笑顔を妖艶に深めていくオリヴィエに、ファルマはびくりと身体を引かせてしまう。まるで背中に冷水をかけられたような悪寒が全身を駆けた。
オリヴィエの言葉はデイジーにも届いていた。それを聞いた途端、デイジーもまた、
(……っ⁉)
と目を見開くようにして驚愕してしまう。
廊下の角にデイジーがいることには気付いていない様子で、ファルマとオリヴィエは会話を続けていく。
「い、いきなり何を……⁉」
「いま言った通りですわ。ワタクシは貴方のことが好きになりましたの。あの日以来ずっと貴方に恋い焦がれておりますのよ」
「し、しかし、貴女には婚約者が……!」
「そんなの関係ありませんわ。真実の愛に偽りの婚約など歯が立ちませんの。それにあんな見かけ倒しのボンボンなんか、貴方なんかとは比べ物になりませんわ」
オリヴィエは握っていた彼の手を手繰るように、今度は腕を取るようにしてその身に寄せた。自然な流れでおこなわれたその所作は手慣れていて、計らずも彼の腕が彼女の柔らかい胸元に触れてしまう。
思わずファルマは焦った声を出していた。
「は、離してください……!」
「あら、見掛けによらずうぶですのね。そんなところも可愛らしくて素敵ですわ」
「……っ」
それは己の武器を、女としての武器を熟知している顔だった。どのように扱えば男を射落とせるか、自分に夢中にさせることができるかを知り尽くしているといわんばかりだった。
現に、婚約者だった男はそのオリヴィエの妖術で籠落したのだから。その毒牙によってファルマをも手に入れようとしているのである。
まるで愛欲の悪魔のように、オリヴィエがぞっとする笑みを浮かべる。ファルマの胸元に片手を触れてそっと撫でる。
「あの女はこんなことはしてくれなかったでしょう? でもワタクシなら、貴方の望むことを毎日毎晩してさしあげますわ。貴方を満足させてあげることを約束致します」
「……っ」
二人を盗み見ていたデイジーははらはらしていた。ファルマがオリヴィエになびくことはないと信じていた……が。信じていたかったが……。
それでもデイジーの心には焦慮の思いがとめどもなく湧き上がってしまっていた。
自分は彼女のように妖艶には振る舞えない。病気のせいで寝込んでしまっていて、一時期は食事もろくに取らなかったから、スタイルにも自信がない。
ましてや彼の望みを叶えて、満足させられる自信など到底持てない。逆に幻滅させてしまい、自分の元から離れていってしまうかもしれない。
それらの思いが、デイジーの勇気と、彼を信じようとする想いを穿ち、削り取ってしまっていた。彼を奪い取ろうとするオリヴィエの魂胆に立ち向かう足を、前に進み出て阻もうとする意志をためらわせてしまった。
(ファルマさん……っ!)
彼が手の届かない場所に行ってしまう錯覚。足元が崩れて落ちていってしまいそうな幻覚。
オリヴィエが彼の首に蛇のように手を這わせて、その首に自身の唇を近付けていく。
甘い吐息でささやくように甘言を紡ぐ。
「ねえ。だからワタクシと結婚しましょう? あんな婚約者なんかどうとでもして、あんないつ死んでもおかしくない女なんか切り捨てて。ワタクシと結婚すれば貴方は巨万の富も絶大な権力も得られて……」
「…………」
しかしそのとき、ファルマはオリヴィエの肩を押して自分から離した。
「申し訳ありませんが、私はデイジーさんを愛しています。この世界で誰よりも」
「…………」
オリヴィエの表情が冷えたものに変わる。
廊下の角で聞いていたデイジーは思わず盗み見ていた視線を引っ込めて、角の壁に背を預けるようにして顔をうつむけた。顔や全身が火照っていくのが自分でも分かった。
先ほどまでの困惑は消え去って、冷静に分析を終えた声でファルマがオリヴィエに告げる。
「……貴女の狙いはデイジーさんの命ですね。デイジーさんはいま、私が作った試薬で体調が良くなってきている。しかし私が彼女を切り捨てて離れれば、試薬は提供されず、彼女の病状は再び悪化してしまうでしょう。そうなるように貴女は仕向けるでしょう」
デイジーの命をつないでいるのは特定の薬草から作られた薬であり、それを作れるのは現状ではファルマだけである。
「その為に貴女は私を丸めこもうとした。無理矢理にでも理由をつけて自宅からここまで来て、私を見つけ出した。あるいは最初から私達の動向を見張る者がいた。いくら保釈中とはいえ、そばに誰もつけずに貴女が一人で歩き回るのを、貴女のご両親が許可するとは思えない」
「…………。……ウフフ……さすが薬師なだけあるわ、観察眼と頭は回るようね」
それは自身の魂胆の自白に近かった。
「ご明察の通り、ワタクシはアンタなんかこれっぽっちも愛しちゃいないわ。手込めにしたワタクシの使用人に調べさせたの。アンタがあの女にご執心で、あの女も満更じゃないって知ったから、全部ぜーんぶブチ壊してやろうと思っただけよ」
「…………、貴女は……」
「で、屋敷を脱獄したワタクシはこの通り自白したわけだけど、アンタはこんなところで油を売ってていいのかしら? ワタクシが手込めにした使用人は何人もいるの。アンタの大切なお嬢様を襲うのなんか簡単よ」
「……っ……!」
ばっ!とファルマはオリヴィエのことを放置して駆け出した。一刻も早くデイジーの元へ駆けつけるために。
ファルマが廊下の角を曲がろうとする。その瞬間、そこにいた人物とぶつかりそうになって身体を急停止する。
「……⁉ デイジーさ」
彼と同様に、そこにいた人物も目を見開いてびっくりした顔をしていた。しかし彼がその人物を視認したのとほとんど同時に、彼女が彼に抱きついていく。
「ファルマさん! 私ならここです! 大丈夫ですから……!」
「…………っ」
もしかしていまの一部始終を見ていたのだろうか、あの女性と密着しているところを見られていたのだろうか、などの不安が頭をよぎってはいたが……ファルマはデイジーの背中にそっと手を回して、安堵の声を落としていた。
「良かった……デイジーさん……無事だったのですね……」
「……私なら大丈夫です……だってファルマさんが守ってくれるから……でしょう?」
「はい。もちろんです」
デイジーが彼を強く抱きしめて、ファルマも彼女を優しく抱きしめ返す。
数秒そうしていたあと、彼の胸元からデイジーは顔を離す。
「私のことはもう大丈夫です。それよりも、オリヴィエさんは……」
「そうですね。彼女が自白した以上、彼女の屋敷に連れ戻させなければ……」
二人はさっきまでファルマがいた場所に顔を向ける。そこにはもうオリヴィエの姿は影も形もなくなっていた。
周囲を見回してみるが、やはり彼女の姿は見当たらない。病院内には普段通りの日常が流れていた。
ファルマがつぶやく。
「……逃げた、ようですね。ああ言えば私がデイジーさんの元に駆けつけると計算して、その隙に。したたかな女性です」
そばを通っていく人々に目を向けながら。
「聞き込みは後でしましょう。いまはデイジーさんを安全な場所まで避難させなければ……」
「……ファルマさん」
名前を呼ばれて、彼は振り返る。デイジーは真剣な顔をしていた。
「はい、何で……」
「私は貴方のことが好きです。この世で一番愛しています」
「……っ……⁉」
ファルマは目を見開いた。デイジーは続ける。
「ですが、貴方が彼女と話しているのを見て、貴方を信じたい気持ちがある反面、ほんのわずかでも不安を覚えてしまったことも事実です。貴方が私を裏切るわけないのに……貴方を信じきれなくて、本当にごめんなさい」
後ろめたい気持ちを覚えて目を伏せる彼女の身体を、彼はもう一度優しく抱き寄せた。
「……謝らないでください。そしてありがとうございます。デイジーさんのお気持ち、とても嬉しいです」
「……ファルマさん……」
二人が見つめ合う。
いまこの瞬間だけ、二人はさっきまでのオリヴィエのことも、ここが病院のなかだということも忘れていた。
そして二人は自然と目を閉じながら顔を近付けて、互いの唇を重ねていった。
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