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イーザ家の屋敷に帰還してから、ファルマは寝食も忘れて試薬の開発に着手していた。
食事と睡眠をしっかり取ることと以前デイジーに言われてはいたが、事ここに至っては敢えて、心苦しいながらも無視することを決めていた。
……一刻も早くデイジーさんを治せる薬を作らなければ……!
約束を守って死なせてしまうくらいならば、約束を破って怒られてしまおう。それで嫌われてしまったとしても、彼女が無事なら自分は構わない。
ファルマにそこまでの決意と行動を推し進めていたのは、ひとえにデイジーへの無償の愛であった。
そうして帰還から三日目の朝、ファルマはようやくのことで試薬の開発に成功し、急ぎ足でデイジーの部屋を訪れていた。
「デイジーさん! 試薬が完成致しました!」
「ファルマさん……」
ノックすることも忘れて、ファルマは彼女の部屋のドアをばんっ!と開けていた。
デイジーはベッドに横たわっていた。食事をしてもあまり喉を通らず、この数日の間に彼女は以前よりもやつれてしまっていた。
医者からはいつまた発作が起きて永遠の眠りについてもおかしくないと言われていた。そのためデイジーの母親のイーザ夫人やメイドのメディがつきっきりで看病していたのである。
そのイーザ夫人やメディ、医者や看護師も驚きに目を開いて見守るなか、ファルマはデイジーのそばに近寄って床に膝をついた。
彼女の手を左手で握り、右手のなかにある試薬の錠剤を見せて言う。
「これがその薬です。解析と分析の魔法で有効成分を抽出、凝縮して作りました」
「……また食事と睡眠も取らずに……すごく頬がこけて目の下にくまが出来てますよ……あんなに格好良かったのに、まるで骸骨みたい……」
彼は彼女を慕っている。そしていまは、彼女も彼を慕っている。
「お説教は後で伺います。約束を守って貴女に死なれてしまうくらいなら、私は約束を破って貴女に怒られたいのです。貴女に嫌われたとしても生きていてほしいのです」
「…………、……こんなことで貴方を嫌ったりなんかしませんよ……だって、私は……」
その言葉の先を言うのは、いまこの場のデイジーにはためらわれた。そばにはメディのみならず母親達もいるのだ、自分の言葉がどのような波紋を生み出すかは容易に想像できた。
「しかしデイジーさん、一つだけ謝らなくてはなりません。この薬は出来たばかりで動物による臨床実験すらしていません。貴女を助けるにはこれが必要なのに、これが貴女にどのような副作用を与えるのか分からないのです」
ファルマは右手でも彼女の手を握り、その手のひらに錠剤を渡す。
「臨床実験をしている時間はありませんでした。そうしている間に、また貴女に発作が起きて二度と目覚めなくなってしまうと怖くなってしまって……。だから、安全は保証出来ません。飲むかどうかは貴女の判断に委ねます」
そうしてファルマ自身も決意をした目をする。己の死を決意した目だ。
「もしも貴女に何かが起きて、お亡くなりになってしまったのならば。私もこの命を絶ちましょう。常世の世界で貴女のおそばにご一緒しましょう」
「……!」
デイジーは驚愕した。彼女だけではなくイーザ夫人達も息を飲んだ。
彼は本気で自死を選ぶだろう。止めようとしても無駄に違いない。
デイジーがふるふると小さく首を横に振る。
「……それは、駄目です……私が死んだとしても、ファルマさんは生きてください……私は貴方に生きていてほしい……」
「…………」
ファルマは答えなかった。うなずくことも、首を横に振ることもせずに、ただデイジーの瞳をまっすぐに見つめるだけだった。
首肯も拒否も、デイジーの心を寂しくさせてしまうと思ったから。だから彼は沈黙し……心に秘めた想いだけは揺るがすことはしなかった。
そしてまっすぐに見つめるだけの彼を見て、デイジーはその確固たる決意が分かってしまった。自分がなにを言おうと、彼の決意を変えることはできないだろうと悟ってしまった。
デイジーはファルマの手を弱々しい力で握り返す。
「……ファルマさんの気持ちは分かりました……私は貴方に生きてほしい、もしも私が死んでその後を追ってきたら、あの世でものすごく怒ってあげます……」
「そうしてください。喜んで貴女のお説教をご享受致します」
「…………、でも、私は貴方を信じていますから……たとえ試薬でも貴方の作った薬を信じていますから……私はきっと死にません……」
「…………」
デイジーが試薬を受け取って、それを口元に運んでいく。医者も看護師も母親もメイドも、誰もそれを止めなかった。止めることができなかった。
いずれにしても、飲まなければ待っているのは、いずれやってくる死なのだ。生きるには飲む以外の選択肢はなかったのだ。
そしてデイジーは薬を口に含み、喉をごくりと動かした。
錠剤が彼女の身体のなかに落ちて、その殻を溶かして薬効を全身に浸透させ始めていった。
○
デイジーがファルマの薬を飲み始めてから数日後。彼女の体調は以前よりもだいぶ良くなってきていた。
朝の診察で、デイジーの胸元に聴診器を当てていた女性医師が、それを外しながら言う。
「心臓の鼓動の調子が以前の状態に戻りつつあるようです。脈拍数も増えてきている。ちゃんとしたことは病院で検査する必要がありますが、少なくとも危険な状態は脱したと思われます」
その言葉にデイジーを含めて、その場にいた母親、メイド、女性看護師が安堵の表情を浮かべた。
聴診器をバッグにしまいながら医師は続ける。
「近いうちに一度病院に行きましょうか。体調も良いようですし出来れば今日がいいでしょうが、そこはイーザさんや夫人のスケジュールも考慮しつつ……」
「夫は仕事で忙しいらしいですからね。まったく、あの人ったらデイジーが大変だっていうのにお見舞いにも来ないで……」
文句をぼやく母親に、胸元のボタンをしめながらデイジーが言う。
「お母様、そんなことを仰っているけど、本当はお父様は私の病気をなんとかできるように方々を駆けずり回っているのでしょう? ファルマさんが薬草を取りに行っている時は他の治療方法を探して、ファルマさんが戻ってきてからは私の体調が急変した場合の緊急入院先や手術がいつでも出来るように手配して」
「……この子ったら。勘が良いところは誰に似たのかしらね?」
「両親だと思いますよ」
「……ふふ」
思わず母親が笑みをこぼし、デイジーも微笑みを浮かべる。医者達もつられて笑顔になっていた。
つい先日まで死にかけていたのが嘘のように回復し、ともすれば病が治るかもしれないのである。皆が安心して表情を和らげるのも無理はなかった。
安堵に包まれた雰囲気が室内を満たすなか、ドアに遠慮がちなノックの音が響いた。ファルマの声がする。
「診察はどうですか?」
年頃の女性であるデイジーに配慮して、診察の間、ファルマは廊下に用意された椅子に座って待機していた。室内のほうから和やかな声が聞こえてきたので、ドアをノックしたのである。
医者がドアを見て声をかける。
「診察なら終わりました。デイジーさんも衣服を直したので、入って大丈夫ですよ」
「失礼します」
言われるが早いか、ファルマがドアを開けてなかに入ってくる。この数日でデイジーに回復の兆しが見えたことや、彼女にまた注意されたこともあって、彼は食事と睡眠をそれなりに取るのを再開していた。
とはいえまだ頬は凹んでいたし、目元にもくまが残っていたが。
あくまで彼が思う『それなり』の食事と睡眠である。
「デイジーさんの様子はどうですか?」
「体調は以前のように回復しつつあります。病気の進行がどうなっているかは詳しく調べないと分からないので、近いうちに病院に向かうようにと話していたところです」
ベッドに上体を起こしているデイジーの元まで近付きながら尋ねたファルマに、医者がそう答えた。
数日前までは弱々しかったデイジーは、いまでは普通に食事をしたり会話をしたりできるくらいには回復している。昨日の昼間には短時間ではあるが庭の散歩もできていた。
「良かった……」
彼女を見て、ファルマはほっと安堵の息を吐いた。
メイドのメディが彼に声をかける。
「ファルマさんのおかげですね」
「いえ、私は薬草を取りに行って試薬を作っただけです。回復できたのはデイジーさん自身の生きるという意志でしょう」
「それを貴方のおかげだと言っているんですけどね」
「え……?」
頭に『?』を浮かべる彼を見て、その場の全員がくすくすと微笑みを浮かべた。




