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「さあ、後は上空にいるワイバーンだけですが……」
ファルマはそちらを見上げるが……どうやら心配はもうしなくてもよさそうであった。卵がその場から離れ、無事だということを確認したファフニールが、それまでとは比べものにならない強さでワイバーン達を蹴散らしていた。
その様相はさながら竜神が悪魔を滅ぼすために暴れ、乱舞しているようだった。その周囲には暴風が吹き荒れて、それに乗るように、ファフニールから吐き出された火炎が空中を巻き込んでいく。
「あれが財宝を守るとされる竜、ファフニール……。戦いたくはないですね……」
時間にすれば数十秒程度だっただろう。ファフニールはワイバーン達をいとも簡単に片付けていき、残りのワイバーン達は実力の差を思い知って一目散に逃げ出していく。
あくまで卵が最優先であるファフニールは逃げた彼らを追うことはなく、代わりに落下するワイバーンを追いかけるようにしてファルマの元へと降下してくる。
ズズズゥン……と数体のワイバーンが地面に落下していくなか、ファフニールがファルマの眼前にその巨体を立ちはだからせた。
『…………』
「…………」
頬に一滴の脂汗を浮かばせながら、ファルマは目の前の大いなるドラゴンを見つめていた。人語が通じるとは思えないが、自分が敵ではないことを分かってもらわなければならない。
「…………、私は……」
そのときファフニールが口を開いて、鋭い牙を垣間見えさせた。
『お前は敵か、人間?』
「……!」
それは紛うことなき人間の言語だった。
「人語をしゃべれたのですね……!」
『我を見くびるなよ。数百年も生きていれば嫌でも覚える』
「…………」
好きで覚えたわけではないらしい。
『もう一度問う。お前は敵か、人間? 敵ならば容赦はしない。先のワイバーンと同じ運命を辿ってもらう』
「これが答えです」
ファルマはファフニールの前に卵を囲んだ結界を置いた。魔法を解いて、結界が音もなく消えていく。
「私の目的は貴方でも貴方の子供でもない。この岩の台地の頂上に生えているという薬草です」
『薬草?』
「とある伝説に、心臓病の男性を治した薬草があると聞きました。私には助けたい人がいます、だから、その薬草を採取しに来ました」
『…………、あの植物のことか』
「ご存知なのですか?」
伝説では心臓病に冒された男がドラゴンと出会ったという話はなかったはずだった。
だからファルマは、伝説が事実だとしても、ドラゴンがここに棲み始めたのはそのあとだと思っていた。
『もはや数百年も前のことだ。我がまだ何も知らぬ若い頃に、そのような人間がここを登ってきたことがあった』
数百年前、とある人間の男がこの岩壁を登り、台地の頂上までやってきたことがあった。
そこには見たことのない植物が群生していた。登頂に疲れた男は、目の前に広がる植物の上に横になって目を閉じたのだ。
『最初見た時は死んでいるのかと思った。植物の上に横たわってぴくりとも動かなかったからな。人間の肉は不味いと聞いていたし、食欲も湧かなかった。どうせ死んでいるのならと、その人間を火葬にしてやろうとした』
当時の若かったファフニールが男を焼こうと口を開けたときに、くしゃみとともに男が目を覚ましたのだった。
『大抵の人間は、我を見たら逃げ出すか倒そうとしてくる。しかし盛大なくしゃみをしながら目を覚ましたそいつは、我を見て驚いてはいたものの、恐怖に怯えることも敵意を向けてくることもなかった』
「…………、病で死ぬか、ドラゴンに殺されるか、その程度の違いかと思ったのかもしれませんね……」
『さあな。だがいまのお前と同じような、人間に接するのと同じ自然体な様子だった』
「…………」
その男は再び横になり、空腹を覚えたのか、殺される前の最後の晩餐のように自分の周囲の植物を摘んで口にした。
その様子を見ていたファフニールは、火葬するのをやめてその場を去ろうとした。
『生きている人間を火葬するのは面倒だからな。我に危害が及ぶでもなかったし』
背を向けて去ろうとするファフニールに、その男は不思議そうに声をかけた。
【なんだ、食べないのか? まあ心臓病持ちの俺なんか食ってもまずいだろうけど】
【…………】
しかしファフニールは答えず、その場をあとにした。
一人残された男は、また植物を一摘まみ口にしてから、再びそこにごろんと横になったのだった。
手のひらを枕にする彼の視界には、青々とした綺麗な空が広がっていた。
『その後、そいつがどうなったのかは知らん。知りたいとも思わなかったしな。だがしかし、お前の言う伝説に生き残ったという記述があるのなら、そうなのだろう』
「……伝説は事実だった……!」
ファルマはつぶやいていた。どきどきと、小さな高揚感にも似た胸の高鳴りを覚えていた。
伝説が実際に起きた事実を元にしているのならば、その植物に心臓病を癒す効果があるのも事実の可能性が高い。その植物を持ち帰り、調合して薬を作れば、デイジーを助けられるかもしれない。
(デイジーさん、待っていてください……!)
ファルマは逸る気持ちを抑えながら、ファフニールの横を通って岩壁に向かっていく。でこぼことしたその岩肌に手をかけていく。
『何をするつもりだ?』
問うてきたファフニールにファルマは答えた。
「登るのです。私はその薬草を採取しなければいけない。絶対に助けたい人がいるから」
『…………、ならば』
ファフニールが言葉を続けようとしたとき、しかし突発的ななにかに気付いて声を上げた。
『……! 危ない!』
岩壁にいたファルマをかばうように、ファフニールが身体を岩壁の前に飛び出させる。その背中に空気を切り裂くような斬撃が飛来し、噴水のような鮮血を迸らせた。
『ぐ……っ』
「ファフニールさん⁉」
地響きに似た鈍い音を立てながら、ファフニールが地面に倒れていく。ぐったりとしたファフニールにファルマが駆け寄っていく。
「いったい何が……とにかく応急手当てを……!」
『我のことよりも、次が来るぞ……!』
「……⁉」
その警告の通り、ファルマ達へと二つ目の斬撃が飛来した。ファルマはとっさに手を斬撃のほうへとかざして、先ほどの結界を自分達の前に張る。
結界はファルマとファフニールと卵を無事に守り抜き……斬撃が消えた視界の向こう、そよ風が吹く荒野のなかに一人の人間の姿が目に映る。
「あれは……」
『あの人間が、斬撃の主だ』
その男にファルマは見覚えがあった。それはデイジーの元婚約者であり、いまは獄中のオリヴィエの婚約者であるフィリップ=ノスだった。
ファフニールの言葉を疑う余地はなかった、なぜならば、フィリップの手には一振りの長剣が握られていたからである。彼がファルマを亡き者にするために、魔法による斬撃を飛ばしたのだ。
「フィリップさん……何故、貴方がここに……?」
あるいはそれは愚問だったかもしれない。先の斬撃によってフィリップがファルマを殺そうとしたのは確かであり、ファルマを殺すためにここまで追ってきたのだと推測できるから。
それでもファルマは問わずにはいられなかったのだ。理由に関してある程度の予測ができていたとしても。
彼の問いに対して、フィリップは明朗に答えることはしなかった。その代わりとして、地団駄を踏むように足元の地面を力強く蹴りつけていった。
「クソックソックソッ! なんでドラゴン風情が奴を庇うんだよ! ドラゴンは人間を食っちまう凶悪な魔物なんじゃないのかよ! せっかくあのクズに追いついたってのに!」
蹴るだけではなく、ガンガンガン!と剣先を地面に叩きつける。まるで癇癪を起こした子供のようだった。
その様子を見て、ファフニールが目を眇める。
『とんだ偏見だな。そのような者がいることも確かだが。まあ、我が言えた義理ではないかもしれぬがな』
そのつぶやきを耳にしながらも、ファルマはもう一度、今度は声を大きくしてフィリップに問うた。
「フィリップさん、もう一度聞きます! どうして貴方がここにいるのですか⁉ ノス伯爵家である貴方は街にいるはずじゃあ⁉」
「お前は馬鹿か⁉ どうして僕がここにいるのかなんて、お前を殺す為に決まってんだろ!」
「……っ」
……やはりそうですか……っ。
フィリップが喚くように声を上げる。
「あの婚約発表パーティーの時! お前から渡されたジュースを飲んだ後から全部おかしくなったんだ! お前が何かしやがったんだ、お前のせいで僕の高貴で栄えある人生はおしまいになっちまった! だからお前を殺して復讐してやるんだよ!」
「…………、私が貴方達に渡したジュースに自白剤を混入させたことは認めます。しかし、あれはあくまで本心から思っていることを口にする薬……オリヴィエさんと貴方が、相手や他の方々を見下していたことは紛れもない事実です」
「それがどうした! 僕は権威あるノス伯爵家の跡取り息子だぞ! あんな女や他の奴らのことなんか知ったことか! 下賤な俗人は高貴で神々しい僕の為にその身と命を捧げるのが役目だろうが! それしか存在意義がないだろうがお前達は!」
ファルマの瞳が氷のような冷たさと鋭さを帯びる。
「それは本心ですか? 本当にそのようなことを?」
「くどいぞ! 僕に殺されるだけの虫けらが! ついでにそこのドラゴンも卵もブッ殺して、僕の凱旋の土産にしてやる!」
「…………なるほど……」
ファルマが結界を一瞬だけ解いて、その姿をフィリップの目の前から消失させる。
「⁉ どこに」
再びファフニールと卵を守る結界が出現したとき、フィリップの視界は反転して、その直後には青々とした空を眺めていた。同時に、背中に衝撃と痛みが走るのを感じた。
「グアッ⁉」
一瞬遅れて声が漏れ出る。
何だ⁉ 何が起きた⁉
抱いた疑問を口にするより前に、答えは視界のなかに現れた。
眼前にファルマの顔が現れて、次いでなにかの錠剤を持つ手が見えた。
「貴方にはしばらくの間眠っていてもらいます。次に起きた時は刑務所か自宅の屋敷の中でしょうが」
「……ふ、ふざけるなよ! なんでこの僕が刑務所なんかに……!」
ファルマの顔が間近に迫った。その瞳は氷のように冷たく、人としての情けを持ち合わせていないかのごとく、冷えきった言葉を淡々と告げる。
「次に私達の前に現れたら、今度は容赦なく殺します。命が惜しかったら、ずっとどこかに閉じこもっていることですね」
「…………っ……⁉」
本気だと瞬間的に分かった。動物としての、生物としての本能が命の危機を直感させた。
こいつは本当に自分を殺る。間違いなく。
ガタガタと身体が震えだしたのを感じるのと同時に、錠剤がフィリップの口のなかに入れられた。身体の震えがそうさせたのか、吐き出すこともできずに思わず飲み込んでしまう。
直後、フィリップの意識が急速に現実から遠ざかっていく。最後に見聞きしたのは、冷たく見下ろしてくるファルマだった。
「永遠にさようなら、フィリップ=ノス」
こいつを怒らせてはいけない。
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