5
深夜、イーザ家にて。
寝込むデイジーのそばで、医者が両親やメディに告げる。
「なんとか今日は持ちこたえたようですね……」
ほっと安堵する彼らに、しかし医者は続ける。
「ですが、油断はなりません。効果の期待出来る薬がない以上、危険な状態は続くのですから」
『…………っ』
そのとき、デイジーがうっすらと目を覚ました。父親が声をかける。
「起こしてしまったか。いまは深夜だ、もう少し寝ていていいぞ」
「……ファルマさんは……?」
「まだ帰ってこない。まだ一日も経っていないのだからな。もう少し時間がかかるのだろう」
「…………」
心配が拭えていない娘に、父親が言った。
「心配なら連絡を取るか? 通信魔法具なら持たせているから……」
デイジーは弱々しく首を横に振った。
「……もしかしたら寝ているかもしれないし……大変な時かもしれないし……」
もしも魔物に襲われているときなどに通信を入れてしまえば、彼の集中を乱してしまうかもしれない。そうでなくても、眠っているのを無理に起こしたくはないから……デイジーは連絡することを断る。
本心は、とてもとても声を聞きたかった。彼が無事であることを確認したかった。
そのときドアにノックの音がした。イーザが振り返って尋ねる。
「誰だ?」
「私です」
「執事長か。入っていいぞ」
「失礼します」
白髪の執事長が入室してくる。彼が皆に言った。
「ファルマさんより通信が入りました。お嬢様のご様子を聞きたいそうです」
彼のほうから連絡を入れてきたのなら、娘の声を聞かせたほうが良いだろうとイーザは思った。
「……ちょうど良かった。通信具を持ってこい」
「は」
執事長がいったん室外に出る。廊下の台に置いていた立方体の通信具を手に持って、再び入室してくる。
イーザが娘に向いて言った。
「ファルマからだ。声を聞かせてやれ」
「お父さん、私は……」
「向こうからの連絡だ、遠慮はするな。執事長、娘に通信具を」
執事長が近寄り、デイジーに魔法陣の浮かぶ通信魔法具を差し出す。一時待機状態にしていた通信を再開させる。
上体を起こす体力がなく、寝ながらの体勢でデイジーが声をかけた。
「……ファルマさん……?」
『……っ、デイジーさん……⁉』
デイジー本人が出てくるとは思っていなかったのだろう、ファルマは不意を突かれた声を出していた。
「ごめんなさい、身体を起こす体力がなくて……寝ながらの通信で……」
『そんなこと……っ。そんなことより、起きていて大丈夫なのですか? もう深夜なのだから、寝ていなくては……いえ、そうじゃない、まだ生きておられて、本当に良かった……』
「……ふふ……」
思わずデイジーの口から微笑みがこぼれた。
「私なら大丈夫です……貴方が帰ってくるまで、死ぬつもりはありません……だから、貴方も無事に生きて帰ってきてくださいね……」
『……! はい、もちろんです……! では私はこれで失礼します。デイジーさん、ちゃんと睡眠と食事を取ってくださいね。皆さん、デイジーさんをお願いします』
「もう……子供扱いしないでくださいってば……」
ファルマは、本当はもっと彼女と話をしていたかった。しかしいまは深夜なのだから、迷惑を考えて早めに切り上げることにしたのだった。
ぷつりと通信が切れる。イーザが娘に尋ねた。
「もう少し話をしていなくて良かったのか?」
「…………、いまは深夜だから……」
「……そうか……」
「それに、私の無事は伝えられたから……それだけで十分だから……」
……彼の無事が分かって、良かった……。
「……みんな……ありがとう……おやすみなさい……」
デイジーが再び目を閉じる。
彼に言われた通り、ちゃんと睡眠を取るために。
もう一度、いつも通りの朝を迎えるために。
○
荒野にて。夜を越えて、再び朝へ。
夜間も魔物の襲撃が予想される為、常に周囲を警戒しながら休息していた。
だから屋敷にいたときのように熟睡は出来ず、疲労は残ってしまっている。だがいままでイーザ家を訪れる前まで寝食も忘れて勉強や研究に明け暮れていたのだ、これくらいの寝不足と疲労なら特に問題なかった。
(一日くらいのほぼ徹夜なら余裕です。デイジーさんの病気を治す為だと思えば、こんな身体くらいどうということはない。馬はしっかりと休息させていますけどね)
そしてファルマは再び馬を駆けて、目の前に現れる魔物達を昨日のように昏倒させていきながら、荒野を進み続ける。
出発の前にイーザから地図を受け取ってはいたが、その地図には荒野までの道のりと、その荒野の中央に鎮座するようにある巨大な岩山だけが描かれていた。
『その植物がある場所の目印は、残念ながらこの岩山以外にはない。だが遠くからでも確認出来るくらい巨大な岩山らしいから、荒野を進み続ければ必ず見つかるだろう。健闘を祈ってるぞ』
イーザからは出発前にそう聞いていた。とにかく荒野を進み続ければ、目的とする岩山が現れるはずだと。
そしてその言葉通り、太陽が空高く昇るころになって、ファルマの視界の先に岩の塊が見えてきた。
「あった……!」
視認した当初は豆粒程度の大きさに見えていた岩の塊は、近付くにつれて段々と大きさを増していき、やがて視界を覆うほどの巨大な岩の台地となっていった。
高さも横幅も、近くで見れば果てが視認出来ないほどである。その頂上は雲の先に隠れて見えず、横幅は地平線と合わさっているように錯覚するほどだった。
「岩山というよりは岩の台地、いや、まるで一つの大陸のようだ」
おそらくは、かつてこの場所で超大規模の地殻変動が発生し、地面が大きく隆起したのだろう。それによってこの岩の台地は周囲から切り離されるように盛り上がり、このような巨大な場所となったのかもしれない。
「これだけ地上と切り離された場所となると、頂上の生態系はこことは全く別物になっている可能性がありますね。生息する動植物や魔物も、そこにしかいない固有種かもしれません」
だからこそ、地上では見つからなかった心臓病を治せる素材が、この岩の台地の頂きには存在するかもしれない。
聞き及んだ伝説は、本当に本当かもしれない。ファルマの胸に淡い期待が湧いてくる。
「しかし、これを昇るのは苦労しそうですね。やり遂げることに変わりはありませんが」
台地を見上げながらつぶやいたあと、ファルマは馬を降りて岩壁へと近寄っていく。岩壁に手を付けて、その固い感触を確かめる。
「ふむ、確かに登ろうと思えば登れそうですね。伝説の男性も、本当に登ったのでしょう」
引いていた馬の手綱を離して、馬に言う。
「私は後で戻ってくるつもりですが、もしも魔物に襲われたら貴方は逃げるのですよ。私は自力一人でも帰りますからね」
馬は彼を少しの間見つめたあと、特に鳴いたり応じることもなく、そばの地面に寂しそうに生えている草を食み始めた。ファルマが微笑む。
「大丈夫そうですね」
そして岩壁へと再び振り返り、雲すら突き抜けているそれを見上げる。
「あいにくと私は空を飛べませんし、この高さを駆け足で上がれるほどの脚力強化も出来ません。どれだけ掛かるか分かりませんが、地道に登るしかなさそうですね。ロッククライミングを習っておくべきでした」
……無事にデイジーさんを助けたら、ロッククライミングも含めて色々なスポーツも学んでおこう……。
そう思いながら、ファルマは岩壁の突き出ている部分を掴む。そうして登頂の為の第一歩を登り始めようとしたとき……。
『ガァーッ!』
『ギァーッ!』
不意に頭上のはるか高いところから、甲高い鳴き声が響き渡ってきた。
「魔物……!」
地上の荒野においても相当な数の魔物がいたのである。この台地にもいるのは当然であり、それらが地上の獲物めがけて舞い降りようとしているのだろう。
雲の向こうから猛スピードで現れたのは、まるでかつて人類の前にこの世界を闊歩していたもの……恐竜の一種である翼竜に似た姿を持つ魔物だった。
いや、確かに字面だけで捉えるならば、それは翼を持つ竜に違いない。それはドラゴンの一種、ワイバーンだった。




