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ファルマの出発のとき。必要な荷物を積んだ馬の手綱を、ファルマが握っている。
イーザ家の屋敷の前には、イーザと夫人が見送りに来ていた。医者や看護師、メディは寝込むデイジーのそばにいて、他の使用人達は各々の仕事に従事していた。
「それでは行って参ります」
「ああ、気を付けてな」
イーザが答えたあと、夫人もファルマに言う。
「ファルマさん、無理はなさらないように。貴方が死んでしまっては元も子もないのですから」
「安心してください、奥様。私は死にません」
「…………」
デイジーさんを助けるまでは死ぬわけにはいきませんから。
心配そうな、なにか言いたげな顔で夫人はファルマを見つめる。しかし彼女がなにか言う前に、イーザがファルマに言った。
「ファルマは転移魔法も飛行魔法も使えないのだったな」
「はい。通信魔法もですが」
「すまんな、転移や飛行が使える者が同行出来れば良かったんだが。あいにく別の用事でいなくてな。渡した通信魔法具に関しても、この屋敷としか連絡を取れるものしか用意出来なかった」
「お気になさらないでください。皆さん、デイジーさんを助ける為に動いていらっしゃるのです。通信具に関しても、お屋敷の皆さんと連絡が取れれば十分ですから」
「何かあれば、すぐに連絡するんだぞ。すぐに救援を出すからな」
「ありがとうございます。それでは行って参ります」
もう一度出発の挨拶をして、ファルマは馬に乗って走り始めた。
イーザも夫人もその背中が見えなくなるまで見送り続けた。
そして二人はデイジーの部屋に戻り、イーザが娘にファルマが出発したことを告げる。
「デイジー。さっきファルマが出発した」
「……私もお見送りが出来れば良かったんですけど……」
「いまのお前は安静に寝ていなければ駄目だ。安心しろ、ファルマは強い。無事に生きて帰ってくる。いまは自分が生きることを考えろ」
「…………」
父親に言われても、それでもデイジーは心配そうな顔をしていた。
……おそらく娘の不安を完全に拭うことは出来ないのだろう……。
だから、イーザはそれ以上の下手な励ましはやめることにした。その代わりとして、娘に謝罪の言葉を紡ぐ。
「……いまさらのことだが、すまなかった、デイジー」
「……? 何のこと……?」
「お前とノス家の婚約のことだ」
夫人やメディ、医者が目を見開いた。無論、デイジー本人も。
イーザが続ける。
「私は、ノス家との婚約がお前の幸せの為になると思っていた。しかし結果として、逆にお前の心を傷付けることになってしまった。本当にすまなかった」
イーザは頭を下げる。
夫のその姿を見て、夫人も彼の隣に立って頭を下げた。
「私も謝ります。ごめんなさいね、デイジー。あの婚約には私とお父さんが関わっていたのに……あんなことになってしまって……」
「お父さん……お母さん……」
主人達のその謝罪に、メイドのメディは先ほどの主人とのやり取りを思い出していた。
『生きておられる限り、機会は失われておりません』
……ご主人様は私のあの言葉を受けて……。
デイジーが両親に優しく言う。
「頭を上げて、お父さん、お母さん……あのことなら、もういいの、私はもう大丈夫だから……」
「「デイジー……」」
「だって、私にはお父さんやお母さん、メディや先生や看護師さんやこのお屋敷のみんな……それにファルマさんがいるんだから……」
『…………』
「だから、私はもう平気。むしろあの方と結婚しなくて良かったって、いまなら思ってるくらいだから……だから、もう気にしないで……」
「…………ありがとう、デイジー。そう言ってくれて。私達の心は救われたよ……」
イーザは胸が詰まる想いだった。夫人もいまにも泣きそうな顔でうなずいていた。
○
荒野を一頭の馬が駆けていく。
背に乗っているのはファルマであり、可能な限りの最高速度で目的の場所を目指して走っていく。
(伝説では、薬草は切り立った岩山の上に生えていたという……)
イーザ家の調査員がもたらした報告によると……かつて心臓病を患った男は、周りに迷惑がかかることを恐れて、動ける体力が残っている間に故郷を離れて放浪の旅に出たという。
男は死に場所を求めていたのかもしれない。荒野をさ迷い、やがて辿り着いた岩山の前で、男はこの頂上を自らの死に場所にしようと思った。
より正確には、頂上まで登り切って死ぬのを第一目標とし、もしその途中で力尽きたりトラブルによって目的を果たせずに落下死したとしても、それで良いと思ったのだ。
とにかく男はどうせ死ぬなら挑戦して死のうとした。そしてその結果……。
(その心臓病の男は見事岩山の頂上に辿り着いた。そこには見たことのない植物が群生していて、空腹を覚えていた彼は最後の晩餐としてそれを口にした。……そして横たわり、病の発作が来るのを待ったが……一向に発作は来ず、自身の身体に活力が戻ってくるのを覚えた。そして近くの町に戻って医者に診てもらうと、病は影も形もなくなっていた)
それが奇跡として伝えられている話である。その後、男は天寿を全うするまで幸せに暮らしたという。
(あくまでただの伝説に過ぎません、本当にあったことかも分からない。だけれども、いまの私達にはその伝説に頼ることしか出来ない)
前方の岩陰になにかの姿が垣間見え始める。話に聞いていた魔物だった。それも一体や二体ではなく、両手で数えきれないくらいの群れである。
野犬、もしくはハイエナに似た姿をした魔物だった。現れた食料に興奮しているのだろう、口からよだれを垂らして息を荒げている。
ファルマは優しくぽんぽんと馬の身体を叩いた。
「貴方はそのまま走ってください。彼らは私が片付けます。お腹が空いているようなので、特製のものを食べさせてあげましょう」
馬がファルマの言葉を理解したのかは分からない。分かるのは、馬は速度を落とすことも魔物に怯えることもせず、ただ背に乗せている彼を高速で運び、駆け続けていることだった。
その馬へと魔物の群れが襲いくる。口を大きく開けて獰猛な牙を見せつける彼らへと、ファルマは懐から取り出したいくつもの丸薬を投擲した。
小さなビー玉ほどの大きさの丸薬。それを右手のそれぞれの指の間に二個から三個挟み、正確無比な狙いで魔物達の口のなかへと飲み込ませる。
不意の丸薬に、魔物達は吐き出すこともままならずに嚥下してしまう。丸薬は彼らの胃に到達し、胃酸によって表面が溶解して内部の薬効成分を発揮し始める。
魔物達がふらふらと酒に酔ったようにふらつき始め、一体二体とその身体を地面に沈めていく。さながら割れた海のように、魔物の間に出来た道を馬は一目散に駆けて、黒い毛に覆われた身体を背後に残していった。
「ただの睡眠薬です。即効性で、しばらくは眠ったままでしょう。この間に進みますよ」
彼に返事をするように馬がいななき声を発する。広い荒野に彼らの姿が風のように突き進んでいった。
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