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ファルマにあてがわれた部屋のドアがノックされた。しかしドアは開かず、ファルマは顔を見せず、声も答えない。
イーザはもう一度ノックしようとして……やめた。代わりにドアノブに手をかける。
鍵は開いていた。ドアを開けて室内を覗きこむと、窓から差し込む陽光のなかに、机の前で薬の研究に没頭するファルマがいた。
「ファルマさん」
イーザが呼びかけるが、返答はない。聞こえてすら、気付いてすらいないようだった。
イーザは彼の元へと歩みより、その肩に手を置いてもう一度呼びかける。
「ファルマさん。話がある」
「…………イーザさん……」
ファルマはようやく気が付いて振り返った。さっきファルマがデイジーの部屋を出たあとからさほど時間は経っていないのに、目の下にくまがあるように見え、やつれているように感じられた。
「……何か、ご用ですか……?」
そこでファルマがはっとする。
「まさか⁉ デイジーさんの容態が⁉」
「待て、落ち着け。デイジーは無事だ。さっき目を覚まして、いまメディ達が遅い朝食の準備をしている」
「……良かった……」
立ち上がろうとしていたファルマが、ほっと安堵の息を吐きながら椅子に座り直す。その様子を見て、イーザは胸が苦しくなった。
(俺が彼に告げることは、あるいは酷な結末を迎えてしまうかもしれない……)
だが、言わなければ。
イーザは意を決して、ファルマに言った。
「ファルマさん、大事な話がある。貴方とデイジーの未来に関わる話だ」
「……イーザさん……?」
ファルマは顔を上げてイーザを見た。イーザは続ける。
「昨夜、娘の病気について調査を頼んでいた者達から報告がきた。この家の使用人であり、外国も含めて方々を調べ回っていた者達だ。タイミングが良いのか悪いのかは分からないが」
「調査報告……?」
「娘の病気を治せるかもしれない植物の所在が判明したそうだ」
「っ⁉」
弾かれたようにファルマは立ち上がった。思わずイーザの両腕を掴んで尋ねる。
「それは本当ですか⁉」
「あくまで、かもしれない、だ。本当に効果があるかは、実際に薬を作って飲んでみないと分からない。かつて心臓病を患った者がその植物を煎じて飲んだところ、病気が治癒したという言い伝えがあったということだった」
「言い伝え……」
「その言い伝えが本当に過去にあった出来事なのかは分からない。心臓病もデイジーのものとは違う可能性が高いだろう。病気が治ったのもその植物のおかげかは不明だ。あるいは別の要因で治ったのを、勘違いしただけかもしれない」
「……でも……それでも……っ」
「さらにその植物が生えている場所は、険しい場所だという。危険な魔物も生息し、ドラゴンの巣もあるそうだ。言い伝えの時代では魔物はいなかったみたいだが、永い時が経って魔物が住み着くようになったらしいな」
「魔物……ドラゴン……」
「ファルマさん。貴方には二つの選択肢が用意されている……いや、私が貴方に用意しているといった方が正しいだろう」
「選択肢……?」
イーザはファルマをまっすぐに見て言う。
「一つは、その植物の採取を私の使用人達に任せて、貴方はここで娘と一緒にいる選択だ。植物が届けられるのを待ち、届き次第、薬の調合を開始する。たとえ届くのが間に合わなかったとしても、最期の刻まで貴方は娘と一緒にいられるだろう」
「…………」
「そしてもう一つの選択は、貴方がその植物を採取しに向かうというものだ」
「……!」
「貴方の実力は分かっているつもりだ。娘を誘拐犯達から救い出したこともある。貴方なら、私の使用人よりもはるかに早く植物の採取が出来るだろう。魔物やドラゴンに襲われても、生還して薬を作れるだろう」
「…………」
だがしかし。
「ただしその場合、貴方が向かっている間に娘の容態が急変した際、貴方は娘の最期の刻にそばにいられないことになる。貴方は一生後悔することになるだろう」
「…………」
「選択には時間がかかるだろう。返事は今夜、もしくは明日でもいい。ちゃんと考えて……」
「行きます」
「……!」
ファルマは即答した。決意と覚悟をした顔で言う。
「私がその植物を取ってきます。その植物の絵をお渡しください。その植物があるという場所の地図やマップ魔法も」
「いいのか? もし娘に何かあれば、貴方は」
「覚悟の上です。デイジーさんを助けられる可能性が一番高いのが私であり、私は彼女を絶対に助けたい。いえ、絶対に助けます。そう約束しましたから」
「…………」
ファルマの覚悟を汲み取って、イーザはうなずいた。
「分かった。君を信じよう。頼んだぞ、ファルマ」
「はい。絶対に成し遂げてみせます」
ファルマは力強くうなずき返した。
○
メディ達がデイジーの朝食の準備をしていると、部屋のドアがノックされた。
「私だ。入るぞ、デイジー」
娘の返事も聞かず、イーザはドアを開けてなかに入る。その後ろにはファルマがいた。
「お父さん……ファルマさん……」
デイジーは気弱につぶやいた。いまだにベッドに寝込む彼女を見て、ファルマは表面上は普段通りにしていたが、心は押し潰されそうなくらい苦しくなった。
イーザがみんなに言う。
「朝食の準備をしているところ悪いが、ファルマに娘と二人きりで話をさせてやれないか?」
「お父さん……?」
デイジーは疑問の声を漏らす。父親の彼に対する呼び方が、いままではさん付けだったのに、それが付いていないことに気付いた。
執事長が主人に返答する。
「私達は構いませんが、いったい何のお話ですか?」
「それは二人だけの話だ。知りたいなら後で二人に聞くんだな。私もファルマに娘と二人きりで話がしたいと言われただけで、内容については聞いていない」
「…………」
みんなの視線がファルマに向く。ファルマは真面目な顔でデイジーを見つめているだけだった。
彼に聞いても教えてはくれないだろう……全員がそう察した。
「分かりました。メイド長、メディ、廊下に出るぞ」
執事長に促されて、気にはなりながらもメイド長とメディが室外に出ていく。
イーザが妻と医者に言った。
「お前も行くぞ。先生もいま少しお願いします」
イーザ夫人が心配そうな顔をしながら、医者がイーザにうなずいてから、彼らはイーザとともに廊下へと出ていく。
ドアが閉まり、室内にはファルマとデイジーだけが残された。
ベッドに横たわりながら、デイジーが伏し目がちにファルマに言った。
「ごめんなさい……身体がなんか重くて怠くて、せっかくのお話なのに起き上がることも出来なくて……」
「いいえ、謝らないでください。貴女はそのままで構いません」
ファルマがベッドへと歩み寄っていく。
「あの、それでお話って……?」
問いに、彼は床に片膝をつけて答えた。
「先ほど、イーザ様からデイジーさんを治せるかもしれない植物のことを聞きました」
「……っ⁉ 本当……っ⁉」
デイジーは驚愕の色を浮かべた。ファルマは続ける。
「しかしあくまで伝承上の話で、本当に治せるかは実際に薬を作って飲んでみないと分からないそうです」
「…………、そう……」
「私はそれを取りに行きたいと思います」
「……っ」
彼女はうれしさよりも先に、なぜだか分からないが戸惑いの表情をしてしまった。理由は不明で、漠然とした不安感だけが胸に去来する。
「危険はないんですか……?」
もしも彼が危ない目に遭うのだとしたら、なんとしてでも止めたいと思った。
しかし彼は笑顔で返答する。
「大丈夫です。薬草を取りに行くだけですから。馬で移動するので時間は掛かりますが、なるべく早く帰ってきます」
「転移魔法は……?」
「転移を使える人でそこに行ったことがある方がいませんし、私も転移魔法は使えませんから。出来たら良かったのですけれど」
「…………」
「ご心配なさらないでください。貴女を置いて、私は決して死にませんよ。私の強さは知っているでしょう?」
「…………」
誘拐事件の際、犯人達を圧倒的な強さで倒したのをデイジーはその目で見ている。しかし、それでもやはり漠然とした不安感は拭えなかった。
心配そうな顔を消せないでいる彼女を見つめて、ファルマは口を開いた。
「デイジーさん、以前も言いましたが、私は貴女を愛しています。この世で一番、私がこの命を懸けても愛し、守ると決めています」
「……っ。貴方は、どうしてそこまで、私を……。私は貴方とは……」
「貴女は覚えていらっしゃらないようですが、私は貴女に命を救われたことがあるのです」
「え……?」
「数年前、私がまだ薬師になる前の少年だった時、私が路地裏で持病の発作を起こした時に貴女がやってきてくれたのです」
「数年前……路地裏……?」
デイジーは記憶の糸を辿っていく。細く長い糸の先に、なにかがおぼろげに見えかけてくる。
「その時、私は貴女に恋に落ちました。貴女に助けてもらったこともそうですが、それ以上に、貴女が私に向けてくれた笑顔がとても素敵だったから」
「あ……」
デイジーは思い出した。
あの時の彼が……。
「それから私は貴女のそばで守る為に、まずは自分の持病を治そうと必死で薬学や病理学などを勉強しました。そして周囲の皆さんの協力もあって私は持病を克服することが出来、いまの薬師としての職も得たのです。そうなるまでには色々なことがありましたが」
「ファルマさん……」
「デイジーさん、もう一度言います。貴女が望むなら何度でも言います。私は貴女を愛しています」
そこでファルマはデイジーの片手を取る。その手の甲を自分の口元に近付けて、誓いの口付けをした。
ファルマが口を離し、彼女の手を元のベッドに優しく置く。
「それでは行って参ります。必ずや薬草を採取し、貴女を助け出すと誓います」
「ファルマさん……無理はしないでくださいね。絶対に必ず生きて帰ってきてくださいね。私は……」
「約束します。私は生きて帰ってきます」
そう宣言して、ファルマはデイジーに背中を向ける。
彼女は離れていく彼の背中を、ドアの向こうに消えるまで見つめていた。
○




