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デイジーとファルマが会場に戻ると、安堵した顔でメディが駆け寄ってきた。
「お嬢様、良かった。てっきり何かあったのかと心配しました」
トイレに行っている間にまた発作が起きたのかと思ったのだろう。
デイジーは安心させるように彼女に微笑む。
「ごめんね、心配かけて。もう大丈夫だから」
「それなら良いのですが」
メディがちらりとファルマのほうを見た。彼がデイジーに説明する。
「デイジーさん、説明が遅れましたが、私が貴女を探しに行っている間、メディさんにはここに残っていてもらったのです。もしかしたら私と行き違いでここに戻ってきた時に、貴女をお出迎えしてご安心していただく為に。私達が二人ともいなくなっていたら、ご不安にさせてしまうと思いまして」
「……まったく、私はもう子供じゃないわよ。二人がいなくても別に……」
強がりを見せようとしたが、デイジーは先ほどファルマに抱きついてしまったことを思い出す。
少し赤らめた顔を背けながら、デイジーは言い直した。
「いえ……やっぱりありがとう、二人とも。貴方達がいなかったら、私は……」
デイジーは最後まで言わずに口ごもった。それを見て、メディが不思議そうな顔をファルマに向ける。
「お嬢様と何かあったのですか?」
「いえ、別に何もございませんでしたよ」
「そうですか?」
メディはデイジーを見る。デイジーは赤い顔でもじもじしていた。メディが再びファルマに向く。
「本当に何もありませんでしたか?」
「はい」
「本当に本当に?」
「はい」
険しい顔で問い詰めるメディに、ファルマは微笑を浮かべながら涼しく受け流していた。
いまだにメディが納得していないなか……会場のドアが開いて、オリヴィエとフィリップが腕を組んで仲睦まじく入室してくる。
二人の姿に気付いた招待客達が、二人のそばへと駆け寄っていった。
「オリヴィエさん、フィリップさん、お待ちしていましたよ。もうご疲労の方は大丈夫なのですか?」
「ご心配していただき、ありがとうございます。お部屋で少し休んだら、すっかり疲れが取れましたわ。パーティーが終わるまで、皆さんと一緒に楽しく過ごしましょ」
「はい、私達もお二人と楽しいおしゃべりをしたいと思っておりました」
「ウフフ。おしゃべりも良いですけど、レクリエーションもいくつかご用意しておりますのよ。皆さんきっと盛り上がって楽しんでいただけると思いますわ」
「レクリエーション?」
「はい。ダーツや射的や輪投げ、ビンゴなども……」
そのとき、オリヴィエとフィリップのそばに近付いていたファルマが声をかけた。手にはジュース入りのガラスコップの並んだ銀トレイを持っている。
「オリヴィエ様、フィリップ様、喉がお渇きになってはいませんか? もしよろしければ、こちらのジュースをお飲みください」
「あら、気が利くわね。これはブドウジュースかしら?」
「はい。あちらのテーブルに用意されたものですが。ブランデーやワインの方がよろしかったですか?」
「いえ、ワタクシ、ブドウジュースも大好きですのよ。ありがたくちょうだいするわね。フィリップもどう?」
コップを手に取るオリヴィエと同じように、フィリップもジュースの入ったコップを手にした。
「僕もちょうど喉が渇いていたところなんだ。君、気が利くな」
「お褒めいただきありがとうございます」
二人がゴクゴクとブドウジュースを飲んでいく。空になったコップをファルマの銀トレイに戻しながら、オリヴィエが尋ねた。
「そういえば、貴方の名前をまだ伺っていなかったわね? デイジーさんと一緒にいた方でしたよね?」
デイジーの名を耳にして、フィリップが一瞬眉根を寄せた。
ファルマが恭しく答える。
「ファルマ=シークエンスと申します。しがない薬師をしております。いまはデイジーさんの心臓病の治療薬の調合の為に、日夜奮闘している次第でございます」
「ファルマさんというの。へぇ、薬師さんなのですね。大変でしょう、デイジーさんのお薬を作るのは。諦めたくなったりしない?」
「いいえ。デイジーさんを治す為なら、粉骨砕身、東奔西走、私はどのような労力も厭いませんから」
「そう? まあ精々頑張ってちょうだいな?」
「はい。では私はこれで。デイジーさんがお待ちになっておられますから」
「ウフフ。彼女に首ったけね、ウフフ」
おかしそうにオリヴィエが笑うなか、ファルマは静かにその場を去ってデイジーの元に戻っていく。
「ただいまです、デイジーさん」
「ファルマさん……? いまのって……?」
「あそこのテーブルに置いてあったただのブドウジュースですよ。ただし、私が調合した薬が入っておりますが」
「え、薬……? 何の……?」
「以前のデイジーさんの誘拐事件が解決した後、デイジーさんのお母様経由で警察から依頼されていたものです。本来は明日、誘拐犯達に飲ませる為に警察に持っていこうと思っていたものですが」
「お母様と警察が、ファルマさんに依頼した薬……?」
「毒ではありません。なに、ほんの三十分ほどで効果はなくなりますし、体調不良を起こすものではなく後遺症もありません。とても安全な薬です。ただ少し、素直になるくらいの効果です」
「素直に……?」
「自白剤の一種です」
「……⁉」
それは警察の取り調べで誘拐犯達に使うための薬だった。犯人達に本当のことを白状させるために、もし万が一黒幕がいるのであればそれを見つけるために、警察がファルマに依頼した薬だったのである。
ファルマがオリヴィエとフィリップのほうを向く。
「ご覧になっていてください、デイジーさん。まもなく彼女が何故あのような噂を流したのか、それが分かるかもしれません」
「…………っ」
デイジーが固唾を飲んでオリヴィエ達のほうを見る。話をそばで聞いていたメディも、緊張した面持ちでことの成り行きを見守っていた。
ブドウジュースを飲み終えたオリヴィエとフィリップは上機嫌になっていた。ジュースにアルコールが混ざっていたわけではないが、なにかおかしそうに口元に笑みを湛えていた。
招待客達はそれを婚約の幸せの笑顔だと思った。そのうちの一人がオリヴィエに言う。
「幸せそうですね、オリヴィエさん。やはり素敵な婚約者で嬉しいのでしょう」
「ええもちろん。だって彼は顔が良くてお金も持っていて家柄も良いのですもの。最上の貴族であるワタクシにぴったりの男ですわ」
「は、はあ……」
おや……? もしくは、あれ……? と、彼女の言葉を聞いた客達は思った。具体的にどこがとは言えなかったが、彼女の言葉はどこかいままでと違和感があったからだった。
客達の雰囲気に気付いた様子もなく、オリヴィエは上機嫌に言葉を続けていく。
「プライドは無駄に高いくせに性格は単純で扱いやすくて、ちょっとおだてればすぐに調子に乗って言うことを聞いてくださるんですもの。だいぶ前のことだけど、イーザ家の女の病気が感染症かもしれないと根も葉もないことを言ったら、馬鹿正直に信じて婚約破棄しましたしね。あれはケッサクでしたわ。まあおかげでワタクシが婚約者の座を奪い取れたんですけれど」
『…………っ……⁉⁉⁉⁉』
一同は唖然としてしまった。全員が自分の耳を疑った。
「実はここだけの話ですけど、イーザ家のあの女、デイジーって言ったかしら?そいつを誘拐するようにチンピラを唆したのもワタクシなんですのよ。だってあいつ生意気なんですもの、せっかくワタクシが話しかけてやっていたのに全然嬉しがらないし褒め称えないしおだてないし。有力な貴族生まれだからっていい気になっちゃって」
『…………⁉』
その場の者達は絶句してしまった。
デイジーはそんなことないです!と思ったが、彼女が声を上げる前に別の者がいち早く怒鳴り声を上げていた。
「さっきから聞いていれば好き勝手言いやがって! 君は僕をそんなふうに思っていたのか!」
フィリップだった。
オリヴィエは馬鹿にする笑みを浮かべている。
「あぁら、だって本当のことですもの。貴方からお金と家柄を取ったら顔しか残らないじゃない」
「それなら僕だって言わせてもらうがな! 君との婚約もただの政略目的だ! 君の家を乗っ取って僕ん家をさらに大きくして、ゆくゆくは王家すら支配する巨大な権力を掌握する、その第一歩に過ぎないんだ! お前は僕に蹂躙されるだけの存在なんだよ!」
「なんですって⁉ あんたみたいな大馬鹿にワタクシやワタクシの家が乗っ取られるわけないじゃない! ふざけるのは頭だけにして!」
「僕を馬鹿にするなこのあばずれ女! お前こそ金と家がなくなったら顔と身体しかないじゃないか! どーせ僕以外の男共にもそれで媚びてきたんだろ!」
「ワタクシを娼婦呼ばわりするんじゃなくってよ! キィーッ!」
「ウォーッ!」
まるで猿の喧嘩のように、オリヴィエとフィリップが取っ組み合いの騒動を繰り広げていく。
招待客達のいくらかはその場から逃げ出して、いくらかは二人を止めに入り、そしていくらかは屋敷の使用人を呼びに走っていく。
それらの騒動からデイジーへと視線を移して、ファルマが落ち着いた声で言った。
「帰りましょうか、デイジーさん」
オリヴィエの本音にショックを受けていたデイジーだったが、彼の声に我に返って呆気に取られた顔を向けた。
「へ……?」
「オリヴィエさんが噂を流した理由は判明しました。彼女は貴女から婚約者の座を奪う為に、デマを流していた。もしかして、騙されたフィリップさんが可哀想ですか? 未練がありますか?」
デイジーは首を横に振る。
「……いいえ。感染症の噂があろうとなかろうと、いずれ彼は私と婚約破棄をするつもりだったと思います。病弱な令嬢なんかいらない……彼はそう言っていましたから。私に未練はありません」
「…………」
ファルマは再びオリヴィエとフィリップのほうを見る。二人は先ほどよりもヒートアップしていて、止めに入った客や使用人達も巻き込んだ大騒動になりつつあった。
「……予想外のことではありましたが、誘拐事件の黒幕も判明致しました。明日、警察に自白剤を渡す手間も省けました。私達がここにいる意味はもうありませんし、いても面倒事に巻き込まれるだけでしょう」
「……そうですね……ファルマさんの言う通り、帰りましょうか。面倒に巻き込まれる前に」
「はい」
デイジーが先頭に立って、彼らは入口ドアから会場の外に出ていく。背後では過熱した女と男の獣じみた叫びが響き渡っていた。
○
翌朝、朝食時にて。
朝食を食べるデイジーとファルマに、メイドのメディが伝えていた。
「昨夜のオリヴィエ=リヴァーさんとフィリップ=ノスさんの件ですけど」
「そういえばどうなったの?」
「デイジーお嬢様の誘拐事件に重大な関わりがあるとして、あの後、招待された方達によって通報を受けた警察が緊急逮捕したそうです」
「まあ、証人はいっぱいいるものね……言い逃れは難しいでしょうねぇ……」
ファルマが真面目な顔で口を挟む。
「貴女の誘拐事件だというのに、割と他人事のようですね?」
「いえ、まあ、オリヴィエさんが黒幕だったっていうのはびっくりしたしショックだったけど……他にも色々びっくりしたことが立て続けに起きたからというか、オリヴィエさんと彼の本音を聞いたせいというか……感覚が麻痺しちゃったというか」
「実感が湧いてこない、ということですか?」
「うん、まあ、そんな感じかしらね……」
メディが話を続ける。
「オリヴィエさんが逮捕されたことを受けて、ノス伯爵家は彼女と息子の婚約を解消したいと申し出たそうですが……その、お二人は既に接吻を済ませてしまっていたそうでして……」
接吻、すなわちキスのことである。
昨夜、デイジーが廊下で二人を目撃したあと、彼らは二人きりになれる場所で愛の言葉をささやき合っていたのだった。
「……あーあ」
デイジーの口からこぼれ出たのは、そんな声だった。
「貴族のキスはけっこう重要だからね。オリヴィエさんのご両親はかんかんなんじゃない?」
「まさしく仰る通りでして。このまま娘を傷物にしたまま婚約破棄することは絶対に許さないと。婚約を続行するか、ノス家が傾くほどの多額の慰謝料を払うか選べと怒鳴ったそうです」
「仮に慰謝料を払って婚約破棄したとしても、リヴァー家はノス家への制裁をやめないかもね。社交界から追放したり、仕事先を全て取り潰したりするかもしれないわね」
「そうかもしれません。とにかくノス家も婚約者もただでは済まないことは確かです」
ファルマが口を挟んで、デイジーに聞いた。
「デイジーさん。ざまぁとお思いですか? 病気のデマの流布や婚約破棄、誘拐されたことや見下されていたこと……自分をこんな目に遭わせた彼らが因果応報を受けて、胸はすっきりしましたか?」
「…………」
デイジーはファルマを見つめた。彼は彼女を見つめた。メディも彼女を見つめた。
デイジーはフォークとナイフを置いて、居住まいを正して、真面目な顔で答えた。
「私は気高きイーザ家の一人娘です。私を誘拐した黒幕が見つかってほっと安心したり良かったと思うことはありますが、だからといってざまぁとまで思ったりはしませんでした。たとえて言うなら、新聞や雑誌のニュースを見聞きした感覚が近いでしょう」
「先ほどの他人事のような感覚と似たようなもの、というわけですか?」
「厳密には違いますが、それに近いかもしれません。少なくとも、彼らを見てざまぁとは思わなかったです」
「そうですか。……それを聞いて安心しました」
「安心?」
「デイジーさんはデイジーさんでした。やはり私の思っていた素敵な女性でした」
「な……っ⁉ いきなり何を……⁉」
デイジーは赤面した。
メディがファルマを見咎めた。
「ファルマさん。お嬢様をたぶらかすのはおやめください。たとえ貴方でも許しませんよ」
「これは失礼しました。以後、気を付けます。朝食を再開しましょうか」
赤面したままのデイジーと無愛想なメディが見るなか、ファルマは朝食を再開するのだった。
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