第六十三話 見られている気がする
新人王終了から二週間。
季節は少しずつ夏へ向かっていた。
朝。
私はいつも通り家を出る。
陽菜を送り出し、
恒一に「行ってきます」と声を掛ける。
何も変わらない日常。
そのはずだった。
マンションのエレベーターを降りる。
エントランスを抜ける。
そして。
なぜか足が止まった。
誰かに見られている。
そんな気がした。
私は振り返る。
誰もいない。
通勤する人たち。
犬の散歩。
いつもの朝。
「考えすぎか」
私は歩き出した。
駅まで十分。
その間も何度か後ろを振り返る。
誰もいない。
自分で笑ってしまった。
神経質になりすぎている。
レナの言葉が頭に残っているだけだ。
そう思った。
昼休み。
愛美とメッセージをやり取りする。
最近のアンチ。
リスナーの話。
配信の相談。
その流れで。
私は何気なく書いた。
【最近なんか視線を感じるんですよね】
すると。
すぐ返信が来た。
【それ気を付けて】
私は苦笑する。
まただ。
みんな心配しすぎる。
【気のせいですよ】
返信する。
しかし。
愛美の返事は真面目だった。
【私も最初そう思いました】
私は少し黙る。
その後の文章を読む。
【だから一応だけでも気を付けて】
私はスマホを閉じた。
気を付ける。
そう言われても。
何をどう気を付ければいいのか分からない。
夜。
配信開始。
今日は雑談中心だった。
コメント欄も穏やか。
いつもの常連たち。
新人さん。
そして。
あの高額ギフター。
もう毎日来ている。
今日もギフト。
今日もコメント。
【仕事お疲れ様でした】
私は礼を言う。
すると。
【今日は帰るの遅かったですね】
私は固まった。
コメント欄は流れている。
誰も気付いていない。
でも。
私は気付いた。
今日。
確かに残業だった。
帰宅はいつもより一時間遅い。
配信で話していない。
SNSにも書いていない。
なのに。
なぜ知っている。
私は笑顔を作る。
配信者の顔。
「そうなんですよ」
軽く流す。
だが。
心臓は速くなっていた。
配信終了。
私はすぐにコメント履歴を確認する。
何度も読む。
今日は帰るの遅かったですね。
普通の言葉。
それだけだ。
しかし。
どうしても引っ掛かる。
私はスクリーンショットを保存した。
神崎レナに言われた通り。
記録する。
その時。
スマホが震えた。
知らない番号。
私は出ない。
数秒後。
切れる。
それだけ。
ただそれだけなのに、
胸の奥がざわついた。
深夜。
ベッド。
隣では恒一が眠っている。
私は天井を見上げた。
考えすぎ。
きっとそうだ。
でも。
もし違ったら。
その時。
スマホが光る。
通知。
DMだった。
送り主。
例の高額ギフター。
私は息を止める。
開く。
そこに書かれていたのは。
【今日は青い傘でしたね】
短い一文だった。
私は動けなくなる。
今日。
会社帰り。
突然雨が降った。
コンビニで買った青いビニール傘。
配信でも話していない。
SNSにも載せていない。
知るはずがない。
知るはずが――。
スマホを持つ手が震えた。
新人王が終わって二週間。
高梨美咲は初めて理解する。
違和感は、
気のせいではなかったのだと――。




