第三話 コメントを読むだけで精一杯
「こんばんは、みさママです」
配信開始ボタンを押して、私はいつものように挨拶をした。
いつものように――と言っても、まだ配信を始めて一週間ほどだ。
それでも少しだけ慣れてきた気がする。
視聴者数は0。
……だったのは最初の数秒だけだった。
【こんばんは】
【今日も来たよ】
【仕事お疲れ様】
コメントが流れる。
「こんばんは! ありがとうございます!」
私は慌ててコメントを読み上げた。
ありがたいことに、最近は配信を始めると何人か来てくれるようになった。
その中心にいるのがタカさんだ。
【今日は残業だった?】
「そうなんですよー。月曜は会議が多くて」
【お疲れ】
「ありがとうございます」
【娘ちゃん元気?】
「元気です。今日もダンスの練習してました」
コメントを読んで返す。
コメントを読んで返す。
コメントを読んで返す。
気付けば、それだけで精一杯だった。
新しいコメントが来る。
読もうとする。
その前にまた別のコメント。
さらに別のコメント。
頭が追いつかない。
【みさママ焦ってる笑】
「焦ってないです!」
【焦ってる人のセリフ】
「焦ってるかもしれません」
コメント欄が笑いで埋まった。
すると突然。
画面が光った。
『ギフトが贈られました』
私は固まった。
え?
今何が起きた?
【ナイス】
【初ギフトおめでとう】
【拍手】
コメントが流れる。
「えっ?」
私は完全に混乱していた。
ギフト。
つまり投げ銭。
まさか自分がもらう日が来るとは思っていなかった。
「えっと……ありがとうございます?」
【?じゃない笑】
【ちゃんと喜んで】
【贈った人泣くぞ笑】
私は慌てた。
「ありがとうございます!」
少し遅れてしまった。
コメント欄に笑いが広がる。
恥ずかしい。
だが、悪い空気ではなかった。
その日の配信終了後。
タカさんからメッセージが届いた。
【お疲れ様】
【少しアドバイスしていい?】
私はすぐ返信した。
【お願いします!】
数秒後。
メッセージが返ってくる。
【コメント全部読もうとしなくていい】
私は画面を見つめた。
全部読まなくていい?
【新人さんが一番やりがちな失敗】
【全部拾おうとする】
確かにそうだった。
来てくれた人を無視したくない。
だから必死で読んでいた。
【配信は会話だから】
【読むことより話すこと】
なるほど。
【あとギフト】
【もらったらもっと喜んでいい】
私は思わず笑った。
【反応薄すぎ】
「すみません……」
スマホに向かって謝る。
【慣れれば大丈夫】
【今は誰でもそう】
その言葉に少し救われた。
翌日の配信。
私はタカさんのアドバイスを意識していた。
【こんばんは】
「こんばんは!」
【今日は何してた?】
「今日はですね――」
昨日より少し長く話してみる。
コメントを全部追わない。
会話を続ける。
難しい。
でも少し楽しい。
そのとき。
【みさママ成長してる】
コメントが流れた。
私は思わず笑った。
「本当ですか?」
【昨日よりだいぶいい】
【話せるようになってる】
たったそれだけの言葉だった。
だけど嬉しかった。
仕事では褒められることが減った。
家では母親。
会社では中堅社員。
誰かに成長を認められる機会なんて、
いつの間にかなくなっていた。
だからだろうか。
その日の夜。
配信アプリを閉じたあとも、
私は何度もコメント欄を見返していた。
「成長してる」
たった五文字。
それだけで、
明日も配信しようと思えた。
そしてその頃から、
少しずつ常連リスナーが増え始めていた。
まだ誰も知らない。
この小さな配信枠が、
やがて美咲の人生を大きく変えていくことを。




