第百十話 いつもの帰り道
週末の夜。
美咲はいつものように配信の準備をしていた。
マイクの位置を確認し、
カメラの角度を合わせる。
机の上には、
陽菜が折ってくれた小さなウサギ。
もうすっかり、
配信前の景色の一部になっていた。
「よし。」
深呼吸をして、
配信開始のボタンを押す。
「こんばんは。」
画面には、
いつもの挨拶が次々と流れてくる。
『こんばんは!』
『待ってました!』
『今日も来ました!』
美咲は自然と笑顔になる。
「今日も来てくださってありがとうございます。」
「最近、雑誌の記事を読んで来てくださった方も多くて、本当に嬉しいです。」
コメント欄には、
初めて見る名前と、
昔から見慣れた名前が並んでいた。
『初見です!』
『記事を読んで来ました!』
『古参です(笑)』
その一言に、
思わず笑ってしまう。
「古参なんて言葉を使うくらい長く応援してくださって、本当にありがとうございます。」
すると、
一人のリスナーがコメントを書く。
『有名になっても変わりませんね。』
美咲は少しだけ考え、
ゆっくり答えた。
「変わったこともありますよ。」
「配信を始めた頃より、出会いも増えました。」
「経験も増えました。」
「でも……。」
画面の向こうを見つめながら、
優しく微笑む。
「帰ってくる場所は、ここでありたいと思っています。」
「皆さんが『ただいま』って言えて、『おかえり』って言える場所。」
「そんな配信を続けたいです。」
コメント欄がゆっくり流れる。
『おかえり。』
『ただいま!』
『この雰囲気が好きです。』
『これからも来ます。』
画面いっぱいに、
温かな言葉が並んでいく。
美咲は胸の奥が、
じんわりと温かくなるのを感じた。
配信終了後。
パソコンの電源を切り、
静かな部屋に戻る。
恒一がリビングから顔をのぞかせた。
「今日も楽しそうだったね。」
「うん。」
「みんながね、『ただいま』って。」
「なんだか家みたいだった。」
恒一は笑う。
「それは美咲が作ってきた場所だからだよ。」
その言葉に、
美咲は照れくさそうに笑った。
夜。
手帳を開く。
今日の最後に、
ゆっくりと書く。
『大切なのは、たくさんの人が来ることではない。』
少し間を置き、
続ける。
『帰りたいと思える場所であり続けること。』
ページを閉じる。
机の上には、
折り紙のウサギ。
そして、
配信で使ったマイク。
どちらも、
美咲にとって大切なものだった。
配信は特別な場所ではない。
誰かが疲れた日に、
少しだけ立ち寄れる場所。
そんな場所を守っていきたい。
その想いは、
今日も静かに、
美咲の心の中で育っていた――。




