第百六話 変わらない約束
朝。
目覚まし時計が鳴る少し前に、
美咲は自然と目を覚ました。
カーテンを開けると、
青空が広がっている。
「今日はいい天気。」
小さくつぶやきながら、
朝食の支度を始める。
キッチンからは、
味噌汁の湯気が立ち上る。
しばらくすると、
寝ぼけた表情の陽菜がリビングへやってきた。
「おはよう、ママ。」
「おはよう。」
「よく眠れた?」
「うん!」
その笑顔を見るだけで、
自然と美咲も笑顔になる。
朝食を囲みながら、
恒一が口を開いた。
「雑誌の取材、決まったんだって?」
「うん。」
「来週なんだけど、少し緊張してる。」
「美咲らしく話せば大丈夫。」
短い言葉だった。
けれど、
その一言で肩の力が抜ける。
「ありがとう。」
出勤前。
玄関で靴を履く美咲に、
陽菜が小さな手を差し出した。
「はい。」
その手には、
昨日折った折り紙のウサギがあった。
「お守り。」
「ママ、お仕事頑張って。」
思わず目を丸くする。
「これ、くれるの?」
「うん!」
「また作れるから。」
美咲はしゃがみ込み、
陽菜をそっと抱きしめた。
「ありがとう。」
「大事にするね。」
会社へ向かう電車の中。
バッグの内ポケットに入れた折り紙を、
そっと取り出す。
少しだけ曲がった耳。
子どもらしい折り方。
それが愛おしかった。
仕事中も、
ふとした瞬間に思い出す。
「お守り。」
自然と笑みがこぼれた。
夜。
配信を始める前、
机の上に折り紙のウサギを置いた。
画面には映らない場所。
自分だけが見える位置。
「よし。」
深呼吸をして、
配信を開始する。
「こんばんは。」
いつもの挨拶。
いつものコメント。
変わらない時間。
けれど、
今日はどこか心が軽かった。
配信終了後。
手帳を開く。
今日の出来事を書き終え、
最後にこう記した。
『大切なものは、特別なものとは限らない。』
そして、
もう一行。
『変わらない約束が、毎日を支えてくれる。』
手帳を閉じる。
机の上には、
折り紙のウサギ。
イベントの記念品でも、
仕事の資料でもない。
家族から受け取った、
小さなお守り。
美咲はそっと微笑んだ。
忙しい毎日でも、
帰る場所は変わらない。
その安心があるから、
明日もまた一歩を踏み出せる。
静かな夜が、
今日も優しく更けていくのだった――。
第105話で「仕事を選ぶ」という決断を描いたので、第106話ではあえて大きな出来事は起こさず、その決断によって生まれた心の余裕を描きました。
また、陽菜からの折り紙のウサギを「お守り」として再登場させることで、これまで積み重ねてきた家族との絆を物語の小道具として生かしています。




