第百二話 増えていく時間、減っていく時間
イベントから二週間。
美咲の毎日は、
以前より少しだけ忙しくなっていた。
仕事を終えると、
事務所とのオンライン打ち合わせ。
週末には、
次回イベントの企画会議。
配信前には、
企業から届いた商品の確認。
どれも、
ありがたい仕事だった。
「美咲さん宛てに、新しいご相談です」
昼休み。
佐藤から届いたメッセージを開く。
『地方イベント出演のご相談』
『配信アプリ公式企画への参加打診』
『インタビュー取材』
画面を見つめながら、
思わず息をのむ。
数か月前なら、
考えられなかったことばかりだった。
「すごいな……」
嬉しい。
本当に嬉しい。
けれど、
同時に頭の中では、
別のことを考えていた。
「全部は、無理かもしれない」
その日の帰宅は、
いつもより少し遅くなった。
玄関を開けると、
リビングから笑い声が聞こえる。
「ただいま」
「おかえり!」
陽菜が駆け寄ってくる。
その手には、
折り紙で作った小さなウサギがあった。
「ママに見せようと思って!」
「わあ、上手!」
美咲は笑顔で受け取る。
すると陽菜が、
何気なく言った。
「今日ね。」
「公園でいっぱい遊んだの。」
「パパと。」
その一言に、
美咲の笑顔が少しだけ止まる。
「そっか。」
「楽しかった?」
「うん!」
陽菜は嬉しそうに頷く。
その笑顔に救われる反面、
胸の奥が少しだけ痛んだ。
夕食後。
恒一がお茶を淹れながら言う。
「最近、忙しくなったね。」
責めるような口調ではない。
ただ、
事実を言っただけだった。
「うん。」
「ありがたいことなんだけどね。」
「全部受けようとしてない?」
その言葉に、
美咲は返事ができなかった。
図星だった。
せっかくいただいた仕事。
断るなんて、
考えたこともなかった。
「断ったら、次は来ないかもしれないって思ってる?」
恒一の問い掛けは、
穏やかだった。
美咲は小さく頷く。
「……少しだけ。」
恒一は湯飲みを置き、
静かに笑った。
「全部を抱えることと、全部を大切にすることは違うと思う。」
短い言葉だった。
けれど、
その意味はすぐには飲み込めなかった。
夜。
配信を終え、
手帳を開く。
今日の出来事を書き終えたあと、
ペンが止まる。
しばらく考えてから、
ゆっくりと一文を書いた。
『時間は増えない。
だから、何に使うかを選ばなければならない。』
ページを閉じる。
机の上には、
出演依頼の一覧。
その隣には、
陽菜が折った小さなウサギ。
どちらも、
美咲にとって大切なものだった。
だからこそ、
選ぶことが難しい。
夏の終わりを告げる風が、
開いた窓から静かに吹き込む。
その風は、
新しい季節だけではなく、
新しい問いも運んできていた――。
* 事務所は応援してくれている。
* 仕事はありがたい依頼ばかり。
* 家族も美咲を責めない。
それでも、美咲は「時間」という有限の資源に直面します。
ここから先は、ストーカー編のような「危険を避ける物語」ではなく、「何を選び、何を守るのか」という、人生そのものの葛藤へ物語を少しずつ深めていく章になります。




