第36話 メイド課の休日4
「森雁の群れが飛んでるわね。何かに驚いたのかしら?」
そう呟きながら、エリザベータさんが弓を構えると同時に矢を放つ。
すると、二羽の森雁が地面に落下した。
「え? 二羽?」
「そうよ、二回撃ったもの」
ただでさえ羽ばたく雁を弓で撃ち落とすなんて難しいのに、それを二回撃ち、さらに二羽に命中させるなんて信じられない。
エリザベータさんは弓の技術も一流だ。
「別に凄くないでしょう? フィローラのほうがもっと凄いわよ。あの娘なら今のタイミングで五羽は狩ってるわよ」
謙遜するが、そもそもエリザベータさんの得意武器は弓ではない。
それでも一流の狩人と言える実力だ。
なんでもできるという言葉に偽りはない。
「オリハルト君もうちの課長なんだから、せめて全員が扱う武器くらいは習得してほしいものね」
「は、はい……。すみま……。ん?」
「何よ? 文句あるの?」
「い、いえ。そうではなく……」
「なんなの?」
エリザベータさんが嫌悪感を隠さず、俺を睨んでいる。
だが、俺は周囲を見渡した。
「臭いな……」
「はあ? 私が臭いですって! 殺すわよ?」
「ち、違います!」
エリザベータさんの表情に殺意がこもった。
このままでは本当に殺されそうだ。
しかし、それよりも不穏な気配を感じる。
「僅かに獣臭がするわね……」
エリザベータさんも異変を感じ取ったようだ。
「グゴォォォォ」
「エリザベータさん! あの茂みの向こう!」
茂みに隠れるように身を低く構え、ゆっくりとこちらへ向かっている影が見えた。
しかし、その巨体は隠しきれていない。
「あれは! 一角虎!」
エリザベータさんが珍しく叫んだ。
一角虎は、森の頂点捕食者だ。
大爪熊ですら捕食してしまう、森の王者。
こんなところにいる動物じゃない。
もっと森の深部で、広大な縄張りを持って君臨している。
「嘘だろ! こんなところに現れるなんて!」
俺たちを獲物として認識したようだ。
ゆっくりと茂みから姿を現した一角虎。
黄金色の美しい体毛には、黒い縞模様が背中から身体の側面にかけて、一定の間隔で並ぶ。
その模様は、まるで死神が持つ鎌のようだ。
まさに死を運ぶ猛獣。
それが一角虎だ。
「今は弓とナイフしかないわよ」
「エリザベータさん、俺が引きつけます。その間に逃げてください」
「なに言ってるのよ。そんなことできるわけないでしょう?」
「上司が部下を守るのは当然です」
「今日は休みよ。部下も上司もないでしょうに」
「しかし、このままでは二人とも死にます」
「レオリアほどじゃないにしても、私も素手で戦えるわ。君よりは強いわよ」
確かにエリザベータさんなら素手でも戦えるだろう。
通常種の一角虎であれば、素手でも倒してしまうかもしれない。
しかし、信じられないことに、あの一角虎は……。
「ダメです」
「ダメってなによ。私をバカにしてるのかしら?」
「違います。あの一角虎の空気の揺れ……。あれは魔力持ちです」
「は?」
「ネームドの『ハルファス』です」
「ハルファス……。ハルファスって……。え? 五十人殺しの一角虎じゃない!」
「そうです。だから、今すぐ逃げてください」
動物には、人間と同じように魔力持ちがいる。
その中で、魔力を使用して人間を襲う猛獣には、特定の名称を付与していた。
それらをネームドと呼ぶ。
目の前にいる一角虎は、『空気を纏う爪』という意味のハルファスだ。
騎士団が討伐に出たが、一個小隊を全滅させ姿を消したという猛獣だった。
エリザベータさんがハルファスに向かって弓を射る。
そのメンタルはさすがだ。
だがハルファスは、身体に纏う空気の層で、避けずとも矢を巻き上げ地面に叩き落とした。
「奴に弓は効きません」
「どうするのよ?」
「俺が引きつけます。その間に逃げてください」
「あのねえ、君に何ができ」
「エリザベータ! 命令だ! 逃げろ!」
俺はエリザベータさんの言葉を遮った。
ハルファスが姿勢を低くし、力を溜めていたからだ。
「来るぞ!」
怒鳴られたことで、目を見開いて驚いているエリザベータさん。
だが、もうエリザベータさんには選択肢はない。
「早く行け! 命令だ!」
「わ、分かったわよ! みんなを呼んでくる!」
エリザベータさんがハルファスに背を向け、キャンプ地に向かって走り出した。
それと同時に、猛烈な速度で襲いかかるハルファス。
「グゴオオオオ!」
ハルファスは俺に向かって、最短距離で襲いかかる。
あれほどあった距離が一瞬でなくなり、五十人を殺した大爪を振りかぶった。
「速っ!」
想像以上のスピードだ。
俺の準備がまだ整っていない。
「グゴオオオオ!」
俺の頭に、猛烈な速度で大爪を振り下ろす一角虎。
それでも俺は必死に上半身を捻り、大爪を避ける。
「くっ!」
空振りさせたつもりだったのだが、ハルファスが纏う空気はまさに刃だった。
俺の左肩から腕にかけて、肉がえぐれ骨が露出。
飛び散る鮮血。
「ぐぅぅぅ! さ、さすがだけど……」
ようやく準備が完了した。
俺は魔力を解放した右手で、ハルファスの身体に触れた。
「ごめんな」
「グゴォォ」
俺の手が身体に触れた瞬間、一角虎はその場に倒れた。
眠るように息を引き取る。
「ネームドは想像以上だった。腕がヤバい……。リリアに治してもらわないと……。ぐうう」
俺はバッグからタオルを取り出し、片方を口にくわえて、腕の血管を強く縛り止血した。
それでも傷口から溢れ出る血で、タオルは一瞬で赤く染まる。
血が止まらない。
「しゅ、出血が……。意識が……」
俺は一角虎に身体を預けるように、前のめりに倒れた。




