第4話 修羅場―もう一人の吸血鬼(1)
「いただきます!」
橘が真っ赤な瞳を輝かせながら、紬が作ったフレンチトーストをほおばる。フレンチトーストを食べているだけなのに相変わらず色気が眩しい。
橘が紬の家にやってきてから一週間と少し。今ではすっかり、この“人間式の朝食”が気に入ったらしい。特にフレンチトーストへの執着は異常で、昨晩から「明日は多めにお願いしますね」と注文されていた。
「この、こんがりとした焦げ目がたまりません……」
フレンチトーストの焦げ目を見つめながら橘がはちみつのような甘い声でつぶやいた。
「じゃあ、血を吸う必要がないのでは…」
もう、あんな恐怖二度と味わいたくないのだが。
「ふれんちとーすとは実に美味ではありますが、満足感が足りないので血は頂きたいですね。特に、若い女性の血とか」
にこにこと紬に向かって威圧的に微笑みながら橘が言った。
また恐ろしいこと言ってる…。喰われるのは嫌だ。フレンチトースト以上に血の代わりになるものを早急に見つけなければ。
紅茶を片手にトーストをかじる吸血鬼。どう見ても優雅な朝のひとときなのに相手が吸血鬼だからなのか、いまだに混乱する紬。
「血に匹敵する満足感のあるものって何だろ?」
「若い女性の中でも特に紬お嬢様の血は美味しそうですよね。今までこんなに美味しそうな血を持つニンゲンを見たことがないです」
橘が獲物を追う獣のように瞳を光らせながら、紬の全身を舐めるように観察した。
「わ、私の話聞いてた…?」紬は全身に鳥肌が立つのを感じた。
「それにしても紬お嬢様、もう少しお食事を摂ったほうが良いのではないでしょうか?体の凹凸が少ないですし、お嬢様はまだまだ美味しくなりそうですから」
「はぁ?キモいんだけど。そんなこと言うんだったら家から追い出すからね」
私だってもっと胸欲しいわ。
「あの、それだけはご勘弁を…」
そんな会話をしていると、ピンポンと玄関のチャイムが鳴った。
「この奇妙な音は何でしょうか?」橘がチャイムの音に驚く。
「家に誰か来たって合図だよ。こんな朝っぱらから誰だろう?」
こんな時間に来客なんて今まで一度もなかったんだけど…。
「…妙な気配がしますね。人間のような人間じゃないような…、人間にしては心臓の音が静かすぎます」
玄関の方を見つめる橘の瞳が妖しく光る。
「え、それってどういうこと――」
また玄関のチャイムが鳴る。紬は内心びくびくしながらも、ゆっくりと玄関の扉に近づいた。
非常に開けたくない。橘が変なことを言ったから、余計に怖い。
「…大家さんだったらいいんだけど」
橘が紬の後ろからそっと付いてくる。警戒しているからか、変なポーズをキメている。
うん、橘さんは戦力にならなさそうだな。だめだこりゃ。
ドアの向こうには誰かがいるはずなのに、インターホンのカメラには影ひとつ映っていない。夏休みもまだ終わっていないのに、玄関の隙間から冷たい空気が流れ込んでくる。まるで……冬の気配がひとり、歩いてきたようだった。
(え……?)
紬はためらいながらもドアノブを回し、ゆっくりと扉を開いた。
扉の向こうに立っていたのは、まるで古い白黒映画から抜け出したような、ありえないほど顔の整った少女だった。
見た目は15、6歳くらいだろうか。少女は真っ白なレースの日傘を肩に差している。その傘の縁から、じわじわと光が染み出すように漏れているのは逆光のせいではなかった。暗い色の和モダンながらも、メルヘンなワンピースを着て編み上げブーツを履いている。血の気のない肌は雪より白く、猫を彷彿させる紅藤色の瞳がまっすぐこちらを射抜く。
「ごきげんよう。橘様を呼んでくださる?」
少女は品の良い言葉遣いで微笑みながら紬に要求した。
誰この人?なんで橘さんがいることを知っているんだ?誰にも言っていないのに。
「ど、どちら様で…?」
紬が恐る恐る尋ねると、少女は強引に玄関の中へ一歩進んだ。
「わたくし、綾小路雪乃綾小路雪乃と申します。橘様の――婚約者です」
少女は年齢不相応に妖艶な笑みを浮かべた。




