第1話 グッバイ、平穏な日常。(3)
「こ、殺されるー!」
橘が恐ろしい表情で紬に迫ってくるが、途中で動きを止めた。
「何やら物音が…」
気配を察知した橘がゆっくりと立ち上がった。真剣な表情はやたらと色気がある。
なんかちょっとかっこいいかも…?
「ん?どうしたn…」
二人が振り返ると、そこにいたのは足が六本、髪の毛のように長い触覚を持った茶色いアレだった。かなりでかい。とても元気にカサカサと動き回っている。
「ひいい!?」
紬が悲鳴を上げる前に橘が情けない声を上げてすごい形相で紬を押しのけ、華麗な身のこなしで棺桶にダイブ。しかもそのまま中から鍵をかけて、出てくる気配はない。
「え…苦手なの?私より小さくて無害なのに…?」
それでもこいつは吸血鬼なのか…?
結局ゴキブリは紬が片付ける羽目になった。
でも、
「橘さん、ちょっとカッコ良かったんだけどな」
「何かおっしゃいましたか?」
棺桶の中から声だけが聞こえてくる。
「なんもない!もう出てくるな」
「えぇ…そんなことおっしゃらないでくださいよー」
――こうして吸血鬼(?)との世にも奇妙な同居生活が突然にも幕を上げたのである。
そんなこんなで吸血鬼が紬の家にやってきた次の日。
紬がこの生活に慣れるわけがなかった。むしろ事件が増えている気がしてならない。橘が紬の家にある、いろんなものに反応するからだ。
「お嬢様!板にニンゲンが閉じ込められています!」←(スマホ)とか、
「お嬢様!あらゆるものを吸い込む怪物が暴れています!こっ、殺されるぅ‼」←(掃除機)とか。
昨日は遺品整理しかしていないのに、朝から紬はとてつもない疲労感を覚えていた。
「ハァ…」
朝っぱらから紬が大きなため息をついていると黒い棺桶の蓋がギィィ、とわずかに開き、白い顔がぬっと現れた。
「ふぁ……おはようございます…」
橘馨 推定147歳、吸血鬼(自称)。
相変わらず顔はいい。顔だけは。
「まだ太陽は出ているのでしょうか?」
澄んだ赤い瞳がこちらを見上げる。
「まだがっつり出ているよ。灰になりたくなかったらとっとと戻って」
紬が虫を追い払うように手を振る。
「それではまた夜に…」
蓋がすぅぅ、としまった。
…これが現実?お願いだ、夢であってくれ。




