第7話 何故ここに?
「——で、冷凍食品庫に使われている魔術式は魔力が流れやすくなるようきちんと古代語で記述してあるはずだが——、ほらちゃんと見ろ。教科書に書いてあるだろー。術式は水のフォーマットだけでなく温度に関する公式を——」
ニコル先生は丁寧に黒板にいくつもの公式を古代語で記述していく。
気がつけば手のひらサイズの小さな箱が長机に一つずつ配られていた。
蓋を開けると魔術式が描かれているのが分かる。
小型の冷凍食品庫だ。
だがまだ完成していないようだった。
魔導具は精霊語と古代語を記述することができなければ作ることはできない。出来上がっている魔導具を使う分には記述できなくても問題ないが、壊れたら精霊語と古代語を使える者に修理を頼まなければならないのだ。
だから『花嫁修行』としてはここまでの詳しい説明は必要ないのだけど。
今回は配られた小型冷凍食品庫の書きかけのフォーマットを完成させるという課題らしい。
黒板を見ると、水のフォーマット描きかけ部分を分かりやすくそこだけ抜粋して描いてある。
箱の魔術式にそれを描いて完成させよ、ということだ。
他の机に着いている女生徒たちは各々順番に作業を始めた。
フィオナとシェナも描く場所を分担することにして、まずはシェナが描き始めた。
水のフォーマットはカーブが多い。
しかも手のひらサイズの箱の中底は本当に描きにくい。立ち上がっている側面部分が安定して描くのを妨げるからだ。
「んんっ描きにく……」
シェナはあまり細かい作業が得意ではない。
力任せに線を引くと勢い余って箱の角まではみ出した。
フォーマットの基本は四パターン。
そこから派生して無数のフォーマットが存在する。
シェナががはみ出してしまった線は別のフォーマットを表現していた。
それは雨。
そしてこの魔術式のベース部分を記述しているのは、ニコル先生だ。
ということは、こうなる。
ザンッ。
桶をひっくり返したかのような水が先生に勢いよくかかる。
「わっ!!」
大量の水にその場は騒然となった。
先生はびしょ濡れか、皆がそう思ったが。
その場にいたのはびしょ濡れの先生ではなく……。
先生を濡れないように抱き寄せマントで水から庇っていたのは他でもない、リナルトだった。
彼自身は少し水に濡れ、何とも言えない色気を放っている。
(…………)
そのフィオナは呆然としていた。ショック過ぎて声も出ない。
「ご、ごめん、親友。許して」
シェナはフィオナに詫びを入れると先生の元へ駆け寄った。
「先生、すみません。私……」
シェナが先生に謝ると、先生はカラカラと笑う。
「失敗することもあるわよ」
そう言うとシェナの耳元に顔を寄せ何か囁いている。
戻ってきたシェナは眉間に皺を寄せ、先生の方を振り返る。
「ん?」
フィオナが尋ねると、シェナは気分悪くしないでねと前置きしてから耳元で囁いた。
「役得役得って」
先生の方を見るとリナルトに抱きつこうとする先生の顔面を彼は手で掴んで押し退けている。
大好きなリナルトがそこにいる。
先生を押し退ける彼の姿には好感は持てるけど、なぜかいつもほどのトキメキは湧いてこない。
確かにかっこいいし、整った顔をしているんだけど、なんか違う。
フィオナが考え込んでいると、それを落ち込んでいると思い込んだシェナは何やら察したように頷いて教室から出してくれる。
「保健室に行っといで。……泣きたい時は泣いた方がいいよ。私からのお詫び」
シェナはグッと親指を立てた。
フィオナはシェナが勘違いしていることは分かってはいたが、せっかくの好意を素直に受け取ることにした。
フィオナには考える時間が必要だった。
*
トボトボとシェナの言う通り保健室を目指すフィオナ。
保健室は西棟の最奥にあって、その途中には第一会議室、第二会議室と四つの会議室が並んでいる通称会議室廊下を通る。
そのうちの第三会議室は広報委員会が使用している会議室だ。
フィオナはその前でふと足を止める。
第二王子であるアレン殿下から「潜入してもらう!」と言われた広報委員会。
(潜入って言ったって私にそんなこと出来る訳ないし……)
そう思った瞬間第三会議室の扉が急に開き、フィオナは手首を掴まれて無理やり室内に引き込まれた。
「だ、誰?!」
フィオナは扉の鍵を閉められたと気づいて、掴まれている手首を振り払った。
その瞬間手首についているブレスレットがシャランと音を立てる。
「!」
するとその人はハッとしてそのブレスレットを見つめた。
フィオナは相手の顔を睨みつけるとその顔に吃驚して思わず遠のいた。
「で、殿下?!」
目の前にいたのは愛しのリナルトが護衛騎士を務める第二王子殿下アレンだった。
フィオナが慌てて彼を呼ぶと殿下はフィオナを後ろから抱きしめて口を塞ぐ。
「シィー」
殿下はそのままフィオナを室内にある一番大きな戸棚の中に連れ込み、自分も中に入ると静かにその戸を閉めた。
グイッと殿下の方に引き寄せられたフィオナは、自身の唇に人差し指を当て微笑む殿下の色気に当てられる。
(くぅっ……似てるんだよなぁぁリナルトにぃぃ)
何とか興奮を抑え込みながら殿下の腕の中で身悶えするも疑問が湧いてきて首を捻る。
(あれ?でもさっきはリナルトにときめかなかったのは何で?)
「で、殿……ふぐっ」
殿下を呼ぼうとすると、すぐにこの部屋の鍵を開け、扉が開いた音がしてハッとする。
その途端フィオナは殿下に黙らされていた。
しっかりと後頭部をつかまれ、フィオナの顔は殿下の胸元に突っ込んでいる。
ここで抵抗して動けば衣擦れの音でここに隠れていることがバレてしまう。
フィオナは熱くなる体と激しく高鳴る自分の心音に気づかないフリをして静かに堪える。
恐らく殿下もフィオナを黙らせたくてそうしたに違いない。
入ってきた足音は二人分。話し声から察するに若い男女だ。教師ではない。
(アズ学生……?)
動揺に耐えながらもフィオナはやっとやっとの思いで耳を澄ました。
ノックもせずにここに入って来られるアズ学生は限られている。
(広報委員会……委員長?)
辿り着いたその答えは当たっていた。




