第6話 魔導具先生 ニコル・ケラー
フィオナは騒々しい教室の中、ぼんやりと黒板を眺めていた。
今日これから受講する講義は昨日殿下に必ず受講するようにと言われていたニコル・ケラーの講義だ。
アズ学教師ニコル・ケラーは魔導具研究の第一人者であると言われている。
彼女によってこの世界に生み出された魔導具は数知れず。
広報委員会で活躍している印刷機や撮影機はもちろん、家庭用の冷凍食品庫や衣類洗浄機なども彼女の発明だ。
今や家庭用の魔導具は持っているのが普通で、平民でも当然一つは家にあり普通に使いこなしているのだ。
だからアズ学のこの手の講義や授業を受講する者に、この国の人たちは皆こう声を掛ける。『花嫁修行頑張ってね』と。
アズ学教師のニコル・ケラーはその言葉が嫌いだ。
彼女には婚約者もいないし、彼がいる訳でもない。
万年募集中だ。
そんな彼女がアズ学教師をしている理由は決まっている。
「このクラスはあまりかわいい男がいないわねー。まぁいつも通りだけど」
「そりゃあそうですよ。この講義は『花嫁修行』の一環ですからね。女はいても男はいません」
女子生徒たちは声を揃える。
「今日も男の子は君だけか。ほんと僕には君だけだよ」
しょんぼりとした僕っ子の先生は、教室内唯一の男子生徒の前に立つと両手を広げた。
(あれは、ハグを求めてるの?随分と大胆な先生だわ)
フィオナがそう思うと、周りの女生徒たちもヒソヒソと同じように噂するのが聞こえてきた。
その男子生徒は第二王子殿下の護衛騎士見習いであるエインツだ。
「やめてください、先生。僕のは仕事です」
彼は手でひらひらとしながら真顔で先生を拒否した。
(仕事?)
疑問に思っていると同様の疑問を持った女生徒がエインツに尋ねる。
すると、エインツは答えた。
「そ、僕は仕事でここにいるんだ。だから……先生はあっち行って!」
エインツはそう言って先生の背中を押すと、先生に一言何か囁いて教室を出て行った。
口の動きから「仕事の邪魔すんじゃねぇ」って感じに見える。
(受講する訳ではないのね?)
フィオナはエインツの一連の行動に違和感を感じながらもそのまま教室の雰囲気に飲まれていった。
「じゃあ、始めよっか」
先生は肩にかかった長い髪を払いのけ、黒板の方を向いた。
チョークを握って勢いよく書き進める。
黒板に大きく書かれた文字は、女性の文字というよりも男らしい文字だ。勢いがあって角張っている。少し右上がりに見えるのは先生の癖なのかも知れない。
『冷凍食品庫』
大きく書かれたその文字は今日の講義のテーマを指しているらしい。
先生は詳しく説明を始めた。
今日の講義は家庭用の魔導具として一家に一台の必須アイテムとして馴染み深いそれがテーマで、使い方は勿論、冷凍機能を発現させる原理などを学ぶようだ。
すると隣の席のシェナがトントンと机を叩く。
この教室で生徒が使う机は全て長机だ。二人で一つを使っている。
だから二人の間の机をトントンとされてフィオナは彼女に呼ばれたことに気づいた。
「なに?」
ヒソヒソと頭を低くしてシェナに尋ねる。
「あの先生さ、あんたの婚約者と第二王子に気があるよね?」
フィオナはギョッとした。
「マジで?」
全然知らなかった。
確かにさっきまでエインツに言い寄ってた姿を見れば、男好きであることは何となく分かったけど。
(よりにもよってリナルトに?!)
「第二王子殿下にもだけどね」
フィオナの表情を見てシェナはツッコミを入れる。
(どうしようどうしよう。あんな魅力的な先生に言い寄られたらいくらリナルトでも簡単に落ちてしまうんじゃない?)
それよりも前に、二人の接点を気にすべきなんじゃないかなと思っていたシェナは慌てふためくフィオナに小さな声で尋ねる。
「フィオナ、ちゃんと彼の気持ち繋ぎ止められてるの?……それこそ私、殿下やエンデール公爵令息との接点はデビュタントしかなかったから間違ってたらごめん。……二人をね、アズ学内で何度か見かけてるのよ」
「それって……」
胸がギシリと嫌な音を立てる。
「先生の研究室に入っていく姿をね……一度じゃないの。……ちゃんと彼の気持ち、確認してる?」
シェナは心配してくれているのだ。
(リナルトの気持ち?)
そう言えばフィオナはきちんと彼の気持ちを尋ねたことがあっただろうか。
『リナルト様は私が殿下とキスして嫌じゃないの?!』
確かこの間はそんな風に尋ねたけど、その時は好きかどうか聞いた訳ではなかったから正確には答えて貰えなかった。
(本当は私のことをどう思っているのか)
フィオナはリナルトのことを思っているだけで幸せで、彼の気持ちまでは正確に尋ねたことはなかったかも知れない。
二人は政略的な婚約者であって、そこに愛情がなくてもそれは成立するから尋ねる必要がなかった。
(リナルトは、どう、なの?)
フィオナは思わず熱くなる両頬を抑えた。
「聞いてるか?フィオナ・アレリール」
低い怒気の籠った声が上から降ってくる。
フィオナは名前を呼ばれたことに気づいた途端、頭に強い衝撃を受けた。
顔を上げると、フィオナの頭ににこやかな笑顔で教科書をぶつけるニコル・ケラーがそこに立っていた。
「す、すみません。先生。聞いてませんでした」
「先生、それは私もです。私が話しかけたから。すみませんでした」
フィオナが謝罪すると、シェナはフィオナを庇うように謝罪した。
「まぁいい。ちゃんと話聞けよー」
先生はすっと二人に背を向けるとそのまま黒板の方へ向かって行く。
(先生は——、先生は私からリナルトを奪おうとしているの?)
フィオナは先生の後ろ姿を見つめながら、今ここにはいないリナルトを想った。




