第20話 パッパッパニック!
「噂でしたね」
カルロはリアナの手を握り思い出したかのように笑う。
「あのリナルトがね。貴女のことでは取り乱すという噂がありまして。あっは」
カルロはまた思い出して笑った。
(何だか失礼ね)
彼の軽薄そうな雰囲気がフィオナはあまり好きではなかった。
フィオナの周りにはあまりこういうタイプの男性はいない。
「リナルト様は私の前では取り乱すことなんてなかった気がするけど」
フィオナは思わずそう漏らすと、「男は好きな女性の前では格好つけたいものですから」と返された。
(好きな人?え、私が?いやいや、リナルトはそんなこと言ったこともないじゃない)
一瞬困惑するが、このままだとこの人のペースに巻き込まれそうだと気づいたフィオナは、目の前の二人の話に戻そうと判断した。
「そうですか。で、今日はどうしてカルロ様はこちらに?」
フィオナは無理やり話を方向転換したが、二人は大して気にした風でもなくむしろその内容に意識が行っているようで。
リアナは赤くなりながら、カルロを見、スッと二枚のハンカチを差し出した。
「先日お借りしたハンカチ。汚してしまったので私が刺繍したハンカチをお渡ししたくて来ていただいたんです」
「そんな、気にしなくて良いのに」
でもうっかりここが女子寮であることを忘れてリアナは部屋まで教えてしまったと言う。
リアナが差し出したハンカチにはレンツィ家の家紋が刺繍されていた。
カルロはそれを受け取る。
こうしてぼんやり二人のやりとりを見ているとフィオナは思う。
(何だろうこの時間。私ってただのお邪魔虫よね)
扉を開けておけば二人でここで会っていても何の問題ないんじゃあとフィオナは思った。
時計を見ると八時を過ぎたところだった。
(よく考えたら私夕ご飯食べてないんだけど)
二人には聞こえていないだろうが、先ほどからフィオナの腹はぐるぐると食事を催促する音が鳴っている。
(今日は放課後に色々あり過ぎて何だか疲れたわ。お腹は空いたけど、食事を摂る元気も湧かないわね)
フィオナは目の前のラブラブな二人のことを気にすることなく他のことを考えていた。
「フィオナ様?」
唐突に話しかけられ、ハッと二人の方を向く。
「私たちが知り合ったの、あの新入生歓迎会だったんですよ」
えへっとリアナは微笑んだ。
聞けば、カルロはあのお茶会で給仕として働いていたという。
(何で子爵令息が給仕?)
と思わなくはない。
だが貴族と言えどお財布事情はその家ごとでまちまちだ。
(まぁ家に寄ってはそんなこともあるかぁ)
とそこは深く考えることなくフィオナは受け入れたのだが。
「で、私がカルロにぶつかってしまったんです」
「えぇ?!」
今の言葉は侯爵令嬢としての矜持が受け入れることを許してはくれなかった。
(ぶつかる?)
子爵令息と伯爵令嬢が茶会の席でぶつかるなどというシチュエーションはありえるんだろうか。
貴族は嗜みとしてその振る舞い方やマナー、行動倫理を学んでいる。
お茶会や夜会のように、それを試されるような場でぶつかるということは想定外の出来事が起きた場合か、何か別の意図が絡んでいたかのどちらかとしか考えられない。
それが身に付いていないような者ならそういうこともあるのかも知れないが、この二人に限ってはそんなことはなさそうだ。
フィオナのそんな違和感に気づいたかのようにカルロは口を挟んだ。
「そういえばあの時、後ろから押された気がしました」
「押されたって誰に?」
フィオナは驚いてすぐに聞き返した。
「誰かは分からないけど……女性だった気がします」
「それはどうして?」
尋問するかのようにフィオナはカルロを見つめる。
「……押されたところが腰より少し上、背中と言うにはちょっと下過ぎるくらいだったし、後は」
カルロが考えるように天井を見上げた。
「制服のスカートの裾の紺色を見た気がするんです」
この学校の女子の制服は裾の色が学年によって異なる。
現在の三年生は赤茶色。二年生は濃緑。
そして一年生は紺色だ。
(カルロの言うことを信用するなら押したのは一年生の女子。でもカルロが嘘をついている可能性も否定できない)
フィオナの中で違和感が燻っている。
「誰かに押されてリアナ様にぶつかったってことね?」
「そう、ですね。ぶつかった拍子にリアナの制服を紅茶で汚してしまったのでその汚れ落としに別室に行ってます」
そうカルロが言うとリアナも続ける。
「このハンカチはその汚れ落としに使ったものです」
カルロが受け取った刺繍入りのハンカチの下にあったもう一枚のハンカチにはうっすらとシミが残っていた。
「カルロがこのハンカチを使わせてくださったおかげで制服のシミは綺麗になりました」
ハンカチを指すリアナの汚れのない笑みとその所作に彼女の清廉な心を見たようでフィオナは浄化されたような気分になった。
対して彼の雰囲気は何だか不思議だ。
態度は横柄ではないけど、愛想が良くて口調も丁寧だけど堅くない所為か軽そうに見える。
元々性格が人懐っこいのかも知れないが、フィオナには軽薄そうに見えて誠実さを微塵も感じなかった。
(本当はそんな人ではないのかも知れないけど)
フィオナは彼の雰囲気に飲まれないようにあくまでも平坦な気分を装う。
(リアナ様、カルロ様に騙されてない?)
フィオナはリアナを心配しつつ、自分以外の人物にも起こっていた新入生歓迎会での出来事に何か思惑が絡んでいるような気がしてならなかった。
「そうなんですね。じゃあ別室に行くまでの出来事は他に見ている人もいたってことですよね」
「えぇ、そうですね。騒ぎにはならなかったですが、気づいた人は多かったと思いますよ」
思い出すように天井を見上げながら話すカルロをリアナはうっとりと見つめている。
フィオナはそんな二人の様子を見ながらため息を吐いた。
それを見ていたのかカルロは口に手を当て、あぁと何か思い出したようにして楽しそうに笑った。
「あぁ、貴女の場合は……新聞に載った所為であちこちに知られてしまったんでしたね。確かにそれよりは……」
フィオナは目を丸くした。
(それを今言う?!)
ムッとしつつも表情に出さないようにフィオナは必死に微笑んだ。
「お恥ずかしながら」
「でもお相手が殿下だなんて。羨ましいですわ。一介の伯爵令嬢の私には有り得ないことですから」
頬に手を当てながらリアナは微笑む。
その微笑みは社交辞令ではなさそうに見える。
うわぁ……とフィオナは思う。
あわよくば自分も殿下とそうなりたかったかのように聞こえたのだ。
(流石にそう本当にそう思ってる訳はないと思うけど)
その微笑みを見つめながらフィオナはいえいえそんなことはと返す。
彼女の純粋そうな表情にフィオナは自身の無粋な考えを打ち消した。
「明日も第三会議室でそのことで広報委員会の人たちと話をする予定なんですよ」
フィオナがそう言うとへぇとカルロは口笛でも吹きそうな軽い調子で言った。
リアナもまぁと言って驚いた様子だ。
「訴えるおつもりですか?」
不安そうに尋ねるリアナにフィオナは横に首を振る。
「いえ。まずは載せるに至った経緯を聞きたいと思ってます」
カルロは二、三度頷いた。
「そう。確かに当人にとっては今後の人生を左右する大きな出来事だもんな」
フィオナも頷く。
「だから私も思うんですよね」
フィオナは二人に訴えかけた。
「二人とも婚約者がそれぞれいらっしゃると思うんですけど……その方達とは別に好きな人がいるなら……」
フィオナは二人がハッとしてゆっくり頷いたのを確認して続けた。
「婚約解消は早い方がいいですよね、たぶん。……ほら例の小説で今流行ってるじゃないですか」
婚約破棄からの断罪。
「いつケチつけられるか分からないですからね。気をつけた方がいいですよ」
二人は青ざめてコクコクと必死に頷く。
最初こそ、初々しいカップルと思っていたフィオナだったが、二人のあまりの不用意な関係に危うさを感じてついついアドバイスしてしまった。
フィオナは反省しながら二人と別れ、応接室を退出した。
*
(何だろうあの二人は)
あの後フィオナは寮内のカフェで軽食を購入した。
今から寮の食堂に行ってもきっと食べたいメニューは残っていないだろうし、他人が多くいるようなスペースに行く気力が起きなかったからだ。
夜遅くまで営業してくれている寮のカフェにはサンドイッチがあったのでそれを購入して自室に戻った。
自室でサンドイッチと一緒に温かい紅茶でもと思い、カップに注ぐ。
紅茶を飲み、サンドイッチを頬張りながらフィオナは今日一日のことを振り返っていた。
ニコル先生の授業に始まり、第三会議室では殿下と戸棚に隠れて委員長と副委員長を観察、副委員長と仲良くなって、放課後にはニコル先生と研究室に行ってエインツにも会って。
帰りは副委員長と別れた後シェナと一緒に寮まで戻って、その後はリアナ様とカルロ様と応接室で談話。
「はぁ」
フィオナはため息を吐くともぐもぐぺろりとサンドイッチを飲み込む。
買ったのは玉子サンドだ。
ここの玉子サンドはビネガーとペッパーが効いている。
さっぱりとしていて夜食にも持って来いだ。
「ん。玉子サンド美味し!んー何だかこのところ色んなことがあり過ぎる気がする。もぐ。きっとリナルト様とキスしてからだわ」
ソッと自分の唇に触れて、あの時のことを思い出した所為で顔が熱くなった。
「でもまぁ、今までが引きこもりだったから。もぐ。こうやって人と沢山接することができてすごく楽しいわ。悪くない。ごくん」
フィオナは誰に聞かせるともなく呟く。
だが、不意にその言葉に返事が返ってきた。
「じゃあ、今日もする?」




