第2話 婚約者への謝罪1
教室に着き、フィオナはシェナに詳しく話を聞かせると彼女はフィオナを指差して大笑いだった。
「あっははは。それって、あんた悪くないって!悪いのは殿下とその薬盛った奴らでしょ?なんなの?殿下火遊びしたかったの?」
シェナは本人が目の前にいないとはいえ、殿下に対してかなり不遜な物言いだ。
「わっかんない。でも私があんなところで寝てたのは悪かったよね。これって殿下に謝罪しにいった方がいいのかな?」
フィオナは「不敬だ!」と言われ、断罪される自分を想像して震えた。
「どうだろ?そういう礼儀的なことって私知らないんだよね。でもさ、エンデール公爵令息には謝罪しに行った方がいいんじゃない?ほら壁新聞に『憔悴休暇中!』って書いてあったじゃん?婚約者なんでしょ?」
シェナの適当な物言いに少し気持ちが楽になってきたフィオナはすかさず突っ込んだ。
「略し過ぎだし間違ってるし!婚約者ではあるけど……」
その通り『公爵令息憔悴!一週間引き籠り!』が正しい。
「そうだっけ?まぁ授業終わったら大好きな彼の顔でも見てきなよ」
「うん。そうしようかな?シェナはどうするの?」
シェナのことだからきっと何か予定があるだろうけど、ついてきてもらえたら心強いな、なんて思いながらフィオナは聞いてみる。
「えぇ?公爵邸に?……行く訳ないじゃん!私が行ったってお邪魔だよ!……んまぁ、用あって行きたいところがあるから、私のことは気にしなくていいよ」
シェナはひらひらと手を振る。そのどうでもよさげな態度に、フィオナは苦笑しながらぽつりと呟いた。
「でも私なんかのことでリナルト様が憔悴する訳もないんだけどね」
だってそうだ。リナルトは昔からカッコ良くて何度も私を守ってくれて……とフィオナは思い出す。
五、六歳の頃、近くの森に迷い込んでフィオナは魔物に遭遇した。一回目は死んだふりをして難を逃れたが、そんなことが何度も続く訳がない。次にあった魔物が襲いかかってきて腕に怪我をした。
フィオナは腕の傷跡に視線を落とす。
リナルトはそんなフィオナを探しに来て、腕の怪我の応急処置をしてくれた。そしてフィオナを庇いながら、魔物とも戦ったのだ。
当時リナルトは九、十歳位。腰を抜かして泣きながら逃げ出してもおかしくない年頃だ。
でもあの時のリナルトときたら……フィオナはリナルトのカッコいい姿を思い出してウットリとする。
が、すぐに出来ないことの多い自分に劣等感を感じて落ち込む。
それに引き換え、自分なんてリナルトに釣り合わない、そう思ったら切なくなってしょんぼりとする。
(本当に私のことで彼が憔悴なんてする訳ないよね)
フィオナの独り言が聞こえたのか聞こえてなかったのか。
シェナも呟きフルフルと首を振った。
「鈍いわ——あの執着野郎に気づかないなんて。ほんと鈍い」
*
その日の放課後、フィオナはリナルトが滞在していると聞いていたエンデール公爵のタウンハウスを訪れていた。
事前に連絡は入れていなかったから、留守だったらどうしようかとフィオナは思っていたが、そんな心配は全く必要なかった。
リナルトはここ何日か外出は控えているようだった。
(壁新聞の見出しにあった通り、仕事を休んで婚約破棄の準備を着々と進めているんだとしたら……どうしよう)
フィオナはリナルトが大好きだ。
『愛しているか』と問われれば『愛』がよくは分からないから答えることはできない。
が、一日中ずっっと彼のことを考えていられるくらいには彼のことが好きで、今も婚約破棄されるんじゃないかと呼吸するのを忘れてしまうくらいには大好きなのだ。
フィオナは応接間に通されると、借りてきた猫のようにソファに小さくなって座っていた。
(まずは謝罪から。婚約破棄だけは避けないといけないから、きちんと謝罪して。そして仕事を休んでいるんだから体調への気遣いも忘れないようにして。あとは……殿下にも謝罪した方がいいか聞いた方がいいかな)
ぐるぐると説明しようと思っていることが頭の中を巡る。
第二王子殿下とリナルトは親しい間柄だと聞く。彼が殿下の護衛騎士をしているからではあるが、以前婚約の顔合わせの時に殿下とはクラスメートだと言っていたことをフィオナは思い出したのだ。
きっと今でも仲良くしているに違いない。
月一で開催している婚約者同士二人だけの茶会で、よく入れてもらっているこの応接間はシャンデリアや家具、室内の装飾が華やかで豪奢だ。
この部屋でするお茶会ではフィオナはあまり深い会話ができない。ここに来ると緊張してしまうのだ。
(何だろう。変に婚約者として意識しちゃうっていうか……)
婚約者にはそれなりに役割があり、責任もつきまとう。
好きなだけではどうにもならなくて、失敗しないようにと思えば無口になってしまう。
でも今日は言わなければならないことがあるんだから、ちゃんとしなきゃと自分を奮い立たせる。
(相変わらず美しい部屋……)
ひとまずリナルトに会ったら言うことを頭の中で整理したフィオナはクルリと室内を眺めてほぅとため息を吐いた。
暫くして、リナルトが応接間に入ってきた。
フィオナは立ち上がり、カーテシーをした後すぐに勢いよく頭を下げた。
「ほんっとうにごめんなさい!こんなことになるなんて思わなかったの!だから婚約解消なんてこと考えないでください!」
頭を下げたままのフィオナに暫く固まっていたリナルトだったが、口に手を当てて息を吐く。
「——まぁ座って」
リナルトはフィオナの手を取り、傍のソファに座るよう促し、自分もその向かいのソファに座った。
リナルトは座るとすぐに話し始めた。
「俺も一週間も家に引きこもって悪い。まさかこんなことになるなんて思っても見なかったから」
リナルトも頭を下げた。
「リナルト様が頭を下げる必要なんてないんです!私が悪いんですから」
そう言いながらふとフィオナはふと思う。
(私、ほんとにキスしちゃったんだ……殿下と)
そう戸惑いながら、だんだんと実感が湧いてくる。
確かに唇に何かが当たった感触はあったから、あれが殿下の唇だったんだろう。
そう思うとなんだかこの唇を取って捨ててしまいたいような嫌な気分になる。
何がどうしてこうなったのかそこに至るまでの経緯を、正直なところフィオナは(寝ぼけててはっきりとは覚えていないのよね)と思いながらリナルトの綺麗な顔を見つめた。
(相変わらず素敵……)
その顔を曇らせたくない。自分の手で彼の憂いを拭い取ることができるなら全ての悩みをこの手で……などと考えていることを悟られないようにフィオナは問いかけた。
「リナルト様?一週間も仕事をお休みされているそうで、体調の方はよろしいんですか?」
フィオナは率直に聞くことができなかったので、遠回しに殿下の話題に持って行こうと、体調と仕事に関して触れてみた。
(ようやく気持ちが落ち着いてきたわ)
殿下の話になったら謝罪が必要かちゃんと聞かなきゃ、とフィオナは思った。
普段のフィオナからは想像できないくらいの落ち着きで次の言葉を考えながらリナルトを見つめると、リナルトはまた深くため息を吐いた。
「俺の方は問題ない。直に登城する予定だ。だが、殿下があの一件で相当ダメージを受けていて、職務も全う出来ていないらしい。たぶん登城したら仕事が山のように残っているだろうな」
その言葉を聞いてフィオナは動揺した。
自分とキスしたショックで仕事も手につかない。
それは殿下としては致命的なのではと。
「そ、それは、私、謝罪に行かないとダメですよね!?」
(殿下にそんな思いをさせていたなんて!不敬でしかない!)
「いや、大丈夫だ。必要ない。そういう体だから俺から言っておく」
「え?で、でも」
(私とキスしたことがショックなら謝らないとダメじゃ……ない?え?そういう体って?)
「キスしたこと自体はショックを受けていない。イメージの問題だ」
(イメージ?)
確かにこの国では婚約者以外の異性との接触はあまりいい印象を持たれない。
殿下に婚約者はいないが、フィオナには婚約者がいるので手を出した殿下のイメージも悪くなるのは必定だ。
「なる、ほど?」
(キスしたこと自体はショックを受けていないということは、私とのキスは嫌じゃなかったということ?)
フィオナは殿下の気持ちに思いを巡らせた。




