4話 これはボール遊びではない
そういえば、中学一年生で最初に体育で行った競技もドッジボールだった。
この四月という時季は、どうやら三年に一度ドッジボールシーズンへ早変わりするらしい。
それ自体は構わないのだが、今回ばかりは眉をひそめる必要があった。
なぜならば。
――俺の視界に、手を振りながら小走りで接近してくる一人の女子が映り込んだからである。
「弥生く〜ん」
呑気な声で俺にそう呼びかけるのは、例のごとくサツキだ。
というか、そもそも俺のことを平然と、恥ずかしがらずに名前で呼ぶ女子なんてこのクラスには彼女くらいしかいない。
これは揺るがぬ事実だ。
「ドッジボールですよ? ドッジボールってなんだか久しぶりですね。 私、ちゃんと投げられるかどうか……」
肩に手を当てながら腕をぐるぐる回すサツキはこうしてみると普通の女子高生だ。
楽しそうに友達の女子と会話をしながら準備運動をしている様子は微笑ましい。
だが、俺にとっては全く楽しくない。
サツキがやる気になればなるほど俺も気が気ではないのだ。
「ドッジボールな……。 俺はそれどころじゃないんだけどな……」
「弥生君? どうかしたんですか?」
「いや、なんでもない。 ドッジボール、久しぶりだよな。 去年やったかどうかすら記憶に無いくらいだ」
なるべく平静を装って返すが、内心は穏やかではない。
むしろ荒波どころか大時化である。
この悪天候では転覆まったなしだ。
この動揺を気取られぬように何食わぬ顔で話を逸らすが、変なところで勘の良いサツキは不審がる目でこちらを見つめる。
「ほら、やっぱり何かありますよ。 ね、一ノ宮さんも変だと思いませんか?」
「私……?! 私はいつもの弥生……だと思うんだけど」
「そうですか……。 じゃあそういうことにしておきましょう」
一ノ宮、ナイス。
と、話をいい感じに逸らしてくれたと思ったのだが。
サツキは俺のことをまだ心配そうに、複雑な表情で見つめていた。
「本当に、気にしないでくださいね? 言いたいことがあるならちゃんと言ってください。 私、なんでも受け止めますから!」
言いながら、サツキは自分の双丘を力強く叩いた。
しかしそこで終わらないのがサツキの凄いところである。
「あ、もしかして、ボールが怖いんですか……? 私、なんでも受け止めるとか言っちゃったけど、ボールはちょっと……」
自分は避け専だという宣言、そして無意識の俺への煽りを口にするのが自然な流れ過ぎた。
一瞬油断したが、よくよく考えるとその発言は腹立たしい。
俺にも矜持というものはあるので、これには流石に反論せざるを得ない。
「ちげぇよ。 ……お前、今日は俺の近くにいろ」
サツキの手首を掴んで、さも真剣な表情を作ってこちらも告げてやった。
「はわわわわっ?!」
奇声をあげる一ノ宮、そして目を丸くして固まるサツキ。
この反応を見て思ったのだが、俺は果たしておかしなことを言ったのだろうか。
俺が言わんとしていたのは、下手にボールに当たって負った怪我が世界の滅亡へと繋がったら不味いから、俺が飛んできたボールを全部受けてやる、ということである。
別に凍りつくようなことでもおかしな声を発することでもあるまい。
まあ、説明が少し足りてなかったことは認めよう。
何か、二人とも納得できる説明を――。
「えっと……危ないからだ。 ほら、顔とか当たると痛いだろ」
これだ。
これからは、ドッジボールの授業のときはこの理由で通すことにしよう。
「そういうことでしたか。 なるほど、ありがとうございます」
納得したのか、サツキは屈託のない眩しい笑顔を見せてくれた。
一方、一ノ宮はというと、なぜか顔を真っ赤に染めていた。
そうこうしているうちに、教師が甲高い笛の音を鳴り響かせた。
「よし、今から四チーム作るからなー。 今日は初回だ、先生も君らのことをよく知らないから、まずは適当に分かれてくれー」
体育教師は、チーム分けに関しては不干渉の立場を貫くことを公言した。
まあ、男女比は均等になるように手心を加えるという但し書きつきではあるが、それを含めてもこの言葉は存外助かる。
俺も他の男子の運動神経だとか球威を見極めなければならないので、最初は受け身にならざるを得ない。
故に、どうしてもサツキとは同じチームにならなければならないのだ。
ありがとう、体育教師よ。
寛大な配慮に感謝する。
すると、ざわざわとクラスが動き出す。
人の流れに乗せられて自然とできていく輪。
その流れに身を委ねたいと言わんばかりに、サツキが一歩踏み出した。
俺は思わずその手を握った。
「――へ? 弥生、君……?」
「サツキ、お前は俺と来い」
半ば強引に自分のいる場所へと引き寄せ、形成されつつあった列の最後尾に加わった。
腰を下ろすとサツキが耳元で囁いてきた。
「弥生君、今日は何だか強引ですね」
――と。
俺の苦悩を知らずに呑気なものだ。
だがこういう時は素直に謝っておくのが得策だ。
これは、サツキの扱いに困って急遽入手した女子との付き合い方七つ道具という本に書いてあった。
ちなみに著者は俺、本のソースも俺。
「悪かったな。 もうしばらくこんな感じだが、許してくれ」
「……はい」
――はい?!
聞き流されると思っていたので予想外の返答に驚いて後ろを向いたが、サツキはそっぽを向いていた。
後ろを向いたのに何もしないのでは気が済まず、何でもいいから話しかけようとしたものの、笛の音に無理やり中断させられた。
さて前を向くと、体育教師は告げる。
「大体チーム分けは終わったみたいだなー。 ふむ……これでいけそうだな!」
四つの列を順に見渡した彼は、何を根拠にしたのかそう断言した。
俺の考えを言わせてもらうと一つのチームだけかなり強そうなのだが……彼の目には一切映らなかったらしい。
まあいいだろう。
パワーバランスなんてさして重要な問題ではない。
俺にとって大事なのは、サツキが無傷でこの授業を切り抜けられるかどうかだ。
そのためには盾でもなんでもやる覚悟だ。
「弥生君。 どうして今日は、そんなにやる気に満ちてるんですか?」
サツキが背中をつついて聞いてきた。
普通に振り向いて答えようとしたのだが、しかしどうしてもそうする気にはなれない。
前の窓破壊事件があったからか、サツキといて妙に気分が高揚しているのだ。
まあ、つまるところ俺は今サツキにとてもカッコつけたくなっているようなのである。
さて。
こういう場面において、何と言えばカッコよく聞こえるのだろうか。
中学ではひっそりと生きるために女子との接触を控えていた俺にはいささか、この問題は難解すぎる。
まあ、完全に絶っていたのではなく免疫が無いわけでは決してないのだが……。
それはそうとして、どうしてやる気に満ちているのか、という問いだ。
普通に考えれば本気でドッジボールをするため、となるだろう。
だが、俺の場合はサツキを守るため。
まあ、これを急に言い出すのは変な奴に思われるかもしれないし、止めておくとしよう。
ドッジボールに本気で取り組むのは小学生のガキの専売特許のようなものなので、方針はそのままにして、少し言い換えることにする。
であるならば、出すべき答えは――
「あの、弥生……」
「なんだサツキ――じゃなくて、一ノ宮? どうしたんだ?」
「大丈夫? なんか深刻な顔で悩んでたから、声かけようか迷って……」
「ああ、まあ、色々思うところがあってな」
周りを見渡すと、いつの間にか列は散っていた。
考え込みすぎて、置いてけぼりになっていたらしい。
「今ってどんな感じなんだ? 全然気付かなかった」
「んと、見たら分かると思うけど、試合前の練習?って感じかな……」
「そうか。 もうグループとかは色々できてるんだな」
グラウンドでは既に、何人かが集まってボールを投げ合っているのが散見された。
その現況をざっと見渡してから、一ノ宮はそれまでの経緯を語る。
「みんな、人数集めには苦労してたみたいだけど……。 ボールも数に限りあるし……」
「そうだよな。 ――ってことは、俺結構取り残されてた?」
「ま、まあね。 すごく真剣そうだったから、先生も声かけない方が良いってみんなに言ってて……」
「そこまであの人に言わしめるとは、その時の俺を鏡で見てみたいな」
「だね。 見せてあげたいかも……」
一ノ宮はくすっと笑って反応し、続いて何かを言いかけた。
しかし一ノ宮が話すより先に、俺の口は動いた。
「ところでサツキはどこ行ったか分かる?」
俺の言葉を聞くと一ノ宮がすぐに残念そうに肩を落としたのがなぜかとても印象的で、脳裏から離れなくなった。
さっき何を言いかけたのか聞こうと思ったが、一ノ宮がムスッとした表情をしながら無言でサツキのいる方向を指差したので、聞く機会を失ってしまった。
サツキは集団の端に一人で突っ立っていた。
ところが別に仲間外れにされていたわけではないらしい。
自らぼっちの道を選んだというのだ。
そんな彼女は俺が近付くのが見えると、ボールを胸に抱えながら頭上で大きく手を振る。
「こっちこっちー! こっちで一緒にしましょー!」
数が足りないというのに、ぼっちを選んだサツキはボールを一つ独占している。
「おう、今行く」
しかしサツキも物好きなヤツだ。
同じチームには他にもメンバーがいただろうに、よりにもよって俺だけを待っていたのだ。
自分から誘えばいくらでも集まってくるサツキならば、そんなことをする必要もないんだけどな。
「っていうか、同じチームの人全然見てなかったな……。 誰が味方なのかとかさっぱりだ」
「私も一応、同じチームなんだけど……」
俺の呟きに呼応する声が真後ろから聞こえて振り向くと、そこにはさっき別れたはずの人物がいた。
「一ノ宮。 そうなのか?」
「うん。 弥生の何人か前に並んでて。 気付かなかった?」
「全く。 実際誰が味方なのかさっぱりだからな」
「そうなんだね……。 わ、私もあんまり分からない、かな……」
「一ノ宮もか? 流石に知ってるのは俺たちだけ、ということは無いだろうが」
サツキそっちのけで会話していることには多少の罪悪感があったが、ただならぬオーラが放たれているのを感じつつも、できるだけそちらの方を見ないようにしていた。
それは、後ろめたさによるものなのである。
「えっと、美咲、でいいよ。 長くて言い辛いでしょ……?」
「いいのか? じゃあ、美咲」
「はい……。 もう一度、呼んでもらってもいいですか?」
「美咲」
「はい!」
だが不思議と美咲よりも一ノ宮と言う方がしっくり来ている。
彼女と話していない時は一ノ宮という呼び方のままでもいいだろうな。
と、元気よく返事をする一ノ宮だったが、すぐにその表情には狼狽の色が浮かんだ。
痺れを切らしたサツキの登場である。
「何なんですか、弥生君ばっかり。 ズルいです。 私も美咲って呼んでいいですか?」
「も、もちろん……!」
サツキが一ノ宮と友達になることを宣言した日、自分で名前では呼び合わないとしっかり言っていたのにな。
放っておけば心変わりするのだから、不思議なものだ。
三人でのキャッチボールにも満足し、俺が二人の球を捕る練習を始めた頃、辺りに甲高い笛が鳴り響いた。
集合の合図、すなわち一戦目の組み合わせの発表である。
俺たちはボールを直し、チームごとに整列し直した。
そこで初めてチームメンバーをまともに把握した、というのはまあ、お恥ずかしいことではあるが。
「一戦目、うちらの相手はバランスブレイカーのチーム、みたいだよ」
「バランスブレイカー?」
「ほら、みんな言ってるじゃん。 あそこだけ強いって」
「みんな、ねぇ……」
一ノ宮の好きな言葉は「みんな」なんだな。
これはあれだろうか、母親にゲームを買ってもらえなかった時によく言い分として使っていたからなのだろうか。
なんて、どこぞの高校生みたくひねくれたことを考えながら、俺は改めて例の強すぎるチームの列に目をやった。
確かにあのチームは全体的に体格が大きく見える。
だがそれ以上に、運動部軍団にしれっと紛れ込んでいる土佐と更科に苛立ちを覚えた。
これはもう勝ち確だな、なんていい気になっているのが態度で目に見えて分かる。
「あいつら……」
それに加え、俺を見つけるとピースサインを左右に振ってきたやがったのだ。
薄情者が……。
流石に俺にも多少のプライドというものはある。
煽られたのだから、受けて立つしかないではないか。
望むところだ。
コートの指示を受け、整えられた列はまたバラバラに散っていく。
皆がそれぞれ別々の方向に足を運び、俺も目的地を定めて歩かなければならない中、当の俺自身は関係のない、とても無駄なことを考えていた。
それは、先程一ノ宮に中断された思考の続きである。
某デスゲームのゲームマスターはこんなことを言ったらしい。
――これは、ゲームであっても遊びではない。
それになぞらえて俺も一つ、ここでカッコつけさせてもらおう。
カッコつけようと思ったもののその相手がおらず、丁度消化不良だったんでな。
「これはボール遊びではない。 俺は、命をも捨てる覚悟でここにいる」
「……いや、これはボール遊び、というかドッジボールだろ?」
「うるせぇよ。 それくらいの意気込みだってことだ」
意気込みを届けるつもりだったサツキはその場にはおらず、あまり喋ったことのないバスケ部の高橋に、代わりに白い目で見られたのは真面目に逃亡を考える恥ずかしさである。
もうこんなことでカッコつけるのは止めよう、大事なのは自然体でいることなのだ。
そんな悟りを得て、俺はついに一戦目に臨むのだった。




