3話 ifストーリー
もはや考える猶予も与えられていない。
後は反射的に動く、この身体に賭けるしかなかった。
いいや、それも所詮言い訳でしかない。
もっと早くこうなることが分かっていれば、何とでもなったのだ。
だが俺の身体はこの時岩のように硬くなり、一歩が踏み出せなかった。
一歩踏み出して、サツキを庇うだけなのに。
それだけでよかったのに。
窓を突き破ったホームランボールは一直線にサツキへと吸い込まれた。
文字通り、吸い込まれたのだ。
サツキ自身は何が起こったか分かっていないようで、キョトンとしていた。
だが俺は確かに見た。
眉間に野球ボールが真っ直ぐ入っていったのを。
直後のことだ。
信じられないことが起こった。
サツキの眉間を中心に、どこからか吹き出してきた黒い靄のようなものが渦を巻き始めた。
本当に信じられないが、それが丁度目の前で起こっているのだから信じざるを得ない。
黒い靄は、まるで深淵を覗いているような底知れぬ黒さをしている。
向こう側は見えない。
サツキの顔ももう、切れ間から見える口元くらいしか確認できない。
頭は既にすっぽりと漆黒のヘルメットに覆われていた。
黒い靄の範囲が広がり俺自身も飲み込まれることを覚悟した時、ガチガチに固まっていた俺の足は動き出していた。
このままじゃ何もかも終わると直感が告げた。
その直感が非常ベルのように頭に鳴り響きつつも、当の頭の中はいつになく冷静で、余計な思考が削ぎ落とされていた。
サツキや部長のことが気になって後ろを振り向いたのは、上靴のままグラウンドの真ん中までようやく来れた時だった。
――ここまで来れば。
乱れる息を整えて振り向くと。
留まることを知らず広がり続ける靄がもうそこまで来ていた。
そして視界が黒に覆われた。
ゲームオーバー、世界の滅亡を告げるまさにその瞬間である。
こうしてこの世界は、一日もかからず無に帰したのだった。
入学式。
それは名も知らぬ人間による中身の入ってこない退屈な話をひたすら聞く、意義があるとすれば眠気と戦うための儀式である。
これはもはや修行であり苦行だった。
無論俺が進学早々に一大イベントで寝るはずがないのだが、眠気に襲われたのもまた事実。
潔く事実を認め、そして眠気との格闘劇を脚色つけて語り尽くした方が誠意があるというものだ。
ふっ、認めよう。
俺は地球創世以来の難敵、「ネムケー」と全宇宙を股にかける死闘を繰り広げていたのだ。
――なんて、つらつらと口からでまかせを吐けた時期があったのも、もはや懐かしい。
今日から俺は、夢にまで見た高校一年生なのだ。
昼前には残酷なイニシエーションも終わり、中には中学からの友人もいたため皆思い思いに徒党を組んで、帰路につくことになった。
俺はというと校門に着くまでに見知った顔を発見できなかったため、仕方なく一人で帰ることにした。
知らぬ顔の者ともその日のうちにすんなりと仲良くなれる、そんな立派なコミュ力があればよかったのだが。
ここまでで見知った顔を見つけられなかったことからも友達の少なさは想像して頂けるだろう。
いいや、決して少ないわけではない。
人並みには友達がいたはずだが、なぜかその大半が他の高校へ進むことを選んだのだ。
真に不運とは何か、この事実を知って初めて、よく思い知らされた。
まあ、一人で帰る俺のぼやきなぞ、誰も聞かないだろう。
なぜだろう、無性にそのことが悔しくなってきた。
まあ穏やかな高校生活を目指すのに拗れた人付き合いは害となるだけだし?
全くもって構わないのだが?
しかし、なぜか叫びたくなってくる。
「あーあ、誰か俺の話を聞いてくれる女の子とか出てこないかなぁ!」
叫んだ。
これ見よがしに。
しかし昼の住宅地に人影は無く。
大きなため息と共に、俺は曲がり角を右折した。
「助けてください! 狙われてるんです! 命を!!!」
「――ッ?!」
声の主を一目見て、運命の出会いだと思った。
出会い頭に現れたのは、パンは咥えていないがとにかく容姿端麗な同年代の少女。
それが俺にわけの分からないことを懇願してきたのだ。
しかし俺は、この状況に喜ぶよりもまず、強力なデジャヴに襲われた。
俺はどこかでこの少女を知っている。
すると、自然と彼女の名前が口をついて出た。
「サツキ……? こんなところで何して――」
「えっと、私のこと知ってるんですか?」
彼女は首を傾げる。
このまるで初対面のようなリアクション……。
いや、よくよく考え直してみると、俺と彼女は初対面だ。
ならばどうして――。
「えっと……あれ……? 知ら、ない……はずなのに……」
何も変に思うことはない。
お互いに顔も名前も知らない少年と少女が、曲がり角でばったりと出くわしただけなのだ。
だが、俺の頭の中には疑問符が残り続けた。
なんとも不思議で、不可思議な出会いだった。
序盤のifの頻度は多めです。なぜかって?それはまあ、後々……




