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2話 普通部、というより帰宅部

 冷静に考えてみよう。

 そもそもの話、俺は別に普通という言葉に心惹かれた訳では無い。

 俺が選ぶのは普通部でなくとも良かったし、逆にこの部活でも良かった。

 結局のところ、中身が何であれもはやどうでもよいのだ。

 だから俺がこの部活に入部したのはほんの偶然で、故にある意味数奇な運命を辿っている。


 そんな思いを数日抱き続けている俺はやはり、この普通部とかいうものに入ったことを軽く後悔していた。


「くっくっく……はーっはっはっは! 君らはバカなのか? 私が人狼だったのだよ!」


 またやってる。

 空き教室の扉に手をかけると、何やら愉快な笑い声。

 それはいつものことなので特に異常も見当たらず、ここで手を止める理由もなくて、思いっきり扉を開放した。

 すると、教室の隅にうず高く机と椅子が積み重ねられたこの空間の真ん中。

 女子生徒がひとり盛り上がって、カードを持った右手を天高くに掲げていた。


「今度は何のゲームをしてたんです? 部長」


 そう、彼女が部長である。


「それを聞くかね、桜木よ。 聞いて驚け。 私は今、人狼一人回しに挑戦していたのだ」

「独りで……寂しくないんですか?」

「分かっておらんな、この面白さが。 シミュレーションが一番燃えるではないか」


 彼女は春崎白音。

 俺に入部を後悔させた、凄腕の普通部部長である。


 基本的に部長というものは、部員たちの道標となるように心がけるものだと思っていた。

 しかしこの春崎という女は、どうやらその対極を突き進んでいるらしい。

 自分のやりたいことをやる自由奔放さはむしろ、敬意を表すべきとさえ思うのだ。


 もちろん常にこのような有様ではない。

 黙っていればクールな先輩というのはもちろんのこと、聞いた話だが成績も高二生の中では上位に位置しているそうだ。

 ルックスとスペックにかけては及第点以上の優等生、だそうなのである。


「いやそれは分かりませんけど……。 一応聞いておきますが、どのような経過だったんですか?」

「初日の夜に霊媒師が、一回目の投票でカミングアウトをせず職業を隠していた占い師が死亡。 残った市民は二人。 人狼勝ち確ムーブに乗った私が堂々の勝利宣言を行った、というわけだな」

「そうっすか、楽しそうっすね」


 俺は適当に相槌を打った。

 こんな具合に、ふざけた設定のサツキとはまた違うぶっ飛び方をした御仁である。


「どうだ、一緒にやらないかね」

「一人回しは一人でやっといてください」


 かくいう俺も悲しいことに、次第に部長の扱いにも慣れてきたのだった。

 一人で盛り上がっているときには、こうして軽くあしらっておくのが最適解。

 この気付きを得てからは、幾分かこの部屋に入りやすくなった。

 それでも入部の後悔は消えることがなかったが……。


「それで、今日はどんな活動をする予定なんですか?」


 俺の言葉に、部長は顔を入り口の方へ向ける。


「まずは全員揃うのを待とうじゃないか。 九条よ、いるのだろう? 早く入りたまえ」

「――春崎部長、お見事です。 よく私だと分かりましたね」


 扉にへばりついて隠れていたらしいサツキ、見事に部長に看破されて大人しく顔を出した。

 こういうところで働く部長の勘は、ただ者ではない気質を備えている。


「見えたからな」


 絶賛しかけたが、前言撤回。

 とはいえ、それを見逃さない観察力はやはりただ者ではないと言える、……かも。


 とまあ、俺の春崎部長への評価はこんな感じなのだ。

 能力があるのは評価するが、いかんせん素がこれなのだからなぁ……。

 むしろ欠点が明らかで、完璧超人でないという親しみが持てるのはいいことなのかもしれない。

 とはいえ変人なのは変わらず、普通部の女帝として君臨しているのも同じく普通ではないと言えるだろう。

 普通部の目指す普通とは何か、俺自身の普通という概念の根底が揺らぎ始めていた。


「弥生君、横失礼しても?」

「ああ、うん、いいぞ」


 椅子に座って部長の凛々しい顔を眺めているとサツキが肩を小突いてきたので、とりあえず横に椅子を並べてあげることにした。

 人狼ゲームのカードが散らばった床を見下ろしながら、俺の座っていたところの横に椅子をもう一つ追加する。

 喜んでくれたのか、サツキはカバンを前に抱えてニコニコしながら座った。


「……サツキ、嬉しそうだな」

「まあその、隣ですし……」


 それだけで十分、と言いたげにサツキは小さく頷いた。

 そこへ、向かいに座る部長からの痛い視線が頬に突き刺さる。

 クラスメートのものとは違い、彼女の送る視線はどこかねっとりしていた。

 おそらく今顔を前へ向ければ、ニンマリと微笑んだ部長の顔が見えることだろう。


「九条は本当に分かりやすいな」


 視線が切れる感覚がしたので向き直る。

 すると、部長は腕を組みながら、やはり面白いものを見るかのような顔でこちらを見ていた。


「分かりやすい、ですか」

「ああそうだ。 ここ数日君たちを観察していたが、見ているだけでも楽しませてもらったよ」


 そして含みのある笑みを浮かべる。


「具体的にどこらへんが分かりやすいんですか?」

「そうだな――いや、九条、お前には言わないでおこう。 言ったらこちらが面白くなくなるからな」

「ちょっと、どうしてですか!」


 もてあそばれるサツキである。

 純粋……というか、単純なので、ここ一日二日はこういったからかいに困らされているような気がする。


 しかしだ。

 俺は聞き逃さなかった。

 部長はここ数日、俺たちを観察対象にしていたらしい。

 実験動物でも眺めるような目で見られていたということに憤りを、隠そうと思えば隠せたのだが、そんな苦労もしたくなくて少し表情に出してみた。


「桜木、目が怖いぞ」

「怖くしようと思って怖くしたので思惑通りです」

「そうか、思惑通りになってよかったな」


「まあいい。 では本題に入ろうか」


 確かこの人は全員揃うまで待とうと言っていたが。

 見捨てられた土佐と更科、あと副部長の安岐先輩には涙を禁じ得ない。

 まあ、土佐と更科に関しては今日部活を休んで遊びに行くと言っていたので、別に涙する必要性は無いのだが。


「この部活の活動方針をまだ話していなかったと思ってな。 改めて君たちに話しておこうと思う」

「活動方針、ですか。 俺は普通の放課後の過ごし方を改めて確認する、みたいな感じだと思ってたんですが」


 部長は黙って首を振った。

 え、違うの?という驚きが制止を振り切って、口をついて出そうになった。

 いや、出た。

 俺の隣に座る美少女の口から。


「へ……?」

「君たちは重大な勘違いをしていたようだな。 桜木の言ったのは手段であって、目的ではない。 そのあたり、勘違いしてくれるなよ?」

「では、その目的とは一体なんなんです?」


 とは言うものの、俺にはやはり放課後をどうやって過ごすか色々試しているようにしか見えなかった。

 それだけのことに何か深い意味があるというなら、聞いた俺たちはスタンディングオーベーション間違いなしだろうな。

 俺たちは部長の口が開かれるのを待った。


「――何も起きない状態が保たれた空間を、校内に一つでも維持しておく。 それがこの普通部の活動方針だ」


 しかし、だ。

 「あの」部長が言う言葉にしては、それはありきたり過ぎるように感じられた。

 まさかそれだけで終わるわけではあるまい、きっと続きがあるのだろう。

 仕方なく、俺は部長が更に言葉を紡ぐのを待った。


「ふむ、あまり伝わらなかったか。 じゃあこう言い換えよう。 この部屋の外でどこかの部がどこかの大会での優勝で歓喜に沸いていたとしても、誰かが暴力沙汰を起こして教職員が総動員されていたとしても、この部屋の中では普段通りに過ごす」


 そこまで言って、部長の切れ長で鋭い目が俺たちを真っ直ぐ見据えた。


「いかなる時も普通であり続ける、それが普通部だ」


 ありきたりな目標だ。

 しかし不覚にもかっこいいと思ってしまった。

 これは生涯の秘密として心の中で大切に保管しておくこととしよう。


 それはそうとして、結局のところ考えてみれば大して素晴らしい目標ということでもなかった。

 期待した俺の気持ちとそこに費やされたエネルギーを返してほしい。



 いかなる時も普通であり続ける。

 それは結構なことだ。

 だが、放課後の教室で傾きつつある日を見ながら優雅に紅茶を飲むのは果たして、普通のことなのだろうか。

 俺たちは気付けば、午後にしては遅すぎるティータイムの只中にいた。


 春崎白音という人が何を考えているのか全く読めないのは出会った時からのことだったので、気にしてはいない。

 だが、カバンの中から電気ケトルが出てきたのには流石に引いた。

 しかも、水は充填済みという。

 これで紅茶を飲むぞ、と。

 俺はますます彼女が分からなくなった。


 ちなみにこれは日を跨いで翌日の出来事、などでは決して無い。

 人狼ゲームのカードが散らかった中で部の方針が示され、カードをそそくさと片付けたその後のことである。

 つまり、電気ケトル君はずっと、彼女が一人盛り上がっている間にもカバンの中にコソコソと潜んでいたのだ。

 俺が彼女のことを読めない理由が分かってくれただろうか。


 それにしても。


「……平和だなぁ」


 部活とは思えない、いやそれ以上に、隣に世界滅亡をかけた爆弾を抱えながら読書をしている人がいるとは思えない静けさである。

 まるでそよ風の吹く丘の上で景色を眺めているようだ。


 椅子に深く腰掛け、引っ張り出してきた机に中の紅茶が半分程まで減ったティーカップとソーサーを置いた。

 聞こえるのは食器の触れる音と、窓の向こうで激しい練習をしているのであろう野球部の掛け声くらいだ。


「いいことじゃないか。 問題が起きないのが一番だろう?」


 壁際に置かれた教壇の上に脚を組んで座る部長。

 パンツが見えるのもお構いなしというようなその堂々たる態度は、この教室の主のごとき風格である。

 いやはや、見事。

 あと、眼福。


「それとも何だ、こうしてゆっくり茶を啜る時間もないほど忙しなかったか?」

「そんなことは無いんですけど、なんかこう、部活してる感じがしなくてですね……」


 この問いは本質的には、部活らしさとは何か、ということを訴えかけるものだろう。

 それに対して部長は、俺たちに一つの答えを示した。


「言っただろう? この部活は何も起きない状態こそあるべき姿なのだよ。 つまり今この瞬間、私たちは最高の仕事をしている」


 サツキはふと思いついたように、本から顔を上げた。


「それは帰宅部でも言えません?」

「言えないな。 帰宅部は帰っているが、私たちはここにいる」

「ちゃんと部活動やってるから帰宅部とは違うってことかよ……」


 俺の呟きが聞こえたのか、部長は俺の方を睨んだ。

 いや、睨んだというのは正確ではなく、彼女はおそらく今のこのディベートを楽しんでいた。

 これは純粋に部長の目が鋭いのと、俺が蛇に睨まれた蛙状態に陥ったと錯覚したからなのだ。


「これ以上やるとそもそも帰宅部が部活なのかという議論になるが、続けるか? 勝敗は明白だぞ?」

「いや別に俺は勝負してないですし」


 面倒になって、俺は逃げた。

 部長は一瞬訪れた沈黙を破るように軽く笑って脚を組み直す。


「まあ、暇なのは事実だ。 こうして好きに喋っているわけだしな」


 そんなやり取りを横目に、読書を一段落させたサツキがこちらを見ていた。

 置かれた本の表紙には花がたくさん描かれていて、タイトルを確認しようと思ったが、見てもどうせ読まないだろうとあっさり視線を外した。


「弥生君は、こういう時間、嫌いですか?」

「いや、別に。 悪くはない――と思う」


 急に問われたので即答はしたものの、いきなりどうしたと言うのだろう。

 いつになく神妙で、やはりどこか嵐の前の静けさのように感じた。

 だがそこに深い意味があるのではないかと下手に勘繰っても、それは無駄骨というものだ。

 むしろ、このようなやり取りにすらここまで頭を働かせる俺の方が、よっぽど珍しい人種なのではないだろうか。


「そうですか。 よかったです」


 サツキは少しだけ嬉しそうに微笑む。

 そこに部長からの横槍だ。


「九条は、桜木と一緒なら何でも楽しいらしい。 青春だな」

「春崎部長、変なこと言わないでください!」

「変なことではないだろう。 事実確認だ」

「事実かどうかの問題じゃないんですよ、それは!」


 サツキは珍しく声を荒らげると、一転して恥ずかしそうに俯いた。


「弥生君と一緒だと、なぜか安心するんです」

「だとさ。 やはり、青春だな」


 うるせぇよ、と心の中でツッコミを入れながら、変な方向に走り出したこの空気を変えてくれる何かが起こるのを期待した。

 何も起きない穏やかな暮らしもいいが、多少イベントがあった方が退屈はしない。

 そんな普通を、俺は望む。


 なんて思っていると、椅子の足が床を擦る音が間近で聞こえた。


「サツキ、どうした?」

「いえ、なんとなく外を見ようかなと思いまして」


 そうして立ち上がったサツキの夕日に照らされて光る目は、まるで宝石のように輝いていた。


 なんと美しいのだろうか、このような美少女が俺と同居してるなんて、未だ信じられない。

 とは言いつつも、今まで特に何もなかったのだが……。

 窓の向こうをぼんやりと見やりながら歩き始めて、その途中、サツキは椅子の脚に軽く足を引っかけた。


「――あ」


 一瞬体が前に傾く。

 つんのめったというのは言い過ぎかもしれないが、それでもバランスは明らかに崩していた。

 俺は反射的に立ち上がり、ある程度肉付きはありつつも華奢なその腕を掴む。

 不本意にも紳士的な振る舞いになってしまったのは誇らしいが、実を言うと転んで世界が滅亡するかもしれないというのが脳裏をよぎり、心臓の鼓動が最大値まで急上昇していたのだった。


「危ないだろ」

「あ、すみません……危うく転ぶところでした……」

「いや、別にいいんだがな。 気をつけろよ」


 必死にうるさい鼓動の音を宥めていると、サツキは呑気にも小さく笑った。

 こちらとしては心臓があまりにも煩くて、ろくに話を聞けそうにないのだが。


「弥生君、すごいですね」

「何が」

「ちゃんと見てくれてるんだなって」


 もし彼女が自分の置かれた立場について正確に情報共有していたら、俺は彼女にこう言い放っていただろう。

 お前が死んだら元も子もないから、目が離せないんだよ、と。

 しかし彼女はこのことをよく知らないらしく。


 俺はサツキの腕を掴んだまま、黙って窓際へ向かった。

 その間、横目でちらりと見た部長は、謎の微笑をたたえながら前のめりになって俺たちの一連の行動を観察していた。


 サツキの顔がいつもより赤くなっている気がする。

 そして、いつもよりも恥ずかしそうにしている気がしてきた。

 後者はともかく、前者は夕日のせいというだけでは無さそうなのだ。

 その理由を考えていると。


「あの、手……」


 なるほど、俺に腕を掴まれていたからだったらしい。

 腑に落ちてすぐ手を離すと、サツキはなぜか名残惜しそうに声を漏らした。


 なんとなく嫌な予感に襲われながら、サツキと共に窓の外を見る。

 手に掴むものが無くなって、寂しくなったか。

 いや、それはないか。


 向こうでは野球部が、部内で練習試合をしているようだ。

 良い当たりが出たのか、今までよりも一際大きな歓声が上がり、走者が一斉に走り出した。

 すると、逆光に晒される中、宙空で何かが光った。


「ん、何だあれ?」


 ボール状の何かが俺たちを目掛けて突っ込んできているようだった。

 その正体を見定めるのに、俺は迂闊にもしばらく時間を使ってしまった。

 その実、時間にすると数秒なのだが、俺たちにとっては数秒でさえ長過ぎたのだ。


 その瞬間、窓をかち割ったホームランボールが、決死の突入を行う警察のごとく飛び込んできた。

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