21話 ロールプレイ
ネコを連れて帰ると六華はノリノリでハイ丸という名前をつけて、ネコ飼育用セットを一式買い揃えて来やがった。
あくる朝、ザラザラとした感触に思わず目を開けると、ハイ丸が俺の顔を丁寧にペロペロと舐めていた。ハイ丸の名前の由来となった灰色の毛並みをした手が綺麗に胸の上で揃えられている。
「うはっ、やめろやめろ」
舌が鼻の穴の浅い部分に触れて、俺は情けない声しか出すことができなかったが、俺としては満更でもない状況だ。ネコという生き物の可愛さは飼ってみて初めて分かるものである。こうして朝のひと時をモフりながらダラダラ過ごすのも、それはもう悪いものじゃあないのだ。
加えてまだ目覚まし時計が鳴っていないというのに起きれたという、何かに勝利したような高揚感があるのだ。
「目覚まし代わりに猫舌で起きるのも悪くないかもな。……イタイイタイ」
舌が鼻の奥に侵入してきたところで回避運動をとり身を捩ったところ、目覚まし時計の針の指す数字が目に入った。
「え、まだ五時半?」
ひとりでに起きるにしては早すぎて、ハイ丸に起こされたにしては意識が冴えすぎていて、五時半にしては窓の外が明るすぎるよく分からない朝に、俺はひとまず布団を出て何も考えず寝起きの身支度を済ませることにした。
いつも通りの朝。昨日か一昨日ならそう言っただろう。しかし今日の朝は一味違う。なにせ授業の無い土曜日の清々しい朝であり、そして大型連休の幕開けでもあるからだ。本日五月二日土曜日、祝日でも何でもないが、俺の中ではお祝いムード一色である。
なのに、なのに……!
「お兄ちゃん、今日部活の集会あるんでしょ?何部だったっけ。は、ひ、ふ……バ……バド部?」
「ちげぇよ」
折角の連休の初日を、まあ毎週のことなのだが普通部に顔を出すことから始めなければならないのであった。ちなみにおそらくの話だが、六華に今言われていなければ召集令なんて忘れたままで今日一日を過ごしていたことだろう。ああ嘆かわしい、有能な妹を持ったばっかりに……。
「じゃあ何部なの」
出かけるとしても出かけるまではそれなりに時間がある。その合間を縫って、六華は俺が今日何をするかについて掘り下げようとしてくる。どうせ時間もあるし、俺はこの終着点が見えない底なし沼のような雑談に乗ってやることにした。
「何部だと思う?」
「何部だろ。ヒント」
「さっきのはいい線いってたな」
「そう?じゃあ運動部のラケット系かなあ」
「そう来たか……」
ヒントが良くなかったかなと思いつつ、六華の答えを待つ。
「確かお兄ちゃん、中学生の時にテニスやってたよね」
「ああ、続かなくて辞めたけどな」
「その後バドミントンだっけ」
「それもダブルスパートナーと馬が合わなくて辞めた」
「体育の卓球で無双したって話もしてたじゃん、そういえば」
「それは割と記憶に新しい話だな」
「…………あ!ラケット競技コンプリートしてる!」
「気付いたか」
「もう、ますますどれか分からなくなったじゃーん」
「……俺の胸小突いても何も出てこねぇぞ」
「かもね。多少調子良くなるかもしんないけど」
「……って俺は昭和の白黒テレビか。そこまでオンボロじゃねぇよ」
「ナイスノリツッコミ!ただお兄ちゃんは白黒テレビを舐めすぎだねぇ」
「あれ、そう言う六華は白黒テレビだった頃を知ってんのか?」
「博物館で見た」
「使ったことは?」
「無いに決まってるでしょ。お兄ちゃんだって一緒に暮らしてるんだからそうじゃん」
「まあな。そりゃあ叩いたら直るなんてのはきょうび聞かん話だ。液晶テレビなんてちょっと突いただけでどうなることやら……」
分かったのは、俺たち二人の認識が白黒テレビは伝説級の遺物であるという点で一致していたということであった。
「んじゃあ何だろ……ヒント」
教えを請うてくる六華に、家庭教師っぽく人差し指を立ててヒントを出す。
「ハ行は惜しかった」
「ハヒフヘホ、ハヒフヘホ……ハンドボール部?それかフットサル」
「不正解。そもそも俺が運動部に入ってると思うか?」
「おも……わない」
「だよな。いやそれはそれで悲しくなってくるんだが――」
「じゃあ今までの全部違うんじゃん!」
「っと、ようやく自分の過ちに気付いたか」
ずっと無駄なやり取りをしていたことを知り、六華はソファに寝転びながらう〜んと唸る。
「だが文化部と言っていいのかも分からん」
「何それ。運動部じゃないなら文化部でしょ?」
「いや、部なのかすら怪しいんだ」
「でも人数増えたってこの前言ってたよね?部員数足りてないってわけじゃないんでしょ?」
「そうなんだが、活動内容がな……」
「っていうのはどういう?」
「近頃は実質溜まり場と化しているように思うんだ」
「まさかの活動してない?!」
「いや、それが活動内容」
「ほんと?何それ」
ますます分からなくなったようで、六華のう〜んという唸りは止むことがなかったが、どうやら一つ閃いたらしい。
「思い出した。確か一文字目は、フ?」
「正解だ」
「ほらやっぱり」
「いや一応ヒントは出してたんだがな」
と、そこで二階からサツキが起きてくる音が聞こえてきた。だいぶのんびりと朝のひと時を過ごしていたつもりだったが、それでも起きてきたのはこの遅い時間。なんとまあ、重役出勤だこと。
「ちなみに答えは普通部だ」
「あー!言われたー!もう、楽しんでたのにー!」
六華は頬を膨らませて俺の半身をまんべんなくポカポカ殴る。サツキも来たのでこの暇つぶしも終わりにしようと思ったのだが、どうやら六華は真剣に楽しんでいたらしく、それ以前に本気で忘れていた風を装っていたのは彼女の演じる茶番であったらしかった。要は、この作り出したシチュエーションでロールプレイをして楽しんでいたのだ。
「名演技だったな。嘘でもこんな会話できるならお前、友達いっぱいいんだろ」
「めっ……名演技とか言わないでよ……」
「照れんなや」
「あだっ」
ニヤけを抑えられない六華の額に指で一撃をお見舞いし、得意気な六華のせいで溜まっていた鬱憤を晴らす。六華はそのあまりの威力に悶絶している。デコピンだけは昔から強かったからなぁ、南無南無。
そしてそんなわけ分からない状況のリビングに、ハイ丸を伴ってサツキがやってきた。というか、ハイ丸はサツキのところにいたらしいな。俺のことは叩き起こすだけ叩き起こしておいて、ハイ丸のやつ自分は美少女の布団の中でぬくぬくと温まってたのかこの野郎。
「さてサツキも起きてきたことだし、出かける準備でもしようかね」
まず手始めに朝のニュースを見ることから始める、それが俺の日課だ。いつもと違うのは朝飯を先に食べていたことと差し込んでくる日光がいつもより眩しいくらいで、それ以外はなんら普段と遜色ない滑らかな動きで華麗にリモコンのボタンを押した。
『現地からは以上、レッサーパンダの赤ちゃんのリポートでした。ぜひ足を運んでみてはいかがでしょうか』
テレビをつけると丁度、マイクを持った女性から画面が切り替わるところだった。リポーターがあんなに声を上ずらせているくらいなのでさぞ可愛い映像が撮れていたんだろうなと、もう一度流れないか期待したものの、スタジオのコメンテーターがひと言二言コメントしただけだった。
『さて続いてですが、えー、九時を回ったので一旦ニュースをお伝えします』
そうしてまたスタジオから画面が切り替わった。ニュースキャスターが深々と一礼をして原稿を読み始める。置いてけぼりになるその音と声。
「…………え、九時?もうそんな時間?」
実を言うと、俺としてはまだ八時すら回っていないくらいの感覚だったのだ。だって朝五時半に起きれたんだし、まさか起きてしばらくしてから寝坊を知るとは思いもよるまい。




