19話 ネコと屋上
『ねこだ、ねこがいる』
ポケットの振動を検知して見ると、通知が一件。グループラインに送られたメッセージで、送信主は高橋だ。
『屋上』
間隔を開けずに続けてこんなメッセージが、さっきのメッセージの下側に連結される。不思議な二連投を前にしてその意味を考えていると。
「弥生君、難しい顔をして何を見てるんですか?」
朝の始業はまだまだ先である手持ち無沙汰なこの時間、サツキの方もまた面白い話題が枯渇して困っていたらしい。退屈を紛らわせてくれそうなことを見つけて興味津々のサツキは真っ先に食いついてきた。
「これ見てみろよ。高橋からのラインなんだけどさ」
「あ、待ってください。自分ので見ます」
――記念すべきことに、サツキが自分のスマホを獲得した。
そのために俺の懐からどれだけ金が出ていったのかは、まあ必要経費だったってことで。また今度出費の補填分はうちの親にでも請求しておこう。
「なんか写真送られてきてますよ」
ちょっと目を離した隙にまた続報が送られてきていたらしい。サツキの言葉に、俺はスマホに視線を落とす。
ちなみにだが、高橋が今色々送ってきているのは七人中六人が普通部とかいう、むしろ高橋にも普通部に入ってもらいたいくらいのメンバーで構成されたグループラインだ。この前連絡先を交換しあった、というか繋がりの無かった俺とサツキが一方的に皆に連絡先を渡すことになった交換会の延長線で、このメンバーでこのグループラインを作ろうということになったのだ。だから高橋は普通部というものの存在を知らず、またメンバーのほとんどが普通部所属ということも知らないので、しばしば後ろめたくなることが無いこともない……。
「校内にネコがいるな」
「っていうかこのネコ、朝見たあの子じゃないですか?」
「ん……ああ、確かに。毛の色とか太り具合とかがそっくりだ」
送られてきた写真は顔面の接写であったが、そこから読み取れる情報は意外にも少なくない。少なくとも、この写真から朝のネコとは別のネコなのだと断定することはできない。
ほんの僅かに見える後ろの景色は光も少なく、少なくとも屋外ではない。屋上へと繋がる階段の踊り場だろうか。
とりあえず事の真偽を確かめるため、俺たちは屋上へと向かってみることにした。
「なあサツキ、教室棟か部室棟かどっちだと思う?」
「部室棟だったらかなり遠いですし、教室棟であってほしいですね」
「これで部室棟だったら階段の上がり損だが」
「部室棟に行って違ったらそれこそ大損ですよ」
「だよな」
廊下に出たのはいいものの、俺たちは究極の二択に悩まされていた。それは、高橋の言う屋上がどこを指しているのか問題。しかし以上の理由で実質一択である。取るべき選択肢は考える前から教室棟ただ一択のみに絞られていた。
「後は高橋かネコが見つかるまで探せばいいんだろ?」
「屋上へ向かう途中にいてくれたらいいんですけど、いなければ屋上まで行かないといけませんね」
「だな。あの写真は階段で撮っていたようだし、ひとまず屋上へ続く階段まで行こう」
小走りで廊下を移動しながらプランを練っていた俺たちは今更ながら朝礼までの猶予がそんなに無いことに気付いて、高橋っぽい生徒とすれ違っては一喜一憂するのであった。
「しかしこんなところまでネコも入ってこれるんですかね」
疲れたのかスピードを少し落としたサツキが言う。
「朝早くなら可能性もあったろうが、今は人もそれなりにいるし。見つかったら囲まれて、撮影会が始まるだろうな。現に今高橋がやっているように」
高橋はまだ写真撮影をやっているのだろうか、とどこかにいるであろう奴のネコを見て綻んだ顔を想像しながら思う。
「だから、とっとと見つけて何とかするんだ。騒ぎなんて御免だしな」
「んー、でも一年階より三年階の方が騒ぎが大きくなるでしょうし、ネコ一匹紛れ込んだくらい放っておいてもいい気がしますけど」
「まあそれもそうだな。一応見に行くだけ見に行ってみるが、最悪高橋に何とかしてもらおう」
「押し付けられて可哀想です、高橋くん……」
わざとらしく遠くを見るサツキ。
「高橋くん、謙虚な風を装ってるけど実際自信に満ち溢れているところ以外は良いと思うんですけどね……」
「お前はお前で酷い評価だな。さ、早くこの階段を上ってしまおう。屋上まではあと一息だ」
悪いな高橋、陰で色々言って。もちろんこれは全部冗談だからな?あ、いや、サツキの評価は本当はマジなやつなのかもしれんが。
そしてネコはいた。あの写真と全く変わらない踊り場の景色の一部となって、小さく丸くなっていた。ただ小さくなってはいるが、溢れ出んばかりの駄肉が床にはみ出て溶け出していた。
「――いましたね」
「ああいたな。しかしこれじゃああの写真のまんますぎる。高橋が嫌がらせで模型を置いてったってことはないか?」
「無いでしょうね」
「無いか……」
だって生きてますし、とサツキは続ける。確かにネコを覗き込む俺たちを、ネコはちゃんと眼球だけ動かして追っていた。
「それにこの子、やっぱり朝の子ですよ。この色、ツヤ、肉感、間違いないです」
「サツキもそう思うか。まあこんなネコ、二匹と会うことは無いだろうしな」
野良にしてここまでのふくよかさを身に着けられるネコなんて、そういないはず。あるいはそんなネコが生まれてしまう程に今の日本が平和過ぎたのかと、そのどちらかだろう。
「そして当の高橋はいない。一体どこに行ったんだ?」
「あれ以降連絡は来てないですし」
「おう、代わりに確認してもらって悪いな。うっかりスマホを教室に忘れてきてしまったから、助かる」
「いえいえ全然。それよりも高橋くんが心配です」
丸まった駄肉の塊の潰れた可愛い寝顔を見ながらサツキは不安そうな顔をする。
「高橋くん、ネコを見てるんですよね?そのネコがここにいるのにここにいないなら、一体どこにいるんでしょうか」
「色々言葉が抜けててなんか哲学的な問いみたいな言い方になってるが、それもそうだな。目的はネコを追いかけることだったはずなのに、こいつの側にいないとは」
「不思議ですね」
不思議、というより理解ができない状況だ。高橋の目的にそぐわない今のこの状況を見れば、何かあったのかもしれないとは容易に想像できてしまう。
そしてサツキによれば、まだ高橋との音信は不通であるとのこと。連絡が無いのであれば何も無いんだろうが、気になってここまで見に来てみた以上気にせずにはいられない。
「屋上ってあの扉の向こうなんですよね」
サツキは背後の上り階段の先を見やる。
「らしい。高橋がいないとなると、あの向こうにいる可能性は高いな」
そこで、気にしていたタイムリミットである予鈴が鳴る。朝のホームルームの五分前を告げる、今の時間と戦う俺たちにとっては大敵とも言うべき鐘の音だ。どうやらネコを眺めて無駄に時間を浪費してしまったらしい。探すべきはネコではあったが、目的を果たした以上次に探すべきはネコを追う高橋だということをすっかり失念していたのだ。
「よし、なら屋上を見るだけ見てから――」
――バーン
なんて大げさな開閉音と共に、鉄製の屋上への扉が開け放たれたのは、予鈴が鳴り終わったその瞬間である。突如差し込んできた空の青さは薄暗かった階段上部を明るくさせ、大きな音に、俺たちは明るさを獲得した階段を否が応でも見ざるを得なかった。
「なっ、高橋……」
扉で塞がれていたはずの平面の一歩後ろには、高橋が仁王立ちしていた。逆光で表情の読めぬ彼の様子は、それでもどことなく普段とは違うような印象を受ける。
「どうしたんだ高橋、そんなところ突っ立って。もう予鈴は鳴ったぞ。あ、ネコは見つかったか?ここにいたんだが、どうして屋上に――」
それで後ろを見て、ネコがいなくなっているのを確認した。聞きたいことが募っていてあれこれ言葉が出てきたのだが、ネコがいないのを見て一挙に弾切れを起こす。
動かぬ石像となっている高橋に向き直ると、屋上からネコが入り込んできた。
「なんか様子がおかしくねぇか?」
それも一匹二匹では無い。ネコがひたすらぞろぞろと扉から顔を出しては、階段の一段目に前足を掛けていく。
「気持ち悪ぃな。何なんだよこれ。どうしたってんだ」
はっきり言ってこれは異常事態である。全く同じ模様のネコがぞろぞろと、俺たちへ向かってくる。まるでアリの行列がちょっと大きくなったみたいに、それはそれで恐怖を呼び起こす光景だ。
サツキも耐えられないのか、乙女らしく口に手を当てて座り込み壁に背中を預けている。
というより、これはアリの行列なんかではなく羊の群れかもしれない。テレビの衝撃映像垂れ流し番組なんかでたまに見るあれだ。羊の群れがちょっと小さくなったみたいに、んでそれが階段を水のように流れてくる。猫の大洪水とはこのことだ。
「高橋はどういう立ち位置なんだよ。これを見てもなんとも思わないのか」
ネコは一段一段慎重に下りていく。だからこのネコの行進は、着々と迫る滅びへのカウントダウンにも思えた。
高橋が歩き始めると、ネコは一斉に階段を駆け下りた。大河となったこの流れは、後から悠々とついていく高橋の足音のすぐ先を怒涛の勢いで突っ走っていき、その足音も遠ざかると嵐の過ぎた後のような静けさが残された。
階段の上をふと見ると、何事もなかったかのように屋上の扉は閉め切られており、
「帰るか」
夢のような一時を体験した俺は呆然とするサツキにそれだけ言って、また何事もなかったかのような騒がしさの聞こえ始める階下へと歩みを進めた。
そしてそれはもちろん、熱病に冒される時に見るような奇妙な夢であった。
二人して奇妙な体験に巻き込まれたものである。なぜならば、高橋は一限目の開始五分前に腹痛で遅刻してきたのだ。クラスメートからはやけに心配されていたが、俺とサツキは違う意味で心配になり顔を見合わせる。
「変なことも起きるもんですね……」
サツキはこっそりカバンからスマホを出して画面を叩く。机の下で俺も自分のスマホをつけるが、高橋から送られてきたはずのメッセージはそこに影も形もなかった。あるのは写真フォルダにあのネコのドアップの写真がただ一枚。ただそこに入っていただけだった。
これでまだ五月一日の朝だそうだが、俺としては二日か三日の夜の気分である。




