慣れぬことばかりだった四月
サツキとは全くふざけた出会い方をした。何が何だか分からないまま妹の六華とともに住居侵入を公然と行うサツキを黙って見つめることしかできなかった俺たちは、成り行きに流されるままにサツキと過ごしている。
一挙一動に気を揉む毎日だし、ただでさえしばらく二人暮らしが続いていたのだから六華の負担も俺と同様そう軽くないはずで、サツキが増えたということは実質的には負担が倍増したということにも等しいのである。
サツキは来賓である。護衛対象である。セキュリティポリス未経験の俺たちが胸張って言えたことではないが、球状の物体から与えられる危険に対しては積極的に体を張ってきたつもりだ。頼まれごとなのだからそこで手を抜くわけには行かない。まあ、それ以外はどうなのだという話になると今度こそ張れる胸も無くなるのだが。
ただ予想に反して、サツキが越してきた直後のゴタゴタを過ぎれば時間の経過とともに反比例的に落ち着いた生活になっていった。日々の暮らしに彩りがどうのという、普段の俺なら考えないような真逆のことを思い立ったはいいものの、考えてみれば実際問題現実は淀みのようにゆっくりと経過するだけなのである。その中に彩りを見出そうとすればそれは馴れ合いでしかなく、結局は僻んで毛嫌いしていた馴れ合いに身を投じることになるのだ。
光を求めて夜の電柱にたかる虫の気分だ。そこには偽物の人工光源しかなくて、おそらく本物の光なんてものを見る機会なんて無いのだろう。あるいは本物なんて無いのかもしれない。昼に生きる俺たちにとっての光である太陽ですら作られた虚像でしかなくて、自然とか人工物とかそういうのを抜きにして根っからの光、光という概念そのものに相対することは不可能なのかもしれない。
何が言いたいか、ここまで来ればそんなこと分かりきっている。俺は俺の手に入るべからざる物を、手を伸ばせば手に取れる権利を得た。それが馴れ合いという偽物なのか、真の友情なのかを知るのは俺自身で、俺がこの生活に何を求めているかを知る手がかりである。そしてこの時折浮かび上がってくる形にできないこの思いを、ちょっと確かめてやろうか。
ところがだ。俺はこれまで通りゆっくり歩みを進めようと思っていた。しかし五月、またの名を皐月という季節はあり得ないほど忙しくて、立ち止まって辺りを見回す暇さえ与えられなかった。もちろんそう言えば嘘になるし、寝るときも回遊魚のように歩き回っていたわけではないが、そう言えてしまうくらい忙しかったのだ。
つまりは何だ、今までのは友達関係が築かれるのを待つための前座でしか無かった。そしてその前座ももう終わりということらしい。ふざけた季節がそろそろ始まる――。
その瞬間、五月一日になったばかりの深夜、俺はつまらぬことを考えながらベランダで星を眺めていた。住宅地とはいえ都会真っ只中で、街の灯りが明るくてそれだけしか見えない一等星を俺は目で追っていた。すると一筋の光が地に落ちる。日付が変わるちょうどその瞬間である。
「あれは流れ星、か。久々に見た気がするな」
長い間見ていなかったからかやけに尾が長く感じられた流星が、五月の幕開けを告げる。
思ったより4月が長くなりましたが、5月はもっと長いみたいですね。




