17話 友達という名の
「そうだ!」
ふと思い立ったように、塩野は勢いよく顔を上げた。俺たち三人全員の弁当箱も直に空になろうとしていた、昼休みももうすぐ半ばになろうとしていた頃のことである。急なことだったので思わず箸を落としかけたがすんでのところで持ち直し、代わりに塩野にありったけの訝しげな目線を送る。
「どうした?急に」
訊ねると自分の軽はずみな行動に恥じらいを覚えたのか、赤面しながら彼はまた弁当へと視線を落とす。そういうところもまたある種の可愛げなのだと、俺は近頃、というか塩野と一気によく話すようになったこの二日程で、そう思うようになってきた。一度そう思えば不思議なもので、一挙手一投足を小動物を眺める感覚で見つめてしまう。そしてこれを庇護欲と名付けた誰かに、俺は結構感謝している。
「えっとね、桜木くん。君がよかったらなんだけど、連絡先、交換してくれない……かな?」
「……ん?」
そう言えば、と思い返すが、高校生になってからこうして連絡先を聞かれたのはこれが初めてのような気がする。かといって聞く側に回っていたわけでもないし、逆に聞かれるのを待っていた、というわけでもない。行動を起こしてこなかった自分というものを目の当たりにして不甲斐ない思いである。
そしてサツキは、雷に打たれたような顔をしたままこちらを向いて固まっていた。
「えーっと、だから連絡先!ね、交換しよ?」
この物怖じしないところとかもあって、こいつにはきっと友達が多いんだろうな、と俺は天――実際に見えるのは天井――を仰ぐ。
「連絡先か、そういえばそんなものもあったな」
「忘れてた体ですか」
「うるさいそういうことにしておいてくれよ」
妙に察しの良いサツキに早口でまくし立てる。俺はスマホの用途の連絡用というのをすっかり忘れていたのだ、それでいいよな?と重ねて無言の圧をかける。
「なんか、寂しいね」
「分かってても人に言われたかねぇよ」
思えば俺のスマホに残っているアドレスはギリギリスクロールできるくらいで、しかもその半分以上を家族親戚が占めるとかいう、アドレス帳を開くだけで中学時代の縁のなさがすっかり分かってしまう惨状になっている。もちろんそれが悲惨だという自覚はある。自覚がありながらも手を打ってこなかった俺が悪いのだ。
だが、それも今日で終わりだ。
「塩野、追加頼む」
「じゃあ、はい。僕のこれだから――あっ、QRコードって分かる?」
「あのな、別に連絡先何も持ってねぇってわけじゃないんだ。数は大したこと無いかもしれんがな」
「……ご、ごめん」
「ほんと、家族の連絡先の量舐めてもらっちゃ困る」
「あはは何それ、家族パワーだ」
一時引っ込めかけた塩野の手を無事キープすることに成功した俺は、塩野が軽い謝意とともに苦笑しながらスマホを操作しこちらに向けてきた画面を見て、
「あー、そういう感じね」
と強がりを言った。実のところ連絡先を追加するのも久々すぎて、イマイチどういう操作なのかも覚えていない。そもそも俺の記憶だと長々とした番号を打ち込んでいたような気がするのだが、今はQRコードだと?便利な時代になったものだな、と人生の先輩方がよくしているボヤキの、その最中の心境が後少しで分かりそうなため息をついた。
「なるほど、これをこうする……のか?……ダメだ分からん」
「あ、あれ?桜木くんラインやってないんだ」
アプリが違ったらしい。軽く心の水面に波が走っていくが、俺は表面的には平生を装って答える。
「ん?ああそれラインの方か。やっていないわけではないが、全く触っていないんだよな」
メッセージを閉じてラインの画面を見せると、登録された友達の数は……ふむ、数えるまでもないな。見せるこちらも悲しくなる程の空白地帯がそこに広がっていた。
「唯一登録されてるこれ、妹さん?」
「ああ。妹の六華だ」
「他はゼロだし、ほんとにやってないんだねー……」
言葉にし辛そうに、躊躇いがちに言う塩野を見ていると何だか申し訳なくなってくる。いいや、ラインは使わない派なんだが?なんて開き直ったところでどうにかなる問題でもあるまいし。
塩野は俺の手からするりと丁寧にスマホを奪い取ると、画面と向き合って何か操作し出した。
「よし、これでオッケー、かな」
スマホが俺の手に戻ってくる。気のせいだろうか、さっきよりも少し重くなって、一回り大きくなって戻ってきた感覚だ。
「やったぁ、桜木くんの連絡先ゲットしちゃった」
「大げさな」
「だって桜木くん全然教えてくれなさそうだし。聞くタイミング逃したら一生交換できないタイプだと思って」
「んなことはないと思うが」
とは言いつつ、結局こうして強引に追加してくれなければ自分から追加されに行くことは無かっただろうと思い、塩野の言葉も当たらずとも遠からずだというのを感じた。
「私それすごく分かります」
「だよね」
「おい」
そして塩野は、そのまま嬉々としてスマホに何かを打ち込み始めた。直後俺のスマホが震える。
普通の高校生にとってそれはありきたりな現象なのかもしれないが、俺は少し違う捉え方をした。それはつまり、こういうことだ。――こうして着信を肌で感じることはそうそう無いわけだし、この振動を噛み締めなければ……。
「ね、桜木くん、早く見てみてよ!」
「ああすまん」
感慨に浸る俺を現実へと引き戻した塩野は、スマホを確認するよう催促する。そして送られてきたメッセージを見て、俺は思わず眉をひそめた。
「よろしくね、桜木くん…………行動が早いな」
「でしょでしょ!こういうのは勢いが大事だからね!」
「お前テンション上がりすぎな」
「まあね、嬉しいから。でさ、何か返事ちょうだい」
と言われても何と送ったらいいか……とは一度は迷ったが、考えてみれば連絡を取り合うという意味では機能にそう違いが生まれるものでもない。今まで通り使えばいいだけの話なのだ。
俺は塩野への返信として、「こちらこそ」の五文字だけを手早く入力し送信する。すると途端に塩野の顔に笑みが広がり、声にならない声が上がった。
「そんな嬉しいもんなのか?」
「うん!だって僕から交換しよって言ったの初めてだし!返信も返ってきたから!」
「そうか……良かったな……」
メールが来れば返信は返す、それは会話のキャッチボールを頭に入れた上で人と繋がりを持てば嫌でもしなければいけない、むしろ息を吸うがごとく無意識にする行為だ。それをそんなに嬉しがれるものなのだろうか、この手のことに疎い俺の肩身が狭い。そういう訳で、俺は適当に返事することしかできなかったのだ。
「まあその場の勢いが大事っていいますし」
サツキはポロっとそんなことを口にした。
「ノリってやつだな。あれはうるさくてあんまり好かんが、一歩踏み出す勇気をくれるのは認めよう」
「うーん、でも塩野くんも連絡先が増える時とか怖いんですかね……いえ、きっとそうなんだと思います」
自己完結するサツキに、塩野は慌てて首を振る。
「いやいやそんなんじゃないって!ほんとに嬉しかったんだよぅ……」
だが確かにノリというものはここにもあるのかもしれない。人が集まれば賑やかになり、やがて他人の目には騒がしく映るものだ。それが集団行動の本質であり、形式的な仲間意識を形成するものだということでもある。
つまり何が言いたいかというと、サツキとお近づきになりたいと思っている者たちにとってこの騒ぎは僥倖であったのだ。そんな彼らは、俺に一息つかせる間もなくやってきた。
「「おいおいおいおい何盛り上がってんだよお前ら!」」
教室でもよく声の通るバカ騒ぎとは彼らのこと。街頭演説で目立つに越したことはないが、こいつら程になるとむしろ赤っ恥のブラックヒストリーだ。
「なんの用だよ。あと急にデカい声出してうるさい」
迷惑かかってんだぞ、とさりげなく諭してやるが、二人は自分の目的のためならクラスの犠牲を払ってでも構わないと言わんばかりに聞く耳を持たず寄ってくる。
「なあ土佐、更科……」
こいつらなら仕方ないかと、諦め混じりに長いため息をこれ見よがしについてみせた。
「マジで一体なんの用だ……」
「くくくく九条さん?!あ、いや、何してたのかなぁと思いまして」
「すげぇ手のひら返しだな」
「そ、そんなことないって」
「そんなことないから、ハハハ……」
俺を何かと目の敵にしている二人はとりあえず突っかかってくるための理由が欲しかったのだろう。だが騒ぎを聞きつけてやって来たら今度は目の保養になっているサツキに気づき、挙動不審になったという訳だ。これ程までの小物ムーブには呆れてものも言えない。
「つまりは特に用もなく来たんだな?」
「そ、そうともいう!」
更科がついに開き直った。相方は丁度必死に言い訳を考えていたのか、タネを勝手に明かされて頭が真っ白になっているらしい。更科の方を向くスピードだけは極超音速を超えていそうな土佐であった。
「なら今は忙しいんだ。今は――」
「ちょうど連絡先を交換してたとこなんだよ」
先ほどから引き続きテンションの高い塩野は楽しそうに笑みを浮かべながら、俺の言葉を遮って二人に言った。遮られた俺の言葉、すなわち二人を追い返そうと思い喉元まで出かかったものは行く当ても失って、速度を落としヘナヘナと地面に墜落。
「え?!連絡先?!?!」
「おい更科――」
隠していた秘密がまた一つ暴かれた気分の俺は、意気揚々と復唱する更科をたしなめようとした。だが無理だった。
「九条さんの連絡先、めっちゃ興味あるんだけどぉ?!」
「え、えと、僕が交換してたのは桜木くんで……」
「三人で仲良くやってたんだよなぁ?!羨ましぃ〜」
「残念だったな、それは違うぞ」
「桜木……いや、この際塩野でもいい。俺にこっそり教えてくれ」
「九条さんの連絡先だけな」
「本人の目の前でんなこと言うのが果たしてこっそりと言えるのか」
はぁ、俺の言うこと聞いてくれる誠実なやつが俺の周りに一人や二人でもいてくれたらいいんだがな……。それも叶わぬ無理な願いで、そう思うと眉間に勝手にしわが吸い寄せられていくのが自分でも分かった。
「というか桜木、普通にスマホ持ってたんだな」
「俺をなんだと思ってるんだ」
「塩野も持ってるんだな。まあ知ってたけど」
「塩野は色んな奴と交流あるからな。周知の事実だろう」
「して九条さんは……?」
「確かに見たことないし今も持ってなさそう……」
土佐と更科がサツキの机を中心に覗き込み始めて、このままだと視姦に値しかねないので首筋にチョップをくれてやる。
「だから否定してんだろ。サツキはスマホが無いんだ」
「え、そうなの?」
「なんでそこで塩野が驚くんだ」
照れて頭を掻く塩野に一度は目をやるも、にしてはやけに静か過ぎだと妙に思う。そこで土佐と更科の様子はどうなんだと辺りを見回すと、まず俺のチョップが強すぎたのか地面に倒れ伏していた。その上で、サツキがスマホを持たない旧文明的生物だと判明したショックで死んでいた。
「「九条さん、連絡先教えてください!」」
チョップが強すぎて記憶が飛んだらしい。起き上がった二人は立ちくらみが治るなりそんなことを口走った。
しかしサツキは特に困った様子もなく、小さく首を横に振る。
「すみません、私スマホを持っていないので」
「えっ、今どき!?」
「原始人二号じゃん」
「言っておくが俺はスマホあるからな」
即座にツッコむと、更科は「いや、だって!」と笑いを堪えながら肩を震わせた。起きるなりそんなことを言い出すとは、不躾で失礼な奴だ。こいつらと友達やっていけてるってのが俺は正直信じられない。これはもはや、俺の適応力を得意技として誇っていいのではないか?
そんな騒ぎの中心で、サツキは平然としている。ちなみにこれは俺の主観なのだが、サツキは平然としているだけでなく俺だけをまっすぐに見つめて座っている。
「なので、もし何かあれば弥生君経由でお願いします」
俺のこと見てんなぁとか思ってたら、サツキは俺に爆弾を投げやがった。そんなことを口走れば――
「は?はぁ〜〜〜〜?!?!今のどーゆーことだよ桜木ぃ!!」
見れば教室のあちこちからも視線を感じる。これはますます俺が教室に居づらくなるパターンだ。まあ、居るんだけど。
「……おい桜木」
興奮冷めやらぬ更科を制止する土佐は、威圧的な声色とともに俺に詰めてくる。
「なんだ」
「お前、九条さんの連絡窓口なの?」
「知らん。今初めて聞いた」
土佐が信じられないものを見る目を向けてくる。更科に至っては額を押さえていた。対してサツキは――だがサツキは「?」みたいな顔でこちらを見ている。
「サツキ、お前はとりあえず自分の発言の重みを知れ」
「えっと……私何かまずいこと言っちゃいました?」
「ああ、大マズだ」
自分で言っていてオオナマズみたいな語呂だなと思った。新種が絶えず見つかるこの時代、ナマズの一種にオオマズってのがいたとしてもなんら不思議は無い。更に言えばオオマズが地震の元凶だと判明しても俺は疑う余地なく信じちまうぜ。まあ、最初から最後まで真っ赤な嘘だけど。
「嘘に青色とかってあるのかな……」
「急にどうしたんだよ桜木怖ぇぞ」
ようやく購買に行ったクラスの奴らが戻ってきた。昼休みは既に半ばを過ぎており、それだけの時間になってしまったことからはどれだけ熾烈な戦いが繰り広げられていたのかが想起される。一方で手の中にある戦利品の数で明確な差が生まれており、手ぶらでトボトボ帰ってきた者もいた。
「いやあ、今回も厳しかったなぁ。今日は弁当で我慢するしかないなぁ」
かくいう高橋もその一人である。その腹いせに、どこに売ってるのかも分からん変な絵柄のパックのジュースにストローをぶっ挿して飲みながら戻ってきた。
その後ろには意外な取り合わせの人物が。
「あの、高橋くん……こんなにいいん、ですか……?」
「あ?何言ってんだよ、一ノ宮が勝ち取ったパンだろ?」
一ノ宮美咲、おどおどした性格で控えめな少女。しかしやる時はやる。そんな彼女が購買に向かい、やる時はやってきたらしいのだ。だが高橋と共に、という点が引っかかる。
一ノ宮の手にはパンが二つ。手持ち無沙汰に財布を垂直投げ上げで弄ぶ高橋とは至極対照的だ。
「お、桜木。と九条、それと塩野と更科と土佐……これはどういう集まりだ?」
「えっと、部活……じゃないかな」
「あ、部活の?ちなみに一ノ宮も同じ部活?」
「……うん」
言われてみれば確かにこれは普通部のメンツだ。塩野と一ノ宮もサツキに連れられて入部することになったんだったな。まあ土佐と更科のサボり癖はどうなってるか分からないし、今の段階でこいつらを普通部と呼んでもいいのかは知れんが。
「あ、でもちょっと違ってて」
塩野は否定し訂正する。
「ちょっとした連絡先、アドレスの交換会、みたいなのをしてたんだ」
「まあ俺と塩野のやつだけだがな」
「俺等も――じゃなかった、僕たちも混ぜてって言ってるんだけどなぁ……」
高橋相手に体裁を気にする土佐。それを面白がって塩野は土佐の方を眺める。だが塩野に苦手意識でもあるのだろうか、目を合わせられず窓の外に逸らしてしまう土佐である。
「いいじゃん。せっかくだし俺のとも交換してくれね?」
「僕はもうしてたんだよね。だから桜木くん、ほら」
「……私もいい、かな」
「ああもちろん構わないが……人が増えたな」
誠に不本意ながら、高橋と一ノ宮も参戦してきた。いや、決して悪い気はしないのだが、少々予想していなかったというか、俺は塩野の連絡先を聞けただけで満足したというか。
塩野や高橋や一ノ宮、ついでにしれっと加わってきた土佐と更科に倣いスマホを差し出しつつ、俺は思う。こうして俺は中学時代には予想だにしなかった交友関係というのを得て、あまつさえ連絡先まで知る友達というものを得ようとしている。友達という名の馴れ合いなんかではなく、だ。
これほどまでに喜ばしいことなんてない。過去を思い返せば感慨深い出来事である。あるいは、これで満足していてはいけないのかもしれない。穏やかな学校生活を求めるのはいいが、そこに彩りを加えようという欲が出てきたのだ。こいつらとならばそれもまた――。
まず何よりも、彼ら彼女らに囲まれていてもいいのだと思うことができた。俺はただのサツキのボディガードでしかないと思っていたが、居場所とか存在意義なんて始めから気にする必要無かったんだな。
ところで連絡先の交換会には、隣の席に座っているサツキだけ置いてけぼりである。不服そうにソワソワとしているサツキに、
「また今度ケータイ買いに行こうな」
と声をかけるとパッと顔が明るくなって、俺は胸をなで下ろした。




