14話 手を取って
ショッピングモールという場所では常に人が行き交い、故に少し目を離しただけでも景色はあっという間に変わってしまう。
桜木弥生がトイレに向かってから経つこと数分。九条皐月は通路脇の壁にもたれかかり、特に何かをするでもなく忙しなく移り変わる視界に映る景色をぼんやりとただ眺めていた。
落とし物を知らせる館内放送、走り回るまだ小さな子どもたち、店頭モニターから流れる広告音声、誰かが奏でるストリートピアノの音色、無数の聴覚情報を受け流しつつ、あるいはどこかから漂ってくる甘い匂いにも鼻を刺激される。それでも皐月は静かに弥生の帰還を待っていた。
すると。
「ねえお姉さん、一人?」
突然横から声を掛けられ、声が弥生のものでは無いと思いながら皐月はゆっくりとそちらへ顔を向けた。
そこにいたのは大学生ほどであろう二人組の男だった。片方は明るめの髪色で、もう片方はその後方で軽薄そうな笑みを浮かべている。
「えっと……」
困惑する皐月にお構いなく男たちは口を開く。
「買い物?暇ならさ、ちょっと一緒に回らない?」
「いやマジでめっちゃタイプなんだけど。こんな可愛い子いるんだって思ってさ」
距離感が近い。サツキは反射的に半歩下がった。しかし壁に阻まれて、それ以上後ずさることはできなかった。
「すみません、人を待っていまして」
「彼氏?」
「……えっと」
「違う感じ?ならよくない?」
断ろうとしているのに、勢いに押されて会話が止まらない。
しかも二人とも悪意があるというより、その場の軽いノリで声をかけているらしかった。皐月はだからこそ、きっぱりと拒絶することができなかった。
「その、もうすぐ戻ってくるので」
「じゃあ彼氏さん戻ってくるまで少しだけ話そ?」
「ここ人多いし、向こう座れる場所あるからさ」
一人が自然な動作で通路の奥を指差す。そこはトイレの入り口の更に奥で、皐月にとっては踏み込めばもう戻ってこれないかもしれない未開の地。皐月は僅かに身を強張らせ唾を飲み込んだ。
皐月の脳内には断らなければという言葉が無数に溢れ、しかし初めての事態に口は閉ざされたままである。
「すみません、ですから――」
どうすれば切り抜けられるか適当な言葉を探しているうちに、男の一人が笑いながら距離を詰めた。
「そんな警戒しなくていいって。俺ら別に怪しくないし」
怪しい人間は大体そう言うのではないだろうか、と皐月はぼんやり考える。
「ほら、行こ?」
流されるままに手を掴まれかけて、半ば諦めつつ男の強引さに身を任せてしまおうとした。しかし次の瞬間。
「――おいサツキ!」
人混みの向こうから、聞き慣れた声が飛んだ。皐月が顔を上げるるとそこには、少し息を切らした弥生が立っていた。
弥生は状況を一目見て理解したらしい。表情を険しくしながら早足で皐月の元へ向かう。
「悪い待たせた。……で、あんたらは何してたんだ?」
男たちは一瞬だけ視線を合わせ、それから弥生を見た。
「あー、いや別に?ちょっと話してただけ。そちらこそ、友達?」
「ふん、そうか」
弥生は短く返すと、そのまま皐月の隣に並ぶ。そして、何の前触れもなく皐月の手を取った。
「行くぞ」
その言葉は妙に自然で、だからか皐月の反応がほんの少し遅れる。だが弥生は構わず歩き出す。ぐい、と引かれる感覚につんのめりそうになりながらも、皐月は置いていかれないよう足を動かす。
男二人も流石に皐月と弥生の間に流れるただならぬ空気を察したようだ。
「あ、もしかしてほんとに彼氏いた感じ?」
「……まあ、そんなところだ」
弥生は振り返りもせずに答える。
「じゃ、お邪魔しましたー」
軽い調子の声を背後に残しながら、二人は別方向へ去っていく。人混みを抜け、しばらく歩いたところでようやく弥生は足を止めた。
「……はぁ」
そして盛大にため息を吐く。
「大丈夫だったか?」
「は、はい。多分」
「何かされなかったか?」
「手は掴まれかけましたけど」
「嫌なことは言われなかったか?」
皐月はまだ状況を整理しきれていない様子で、繋がれたままの手と質問攻めに遭わせてくる弥生の顔を交互に見た。
「……彼氏って言ってくれました」
「言ってない。そういう空気を出しただけだ」
「でも否定しませんでしたよね?」
「その場で細かく訂正してたら余計ややこしくなるだろ」
そこまで言ってから、弥生はようやく気づいたように目を瞬かせた。――まだ手を繋いだままなのである。
「あ」
「……」
「いやこれは違くてだな」
慌てて離そうとした弥生だったが、その五指の拘束が解かれる前にサツキの方がほんの少しだけ握り返した。
「サ、サツキさん?」
「……もう少しだけ、このままじゃ駄目ですか?」
上目遣いでそう言われ、弥生の動きが止まる。そして数秒の沈黙の後。
「……五分だけな」
「はい。……これは助けてくれたお礼ですからね!」
「何も強がらなくても、怖かったんだろう?」
「違いますから!」
声を荒らげながらも、一方でその表情はというと複雑そうにしている皐月の手は、もうしばらくの間弥生の手の中に収まっていたのであった。




