1話 ふざけた始まり
少し不味いことになった。
俺の幼馴染として振る舞うことにしたらしい九条さん、もといサツキのことだ。
サツキはとてつもなく美人である。
それは新年度開始後数日で学年中に知れ渡ることになった。
情報が広まるのは早いものだ。
なのに、サツキの腰巾着だとか思われている俺のことを、皆は認めてくれなかった。
平穏な高校生活を、という俺の願望を周囲と環境が許してくれなかったのだ。
そこに嫉妬心があるというのはまあ、察しがついている。
何せサツキは俺としか話さない。
今のところ友人ポジションは俺以外受け付けていないらしいし。
今日も様々な野次と陰口が飛んでくると思うと憂鬱になる朝。
まだ教室には数人しかいない。
みな思い思いにスマホをいじったり、読書していたりする。
これだ、これこそが平穏だ。
俺の席は窓際で、勝手に窓を開けて心地よい風に当たったりして。
なんて、俺もそこに混じって束の間の平穏を楽しもうとした。
……だが、今まさに扉を開け放った張本人が、それを許してくれないのだ……。
「置いていかないでって言いましたよね?」
後ろの扉から入ってきたサツキはふくれっ面のまま俺の席に直行してきた。
一緒に登校すると種々の感情の籠もった目で見られるというのは、最初の二日程で学んだ。
それからは俺の妹に登校の付き添いを、途中までという条件付きで託し、俺自身は一足先に家を出ている。
「いや、だからな。 その、周りの目が……」
周囲が気になる、というのは俺のような年頃の男子にはありがちなことだ。
むしろ、そのことを存分に主張させてもらいたい。
辛うじて、ただの幼馴染であるという体裁が整えられているのが救いだ。
でなければ今頃は、殺意成分の含まれた視線によって、命を狙われるサツキよりもまず俺が亡きものにされているだろう。
案の定教室の左後ろで言葉を交わす俺たちを、何人かがちらちらと窺い始めた。
ただ入学したてなこともあって、そいつらの名前は知らん。
だからあまり情が移らない、という話だ。
「ですから、私はあなたと一緒に学校に来たいんですけど」
……なんてことをとうとう言い出したのだ。
名も知らぬクラスメートの視線は烈火のごとく燃え滾っていた。
端から見たらこの会話はリア充の痴話喧嘩に等しい。
要するに、それは入学早々成立したカップルへの嫉妬なのである。
それを理解しているのかしていないのか。
サツキにさりげなく迂闊なことを言うなと伝えても、首を傾げるばかり。
こいつ、鈍すぎて本気で分かっていないんじゃなかろうか。
どこぞのお嬢様だ、人付き合いのいろはを知らんのか。
しばらく宥めていると気が収まったのか、サツキは大人しく着席した。
まあこれも常態化しつつあるが、――俺の方を向いて。
窓際の俺の席。
窓から一列廊下側の、サツキの席。
その格好は、まさに全ての生徒に背を向けて俺だけを見ていたい、と言わんばかりの格好だった。
ついに耐えていた理性の堤防が決壊して、サツキの背中越しに怨嗟の波が襲ってきた……そんな気がした。
こんなことが毎朝起こるとなると先が思いやられる。
慣れてはきたが、嫉妬と憎悪の練り込まれた視線は痛いものだ。
こんなことなら、もういっそのこと一緒に登校してしまった方がいいのかもしれない。
吹っ切れてしまった方が楽になるかも、という悪魔か天使かの囁きが脳裏をよぎる。
少しでも穏やかな方向に進めるなら、できればそちらに流されてしまいたい。
……こんなつまらん迷いをする男だったのか、俺は。
――いや実際そうなんだよ、そうなんだけれども……。
向かい合わせに座ったサツキに話しかける。
「なあ、大変言いにくいんだが、……俺以外とは話さないのか?」
しかしこんな下手から提案したとて聞き入れてくれるだろうか、と思い直す。
どうせそうしたいからこうしてるんだ、だのこれは私の意思だ、だのあれこれ言って、のらりくらりと躱そうとしてくるに違いない。
下手ではダメだ。
「いや、少しは周りと話せ。 お前どころか俺の方が身の危険を感じる」
「私は、弥生君と話していれば十分ですよ? 楽しいですし。 だって一緒に住んで――」
「あーストップストップ!」
禁句を言いやがった。
それ以上話させれば、ついに俺の学校生活が身体的に破滅を迎えそうな気もする。
それに、お前は他の奴らに背中を向けすぎだ。
ちょっとは後ろを向いてみろ、と心の中で叫ぶ。
「とにかく! 俺以外に友達を作ってくれ!」
悲痛な俺の叫びも、首を傾げられて終わる。
「どうしてです? 必要ありますか?」
しかし、どうしてと言われても。
この状況をどう説明すればいいのだろう。
ストレートに、そうしないと俺が殺されるから、と言うべきだろうか。
それとももっと抽象的に、世界を守るためには必要だ、と言うべきだろうか。
答えは否、それらは普通の回答ではない。
冗談だと思われるのがオチだ。
求められているのは、納得に値する普通の回答。
「……それが、普通の高校生活だからだ」
「普通の」
俺は数秒かけてその答えを絞り出した。
その間脳内に血を何周も巡らせ、頭をフル回転させていたのは言うまでもない。
ただ、普通の高校生活を送るためには友達が必要、というのは極論だ。
なくても別に構わないというのが俺の持論。
しかし、俺の目の届かないところで孤高を貫かせるよりも、そこに誰か一人いてくれた方が世界滅亡のリスクが低くなるというものである。
割と個人的な打算もあるんだよなぁ、これが。
納得したのかしてないのか。
正確にそれを推し量れない、なんとも絶妙に神妙な面持ちで、サツキは小さく頷いた。
「分かった。 弥生君がそう言うなら、そうすることにします」
安堵したのも束の間、一時の平穏は粉々に崩壊させられることになった。
正確に言えば、サツキがヒヤヒヤさせられる行動をノータイムで繰り出して、不覚にも面食らったのである。
見事なまでに身体を回転させるそのさまは、スケート選手かモデルを彷彿とさせる装いだった。
かくしてサツキは俺の二つ隣にいる女子の机に、その両手を叩きつけたのである。
それはもう凄い音がした。
サツキの背中の向こうで、教室の数人が肩をビクッと震わせた程だ。
「私の友達になってくれませんか?」
言っていることと勢いの乖離が凄まじい。
これではたじろいでしまうに違いない。
でなくとも、俺なら初対面でこの相手は少し遠慮してしまうかな。
そう予想したのだが、うむ、予想はやはり当たらないものである。
予測という言葉を使っていれば、的中していただろうか。
「本当……?! 私、てっきり嫌われてるのかと……」
意外にも好印象。
仲良くなりたかったらしい。
「……それはどうして?」
「だって――」
そりゃそうだろう、聞くまでもない。
いつも背を向けられているのだから、そう思われても無理もない。
サツキ、お前はもっと周りを見たらどうだ?
俺ばかりではなく、ね。
頬杖をついて二人のやり取りを眺めながら、ひとまずサツキの成長を見守ることにした。
友達一号が誕生しかけている、記念すべき瞬間だ。
「ううん、大丈夫。 私の名前は一ノ宮美咲。 よろしくね」
「なら改めて、私は九条皐月です。 一ノ宮さん、よろしくお願いします」
口調が堅いし、絵に描いたような定型文。
一ノ宮の表情は複雑だ。
しかし安心しろ、サツキは出会ってからずっとこれなのだ。
丁寧語を欠いたことなど一切ない。
「えっと、下の名前で呼んでもいい……? 私も下の名前で呼んでくれると嬉しいんだけど……」
「ダメです。 サツキと呼ぶのを許せる人は弥生君だけなので。 代わりに、弥生君のことを下の名前で呼ぶというのはどうでしょうか?」
会話のキャッチボールを数回した後、こちらを向いてはにかんだ笑顔を見せるサツキ。
いやおい。
火の粉が俺にまで飛んできたぞ。
もしかしたら、この女はとんでもなくぶっ飛んでいるふざけた奴なのかもしれない。
「ねっ、いいですよね、弥生君?」
よくねーよ。
俺は仏頂面で頷いた。
さて、入学後数日で女子二人から名前呼びを確約された、滑り出し好調の俺。
巷ではこれを高校デビューと呼ぶのだろうか。
まあとりあえず、順風満帆な航海のスタートかに思われた。
それはその日の昼休みに起こった。
まさか一日も経たずに面倒事に巻き込まれることになるとは。
なんて宙空に向けてため息をつくが、やはり原因は全てサツキだ。
あーもう、くそが。
人の気配の皆無な校舎の端の廊下の壁にもたれかかりながらひとしきり悪態をつく。
そして改めて、俺の行く手を阻む二名の男子生徒に向き直る。
昼休みを潰された腹いせに仮称A、Bとしたいところだが、残念ながら彼らには多少の思い入れがある。
というのも、二人は俺が入学して最初に声を掛けた人物だからなのだ。
なので、一応彼らにもちゃんとした名前があるということを確認しておきたい。
一人目、Aの方は土佐という。
長身にして自称モテ男。
ある程度整った顔立ちではあるが、俺に言わせればそのような事実は断じて無い。
悪友になりそうな予感が漂っているのだけはどうにかしたいものである。
二人目、Bの方は更科という。
喋ったことはなかったが、中学が同じだった記憶があるので色々と分かる。
まず第一に、こいつはアホだ。
俺は何者かからの呼び出しを食らい、昼休みに学校探検を兼ねて徘徊していた。
するといきなり現れたこいつらに取り囲まれた、というのが現況である。
何を思っての蛮行なのか聞いてみると。
いや、聞かずとも、二人は勝手に喋りだした。
「桜木よぅ、お前九条さんと仲良いんだろ?」
「なあ聞きたいことがあるんだけど、大人しく教えてくれよ」
ということなのだ。
この友人たちにとっても、サツキという色眼鏡を通して見た俺はもはや、歪みまくって人ならざるものと化していたのである。
「なんの用だ、こんな僻地に呼び出して。 聞きたいこととやらを聞くだけ聞いたら帰るぞ」
「大人しく答えるところまでちゃんとやってくれよ」
「帰るまでが遠足だからなぁ?」
……急にどうした、としか返せない発言をした更科は、やはりアホだ。
現行犯逮捕でもしてやりたい。
そして声を掛ける相手を間違えたかもしれない、という後悔をしているのは俺だけではないらしい。
土佐の方も、その珍妙な発言に多少困惑しているのが見て取れた。
「聞きたいのは部活のことだよ」
「ほら、今日の六時間目に部活動の紹介冊子が配られるとか言ってたじゃん。 それで、ねぇ」
「それで、なんだ」
「その、九条さんがどこを選ぶのかなぁ、なんて」
胸の奥底に下心の塊しか無い、腹が立つほど照れている目の前の二人を見て、ここに来たことが心底馬鹿らしくなってきた。
本命の動向をその友人に聞く、というと、夏休みあたりから始まるイベントなのではないかと俺は勝手に思っていたのだが。
お門は違わないかもしれないが、これは少なくとも入学後数日にやる行為では無いと断言できる。
「俺もまだその情報は知らん。 そういうのはサツキ本人に聞いてくれよ……」
「じゃあなんだ、本人に直接確認しろとでも言いたいのかよ!」
これこそお門違いだという逆ギレを見せた更科とは、もう話さないことにした。
あと、俺が「サツキ」と口にした時に小声で「名前呼びだ」とか何とか呟き合ってるの、ちゃんと聞こえてるからな。
「あっ、あれ九条さんじゃない?」
「え、まじ?」
更科によると、サツキが近くに現れたらしい。
なんと都合のよいことなのだろうか。
望んで狙ったものを呼び寄せる特異な力はまさしく、逆案山子か逆てるてる坊主と同等の――いや、流石に偶然か。
「弥生君じゃないですか! そこのお二人は友達の方ですか?」
土佐と更科の陰に隠れていたはずの俺を見つけ出したサツキは、何を思ったか走り出した。
この時俺は、サツキの選ぶ部活のことよりも、サツキが転んでそのまま死亡した場合世界がどのように滅亡するかについて、頭の中でシミュレーションをしていた。
確実に今考えることではない、と俺の理性は言っているが。
この場合、本当のアホは俺と更科、どっちなのだろう……。
「ああ、うん、友達」
ひとまず俺はサツキに答える。
「何だよその適当な返事は……っと、これは失礼。 僕は土佐、そしてこっちのパッとしないのが更科。 どうぞ今後ともよろしく」
「弥生君、この土佐さんという方、愉快な人なんですね」
愉快とか言われてやんの。
残念ながら、ファーストインプレッションでは屈辱的な敗北を喫したようである。
更科の印象を落とそうとするからだぞ、土佐。
「えっと、この二人がサツキに聞きたいことがあるらしくて」
「そうそう、そうなんですよ。 皆に聞いて回ってるんですけど、九条さんはどの部活に入りたいのか、なんて……」
土佐のこの平身低頭具合。
溢れ出る小物感。
友人として実に不甲斐ない。
こういうのはストレートにバシッと尋ねてしまえばよいのだ。
目指すはキャッチャーミット、一直線。
「私、ですか? どんな部活があるのかは知らないんですけど、とりあえず――」
「「とりあえず……?」」
何となくそこで間を取るサツキのやり方が、少し小狡く思えた。
手玉に取られている二人が可哀想だな、とも。
「とりあえず、弥生君と同じところに行こうかなと」
「「やよいくぅ〜ん……」」
廊下に情けなく響いていく声に、昼休み終了五分前を告げるチャイムの音が重なった。
さてさて、肝心の六限目のことである。
俺の決定が他三人の入部方針を左右するというのがなんとも言えず、冊子が後ろに回され始めた時には、いっそのこと適当に開いたページで即断してしまおうと思い始めていた。
横のサツキの様子を見ると、ソワソワして浮かれているのがすぐに分かった。
というか、分からないことの方が至難の業だろう。
この瞬間を取り上げた番組を作るなら、タイトルは「はじめての部活動」とでもしようか。
「弥生君、弥生君はどういう部活に入ろうと思ってるんですか?」
「そうだなー、汗はあんま流したくないから文化系の部活がいいなー」
まあどうせ適当に決めるんだし?
言ってもしょうがないと思うけど?
と後ろ暗い言い訳を心の中でしながら、前から送られてきた部活動紹介冊子を受け取った。
「いま回しているのは入部届だ。 仮入部もしたいだろうし、いつ出して貰っても構わない。 決心できたら、記入事項を埋めて私のところまで持ってきなさい」
担任の女教師の声が響く。
「いつでも、ということは弥生君が今決めたら、私もすぐに出すということになるんですね?!」
「それは好きにしたらいいんじゃないか?」
ここまで言われると、むしろ兄を慕いまくる妹のように感じてくる。
しかしうちに妹は一人で十分だ。
さて、目の前にいる妹と今頃中学で友達作りに励んでいるであろう妹と、どっちを選ぼうか。
……血縁関係のある妹の方、と即答できない自分がいることに、俺は小さくため息をついた。
では運命のジャッジングタイムに入るとしよう。
適当に開いたページの部活に入るというのは、流石にギャンブルが過ぎる。
文化部が望ましいというのは一応本心なのだ。
ここでバスケ部とか引いてみろ、即刻ターンエンドだ。
ここで折衷案。
一旦全ての部活を確認してから、何種類かに目星をつけて後は適当に決める。
適当に決める要素はどうしても外せないので、これが今の俺にとっては最善。
というわけで早速、冊子をペラペラめくっていくことにした。
とんでもない速さでめくられていく紙に目を輝かせるサツキ。
命運は俺に握られているとは言え、もう少し自分の冊子も見たらどうだろうか。
「……ん、この部活は」
ビビッときた。
世の中には運命というものが本当に存在するようである。
運命の人は見て分かる、と言うが、俺の目は運命の部活にまさに吸い寄せられていた。
ペラペラめくっていた手が止まったのを見て、サツキはどこか嬉しそうである。
俺にすべきことはこの結果をいち早く伝えてあげること。
入部届にその名前を書き写し、そして提出した。担任は目を丸くしていた。
「どの部活にしたんですか?」
サツキがルンルンで聞いてきたので、俺は答えてやった。
「――普通部」
サツキが入部届を出しに行くのを見て土佐と更科がこそっと席を立ってこちらに来たので、教えてやった。
「九条さんは何と?」
「――普通部」
……。
後に聞いたところによると、今年度の部員は計二名になる予定だったそうだ。
しかし、俺のせいか俺のおかげか、四人もの新入部員が現れた。
部員数三倍、新生普通部の爆誕である。




