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SS サツキのいない帰り道

 サツキが珍しく、放課後は図書館で勉強すると言い出した。俺の知る限りでは初めてのことだ。そこまで勉強熱心だったのだろうか、と思い返すが。


「明日抜き打ちで小テストあるらしいですね」

「いやどこ情報だよそれ。出回ってたら抜き打ちじゃないんじゃねぇの」

「先生ご本人がおっしゃってました」

「おう、じゃあサツキは自分の発言を訂正すべきだな。まず抜き打ちじゃなくて、後はらしいってのが噂っぽくて嫌いだ。情報を確定させてくれ」


 そういえばこんな会話を昼休みにしていた。だから今頃は学校に併設された図書館の一角でノートでも開いているのだろう。女子のコミュニティに所属していれば対策女子会を開いていたのだろうが、残念ながらそこまで人間関係に気を遣う性格でもあるまいし。多分一人なんだろうな。――今の俺と同じか。


「えっと、では訂正します。明日小テストが行われると先生がおっしゃっていました」

「おう、そうか。ちなみに俺は知らなかったんだが、いつそんなこと言ってたんだ?」

「直接聞きに行きました」

「……先生絶対デレて口滑らしたな」


 こっちの方は余談なのだが、昼休みにそんなこともあって、今必死に勉強をしているのはおそらくサツキくらいだろう。他は多くがのほほんと部活に打ち込む者か、あるいは普通部が無くて落胆した俺のように足取り重く帰路につく者であろうし、明日はきっとサツキの一人勝ちだ。


「じゃあ俺はどうするかな……」


 もともと普通部に顔を出す予定ではあったので、その場ではひとまずそっとしておくことにした。しかし別棟の入り口の鍵はしっかり閉まっていて、図書館にまた戻るのも何か抵抗があり、今日だけは見逃してくれと天を仰ぎながらこうして校門を出たのだ。

 まあ、図書館という場所は基本的に静寂を尊ぶ空間であり、わざわざ付き添う義理なんか更々ない。俺が行くことでサツキの勉強の邪魔になってはいけないしな。

 というわけで、適当に時間を潰すことにしよう。



 ただでさえこんなに早く帰る生徒も少ないのに、一歩踏み出すごとにどんどん周囲から人が減っていく中、気ままにぶらついていた俺が辿り着いたのは近所の公園だった。

 規模は控えめで、奥ゆかしいくらいだ。と言っても家と家の間に出来た空き地に土管を置いた空き地としか形容できないような代物ではなく、ブランコと滑り台と名前は知らないが上に乗って揺れて遊ぶ遊具くらいは置いてある。

 まだ早い時間帯のせいか他に子供の姿もなく、風に揺れる木の葉の音だけがやけに耳に残る。


「……たまにはこういうのも悪くないな」


 ベンチに腰掛けぼんやりと空を眺めるうちに風に当てられて眠気を誘われ、うとうとと昼寝をしてしまった。高校が始まってもう十日と少しになるが、にしては色々あり過ぎて疲れていたのだろうな、きっと。

 目が覚めた頃には日もかなり傾き、体感では一時間くらい寝た気もした。お陰で快眠である。


 暗闇から光の中に放り出されたばかりの目で辺りの視覚情報を収集する。逆光が眩しくて薄目になりながら、太陽を避けて視線を下にやると、すると視界の端で何かが規則正しく動いているのが見えた。


「……アリか」


 よく見るとそれは一本の線のように連なっている、アリの行列である。木の根元から伸びて、ベンチの前を横切る行列。せっせと食事を運んでいる様は実に健気である。木の根元には公園の先客の落とし物らしい一塊のパンがポツンと置かれており、第一発見者――いや、第一発見アリにとっては途轍もないビッグサプライズであったはずだ。

 なんて、そんなことを考えていると。


「あー、あれは……塩野か?」


 太陽光をモロに浴びてまだ視界の中央がチカチカする中アリの行列の先を視線で追うと、地面に座り込む教室で見慣れたある男子の姿があった。


「何してんだお前」


 声をかけると塩野はゆっくりと顔を上げた。


「あ、桜木くん起きたんだ!前もこんな感じだったことあったね!」

「お、おう。そうだな」


 起きた、ということは割と前からそこにいたということだろうか。割と前からそこで……、そこで…………、


「そこでうずくまって何をしてたんだ?本当に」

「やだなー桜木くん、何ってアリの数を数えてたんだよ。見たら分かるでしょ?」


 ――なんのために?!あと膨大な数のアリをどうやったら数える気になるんだよ?!見ても理解できねぇよ?!


 こほん。少々取り乱してしまった。

 しかし、塩野がこんな奇行に走る人物とも思えない。何かもっともらしい理由をつけて解釈したいところだが……。


「ああそういうことか、お前もこっち側だったのか。今日部活が無くて暇すぎたからそんなことを……」

「部活はあったよ」

「え」


 待て待て、じゃあ硬式テニス部は今日練習があったが塩野の口ぶりから言うとサボ――


「いや、体調不良とかか?まあうずくまってたんだし、しんどいなら無理せずすぐ帰るんだぞ」

「サボっちゃった」

「サボりじゃねぇか」


 もう俺は駄目かもしれない。こんなに大したことないことなのに、意味が分からなさすぎて頭がパンクしそうだ。もういっそ考えるのを放棄したい。

 塩野は気にした様子もなく、再び視線を地面に落とした。


「アリの数って言ったけど、正確にはあのパンの減り方を見てるんだ。減り方が激しいほど食糧が必要とされてるってことだからね。それで巣の規模を概算しようとしてるんだけど……」

「ちゃんと数えてんのか?」

「もう諦めちゃった。アリって多いんだねー」

「多いんだねー、じゃなくて。部活はいいのかよ、部活は」


 塩野は対して、不思議そうな顔で俺の詰問を迎え撃つ。


「桜木くんこそ、部活行かないの?……なんて」

「おいちょっと待て。俺は別に部活に入っていないわけではないんだが」

「いやいや、別に部活に入ってるのを知らないんじゃないよ。九条さんから聞いてるし」


 これまた不思議な、というか複雑な気分だ。こんなところで塩野の口からサツキの名を聞くとは。ずいぶん仲が良いようだが、俺への当てつけか何かか?


「普通部、今日は休みなのかなーって思って」

「んん、ああそうだが」

「九条さんは?」

「今日は図書館で勉強、だそうだ」


 ここまで聞いててっきり塩野はサツキのことを追いかけてきたのかと思ったのだが、サツキがいないと聞いて小さくガッツポーズを作った塩野の姿を見て、俺はやはりますます理解が追いつかなくなったのだった。

 引き続きアリの行列の観察する塩野を見て、今度はこちらからも何か聞いてやろうと思った。


「そうだな、聞きたいことは山程あるんだが――」


 だが聞くなら最初はまずこれだろう。


「お前、たまたまこの公園に来てそれ始めたのか?」


 つまり、何のために部活を休んでまでここでアリの観察をしているんだという至上命題である。その解の一つの可能性を潰し、あわよくば正しい解を話してくれば助かるんだが。

 塩野は一瞬答えるのをためらう素振りを見せてから、勢いよく顔を上げて言った。


「うん!」

「それ元気に言うことなのか……?」


 しかし、となると塩野はたまたま部活を休み、たまたまこの公園を訪れ、そしてたまたま俺と出会ったということになる。……これは果たしてたまたまだったのだろうか。


「なあ、塩野。これって、日課……なのか?」

「これが初めてだけど」

「初めてかい!!」


 くっ、調子が狂う。普段出さない大声を出してしまうのは俺が寝起きだからか?それとも塩野に出すよう仕向けられている……?まさかそれが狙いなのか……?いや、それこそ何のためにだが。


「でもすごいんだよ」


 静けさが戻った後、塩野は寂しそうに語り始めた。


「アリって、自分の体重の十倍持ち上げられるんだって。こんな小さな身体でこんな大きな物を持って、巣のみんなのためにきっと一生懸命頑張ってる。それを健気で済ませちゃうのは可哀想だなって思って」

「なるほど」

「こんな、気に留めなければ踏んづけちゃいそうなアリの行列だけど、パンの小さな欠片よりもきっと大きなものを背負ってるんだ。それって、巣丸ごとだったり、コロニーのみんなの命だったりするんじゃないかな」

「急に深い話だな」


 自分が語り過ぎたと気づくと、塩野は感傷的になっていた自分を追い出して慌てて謝罪に移る。……というのは塩野の真剣な顔に見惚れながらぼんやりと聞いていた俺には、ただそう見えたというだけだ。


「えっと、ごめん!わけのわかんないことをいっぱい喋りすぎちゃったね!じゃあ僕もうそろそろ行くから!」

「っておい、数える話はどうなったんだよ」

「じゃあね!」


 待て、と俺は咄嗟にベンチを降りて腰を浮かしかけた塩野の肩を掴む。塩野はその肩をびくっと震わせてから振り向いたのだが、夕方だからかその頬は赤く染まっているように感じた。

 何だかそんな気がして思わず視線を落とすと、一匹だけ行列を外れてフラフラと迷子になるアリが目についた。一度俺の靴にぶつかって飛び退ったが、その後すぐに戻るべき列を見つけてそのまま巣に戻っていく。


「……まあ」


 俺は地面に腰を下ろし、少しだけアリの行列を眺めてみて、そしてこう言うのだ。


「たまには数えてみるのもありかもな」

「――アリだけに?」

「やかましい」


 夕日が差し込み始めカラスの鳴き声のする、しかしそれでも春をはっきりと感じることのできるこの公園には、俺たち二人の笑い声だけがただただ響いた。

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