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12話 秘密の相談

 無邪気な笑顔というのは見てるこちらの気持ちも和ませてくれる、凄く気持ちのよいものである。サツキはさっきまでの曇った顔が嘘のように晴れやかな表情でテニスを楽しんでいた。


「あっ!ごめんなさい打ち損じましたっ!」


 フレームに当たって勢いを失った球がヘナヘナと地に落ちる。それでもギリギリコートの中には入っており、なんとか追いついた頃には二バウンド目が終わっていた。


「はぁっ……しんどー……」

「すみません、体育で選択しているんですけどラケット競技がどうも苦手で」

「……それはいいんだけどな。サツキ、悪意あっただろ?」

「ないです。苦手なだけです」

「苦手だからあんなに左右に振れるのかよ。まじしんど……」


 確かに持ち方打ち方そのものはテニスをかじり始めた初心者のものだったが、如何せんコースが良すぎたのだ。右に左に前に後ろに動かされまくって、加えて俺はサツキの打ちやすいところへの返球を心掛けているものだから、俺だけがどんどん消耗していくラリーだった。


「そもそも緩いラリーだって話だったのに、たまに良い当たりのボールが飛んでくるし」

「ありがとうございます、それは完全に私のセンスですね!」

「褒めてねぇよ……」


 まあ、サツキに運動におけるセンスがある程度あるってのは認めざるを得ないがな。そして世間一般の人はこれを運動神経が良い、と呼ぶ。


「悪いが俺はちょっと休憩だ」

「え〜?もう終わりにするんですか?」

「まあ、俺がぶっ倒れるわけにはいかないしな」

「――ついさっき始めたばかりなのに?」


 こういうところでは変に意地を張るサツキである。休憩すればいいところなのに、何を思ったか駄々をこねて引き留めようとしてくる。


「あのなあサツキ、俺は今本当に運動不足を痛感してるとこなんだ。頼むから休ませてくれ。それに待ってる人もいるしな」


 テニスコートを仕切る網の外には待機中のカップルが一組。その姿を確認すると、サツキは渋々ラケットとシューズを棚に戻しにいった。


「さて、次はどこに行こうか。バドミントンか卓球あたりが良さそうなんだが」

「ぐぬぬ、もう少しテニスしたかったんですけど……」


 わざとらしく悔しがるサツキを横目にそそくさと足を運ぶと、彼女は駆け足で俺を追ってきた。それを見る限りは機嫌も上々で、元の調子を取り戻したようだった。


「ところでこれはどういう心境の変化なんだ?テニスで気が晴れたのか?」


 改めて聞くのは野暮だなと思いつつもその理由を聞いてみる。しかしサツキはただ首を傾げるだけ。


「あ、いや、さっき元気が無さそうに見えたからさ」

「……そうですか?」


 そしてサツキはすぐに前の言葉を言い直した。


「私、そんなに元気なさそうに見えましたか?」

「ああ、俺にはそう見えた。というかあれは明らかに落ち込んでいたが、違うのか?」

「落ち込んではいなかったんですけど、ええっと、実はですね……」


 サツキが自分の身に何が起こったか説明しようと口を開き、俺がそれを聞き入れる心の準備を終えた丁度その時である。背後からその人物が現れたのだった。


「あ、いたいた。急にどっか行っちゃうから心配したよ」

「長久手。小牧だけしか連れていないようだが他の奴らはどうしたんだ?」

「僕らも二人だけで抜けてきた。君たちを探すためにね。でも仲良く二人一緒にいて無事なら杞憂だったみたいだ」


 キザは漢字で気に障ると書くらしいが、それはともかく長久手の態度はまさしくキザである。この思わず眉をひそめてしまう何とも言えない感覚を俺に与えつつ、彼は踵を返すのだ。


「行こう、椿。九条さんもおいでよ、バスケは楽しいからきっと九条さんも楽しめるよ」


 何をつまらんことを、と思いながらも釘を差されているような気がして、非常に癪なのだが仕方なく長久手の後に従うことにした。まあとはいえ、長久手の言うように皆がバスケをして楽しんでいる中ほっぽり出して違う遊びをするのも罪悪感はあることだし。


「ひとまず戻るか、サツキ。バドミントンもどうせ後で出来るだろうし」

「……ですね」


 何故だろうか、サツキの表情には再び翳りが戻った気がした。



 そういう訳で引き続き様子のおかしなサツキの姿が見られるようになったのだが、どうもそのことには長久手の存在が関係しているらしいと、一歩引いて観察していてなんとなく察したのである。

 長久手の方は距離を少しずつ詰めようとし、一方でサツキは無口を増やしてコミュニケーションを絶とうとする。これが心の声も実体化して見える文字通りの心理戦ならば、火花が飛び交うほどバチバチにやり合っているのは間違いないだろう。


「さて、どうしたものか」


 二人の様子を見ていると見れば見るほど俺の立てた仮説の裏付けが気持ちいいほどに次々進んでいくので、もう原因究明に乗り出さなければならなかった。動きがあるまで待つフェーズはとうの昔に過ぎ去っていた。


 ひとまず共通理解としてあるのは、この状況は放置していて少なくとも物事が好転することはないということだ。さっさとテコ入れせねばなるまいが……。


「聞くか?ひとまず何があったか聞いてしまうか……?いやしかし」


 もし俺の立てた仮説が正しいとして。――正しいとして、だ。二人の関係性に人に言えないような秘密の何かがあったのだとしたら、これは俺という一個人が簡単に介入してはいけない非常にデリケートな問題である。いくら俺がサツキを守ろうと気負っているとしても、人間関係にまでとやかく口を出すつもりはない。ないのだが……。


「ひとまずサツキに聞くか。聞かなければ何があったかなんて知る機会も無いんだしな」


 知らなければそれがあったかどうかなんて分からない。後悔は事が済んでからでも遅くない。そんな教訓を俺は先日、ネットで調べたシュレディンガーの猫から学んだ。

 ――まあ、真に学ぶべき点はそこには無いともちろん理解している。これは例えるなら、アリの行列を見て働きアリの数から巣全体の個体数を概算するよりも先に、食べ物を運ぶアリたちを健気と思うようなものだ。そんなことを考えている奴はいないだろうがな。


 ところがいつ本人に訊ねようかタイミングを窺っていたところ、俺が声をかけるまでもなくサツキから話があると切り出された。


「……ならこんなとこで話すのもなんだし、ちょっと外に出るか。ああ、悪いが小牧、そういうことだから」

「ん、オッケー」


 俺たちがこの施設に入るために購入したのは二時間パスだったが、能力を失うまでまだ半分ほど時間が残っている。全く遊び尽くせていないし、テニスだって試合とかもしたかったなぁと口惜しい思いではあるが、サツキが自ら願い出たことなのだ。それで、もし話とやらが終わって時間が余っていたら、戻ってこようかな。


「なあ小牧、この券って再入場できるやつか?」

「当たり前じゃん。――あ」

「どうした?」

「あーいや、なんでもー」


 急に挙動不審になり始めた小牧に見送られ、俺はサツキを連れて外に出た。


 ――しかし、話ってなぁ。サツキからそう切り出されたはいいが、……いや、良くはない。なにせサツキに裾を引かれて付いていったのだが、普通にショッピングが始まったのである。俺はどういう気持ちでこの買い物に付き合えばいいのだろうか。


「ん?服、買うのか」


 一切の迷いなく入っていったのは大手の洋服店である。


「こっちでまだちゃんとした私服を持ってなかったな、と思いまして」

「確かに。サツキの服ってそういえば、制服とそれと寝間着しかないよな」


 それも、俺の家に移り住むことが決まった翌日の朝、玄関の前に紙袋に入って置かれていた怪しい代物なのだ。サツキ本人は自分の服だと言っていたのでそのまま持って入ったが。

 そういう訳で外に着ていく用の、まあ普段着というやつはこれ一着しか持っていなかったのだ、そういえば。


「何か買わないと、と思いまして。せっかく来たんですし、ちょうど良かったです」


 しかしどうして急にそんなことを思い立ったのか。今まではファッションなんざ無関心、という姿勢を貫いてきたのが俺の勝手な印象だ。加えて俺が今サツキの着ている服が光に当たっているのを見たのは指で数える程だ。帰ってもしばらくは制服で、晩飯の前にはいつの間にか寝間着に変わっていて、寝る前には洗濯機から制服を取り出して干しているのが日常だ。


 ……こうして考えてみると、もしかしたらサツキは家では結構ヤバい奴なのではないだろうか。まあこんな思いを抱くのも今に始まった話ではないが。

 とは言っても、寝間着も中々ラフで美少女九条皐月のルックスに恥じない洒落た服であり、一着しかないとは言えども見飽きたりするものではない。だからこそ、今の今まで寝間着が一着しかないということを失念していたのだ。


「もしかして寝間着――」

「いえ、出掛ける時に着ていく服を」


 ふむ、寝間着は一着でもいいということだろうか。出る前に妹の六華が慌てて洗濯機にぶち込んでいるのは知っているんだろうな?


「悪いことは言わん、寝間着も買っておけ」

「なるほど、確かにそうですね……」


 関心するのは結構だが、俺はむしろ完全に忘れていた風な装いだったことに衝撃だぞ?これは六華のためにも良いことを助言できたということだな。


 サツキが女物の服を色々と物色するうちに一つの閃きが、冬の終わりのある日咲いた花を見つけた時に感じる春のように、唐突に訪れた。


「もしかして長久手になんか言われたのか?」


 ふと口にしたその言葉の返答は、俺を背にしたサツキの沈黙であった。どうやら図星であるらしい。

 ここで俺が咄嗟に発した心の声は、十割増しくらい大げさにするとこんな風になる。


 ――え、マジ?!あいつになんか言われた?!だから機嫌良くなかったんだ?!


 今祈ったとて仕方のないことではあるが、長久手の言ったことが悪い知らせでないことをとにかく願うばかりである。

 そして沈黙の中、サツキは口を開いた。

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