10話 ふたりきり
「当たっちゃったね、桜木君」
各自グループごとに解散して昼時に再集合することを確約した上で始まった自由行動の時間である。この二時間ほどは必ずグループのメンバーと過ごさなければならないという、自由という名がつくにはやや不自由なこの状況ではあるのだが、それもそうだろう。
「改めてって感じだけど、私は小牧椿。よろしくねー」
――俺が、サツキ以外の女子と二人きりのグループを組むことになったのだから。
小牧という女子とは何気に今回が初絡みだ。それに加えて二人っきりというシチュエーション。緊張しないなんて言えば嘘になる。俺の女子耐性はサツキで存分に鍛えられたと思っていたんだがな。
それに、思えば女子とちゃんとした絡みをするのもそもそもサツキが初めてだったような気がする。中学時代は女子に碌な友人がいなかったし、小学生の時はノーカンだ。
ところで近頃はキラキラネームというものが流行っているらしい。キラキラ星みたいで可愛いネーミングだと思うのだが、その中身は世間的にはアウェイ寄りなのだという。キラキラネーム持ちには出会ったことは無いのだが、一応確認のため小牧に聞く。
「ツバキって、あの椿か?」
「あ、漢字分かんなかった?ごめん今見せるね」
……そうじゃない、別に木偏に春と書いてツバキと読むこと自体知らないわけじゃない。むしろそれはポピュラーレベルの漢字知識なのではないか。
見くびられては困る、と半ば幼児の献身を見守るような心持ちで、何かをしようとしている小牧を待った。手提げカバン――いや大きさ的にポーチというべきか、やがて彼女はそこからメモ帳を取り出した。その表紙に書かれた文字を指し示そうとして、だがすぐにあっと小さく息を漏らす。
「そうだった……。私の名前の椿って本当は漢字で書くんだけど、書くの結構かかっちゃうからカタカナでやってるんだよね」
「何の配慮かは分からんが、ツバキの漢字くらい大体皆知ってるぞ。でも椿って、割と書くの簡単じゃないか?」
小牧は無用の心配をしてしまったことに気付いて赤面しつつ、俺の問いかけに答える。
「まあね。画数多いわけじゃないし」
「じゃあなんでだ?」
「それはね、私結構漢字書くの苦手だから。簡単なのは綺麗に書けるんだけどね……」
小牧は自分の漢字が苦手という話に言葉を濁す。だが小さめで丸みを帯びたそのメモ帳の名前の文体からは、書くのが苦手そうな雰囲気は感じ取れない。
「いやそんなことは――まあ、確かに」
「確かに?!」
「いや、よく見たら修正テープ使ってんなと思って」
「あ、バレちゃった?目ざといねー」
よく見たら、本当によく見たらだが、白地の表紙にはバレないように修正テープが乱用されていた。すなわち納得のいく文字が書けるまで何度も書き直したのだろう。
「ってか横から見たらちょっと小高くなってるし」
そして何層にも重ねられたテープはこんもりと、平らな面に僅かな段差を作っていた。これでは目ざといどころの話ではなく、よく見なくても修正テープを使ったのは明らかである。
くすっと笑った小牧を見て、俺も思わず漏れ出るような笑いをこぼしてしまった。長久手の仲間というのだから内心身構えていたのだが、まあまだ名前のことについて少し話しただけなのだが、食わず嫌いも良くないなと俺はやはり思うのだった。
こうしてどこに向かうか定まらぬまま歩き始めた俺たちだったが、お互いにどこに向かうか明確なビジョンもなく、更には何があるかすら知らないということが判明した。
「結構時間はあるが、手始めにどこに行くつもりなんだ?」
「そうだねー、どこ行く?私来たの初めてでさー」
「奇遇だな、俺も初めて来たんだ。だからどこに行けばいいのかとかさっぱり分からん」
なんて言うものだから、改めて自分たちの立ち位置というものを再確認する。言ってみればその立ち位置というのはつまり、どちらもトコシエモールという見ず知らずの大海にほっぽり出された似た者同士。俺たちは広い通路の真ん中で高笑いし、意気投合したのだった。
「――何それ、超面白いじゃん!トコシエビギナー同士が組まされちゃったってこと?運命の神様も意地が悪いねー」
トコシエビギナー、なんて名前がつくほど大したものなのかは知らんが、俺たちがトコシエビギナーであるのは確かに間違いないな。
「一応何があるかは調べてきたんだがな。こうして女子と出歩くのも初めてだし、どう好みに合わせたらいいか分からん。行きたいところがあれば行って欲しいのだが」
「えー?意外だねー。九条さんと遊んでるのかと思ってた」
小牧は大げさに声を上擦らせて言う。
「そうは言うが、サツキと出会ったのも高校に入ってからだしな」
「そうなの?!ならめちゃくちゃベタ惚れじゃん!一目惚れってやつだよ!」
「そんなんじゃない。これにはお前の想像してるより複雑な事情があってだな……」
複雑、か。そうは言うが、中身はいたってシンプル。世界滅亡の可能性をはらんでるから目が離せないっていう、ただそれだけなのだ。だから、小牧が頬を紅潮させて想像しているような関係では決してない。これだけは確実に言える。
「そうなの?…………そうなんだねー」
小牧はニマニマと不敵な笑みを浮かべて俺を見つめる。別にそんな顔してもボロは出さねぇしそもそもボロもねぇぞ、と思いつつ、大幅に脱線した話の軌道修正に乗り出すことにした。
「んで、まずどこに行こうか。決めてくれるとこちらとしても助かるんだが」
ちなみに俺の今考えたプランとしては、ゲーセンで手をコインの金属臭さにまみれさせてから時間が来るまで喫茶店で時間を潰す、というのがある。滅多に寄らないゲーセンを知るいい機会だと思ったのだ。ただこれはよくよく考えると自分のことしか考えてないプランニングだし、小牧が行きたいところがあるならそれを採用してしまった方が話が早い。
まあ、当初は安直に映画でも観ようかと思っていたが、長久手の話を聞いていると時間も割とカツカツのようで候補から外さざるを得なくて、結局人はこの状況をどう楽しむのだろうと思考が堂々巡りになるのだった。
「私も実はあんまし考えてなかったんだよねー……。特に買いたいものもないし、ひとまずゲーセンとか行っちゃう?」
小牧の口からゲーセンという言葉が飛び出して、俺は内心小躍りした。
「奇遇だな。俺も行こうかなと思ってたんだ」
「へぇ、それは奇遇だねぇ」
「じゃあ決まりだな。時間が無くなる前に早く行こう」
こういう明確にやりたいこともない時、人の考えは大抵同じルートを辿るらしい。今日のような場合は、まずゲーセン。ゲーセン目指して歩いていると、男子二人女子一人の三人グループが遥か先を進んでいるのが見えた。つま先は俺たちと同じ方向を向いている。
下手に顔色窺って悩むよりも、直感的に真っ先に思いついたことの方が意外と民意だったりするものだ。
「……別にお世辞で合わせてくれなくてもいいのに」
特に話題もなく黙々と歩く中、小牧はそんなことを呟いた。
「よっしゃまた勝った〜!この手のゲームには弱いんだねぇ桜木クン?」
「チッ、うるさい」
「あれあれ、怒っちゃった〜?まあ負けっぱなしだったしねぇ」
「ぐっ……お前そろそろいい加減に……」
なんて言いながら、俺は存外小牧と二人で対戦ゲームをするこの時間を楽しんでいた。まあ戦績はほぼ黒星なのだが、レースゲームに格闘ゲームに新しい世界も見せてもらったことだし、中々楽しませてもらった。
しかしふと思ったのだが……。
「にしてもやけに上手いじゃないか」
「おおっ、切り替え早いね」
「茶化すなよ」
小牧はボタンを無意味に何回も押しながら隣で肩を竦める。
「最近はしてないけど昔ならちょろっとやってたからねー。体が覚えてたってやつ?」
「スポーツと楽器以外でその言葉聞かねぇぞおい」
「じゃあ今言ったから聞いたんじゃない?」
上機嫌の小牧は屁理屈をこねる。ただこんな軽口の叩き合いも、何もかかっていない分まだ可愛らしいものだ。
「でも昔といっても、そう大昔ではないのだろう?せいぜい五年くらい前だろうし」
一年に一回するかしないかの縄跳びで未だに二重跳びができるのはそういうことなのかもな、と俺は言いながら関係のない適当なことを考えていた。
「ううん、小学校低学年の時。死んだおじいちゃんがよくレトロゲームばっかり置いてるゲーセンに連れてってくれてね。対戦によく付き合わされたけど、あれは楽しかったなー……」
「……急に重いな。なんか、すまん」
立ち込める重苦しい雰囲気。隣では小牧が感傷に浸り始めて、不味い話題を口にしてしまったと後悔の念が生じる。
だが小牧は慌てて手を横に振って釈明をした。
「いや、ウソウソ、今のナシだから信じないでね」
「嘘?」
「実はその後にもゲーセンには行ってるから、それっきりじゃないよ」
小牧の発言は嘘ではあったが残念ながら祖父の死に関しては事実であったようで、そこを最も否定して欲しかったと期待外れのネタバラシに文句を言った。もちろん心の中で。
そして小牧もネタバラシで空気が良い方向に変わると思っていたのか、あまり効果が出なくてしょんぼりしていた。
「っと、重い空気のとこ悪いんだが――」
無理やり話題を作ろうと思い、上唇を舌で一度濡らした後俺は口を開く。
「さっきの話はどうなってる?」
「さっきの……って何?」
「俺が五連敗したらクレープ奢るって話だ。今四連敗してるだろ?俺としてはここらへんで逃げたいんだが」
それは俺でも何とかプレイできたクレーンゲームからこの対戦ゲームに移る時にした約束である。あの時の俺はまさかここまで敗北を重ねるとは思ってもみなかったので、五連敗すれば何か奢ってやると豪語してしまったのである。まあ奢ることに抵抗は無いのだが、有耶無耶にできるならしたいものだなぁ、と思ってはいる。
「何言ってんの!ラスト一戦やるからね!」
さっきまでの空気とは一転、勢いよく立ち上がった小牧は笑顔で次はどこにしようかな、とゲーセン内を見て回り始めた。気分は晴れたらしいし、あるいは勝手に俺が死という文字に敏感になって気負い過ぎて、勘違いしていただけかもしれない。何にせよそのことはもう解決しており、ほっと一息ついてから俺は小牧の後を追った。
「髪、染めてるんだな」
そう切り出したのは、二人分のクレープを買って、待っている小牧に片方を手渡してからだった。
「あ、分かっちゃう?……まあこれくらいあからさまなら分かっちゃうかぁ」
彼女はあっさりとそれを肯定し、自分の長すぎず短すぎない仄かに青く染まった髪を確認しだした。
同じ学年にも確かに髪を染めている者はいたし、廊下ではたまに金髪とすれ違ったこともあった。髪を染めるということ自体にとやかく言うつもりはないし、一面黒一色なんて味気なさに落ち着くよりも時折赤や黄が混ざっているのを見たくないかと言われれば嘘にはなる。ただ、小牧のは青だ。むしろ青というよりは藍。じっくり見なければ染めていることも分からないし、染めても気付かれなければ意味ないんじゃないか、とふと疑問に思った。――こんなことを直接聞けば普通に怒られそうだな。
「高校デビュー的な?」
「ううん、染め始めたのは中学の時、かな。だから中学デビューで、むしろ今は落ち着いたのかな?」
「一足早い垢抜け、か。――使い方合ってるかは知らんが」
「いやそんなんじゃないって」
しかし少々意外だ。小牧の髪色は暗い色というイメージがついてしまって、これ以上明るい髪の色を想像できない。口ぶりからして中学時代は金髪とかだったのだろうか。まあ、口調にはギャルさの面影や残滓が残っていないこともない。
何にせよだ。外見が印象のほとんどを決めてしまうと言われているこの時代、一度ついたイメージは変えることが難しい。彼女の中学時代の写真でも見せてくれればそれも壊すことができるのであろうか。髪を染めるという覚悟も、それに近しいものを背負っているのである。
「……やっぱ分からん」
――考えたが結局背負っているものの重さについてはよく分からなかった。
「桜木君、そういうの興味無さそうだもんねー。なんか納得」
「勝手に納得すんなよ。興味が無いことはないからな。分からんだけで」
「はいはい」
俺の弁解を適当に流しつつ、小牧はクレープの最後の一口を頬張った。それを眺めつつふと視線を外してモールの壁に埋め込まれたデジタル時計を見ると、約束の刻限が迫ってきていた。
「もうこんな時間か……俺が食い終わったら集合場所に移動しよう」
「オッケー……って、桜木君全然食べてないじゃん!?」
なんてツッコミを入れる小牧をクレープ片手に見ているってのは、サツキといる時とは違う不思議な感覚である。気を遣わなくていい代わりに、どこか踏み込めない距離感がそこにはあったのだ。
――だがそれも悪いとは思わない。
「……でもさ」
小牧がぽつりと呟く。
「楽しかったな、桜木君といるの」
「そうかよ」
小さく返事をする彼女を横目に、俺はホイップとバナナが今にも溢れてきそうな手つかずのクレープを口へと運んだ。




