殺意は満タンです
そして遂にその日はやって来た。
ニコラスの15歳の成人パーティーの2週間前。
一度航路を事前に巡ってみようとニコラスが提案し、実際のパーティーで使うよりも小型の探索船で海へ出ることになった。
ぜひ同行したいと申し出た私は、この日のために前もって、海洋生物好きをアピールしておいた。
「運が良ければ鯨が見られるとピエールに聞いたの。もしかしたらイルカも」
キラキラした瞳で語る私に、ニコラスはさも意外そうに驚いた。
「へえ、ベラドナが魚好きとは知らなかったな」
鯨もイルカも魚じゃないが、否定せず嬉しそうに微笑んでおいた。
「そうだ、明日は天気が良さそうだから釣りの道具も積んで行くとするか」
「ええ、それは良いお考えですね」
翌日の船出は晴天だった。
おお、釣り日和だなと呑気な笑顔を見せるニコラスに、「あなたの命日になりますけどね」と胸の内で返した。
昨夜は緊張で眠れなかった。王子を殺ると決めてから、その決意は固いけれど、はたして上手く殺れるだろうかと不安は募る。
当たり前だが、人を殺したことなんてない。
罵られたり、暴力を振るわれたりして、反射的にやり返してしまうというならまだしも、冷静に計画的に人を殺そうとしているのだ。
私はとても恐ろしい女になってしまった。
復讐といっても、相手はまだ何もしていない。
しかし、されてからでは遅い。思い出すのだ、前回の人生での仕打ちを。どれだけ必死に冤罪を訴えても耳を傾けず、処刑場へ引き出された私をゴミを見るような目で見たのだ、この男は。
あのときの屈辱と絶望を思い出すたび、めらめらと憎悪の炎が燃える。
胸に灯したその炎と共に今の私はある。復讐に命を燃やす、悪魔の令嬢だ。
「ーーん? 雲行きが怪しいな」
沖へ出てしばらくして、空を見上げたニコラスが眉をひそめた。
強い風に流されてきた厚い雲が太陽を覆い、急に暗くなったのだ。濃い灰色の雲はたっぷりと水分を含んでいて、いかにも重そうだ。
どんよりとした曇天。嵐の気配がする。
「ニコラス殿下、天気が急に悪くなりましたね。急いで港へ戻った方が宜しいかと」
ニコラスの側近、リチャードがそう進言し、ニコラスが頷いた。
「ああ、そうだな。早く戻ろう」
「船長に伝えます。殿下とベラドナ様はどうぞ船室へ。ひと雨来そうですから」とリチャードが言ったそばから、パラパラと大粒の雨が降ってきた。
「行こうベラドナ。濡れてしまう」
ニコラスが私の手を引いて、船室へいざなった。全てが計画通りだ。
探索船の船室にニコラスと二人きりになる。
王子のプライベート空間にズケズケと踏み込んでくる部下はいない。
もうじき本格的に嵐となり、舵が取れなくなる頃には、血相を変えたリチャードが飛び込んでくるだろうが、それにはまだ少し猶予がある。
この間にニコラスへ毒を飲ませよう。
船室へ置いていた手荷物の中から、魔法水筒を取り出した。
この魔法水筒は、普通の水筒とは違い、名前の通り魔法がかかっていて、中に入れた飲み物を最も美味しい温度に保ってくれるという代物だ。
「殿下、喉が渇いていませんか? わたくし、温かいハーブティーを用意してきましたの。少し肌寒くなってきましたし、温まりますよ」
カップに注ぐときに混入させる毒薬も持って来ている。
王子であるニコラスに弱い毒は効かない。幼い頃より少しずつ服毒して、ある程度の耐性がついているのだ。
効くのは猛毒だけだ。
「気が利くな。けど今はいい。この船の揺れが気になるな。ちょっと船長の話を聞いてくるから、君はここで待っていてくれ」
そんなの!と思わず大きな声で引き止めた。
「そんなの、いいじゃないですか。リチャードに任せておけば」
私の剣幕にニコラスは目を丸くした。
「どうしたんだい、珍しく声を荒げたりして」とニコラスが言ったとき、ぐらっと船が大きく揺れて、私はよろめいた。
それを両手で受け止めて、支えてくれたのはニコラスだ。
「大丈夫? 本当に大きな揺れだな、心配だ。船長のところへ行ってくる。君はここでじっとしてて。さあ座って。姿勢は低い方がいい」
男らしく私を守り、きりっとした顔で見つめるニコラスに、思わずほだされそうになる。
腹立たしいことにニコラスは男前で、私を裏切るまでは特に憎むべき点もなかったのだ。
船室の備えつけの座席に私を座らせた、ニコラスの腕をがしっと掴んだ。
「待って、怖いの。一人にしないで……」
腕にすがって上目遣いで見上げる婚約者をそう無下にもできないはずだ。
ニコラスは軽く目をみはった。蒼い瞳に映る私は、本当に不安げな顔をしている。
「……君のそんな顔を初めて見たよ。君でも不安になることがあるんだな」
ニコラスの言い草に、私を何だと思っているのだと思った。しかしそう言われてみると、生まれてこのかた「怖い」だの「寂しい」だのと口に出して言ったことはない。
そのような感情は自身の胸の内で留めるものであって、人に弱味を見せるべきではないと教育されてきたからだ。
私を見つめるニコラスが言った。
「大丈夫だよ。僕がついているから」
どの口で。こちらも思わず凝視してしまう。見つめた唇がゆっくりと近づいてきた。
身を屈めたニコラスが私にキスをしようとしたとき、ざわわと嫌悪感が背筋をなぞった。
気づかれないようにワンピースの裾を片手で捲り、太ももに装着している護身用のナイフをそっと鞘から抜いた。




