思い出せないならそれまでだ
「ごめん、遅くなって」
神殿の一室にやって来たのは、ニコラスだ。
私たちは4日に1度、2人で会って少し話をしている。
神殿に来る前の打ち合わせで、定期的に私と話ができる口実を作るようにと言っておいたからだ。いざ駆け落ちをするというときに、置いて行かれてはたまらない。
ニコラスは言い付けを守り、私への報告義務を怠らない。
カースティンや神殿の女たちには「記憶を取り戻すために、記憶喪失前の自分を知っているベティと話がしたい」と説明している。
私はソラシアン王国に留学歴があり、ニコラス王子殿下のことを知っている、という設定だ。
「ベティ、自分のことを思い出せたの?」とカースティンに驚かれたが、何食わぬ顔で答えた。
「はい、驚くべきことに。ニコラス王子のお顔を見たら、パアッと留学時期の記憶が。その時期以外の記憶はまだ曖昧だけど、王子様と話をすることで刺激されて、記憶が掘り起こされたのかも。王子様も、私からソラシアンの話を聞くことで、思い出せることがあるかもしれないわ」
「そうね。それはいい考えだわ。では時々3人で一緒にお茶会をしましょうか」と言ったカースティンに、ニコラスが言った。
「カースティン。君がいると君に心が釘付けになってしまうから、他のことに意識が向かなくなってしまうよ。お茶は2人きりで愛を語らいながら飲みたいし。それとこれとは別にしよう。ベティとは4日に1度、10分程度話すくらいでいいしね」
「王子様ったら……」
脱出計画のためとはいえ、ぶん殴ってやりたくなった。
しかしそうやってニコラスがカースティンを上手く言いくるめているのを見るにつけ、計画が順調に進んでいることが分かる。
ニコラスと出会う前のカースティンはあんなに男を嫌っていて、この島から出て行きたい者の気持ちが分からないと口癖のように言っていたのに。
ニコラスが自国へ帰りたい、一緒に国へ来てくれと言えば、駆け落ちまでするのだから。すごいね、「真実の愛」って。
しかし最初はニコラスが手のひらの上で、カースティンをコロコロ転がしている感じだったが、日が経つにつれてニコラスもカースティンに嵌まっていっている。
恋するバカな男の顔をして、周りも気にせずイチャイチャ、イチャイチャと見苦しい。
「王子、この島から出る気あるんでしょうねえ?」
2人きりの打ち合わせの場で、つい詰め寄ってしまった。
「居心地いいし、カースティン様と一緒なら別にこのままここで暮らしてもいーかなー、なんて思ってきてません?」
「いや、そんなことないよ。確かにここの皆は良くしてくれて居心地がいいし、カースティンと一緒にいると幸せな気持ちになるけど、国には帰りたい。絶対に帰らなくちゃと思ってる。僕を待っている人がいるから。もう一度会って、ちゃんと話さなくちゃいけない……彼女と」
「……それは誰なんですか?」
「それが思い出せないんだ。大事なことなのに。彼女のことを思い出そうとすると、頭がズキズキ痛くなって、胸が張り裂けそうになる。まるで思い出すなと警告されているようにね」
何を言っているんだといらっとした。
思い出しなさいよ、そんなに大事なことなら。頭が痛かろうが、胸が張り裂けようが、ナイフで刺されようが。
私のことをちゃんと思い出しなさいよ。
親同士が勝手に決めた相手とはいえ、8年間婚約していた女でしょうが。
思い出せないならそれまでの関係だ。
私は断罪されることもなく、ひそやかに復讐を終え、新たな人生を歩む。
バイバイ、ニコラス。




