先生の本分
「ここは、この式を使えば…。ああ、そう。うん、正解だよ」
「…あかん、算数わからへん」
「大丈夫。落ち着いて問題を読めば、難しい問題じゃないから」
朝食を食べた直後に始まるシキョウ専用の授業は、今回で両手では足りない数になった。
教えることは、全教科。
最低でも彼女の年齢に見合うだけの知識を教えるつもりで進められている。
正直に言うと、捗っているという訳では無い。
そもそも文字の読み書きが出来なかった彼女が、現在算数の問題に手を付けているという点では、早いと言えるのだろうが、その算数で躓いていた。
「何で、こんな計算しなくちゃいけんの〜?」
「そうだね、例えばものを売り買いする時に、お金の計算は必要だから。だから、めんどくさくても、掛け算と割り算はできないとね」
シキョウとて、勉強する事は新鮮で楽しいとか思うが、如何せん、今までお金を勘定する必要のなかった環境にいたのが悪い。
そもそも、お金でものを買うということを、理解しているとは言い難いのだ。
だから、この算数が何故、役に立つのか分からないので、モチベーションが下がっている。
「…仕方ない。お買い物にでも行こうか」
「お買い物!?行きたい〜」
シシツキも、彼女の状況が分かっているからこその、この提案だった。
それに素直に喜ぶシキョウに、シシツキは白のコートを羽織らせた。
旅において、このような目立つ色は疎遠されがちだが、それでも全体的に薄い色彩を持つシキョウには、とても良く似合う。
「よし、じゃあ行こうか」
「うん!」
ちなみに、アイカとシキとは別行動だ。
アイカとシキにはギルドで依頼を受けてもらって、旅費を稼いでもらっている。
別に、アイカかシキが教えても良かったのだが、そこは学園の教師が本分のシシツキに任された。
そういう訳で、シシツキはシキョウと2人で宿を出た。
キョウアンは、古の都と言うだけあって、古い町並みが非常によく残っているが、その一方で、新しいものも取り入れ、街へ来る人を飽きさせない作りをしている。
治安が悪い訳では無いので、スリなどの心配をせず、人の波の中に入り込むことができる。
「先生、あれなんなん?」
「あれは、クレープ。果物とかホイップって言う牛乳で作られたものなどを巻いたもの。…食べたい?」
年頃の女の子らしくキラキラと目を輝かせるシキョウに、シシツキは仕方ないという顔をしながら、クレープ屋に並ぶそこそこ長い列に並んだ。
「先生は、どれが美味しいと思う?」
「俺もあんまり食べないからね…。あ、このカフェオレクレープとか美味しそう」
「…カフェオレって、先生よく飲んでるやつやろ?どうやってクレープにしてるんやろ」
片や水の精霊かと見間違うほどの、色彩と容姿を持つ美人。
但し性別は男。
それと、真っ白な肌に白銀の長い髪、シシツキよりも白が多めの水色の瞳を持つ、雪の妖精の様な少女。
その2人が、顔を近づけてメニューを真剣に見ている姿は、まさに眼福。
何人かの変た…変わり者は、2人を見て拝んでおり、それでない人もシシツキとシキョウに目が釘付けになっている。
端的に纏めると、非常に目立っている。
「お、いらっしゃーい!偉い美人な姉妹だね。どれにする?」
「カフェオレクレープ1つと…」
「この苺カスタードクレープ1つください!」
目をキラキラさせながら、身を乗り出して言うシキョウに、レジ打ちの女性は、微笑ましいと言わんばかりの笑みを浮かべた。
一方、シキョウはシシツキに褒めて褒めてーと言わんばかりにドヤ顔だ。
そのシキョウに、これからが本番だぞとシシツキは諌めて、財布を取り出した。
「はい、それではカフェオレクレープが1つと、苺カスタードクレープが1つで、お会計は780円です」
お会計が告げられると、シシツキはシキョウを見て、問題ですと千円紙幣を取り出した。
「俺が千円出したら、お釣りはいくらになるでしょうか」
「え~…。んー、320円?」
「解き方は間違ってないけど、途中で計算をミスったね」
答え合わせとシシツキが千円紙幣をレジに出すと、レジ打ちの女性は悟ったのか、シキョウにもはっきり聞こえるくらいの音量で、シシツキにお釣りを差し出した。
「千円お預かりしたので、220円お返しします。すぐ渡すから、ちょっと待ってて」
「ありがとう」
顔をバックヤードに引っ込めたレジ打ちの女性を見送って、シシツキは隣でブツブツと呟いているシキョウを見た。
「ああ、そうか。下げてきて、また下げたからここが9になって…。ああ、これでピッタリやわ…」
「なぜ間違えたのか、分かったようだね」
「うん。凡ミスしてもうた…」
シシツキは、ガックリと落ち込むシキョウの頭を慰めるように、2度優しく撫でた。
そして、タイミングよく出てきたクレープを、受け取ると、近くにあるベンチに2人並んで座った。
「別に、間違いをする事は悪い事じゃない」
しょんぼりとした顔でクレープを頬張るシキョウに、シシツキはパクパクとカフェオレクレープを口に運びながら、その合間に言葉を発した。
そんなシシツキをシキョウは、じっと見た。
彼女の瞳は、不安に揺れている。
まさか、怒られると思っているのだろうかと、あっているようで少し外した考察を頭の中で続けながら、シシツキは続ける。
「ただ、間違いは繰り返さなければいい。悪かったなと思ったら直せばいい。俺は、そういう努力をしている人間を見捨てることはしないから」
言葉の最後に、最後の1口となったクレープを口に放り込んだシシツキが、嘘を言っていないと感じたのか、シキョウは表情を正した。
「今度は間違えないように頑張る」
「頑張れ」
シキョウは、そのためには、まず目の前のクレープと、向き合うことからだ!と言わんばかりに、クレープに齧り付いた。
シキョウは、頬にカスタードを付けて満面の笑みを浮かべた。
「美味しい!」
「それはよかった」
美しい絵画の住人の様な2人を見る視線の中に、2人を見つめる視線が1つ。
それが誰のものか。
シキが、いたら、こう叫んだだろう。
フラグ回収!!!
まあ、この場にいない上、さほど気配に敏感ではないシシツキは、何も気づかず、シキョウを連れて再び人混みの中に合流した。
雑貨屋や本屋、果てはギルドまで。
シシツキは、シキョウが興味を示した場所に片っ端から連れていた。
それは、奴隷という世界しかなかったシキョウに、世界を感じて欲しかったからだ。
太陽が赤く染まり始めた頃。
流石に、遅くなるのは不味いと、シシツキとシキョウは、帰路についた。
「今日はどうだった?」
「楽しかった。あと、凄いって思った」
「そう。じゃあ、今夜は今日街を見て感じたことを、書いてもらおうか」
「勉強?」
「日記って言うんだよ」
平凡な会話に、平常通りの夕暮れ。
その日常を破り捨てるようにシシツキとシキョウが人通りの、少ない路地に差し掛かった瞬間、黒い手袋に包まれた手が2人に向かって伸ばされた。




