言葉の重み
「大丈夫、君たちは俺が守るから」
なんの根拠も無い、薄っぺらい言葉を吐き出す。
この言葉で、シシツキは今自分が見て、話しているのは、過去の記憶であることを自覚した。
いや、正確に言うと、過去の夢なのか。
目の前の義妹達の幼い姿を見るに、これはまだスラム街に住んでいた頃の記憶だろう。
辺りを見回すと、薄暗い廃墟の一室がぼんやりと浮かび上がっている。
平常なら、怖いくらいの静寂が支配するこの空間に、今日ばかりは、奴隷商人から逃げるスラムの人々の悲鳴が、届いてきて落ち着かない。
シシツキは改めて、幼い義妹たちをみた。
暗闇でもわかる、明るいオレンジ色の髪をもつこの場で最年少になる、末っ子は目に涙をいっぱいに溜めて、恐怖で泣く寸前だ。
今の彼女から、普段のひまわりのような明るい性格は微塵も感じられない。
それに対し、暗闇に溶けるような暗い紫色の色彩を全体にまとう、上の義妹からはこの状況に対する危機感というものが、感じられなかった。
寧ろ、シシツキよりも冷静に、状況を把握しているくらいだ。
その冷静さに、シシツキは見習わないとと、苦笑をこぼしながら、もう一度義妹たちに作戦を伝えた。
「いい?俺が囮になって奴隷商人たちをひきつけている間に、ユエとヒナタは、ばあ様のところに逃げるんだよ。ほら、時々パンをくれて、いろいろ教えてくれる…」
「にぃは一緒じゃないの?」
シシツキの言葉を遮るように、ヒナタが舌足らずな声を上げる。
グッと詰まったシシツキの代わりに、ユエがヒナタを優しく諭す。
「ヒナタ、兄さんは寄り道しないとけない所があるの。だから、私たちは、先にばあ様のところで、兄さんを待っていましょう?」
ユエの言葉に、ヒナタは渋々うなずいた。
一緒に逃げたいのは、シシツキもだが最年少のヒナタは4歳、ユエは6歳、シシツキは7歳。
この年齢でまともに奴隷商人と遭遇したら、間違いなく全員奴隷商人に捕まる未来しか見えない。
それを避ける為に、わざわざ別行動をするのだ。
この辺りの地理を知り尽くしたシシツキなら、逃げ切れないことはないのだ。
「じゃあ、後でな」
「兄さん、気を付けて」
ユエとヒナタが廃墟から出ていったのを見送るとり、一人になると、シシツキは今更ながら、自分の手が震えていることに気が付いた。
「大丈夫、大丈夫だから…」
自分を励ますために小さくつぶやかれた言葉は、近くから響いた奴隷商人の怒鳴り声と、見つかったスラムの人の悲鳴に掻き消された。
シシツキはぎゅっと目をつむり、覚悟を決めて目を開いたその瞳に、もう恐れは浮かんでいなかった。
懐かしい夢を見た。
シシツキは、いやな汗をかいた体をベットから起こした。
きっとコウメから、奴隷商人について聞いたから、昔のことを思い出したのだろう。
窓を見ると、まだ真夜中と早朝のはざまの時間であるようだ。
しかし、シシツキはもう一度ね直す気にはなれず、同室のシキを起こさないようにそっと部屋から出た。
宿の表の通りは、昼間の賑わいとは打って変わってとても静かであった。
シシツキは身軽に跳んで、宿の屋根の上に腰を掛ける。
適当に羽織った旅用のこげ茶色のコートが風に揺れると、シシツキの束ねていない、長い黒に近い青色の髪が同じように風に遊ばれた。
涼しい風を受けて、シシツキの火照った体が、冷やされてゆく。
あの夢の中のシシツキは7歳。
まさしく無力な年齢であった。
結局あの時は後の義父に助けてもらって、事なきを得たがそうでなければ、シシツキは今こうしていられなかったかもしれない。
それを思うとぞっとする。
そうなったら、シシツキは果たして何をしていたのか。
実験台だろうか。それとも、労働奴隷か。
シシツキはネガティブになる自分の思考を、頭を一つ振って振り払った。
そうして何も考えず、ボウと徐々に明るくなる空を眺めていると、ふとシシツキの耳に静かな町には似合わない喧騒を拾った。
「…なんだろう?」
屋根の上に立ち上がって、音のほうをみたシシツキは、音の正体を見て眉をしかめた後、タンと軽い足音を立てて、屋根からとびおりた。
―――少女は逃げていた。
行く当てはないし、逃げる理由は何もないけれど、このまま檻の中で一生を過ごすのは、嫌だったから。
見張りのすきをついて奴隷商人の檻から逃げ出した少女のことは、すぐに気付かれ、追手がかかっている。
逃げないと。
少女は、本能が囁くままに見知らぬ路地を右に、左にと曲がりつつ追手から逃げた。
ここで捕まれば、少女に命はない。
だから、少女は必死に駆けた。
曲がり角を曲がった瞬間、人にぶつからなければ。
少女は絶望した。
ぶつかったのは、奴隷商人の仲間だと思ったからだ。
「大丈夫か?」
しかし、かけられた優しい声音が、その絶望を打ち砕いた。
少女は声の主を見て、息をのんだ。
綺麗。
学のない少女の、偽りのないシンプルな心が、小さな呟きになる。
見ほれるとはまさにこのことをいうのだろう。
しかし、その時間は長くない。
奴隷商人たちが放った追手の足音が、近くで聞こえた。
その音に反応して少女が逃げようとするのを、腕をつかんで阻止したシシツキは、言葉を紡いだ。
「大丈夫だよ」
その言葉は、過去と違い聞くものに安心感を持たせる重みのある言葉だった。




