先生の戦う理由
「強くなれ、シシツキ」
「義父さん」
いつの頃だろうか。
そう言って慰めてくれる義父が、酷く恨めしかった。
元から体を動かすことよりも、本を読むことが好きだったシシツキは、義父から戦闘を学ぶ時間が、ひどく苦痛だったのだ。
でも、そんなシシツキに、決まって義父はこういうのだ。
「守りたいものを守れない男で、お前は良いのか?お前の兄弟がいざとなった時、何も出来なくて良いのか?」
義父は痛いところを付いてくる。
シシツキが、何よりも家族を大事にしている事を見透かしているから、こういう手を使ってくる。
ただ、シシツキが義父の戦闘訓練を拒みきれないのは、それだけではない。
義父は焦っていたのだ。
何にかは、分からない。
ただ、シシツキを含めた兄弟達が、強くならなければならないというように、義父はシシツキだけでなく、妹にも訓練を強制させた。
いつも優しい義父の、唯一の厳しさであった。
まるで、あの事件を予知していたかの様だった。
あの時は、守りきれなかった。
だから、自分は…。
そこまで行き着いて、シシツキはふと自分の意識が浮上するのを感じた。
ゆるゆると意識が浮上するのと同時に、全身が炎に包まれているような、熱さを感じる。
いや、これは激痛か。
噛み締めた歯の間からうめき声が漏れるのを自覚しつつ、シシツキか目を開けるとそこは、まさに戦場としか言いようが無いあり様だった。
シシツキに背を向ける形で、魔族と向かい合うカレンたちの体から滴り落ちる朱色と、魔族の創り出した氷の残骸の青が、所々抉れた地面を彩っていた。
妖しげな美しさを見せるその戦場は、魔族とカレン達を中心に半径80メートルはありそうだ。
シシツキが眠っていた時間が一体どれほどの時間であるのかは、分からないが、その間に、壮絶な戦いが繰り広げられていたのだろうということは、言わずとも知れる。
「ははっ、光属性が使えない勇者なんて、こんなものなの?」
こちらを見下している魔族の声音に、カレン達は言い返せない。
いや、言い返す体力も無いのだ。
カレンとシキは既に魔力は尽きており、前衛を務めていたオウキとリュウジに至っては、どこもかしこも血塗れで、魔族の硬さを証明するかのように、持っている業物の剣は所々欠けてしまっている。
敗北の二文字が、見えてしまっている光景に、シシツキは絶句した。
それと同時に、弱い自分に憤激した。
結局、自分はあの頃と変わっていないのだ。
強くなると誓っても、今の自分は地に伏したまま動けない。
大事な生徒達に守られた上、その生徒達の命が刈り取られんとしているのに、動けない自分が、みっともなくて泣きそうだ。
力が欲しい。
単純な願い。
しかし、単純だからこそ、その願いは届きやすい。
その届く先が、神かあるいは別のものであるのか。
それは、その人によるのだろうが、シシツキの場合は後者であった。
まるで、シシツキの意思に反応しているかのように朱雀が、炎を吹き上げて顕現した。
その姿は、いつもシシツキが愛用している双剣の姿ではなく、魔法を使う際の補助道具として愛用される、魔法杖の形だ。
シシツキの背丈よりも僅かに長いその魔法杖は、見る人が見れば、錫杖の様だと言っただろう。
しかし、錫杖の頭部の輪は、シシツキの顔ほどの大きさがあり、その中央には、太陽の様に輝く赤い石が浮かんでいた。
シャランと涼やかな音を立てた魔法杖を、支えにしながら立ち上がったシシツキは、楽しそうに笑みを浮かべる魔族を睨んだ。
そして、意識的にか無意識か。
シシツキの体から、黒い魔力が滲み出た。
闇属性の魔法。
魔族だけでなく、シキを除く勇者達が、シシツキを見て驚愕した。
しかしその黒はスグに色を変え、徐々に蒼く染まっていく。
水属性の魔力を示す青と違う蒼は、朱雀の紅い炎を飲み込み、炎を蒼く染めた。
その瞬間、炎の質が変わったといえばいいだろうか。
その焔を見た瞬間、無条件に跪きたくなった。
魔力とも霊力とも似つかぬ、でもどこか懐かしさを感じる焔から漂うそれを、なんて呼んでいいのか。
シキにも判断出来ない。
ただ、今までの炎とは違うと、漠然と感じるだけだ。
あちらこちら血塗れだったシシツキは、その蒼色の炎に照らされ、近寄り難い神秘さを持っていた。
いつの間にか魔法杖の赤い石も、青色に姿を変えている。
「行くよ、魔族」
開始の合図は、シシツキの妙に冷静な声だった。
その瞬間、詠唱も無く飛び出した蒼の火の玉を、魔族は今までも同じように、氷の盾で防ごうとした。
しかし、それは無意味だった。
氷の盾を粉々に砕く程の爆発。
しかし範囲は抑えられているその爆発は、1番魔族の近くにいたリュウジに暖かい風を届けるだけであった。
青の氷が、蒼い焔に飲み込まれていく。
魔族はと言うと、爆発の地点から数メートル吹き飛ばされた地点で、痛みにのたうち回っていた。
その体は、爆発により、体のあちこちは、火傷を負い、浅くはない裂傷をいくつか刻んでいる。
「痛い痛い痛い痛いっ!!!なんで、再生しない!?」
今まで、直ぐに再生する体は、痛みが持続するなんていうことはなく、そのため、魔族は長く続く激痛に弱い。
しかし、それに対し、人間はどうか。
時間をかけてゆっくりと傷を治す人間は、傷を負ったら、その分の痛みを覚悟する。
だから人は、痛みに強い。
シシツキは、歯を食いしばりつつ足を前に移動させた。
「まだだよ。まだ終わってない」
「ひっ、く、来るな!!」
あまりの痛みに、魔族の心は折れた。
しかし、冷静な声音とは裏腹に、怒り狂っているシシツキは、止まらない。
魔族を倒すまで、シシツキは止まらないだろう。
ジリジリと後ずさる魔族に、シシツキは、シャラシャラと音を立てる魔法杖を突きつけた。
「俺の大事な生徒達に手ぇ出したこと、後悔させてやる」
美人は怒ると怖い。
思わずそう、現実逃避するくらい、シシツキから発せられる圧は怖かった。
傍から見ているシキやカレンたちでそうなのだ。
シシツキと実際対峙している魔族の恐れは、いかほどのものになるのか。
シシツキは、次々と氷の礫を飛ばす魔族の攻撃を、焔の一振りで打ち払い、お返しだとばかりに、同じ数の焔の弾丸を魔族に打ち込んだ。
そして、逃げようとする魔族に、先程の蒼い焔バージョンの蔦を絡める。
こうしている内にシシツキは、魔族との距離を、3メートル程にまで縮めた。
もはや、先程までの余裕はどこにもない魔族は、助けを求めて、辺りを見回した。
周りのオーガを殲滅されてしまった魔族に、助けはないはず…で、あった。
しかし、魔族はある地点に目を留めるとニヤリとわらった。
「いいよ!殺ってしまえ!!」
シシツキが魔族の視線の先を辿ると、そこには、力尽きて座り込んでいるアイカの背後で、刀身を煌めかせながらナイフを振り上げた、テルアキの姿があった。
通常のアイカなら、殺気に気づいて、既に回避の行動を取っていただろうが、疲れきって反応の鈍ったアイカは、シシツキより僅かに遅れて、テルアキの存在に気がついた。
しかし、それでは間に合わない。
既にナイフは、振り下ろされている。
間に合わないとは分かっている。
シシツキとアイカの距離は、10メートルほど。
それでも、シシツキは痛む体に鞭を打って、アイカの元に駆け出した。
シキやカレン達も、無けなしの魔力を振り絞って、魔法を放つ。
しかし、手を伸ばしたシシツキの手が握ったのは、崩れ落ちる腕と生暖かい血。
シキ達の魔法は、虚しくナイフを振り下ろし切ったテルアキに直撃し、再び意識を刈り取っただけだった。
シシツキは、崩れ落ちる体を掴んだ腕で引き寄せ、叫んだ。
「どうしてっ…。学園長!」
そう。あの刹那の間に、アイカとテルアキの間に、学園長が突如として現れ、アイカの盾となったのだ。
深々と斜めについた傷からは、止めどなく血が流れ、それは、生命の流出を意味していた。
シシツキは、顔を蒼白にさせている学園長を地面にそっと横たえた。
その動きに反応して学園長は、シシツキを見ていつものように穏やかな笑みを浮かべた。
「よかった。なんとか間に合ったみたいですね。…ああ、そんな顔をするものでは無いですよ、シシツキ先生」
自分の死を悟りきった学園長の言葉に、シシツキは顔をクシャりと歪めた。
学園長は、シシツキの頬をそっと撫でた。
「こんな老いぼれの体でも、役に立つ事があるのですね」
「が、学園長…。そんなっ…」
「アイカさんも。そんなに思いつめてはいけませんよ。ほら、綺麗なお顔が台無し」
庇われたアイカは、理解が追いつかなかった。
どうして、学園長が、血を流しているのだろう。
その姿は本来、自分ではなかったのか。
学園長は、アイカのそんな心情を正確に把握していた。
だからいつにも増して、穏やかな声音で話した。
「いいのですよ、アイカさん。私は、孫の腕の中で死んでいけるのです。戦争に巻き込まれ、孤独に死んでいった、チームメイト達とは違って」
これ以上にない幸福だわと笑う学園長は、続いて静かに涙を流すシシツキに目を止めた。
「シシツキ、私は、あなたの、祖母であることを、誇りに、思います」
徐々に力が、魂が、抜けていく。
学園長は、アイカやシシツキが背負ってしまった、自分の死という重荷を全て取り除く時間が無いことを、悔いた。
結局、この子達に辛い思いをさせてしまうことが、学園長の未練であった。
「学園長…いや、ワカバ師匠。俺は、あなたの弟子であり、孫であることを誇りに思います」
静かに涙を流しながらも、そう応えたシシツキを信じて、学園長…ワカバは、そっと目を閉じた。




