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くれないのうた  作者: げんめい
最終章~くれないのうた~
43/43

最終話 太陽と月の唄★

最終話です。読んでいただきありがとうございます。

  ◆


「……やはり、ここに居ましたか」


 大樹の下で、ただその木を見上げる少女に声を掛けたのは、短い髪をした制服姿の女性だった。


 その少女が振り返り、寂しそうに、僅かに微笑む。栗色の髪が揺れた。

「清水さん」


 髪の短い女性――清水瞳は、無言のままその少女に並ぶ。

 木に手を置き、先ほどの少女と同じように、上を見上げながら呟いた。

「この大樹は、木としての生命活動に問題は無いようですね。生きています」

「うん……」

 まるで答えるかのように、ざあっと葉擦れの音が上から響く。

 だが白草の人としての意志は、もう無いようだ。もう彼女から、神籬が展開される事は永劫ないのだろう。


「彰お兄ちゃんは……?」


「今日はまだ、魑魅魍魎を狩り続けています。新堂至の消滅後より、数が異常に増えています。貴女も危険です、家に帰りましょう」

「はい……」


 共に歩き、帰路に着く二人。


「私の、フェインとのリンクは切れたままです。フェインが何を望み、そしてどうなったのか、分からないままです」

「そう……なんだ……」


 新堂至と蛇神が共に消滅してから、早一週間が経過した。


 この地は、どこかが壊れる事もなくただ平穏な日々が続いていた。

 白草以外の木々が枯れた事、御神体を奉る社が壊れていた事に、人々の関心は集まった。今まで気付けなかったのが不思議だと、人々は声を揃えて言う。

 

 佐鳴彰のみ、闇夜での活動が著しく増えている。この一週間で発生する魑魅魍魎が激増した。

 唯一、至の振るうくれないによって記憶を取り戻した彼は、まるで自分を責めるかのように異形狩りに没頭しているという。


「貴女は、何故記憶を失わなかったのでしょうか?」

「……分からないんです」


 問われた少女、新堂神楽は表情を曇らせる。


 自分の父親が、最愛の兄の全てを忘れている……。

 その事に気付いたのは、丁度外で兄が殴られたと知った時だった。

 兄を追うにも父に止められ、やっとの事で抜け出したが、兄を止めるには至らなかった。熱を帯びた身体でなければ……。何度彼女は自分を呪ったか分からない。


 消えていく身体を、その満足そうな表情を思い出す。死に行くというのに、彼は笑った。泣き叫びながらその手を取って彼女は、――彼の最期を見届けた。


 そして神楽はそれを、家族に伝える事が出来ないでいた。母親は、気付いているのだろうか。その目の力は、今はどうなっているのだろう。彼女はまだ病院に居る。

 家に着くと、門の前に彼女の通う学校の生徒会長、榊原凛子が立っていた。

 彼女も正影と同じく、未だ新堂至の記憶を無くしていた。蛇神は消え、その呪詛が消えると思われたがそうはならなかったようだった。

 だが彼女は、こうして足繁く新堂家に通っている。


 最初に来た時、彼女は神楽にこう告げた。

「……何度も夢に見るんだ。ある少年に、私は全てを打ち明けた。そんな夢を。ここに何度も来たような気がしてならないんだ」


 そう打ち明ける彼女に、神楽は清水瞳と相談し、全てを説明した。

 彼女は、全てを納得したように頷く。その夢が、全て真実だと悟る。自分の感覚が正しいものであったと、確信した。


 そうして彼女は、理解した後一言だけ呟いた。

「……バカだな」

 その言葉が何に対して向けられたものかは、その場では判断出来なかった。

 だが、彼女の表情は暗く、まとう空気はまるで懺悔のように思えた。




 神楽は凛子を家へと招き入れる。


「弓ちゃんも、全部を知ったのは最近だそうです。彼女は、忘れていませんでした、お兄ちゃんの事」

「それは……絵本を見ていないからだろうな。それで、今の華京院の様子は、知っているか?」

 凛子は、紅茶を啜りながら言う。

「……部屋から、出てこないそうです」

「……そうか」

 凛子は、深く溜息を吐く。

 そして言葉を続けた。


「それで……(くだん)の比良坂美香穂は、どうした?」


 神楽と瞳は、顔を見合わせる。少し困った様子で、神楽は口を開いた。


「……三日間くらいは寝込んでいたって言ってました。ショックで……。蛇神に身体を乗っ取られた時の記憶は、全てあるそうです。でも、今は、調査を続けています」

「調査? 身体も心も、無事なんだな? もう蛇神が宿っているなんてことは無いんだな?」

「はい。蛇神が眠っていたという石碑は、もう消滅していたそうです。最初から何も無かったみたいに。きっとそれは、誰かが、この時のために残していた。みかねえちゃんはそう言っていました」

「調査か……彼女は何のために、そんな事をしているんだ?」

 凛子の呟きに、神楽はこう返す。


「……分かりません。多分お兄ちゃんのため……だとは思うんですけど」


 そのやり取りを、清水瞳は黙って聞いていた。


 その直後、チャイムが鳴る。

「かぐちゃん、ごめんね、邪魔するよ~」

 勝手に玄関を開けて入ってきたのは、その比良坂美香穂だった。


 美香穂はリビングの二人と目が合うと、咄嗟に頭を下げる。

「こんにちは。確か清水さん。榊原さん。良かった、みんないるね。あ、弓華ちゃんが居ないか、かぐちゃん、ごめん電話番号知ってる?」


 神楽は自分の携帯電話に弓華の番号を出し、それを美香穂へと差し出す。

 彼女はそれを見ながら自分のスマートフォンに番号をタップしていった。

 直ぐに何かを話して、直ぐに切る。

 彼女は振り返り、そして全員へと告げた。

「ごめんみんな、ちょっと付き合ってくれる?」


「え、どこ行くの? もう晩御飯の時間近いよ?」

 神楽が困った顔で言う。


 その言葉を受けて美香穂は少し考えたが、彼女は神楽の手を掴み玄関へと引っ張り、そして振り返った。

「大丈夫、晩御飯までには戻れるよ! 行くのは首塚! どうしても一度、行かなきゃいけないんだ!」


「……分かった、車を出そう」

 凛子が携帯電話を取り出し、誰かと話し始めた。

「美香穂さん!」

 玄関を開けると、そこには華京院弓華が立っていた。

「ほ、本当で御座いますか? さっきのお話は!?」

「詳しくは後で話すよ。乗って」


 榊原家のリムジンが駆り出される。

 神社前には、直ぐに到着した。



「君は、どうして今更調査なんて始めたんだ?」

 凛子の言葉を受けて、先頭を歩いていた美香穂は振り向く。

「……至くんは、私のせいで居なくなってしまった。だけど、死んだとは思えないんだよ」

「え……でも、お兄ちゃんは、私の目の前で……消えたよ……」

 神楽が、沈んだ声で呟く。

「私も目の前で観測しています。もう、新堂至の存在がこちらにあるとは……」


 その言葉を遮って、美香穂は続ける。

「信じる力。分かるよね、清水さん」

「……!!」

 瞳は、眼を見開いた。そして一言だけ、続ける。

「……精神感応プログラム……!?」

 彼女は思い出したように呟いた。

「まだ知らなくちゃいけない事が、きっとある。私は、それに賭けてみたいの」


 大樹白草の根元に着く。


 美香穂は全員に振り返って、そして語り出した。


「この町には巨大な坂があって、その上に黄泉があった。そして私の苗字、比良坂。ここはきっと、この国の創生たる伝説と共通点が多いの。地域は全然違うんだけどねえ」

「ヨモツヒラサカ……イザナキと、イザナミの物語……。古事記や日本書紀の世界だよね?」

「うん、よく知ってるねかぐちゃん、偉い」

「千年坂が、黄泉比良坂だと言う事か……? 古事記や日本書紀は私も授業の一環で読んだことはあるな。あまり文学は得意ではないんだが……。千の命を奪おう、千五百の命を生み出そう、というやり取りだったか?」

「その通り」

 美香穂は静かに言う。本来黄泉比良坂の伝説は島根県松江市にある。坂は、異界との境界であると彼女は告げた。


「でも黄泉の国は、死者の国だって……」

「……地獄みたいなものか?」

 神楽が呟き、凛子が木を見上げながら言う。

 今まで一言も喋らなかった弓華が、同じく木を見上げ呟いた。

「お父様は言っていました。坂の上は神域である。華京院は坂の下を護る一族だと」


「うん。通説は死者の国だと言われているね。でも思い出して。鬼が黄泉と呟いた場所から出てきたのは、人の不安や恐怖を形とした魑魅魍魎たちだった。死者じゃなかったよ。それは精神感応プログラムから出現した。至くんはそう話してくれた」

 美香穂はそう言うと、白草の幹に手を触れてから続ける。

「比良坂なんて苗字は私以外聞いた事ないから、一度詳しく調べた事があるんだよ。何せ死者の国を連想させて縁起が悪いからね。んで、その一族の出現は丁度千年前。家系図見ていたら、ある日、その姓を名乗る人が突然出現してる訳。しかもずっとこの翼町に居たらしいんだよ。おばあちゃんち、随分古かったのも、歴史があるからかな。あ、今は建て替えたけどね」

「……つまり、どういうこと?」

「ここからは仮説だけど、私のご先祖様もまた、千年前に落ちた、蛇神の欠片に強く関連していたんじゃないかな。だから、蛇神はその血に関わる私に取り憑いた」

「そ、そうか……!」

 凛子が呟く。

「なるほど」

 清水瞳も同じように、呟いた。

「え? え?」

 神楽だけは、よく分からないという表情で全員を見る。

 美香穂は続けた。

「本来人間だった筈の白草が願い、大樹になった。翼の欠片が子を成す事も、本来の構造の違いから不可能だと思う。でも、それは現実になり、それはやがて四翼という血族になった。でも想いが形になるのは、どうやらそのプログラム作成者と距離や概念が近くなければ難しい」

「新堂至にくれないが出現したのも、比良坂美香穂に蛇神が宿ったのも、その因子を強く残していたから、という事ですね」

「多分ね。魑魅魍魎に関しては、やっぱり沢山の思念が関わっているから、互いの物理干渉も本来は難しいって、彰くんは言っていた。最近は蛇神の動きで活発化してたし、怪我やガラス割れる事件も起きたけど、今は物理干渉に関して言えば落ち着いてるんだって」

「うん……」

 神楽は難しい顔をしたまま先を促す。


「つまり、千年前に落ちた欠片たちは、精神感応プログラム製作者、アルヴィースに強く関わっている存在なんだよ。『在り得ない事を起こす』のは、その人に近ければ近い程、よりハッキリとした現象として可能になる」

 全員が、神楽を見た。


「……え?」

「かぐちゃん。至君とは血が繋がっていない。貴女のお母さんは、海外の人だった。そうだね」

「う、うん。お父さんは詳しく話してくれないけど……」

「貴女は、一度命を落とした。だけど蘇った。至君を殺そうとした放火魔で異能力者、兜屋炎児の魂までも呼び戻した。死んだ人が蘇るのは、本来『在り得ない事』。そこに居たのはかぐちゃん、貴女だけよ」

「つまり新堂神楽。君もまた、四翼の血族や比良坂と同じように、強くアルヴィースの因子を残した存在だって事だ」

「わ、私にそんな力はないよ……! お兄ちゃんが生き返ったらって、何度も願ったよ……?」

 神楽は声を荒げる。


「うん。どうしてその時に自分の魂を呼び戻せたか、それを考えるにはまだ、千年前の出来事の情報をもう少し分からないといけないと思うんだよね……」


 その時、彼女達に近付いてくる人物が居た。

 全員がそちらの方向を見る。

 木陰から出現したのは、時任美雨音だった。


「時任くん」

 神楽が呟き、そして少しだけ後ずさる。

「ここに居たか。安心してくれ、僕はマトモだぞ」

 両手を上げながら、近付いてくる少年。手には風呂敷をぶら下げている。

「僕のおばあちゃんが持たせてくれた牡丹餅(ぼたもち)だ。みんなで食べてくれ」

 彼はそう続けて、美香穂へと風呂敷を手渡す。しっかり自分の分は確保したようだ。

「ああ、君も今回の事の顛末を、知っているんだったか?」

「ああ、神楽さんから電話で聞いている。詳しくは会ってから話そうと思って、こうやって来たんだ。家に居なかったけど、場所に検討はついたからな、歩いてきた。本当は新堂を褒めてやるために来たんだけどね」

「上から目線ね」

「性格だよ。僕の話したい事は、直接は彼女に聞いてくれ」

「彼女?」


 そういうと、美雨音の背後にあった社の池の水が、ゆっくりと持ち上がる。


 神楽はそれを見て後ずさる。一度それに襲われているからだ。

「安心してくれ。危害は一切加えない。だが、驚くぞ、覚悟してくれ」

 美雨音の声を受けて、神楽は頷いた。

 持ち上がった水はやがて、女性の形を取る。

 全員がそれを、ただ見詰めていた。


「頼む、ウィンディーネ……」

 美雨音の声を受けて、その水の女性が頷いた。


「私は、天華(あまはな)。千年前にこの地に落ちた、フィルセウルの欠片の一つです」

「しゃ……」

「喋った……?」


 神楽と美香穂が、目を見開いたままそう呟く。

「……貴女が久遠の転生体ですね、お久しぶりです。私の事を、覚えていますか……?」

「え、私、ですか?」

 ウィンディーネは、神楽を見てそう呟く。


「はい。この町の名前は、私たち四人から取っていたと聞きました……覚えてはいないようですね?」


「彼女は、ある時から突然意思を持ち始めたんだ。言葉をどうやって出してるかは分からないんだけど、それによるとどうやら、彼女は千年前に慈愛の雨になってこの地に降り注いだ四つの翼を宿した人物のうちの一人、天華という女性らしい」

「天華……。雨になって消えた、巫女の一人の名前だよ……。詳しいエピソードは、語られず終いだったけど……」

「そうだ。大樹の下の社の池の水……丁度そこに、溶け込んでいたそうだ」

 美雨音はそう言いながら、池を指差す。そして続けた。


「僕の力が新堂に移ったその後、自我を持ち始めた。僕の意志以外で僕を護ってくれた。僕の言葉に反応するようになった。意志を持って、自発的に言葉を述べるようになったのはつい昨日の事だ」

 早口で語る美雨音の言葉を受けて、全員が頷く。

「まさか、伝説の当事者から直接語られるなんて」

 美香穂が、静かに言う。

 美雨音はそれを受けてから、ウィンディーネの方を見て、何か合図をした。


「では久遠……私と、貴女のお話をしましょう」

 流暢な日本語で、彼女は語る。

 訛りも一切ない、穏やかな声で彼女は語り始めた。


「千年前。一度だけ違う世界で発生した『蛇神』が、その対となるものに壊されて、その一部がこの世界に落ちました。蛇神の本体は対の存在と消滅しましたが、その一部がバラバラになり、大きな塊二つに変貌しました。それがフィルセウルと、イグノスです」

 ウィンディーネは、淡々と続ける。

 美雨音は地面に座り、祖母が作ったという牡丹餅を頬張りながら聞いている。

「美雨音、人が話しをしている時はきちんと聞きなさい」

「んぐっ」

 ウィンディーネに注意され、立ち上がる彼。

「続けます。フィルセウルの方が先にこの世界に発生しましたが、落ちる過程で更に四つに分かれました。それがこの地に生活していた四人の娘へと宿ってしまいました。まだ信心の強かったその地の力を受けて、片翼を生やす事となった娘たちです」

「それが、四人の巫女……」

 弓華が呟く。

「それは染まり易いもの。人の思念を受け、その感情を、能力を増幅します。二人は人間の『憎悪』に。二人は人間の『慈愛』に特化しました。前者が人を殺めてしまった事から、千年坂の白い鬼伝説は始まります」


「……ここまでは知っているわ。問題は、その先なのよね……」

 美香穂が呟く。


(よう)という娘が居ました。内向的で、大人しい娘でした。フィルセウルの欠片の、一番強い力が入り込んでしまった彼女は、憎悪によって家族とその親族を皆殺しにしてしまいました。その後、遥は自らの行為を悔いて巨大な岩の内部へと隠れます。それは二百年続きました」

 神楽が、ゆっくりと頷く。ウィンディーネは続けた。

「久遠という娘が居ました。彼女には火の力が出現し、村の半分の人間の命を奪います。ですが、彼女は想う人が居ました。それは実の兄だったそうです。……その兄にも、時同じくして『何か』が宿っていたそうです。そのお陰で滅びを免れたその兄に諭され、彼女は殺戮を止めました。やがて十月後、その二人の間に子供が生まれますが、それと同時に二人は亡くなってしまったそうです」

「私はその久遠の転生体……生まれ変わりって事なのかな……」

 神楽は呆然としたまま言う。

「その十月の間に、この地に異変が起きました。度重なる地震、異常な日照り。これは鬼のせいだと流布(るふ)され、人々は恐れました。これは、少し遅れて発生したイグノスの力のせいだと思われます。不思議な力は、もう二人の娘にも宿っていました。ですが、前者のような滅びは発動せずに、『願えば叶う力』を有しました。それが、白草と私、天華です。二人は翼を隠し、隠れるように生きていました」

「……精神感応プログラム」

 瞳が呟く。

「いち早く地下の大空洞の存在に気付いたイグノスは、遥が岩戸で眠っている間に沢山の負の感情を集め始めます。人身御供を立てた村人が選んだのは、私と白草でした。翼の事は知らず、ただの偶然でそうなったと記憶しています。人々は私達の姿を見て、たいそう驚きましたが、直ぐに今までの鬼とは違うと、そう理解してくれました」

「ひとみごくう?」

「神様に命を捧げる行為だよ。生贄、人柱とも言うかな。この場合は神様じゃなくて鬼に対して、なんだろうけど……」

 神楽の問いに、美香穂が答える。


「言わば神通力を持つ、そんな女性を人身御供に立てるなんて、かなり切羽詰った状況だったんだろうね」

 美雨音が言う。


「地の揺るぎを制す大樹に。日照りを潤す雨に。私と白草は、そのように変化しました。結果として、白草はイグノスに支配を受けてしまいましたが……。私の思念は、この地に関わる全ての水に溶け込んでいました。人の心、生き様、願い……ずっと、その歩みを見てきました」

 流暢な日本語も、様々な知識もそのお陰だと、彼女は語る。

「久遠もまた、私達と同じく、願えば叶う力を持っていたのでしょう。本来変質し、子を残せぬ(てい)となってしまったその身に、子を宿せたのですから。やがてその子は、四翼の姓を名乗るようになりました」

「では、わたくしの血も……」

 呟く弓華に、ウィンディーネは頷いた。

「結果、イグノスは消え、重大な天変地異も飢饉も回避しました。平穏は二百年続き、その後事態は大きく動きます。それは、遥が眠りから醒めた事から始まりました」

「岩戸に隠れていた、遥の復活……」

 凛子が呟く。

「はい。四翼はその復活にいち早く気付きました。既に神への信心は薄れ、その背中の翼も本来の力も失った遥は、四翼に調伏されます。そして、この世の役に立つように、命令されました。既に翼宿った他の三名が命を失っていたためか、その時遥と、落ちた翼――つまり、フィルセウルは二人に分かれます。遥の身体は二百年経った事で余命幾許もない状態でしたが、四翼の提案によって、その身を四つに分かつ事に快く同意しました」

「それが、この町の四方に安置された……」

「そして人々は伝説を残します。千年坂には、鬼が居る。人々に調伏され、四人の巫女によって封印されている。鬼を崇め奉る事で、この地は(わざわい)から護られる、と。フィルセウルは事あるごとに首塚から出現し、世界の平定を持って眠りにつきました。その繰り返しも、もう終わりましたが……」


「……それが千年坂の白い鬼伝説の全貌か」

 凛子が顎に手を当てて呟いた。

「後の事は、皆さんもよくご存知ですね。この地は、翼が落ちる以前から蛇神の生まれた地であり、眠る地であった。それは、星の望み。様々な時代、様々な伝説にその名を残す蛇であり、それも同じく世界の平定を保っていました。白い鬼よりも、ずっと昔から……」

「蛇神が……?」

 美雨音が訝しげな表情で言う。

「貴方に起きた出来事は、蛇神が壊れてしまったからです、美雨音。以前の蛇神は、こんなにも人の心を壊す存在ではありませんでした。歪んでしまったのです」


「……蛇神を壊したのは、誰だ?」

 凛子が呟く。

「そちらのお嬢さんは、分かっておいでですね……?」

 ウィンディーネの視線のその先には、瞳が居た。

「……フェインね」

「彼らは隙間に潜む者たち。この星の平定を護る蛇を壊し、人に肩入れしてしまった人達です」

「隙間……それが他次元か……?」

 凛子は顎に手を当てたまま言う。


「人に……肩入れ。人に仇なす者では無いのに、人や世界を壊す存在を作ったっていうの?」

 美香穂がウィンディーネへと詰め寄る。

「それは、私には分かりません。どうですか、清水瞳」

「……もう、フェインと繋がる事が出来ないんです。代弁者としての機能を、失いました。私は観測者として、蛇神と新堂至の監視を仰せつかりました。テレポーターは壊れ、今の私にリーディング以外の能力はありません……」

「では、くれないの事は?」

 ウィンディーネが尋ねた。

「……今の話を統合すると、くれないと蛇神は恐らく同時期に発生したのでは……?」

「はい。恐らく、それもこの星の意志なのでしょう」

「……覚えてる。あの時、くれないから『ヲシテ』という古代文字が出現したわ。あの、蛇神が居た石碑にも残されていた言葉。神代文字。これはホツマツタヱという文書に使われていたものよ。古事記や日本書紀よりも以前からあったとされる文書……」

 美香穂のその意見に、弓華が驚く。

「この星が、予め決めていた、という事でしょうか……?」

 蛇神を消滅させた、くれないの出現。世界の平定を護る者の消滅。それが、星の意志だと言う。


「くれないの解析の中に、一つだけ未来を占うようなフレーズがありました」

 瞳が呟く。

「……それは?」凛子の問いに、瞳は続ける。


「全てを決めるのは、人の意志である。この先の未来は、人が決めるべきである。これは、頭に日付がありました。それが……」

 彼女は一端切ると、全員を見渡しこう告げる。

「それが、本日の日付となっているのです」


 全員が、息を飲む。


「ウィンディーネさん! 天華さん! 私、お兄ちゃんを生き返らせたいの! 私が久遠さんの生まれ変わりなら、きっと『願えば叶う力』を持っているんでしょう? どうしたらいいの?」

 神楽が叫ぶ。

「それは意識するしかありません。私は、今際の際でのみ、その力に触れる事が出来ました。貴女は一度命を落としている。その時の記憶が曖昧なのは、火の異能力に強く感化し、引き寄せられたからでしょう。貴女の根源はカグツチにあり、火との関わりは強く……更に、その血は久遠に近く、根源に繋がる力がある」

軻遇突智(カグツチ)って……火の神様よね?」

 美香穂が美雨音へと尋ねる。彼は口を開けたまま頷いた。


「本来、兜屋炎児よりも炎に結びつく力があるのは、貴女の筈でした。貴女は無意識下でそれを拒絶し、そしてあの事件が起きた。貴女は、その蘇る時に何かを強く願った筈です。それは、何でしたか?」


「……何を……」


 神楽が呟く。

 その時、ウィンディーネが何かに反応し、森を見詰めた。

「皆さま……」

 そう呟いた弓華の髪が、見る間に白く変化していく。

「魑魅魍魎です。凄まじい数です」


 直ぐに長刀が無い事に気付き、彼女は慌てた。



 枯れた木々の数本が、なぎ倒されるのが見えた。

 直ぐに、黒衣の人物がその首塚へと飛び込んでくる。


「彰くんっ!」

 美香穂が叫び、その人物は後方へ転がってから顔を上げ、叫んだ。

「みかちゃん!? 華京院も!?」


 その手に握った日本刀、風月に、べったりと黒い液体が付いている。


「何人も来ているのか。すまん、俺だけで護れるか分からない。出来れば、逃げて欲しいんだが……」


 弓華が、異常に気付き周囲を見渡す。

「囲まれていますね……この数は、異常です」

 弓華が走り、長めの枯れ枝を掴んだ。


「くそ、至が命を賭けて護ったこの土地で、どうしてこんなに魑魅魍魎が出てくるんだ……」

 彰の眼前には、一際大きい、カマキリを大きくしたかのような異形が歩いてくるのが見える。


「……見えるのか、ウィンディーネ」

 美雨音は目を細めてその光景を見るが、何が起きているのか理解出来ていない。

「戦いましょう、美雨音。この数、恐らく数百は発生しています」

「会長、神楽さん、瞳さま、わたくしの後ろに下がってください」

「……これが精神感応プログラムだというなら、一体誰の思念だというんだ」

 凛子が、呟く。

「無意識下でこれを望む人が居る? これが必要だと想う人がいる可能性がある?」

 瞳が呟き、それに彰が反応した。


「だとしたら、俺かも知れないな……。俺は、この血に、この力に誇りを持っている。もし魑魅魍魎が居なければ、俺はただの人になってしまうからな……」

 そう、ハッキリと告げる。

「……そんなアイデンティティーに関わる問題だ、今すぐ考えを改めろというのは酷な話だな……」

 凛子は周囲を見渡しつつも、ニヤリと笑った。


「だったら護ってよ……しっかりとね」

 美香穂が言う。


「ああ、指一本触れさせるか。いいか、しっかり真ん中で固まっててくれよ。華京院、絶対に無理するなよ」

 背後で全員を護る弓華へ、彰は声を掛ける。


「護る……」

 神楽が、呟く。


 目の前で、数百体の異形が躍り出た。


 彰の風月が、目の前のカマキリの鋭利な鎌を一本はじき返した。

 直ぐに地面に突き刺さる、もう一本の鎌。

「……今までの魑魅魍魎とは違うぞ……」

 切れた頬の血を拭い、彼はその異形を見上げる。


「私の、願い……?」

 神楽は、手を組んだ。祈るように。


「きゃあ!」

 弓華の持っていた枯れた枝が折れ、魑魅魍魎の体当たりを受けて吹き飛んだ。

 直ぐに彼女の身体はウィンディーネに包まれ、地面へと下ろされる。

 周囲の魑魅魍魎を水の壁に閉じ込めて、ウィンディーネは奮戦していた。


「くそっ、攻撃が、重い……」

 上から振り下ろされる鎌を受け止めるが、その重さに地面へと足の形が刻まれる程だ。


 その反対側の鎌が、美香穂や神楽を狙っている。

「マズイ!」

 彰が叫ぶが、身動きが取れない。

 美香穂が神楽を護るように構える。


「逃げてください、皆様!」

 弓華が叫ぶ。


「……お兄ちゃん……」


 神楽が、呟いた後、大きく息を吸い込んだ。


「――助けて!! お兄ちゃん!!」


 その叫びが、周囲を振るわせたと同時に――



 異形の、鎌の片方が宙を舞った。

 その切り離された一部が、上空で燃え上がる。


 彰も、弓華も。何事かと思わず顔を上げた。


 地面が、一直線に切り裂かれている。そこに池の水が流れ込んでいた。


 その線が続く先には、神社の社があった。

 舞台となったような場所の、更にその上。屋根の上。

 一人の、人物が立っている。

 


 その人物は、赤い刀をぶら下げ、顔には何かを被っていた。

「あ……ああ……!!」

 神楽は、その人物を見て、涙を流した。


 その顔に被っているものは、ヒーローのお面だった。それは、神楽が、あの夏祭りの時に兄に無理矢理買わせたものだ。美雨音も、目を見開く。


 その人物は突如、大きな声で叫ぶ。

「――ヒーロー参上!!」

挿絵(By みてみん)



 その屋根の上から、大きく飛び上がる。

 空中をくるくる回りながら、その人物は彰のすぐとなりへと着地した。


「……なんてな」

 笑いながらお面を外すその人物。

 目は金色。髪は真っ白。


 だが、何度も聞いた声。その笑顔。


 神楽も、瞳も、弓華も……そして美香穂も、その場にへたり込む。


「お兄ちゃぁん……」

 涙と鼻水を垂らしながら、神楽が泣き崩れる。


 紛れも無い、新堂至の姿だった。



「……おせえよ」

 彰が、呟く。

「悪い、ちょっとコンビニ探してたら迷ったんだ」

「ふ……」


「相手も鎌だ、アレでいくか」

 彰が言う。

「よおし、どっちの格が上か、見せてやろうぜ」

 至が答えた。

 彰は叫ぶ。

「祓魔翼心流! 双錬(そうれん)!!」

 直後、走り出す両者。


 一分持たず、魑魅魍魎が消滅する。


 

 両者の動きは流麗。何年も訓練を積んだであろうその所作が、一挙手一投足が――次々と魑魅魍魎をチリへと変えていく。


 やがて、その場に蠢く黒いものは、全て消滅していった。


「うし、仕上げだな!」

 至が叫び、へたり込む人物の一人へと手を伸ばす。


「行くぞ」

 至が手を取ったのは、清水瞳だった。


「ど、どこへ……?」

「決まってるんだろ、お前の上司に、給料の請求に行くんだよ」


 そう言いながら至は彼女を立たせた。


「あ、すぐ戻ってくるから、詳しくはまた後でな」


 至は全員にそう告げた。

「っと、そうだ、凛子さん、ちょっと立ってください」

「あ、ああ」

「痛くないですからね」


 そう言うと、至は直ぐに彼女に向かって刀を振りぬく。


 その刃は彼女の身体を通り抜け、何かを斬ったようだった。

 直ぐにその場に崩れ落ちる、凛子の身体。弓華がそれを抱きとめた。


「弓華。凛子さんを頼むぞ、すぐに目醒ますから」

「はっ、はいっ」


 そう言うと、至は大樹白草の前に立つ。


 手に持った赤い刀を、居合いの要領で構えると、横一文字に何も無い空間を斬り裂いた。


 だが、その空間には明らかに、黒い隙間のようなものが出現したのだ。


「……強烈な、時空振を確認。背反世界です……」

 瞳が驚き、そして至の横に並んだ。


「約束だ、一緒に怒られてやるよ」

 そう言いながら、彼は瞳の手を取ってその隙間の中へと足を踏み入れる。

 清水瞳もそれに倣った。


「あ、神楽、飯作って待っててくれ、腹減った」

 彼がそう言い終わるや否や、その空間が音も立てずに閉じていく。


「……他次元です。いつもそこにあり、でも誰も認識出来ない……違う層の世界。今回の事件の切っ掛けともなった、向こうの世界での蛇神の出現の原因が、きっと分かる事でしょう……」

 ウィンディーネが、静かにそう呟く。


 美香穂は、涙を拭って立ち上がる。その光景を、ただじっと見詰めたまま、彼女は動かなかった。



  ◇



「至くん、大丈夫なのですか? 蛇神はどうなったの?」

「ああ、俺は今、蛇神と一つになったんだ。今は蛇神化っつってな? 色々と力が使えるんだけど、長くはもたないんだよな」

「くれないも、まだ消滅していなかったのですね?」

「ああ、こいつには最後の一仕事が待ってる」


 二人の歩く空間は、真っ暗で、平坦な場所だった。

 しっかりと重力は働いており、地球上のそれと同じような感覚だった。


「フェインは概念です、お話は多分……」

「そりゃ、次元が違うからなんだと」

「え?」

「今の俺は、ちょっと普通じゃないからな、安心しろよ」

 至の答えに、瞳はゆっくりと頷いた。


 やがて、灰色の壁に囲まれた、広い場所に出る。

 その場所には、同じ素材で出来たイス。

 そして――そこに座る、人物がいた。


「ファイタルフェインです」

 瞳が言う。


「あーあー。ニホンゴ、ワカリマスカ?」

 至が言う。


 フェインという人物は、何も語らず、ただ頬杖をついて台座に座っていた。

 やがて、周囲に声が響く。


「全て終わったと思っていたが……アルヴィースめ」


 低い、男の声だ。

 フェインは、いかつい男性の姿だ。頬ばった顔、口から顎髭が繋がった、黒髪長髪の男だ。黒衣に、黒いマントを着て、ただこちらを睨みつけている。


「どうだ、お前の望みは叶ったか?」

 至は言う。


「……ただの手駒が、ここまで増長するとは……」

「ただの寄生虫が何言ってやがる。ま、お前がここまで計算でやったってのは驚いたけどな」

 挑発するように、至は言う。

「至くん、一体……」

「種明かしだ。こいつは、この星から滅ぼされる運命だったんだ。だから、こっちの世界に出現したんだ。あの蛇神が……。『エラー』と呼んでいたな。だが、こいつは抵抗した。蛇神を消滅させるための仕組み、つまり俺の方をぶっ壊したんだ。アルヴィースの作った『精神感応プログラム』でな。結果として、蛇神は壊れ、俺と共に俺たちの世界に落ちた。答えてもらうぜ、ファイタルフェイン。お前の目的をな」


 くれないの切っ先をフェインへと向け、新堂至は叫ぶ。

「……私は、人間の可能性に賭けていたのだ」

 フェインはゆっくりと語りだす。


「高い次元から、人の営みを見てきた。星が作り出した免疫システム、メビウスは優秀だった。高度な知能を、作り出していったのだ。やがて生まれた人間に、私は強い興味を持った」


 フェインは、ゆっくりと立ち上がる。

「その観測の過程で、あちらの世界に特殊な『時の流れ』を見つけた。アーカーシャ、カルマの投射像。アカシックレコードという概念を。私は狂喜したよ。歴史を、未来を紐解けば、星の意志を越える事も出来るやも知れぬ、とな」

 至は頷き、くれないを突きつけたまま顎で合図する。「続けろ」と。


「ただ、それは星の怒りに触れた。星は、メビウスをこちら側に出現させたのだ。私には、協力者が居た。それがアルヴィースだった。概念のみの存在だが、あらゆる『知』の集合体だった。人の願いを具現化する、そういうプログラムを残したが――アルヴィースはメビウスによって、消滅させられた。私は願った。私は観測を続けるために、メビウスを壊す事を、願ったのだ」


「……やっぱりな、お前の仕業だったか」

「マスター……それでは、私は……?」


「世界各地に、私の観測を有利に進めるための人に似せたレンズを配置した。それぞれの記憶・言語・知識などを共有させてな。こちらからの干渉でのみ、それらを動かし続けた。誤算は……メビウスが消滅に至らなかった事だ」

「壊れても、動き続けた。そして、それが人間世界に強い影響を及ぼすようになった。そうだな?」

「……その通りだ。私は自分の過ちを正さねばならなかった。ただ一つの祈りは、壊れたメビウスの修復と、その完全なる消滅だった」

「……だから瞳に俺を観測させたって訳か……」

「アンノウンが貴様の手に出現した時、私は心躍ったよ。それは、私の知識をも大きく越えた場所にある、神器だった。結果、メビウスは修復され、そして貴様と一緒に……完全なる消滅を遂げた……」


「だが、完璧じゃあなかった。現に、俺がこうしてここにいる」

 至がニヤリと笑う。そして言葉を続けた。


「くれないはな、アカシックレコードそのものなんだ。つまり、星の記憶だ。だが、それが大きな歪みを生んだ事に気付いていた。だから、出現したんだ。お前は気付いていたか? 何故、蛇神の眠る場所を人に気付ける形でこの町に残していたのか」


 フェインは、何も言わない。


「星もまた、俺たち人間に賭けてくれたんだよ。自分の体表に生きる小さな生物達の、郡体としての知に、賭けてくれたんだ。この星には、意志がある」

「ガイア理論か……。だが、生物の恒常性が保たれているとは思えない。この世界は、統制されるべきなのだ。アカシックレコードの通りに世界が、歴史が進んでいけば……この星の歴史は、レコードの終焉の通りに平穏に過ぎる」

「……お前はそうやって、レコードの通りになるようにレンズを操り、時に命を消し、時に国家を消してきたんだろ?」

「それが、この星の意志だ」

「――いいや、星の意志は、俺の手にある。くれないは、その先を見ていた。お前よりも、ずっと、ずっと先の未来を。この紅は、太陽の紅なんだ」



 至は、くれないで自分の頭上の空間を――一閃した。


「……何を、している」

 フェインの声が響いた。

 だが、何かに気付いた彼はすぐに、突如一歩踏み出して、叫んだ。

「ま、まさか……」


 至の手に握られていたくれないが、赤い光を放ちながら、先端から――消滅していくのだ。


「ああ。今、アカシックレコードは消滅した。くれないの力で、その概念を斬り割いたんだ」


「馬鹿な……何という事を……!」

「言っただろ。くれないは、このために出現したんだ。蛇神と俺を元の形に戻し、そしてお前の野望を砕き、アカシックレコードを消滅させる。最初から、お前には理解出来ない形でこいつは歌っていた。こうしろってな」

「ああ……私の……私の存在意義が……!!」

 フェインはその場に、膝を着いてうな垂れた。


「そうだ、フェイン。瞳は俺が貰って行くぞ。お前みたいな上司がいる会社においとけねえ。ヘッドハンティングだ」

「フェイン……」

 瞳は、自分のスカートを掴んで頭を下げる。


「さようならです。私は、貴方が私の居場所と役割を与えてくれた事に、感謝をしています」


「まっ…・・・待てっ!!」


 座り込んだまま手を伸ばす彼の姿が、掻き消えた。

 瞳が至の思念を読み、テレポートを使用したからだ。


 背反世界は、その瞬間――全てから、完全に断絶された。

 たった一人の孤独な王、ファイタルフェインを残して。


  ◇


「っと、ただいま」

 至が呟く。彼の髪は、直ぐにいつもの黒髪に。その瞳も元の色に戻った。


 瞳は直ぐに彼から離れる。


 そこは大樹白草の根元。

 そこには、先ほどの全員が揃っていた。


「おにいじゃん……!!」

 涙と鼻水でぐちゃぐちゃになった神楽が、至の胸へと飛び込んでくる。


「ごめんな、心配かけた」


「……お帰りなさい、至くん」

「ああ、ただいま。美香穂、無事だったな?」

「うん、この通りだよ」

 手を曲げて、彼女は元気な事をアピールする。


 その後ろでは、榊原凛子が――泣いていた。

「すま……すまない、至……私は、こんな大切な気持ちを、わす……忘れていたな……なんて……」

 しゃくりあげながら、彼女はそう言う。華京院弓華はその背中を撫でていた。


「……いいんだ。誰も悪くない。くれないの望みは、今叶ったんだ」


 至は、神楽の頭を撫でて言う。

「……お前のお陰で、またこっちで楽しくやれそうだ。本当に、ありがとな」

 神楽はその胸で、ただ何度も頷いていた。


「……至。お前、向こうで何してきたんだ?」

 彰が尋ねる。

「アカシックレコードをぶった斬ってきた。ああ、精神感応プログラムってのはよくわかんねえから、多分残ってると思うけど」


「……魑魅魍魎は、出現し続ける訳か。人の、恐怖がある限り」

「俺たちがそれを狩り、それで人の心が少し救われるなら……それでいいよ」

「そうだな……」



「……んじゃ、帰るか! あ、美香穂、悪いけど飯作ってくれ。ずっと何も喰ってないんだ」


「ほほぅ……ようし、飛び切り旨いので行きますわよ、覚悟しとけよぉー!」

 美香穂が笑う。

「お手伝い致しますわ!」涙を拭い、弓華が続けた。

「こら神楽、あまりくっつくな、歩けないだろ」

「うぇぇえぇぇえ……だって、だって……」


 その光景を、大樹白草が静かに見下ろしていた。



  ◆



「本当だ、何も……ねえな」

 後日。


 俺は美香穂と共に、あの石碑の場所へ来ていた。

「何も無かったような地面なんだよ。信じられる?」

 美香穂が言う。


「……この星が最初から、決めていた事か……」

「至君。蛇神と一つになったって……どんな感じなの?」

「ああ、消滅して一緒になった時は、何か失っていたものが一つになったみたいな、そんな感覚だったよ。そして、壊れたが故に感情を持ってしまった彼女の思念が、全て伝わってきた。一つに戻れた事も、種を滅ぼさなくても良くなった事も、喜んでいたよ」

「……沢山の人が亡くなったけど……。私達、生きていて、いいんだよね?」

「ああ……生きよう。今度は俺の中に、蛇神も居る。精一杯生きて、人生の素晴らしさを、再確認させてやろうぜ」


 俺がそう言うと、美香穂は立ち上がり、町をバックにこう告げた。


「ね、キスして」

「……は?」


「約束! 思い出したんだよね!?」

 ずいっと一歩踏み出して、彼女が俺へと近寄る。


「ちょっと待て、またキスするなんて、約束にあったか!?」

「なによぅ、男らしくないね! ここはそういう空気でしょ!」

「……すまん、美香穂」


 俺は一言呟き、直ぐに背を向けて走り出した。

「あ! 待てこらー! 逃げるなぁー!!」


 八月も中を過ぎようとする、猛暑が続く町。

 坂の町。


 大きな御神木のある町。


――この町が、好きだった。

 そこに居る人も、建物も。俺は、そんな大切なものを抱えて、生きている。



  ◇



 夏休みも終わりを告げようとしていたある日、俺は正影さんに釣りに誘われた。


 町を遠く離れ、海を見渡す埠頭。ウミネコが鳴き、積乱雲が視界全てに入ってくる。真っ直ぐ定規で引いたような、綺麗な水平線が見えるそんな場所だった。


 車に乗っている間も、終始無言を貫いた正影さんが、釣り糸を垂れた瞬間に口を開く。

「……悪かったな、至」

「いいさ」

 俺は笑顔で返す。

 正影さんは、自力で俺の事を思い出したらしい。母親も四翼の力か、忘却されてはいなかったとの事だ。

 神楽からも母さんからも言われては、おかしいのはきっと自分の方だ、と思い、彼は自ら東郷医院へと赴いた。

 例の催眠療法とやらを試し、そしてごっそり抜けていた俺の記憶を取り戻したとの事だった。聞くと、タケル兄ちゃんは元々脳科学、特に『記憶』が専門らしい。幼少期の俺の体験も、彼の臨床経験の蓄積には大いに貢献したとの事だ。余談だが、二人は昔から時々一緒に飲みに出かけているらしい。


 餌を付け、キャストする。正影さんは続けた。

「俺がきちんと向き合っていれば、お前の事を忘れずに済んだのかも知れん」

「いつだってアドバイスくれたじゃないか……」

「いや、そうじゃねえ。……俺は、お前に父さんと呼ばれるのが嫌だったんだ」

「ああ……その事か。正影さんって呼ばせてるもんなぁ……」

「だが、お前は立派な男に育った。これなら、俺を父さんと呼ばせてもいいと、思う程にな」

「ほ、本当か? ……良いのか?」

「ああ。頼んだぞ。神楽を、幸せにしてやってくれ……」

「……」

「……」

「ん?」

 ちょっとまて、父さんって、そういう意味か?

「待ってくれ、正影さん。それはつまり……」

「お、掛かったぞ!」

 ぎゅんとしなる竿。リールの乾いた音が響く。

「至、大物だ! タモ用意しろ! 今日は旨い刺身が食えそうだな!!」

「お、おう!」

 結局その会話は、有耶無耶になって終わった。


 帰りの車の中で、正影さんは神楽の本当の母親の事を呟いた。外国人ではなく、この町に住んでいた女性だったらしい。髪は神楽と同じ栗色で、正影さんの方が一目惚れしたとの事だ。

 やっぱり、その女性は久遠に関わりのある人なのだろうか。今となっては、何もそれを知る術が残っていないそうだった――



  ◇



 何事も無く、時は過ぎ――



「何だよこの暑さはよ……」

「まあ、それはしょうがないよな、今年は去年より暑いって、三ヶ月予報で言ってたしな」


「あ、私そういえば他のクラスメイト全然知らないんだよねえ、終業式に転入とか無かったなー」

「単純ですが、良い人間ばかりですよ」

「そっか。秋には修学旅行だし、出来るだけ思い出を沢山作らないとなぁ」


 四人で、連れ立って歩く――登校風景。神楽と凛子さんは居なかった。神楽は朝練、凛子さんは生徒会の仕事で早いらしい。

 既に九月。本日は始業式だ。まだまだ暑い日が続いていた。


 母親は無事に家へと退院出来た。腹の傷はすっかり癒えた。だが、その目に視力が戻る事は無く――もう、影読みも出来なくなっているらしい。


「子を護れただけで、私は良いんだ」

 母はそう告げた。

 全ての顛末を話し、全てを理解してくれた。

 そして、俺が一度命を失ったこと、そして復活した事も告げる。俺の命があった事を、心から喜んでくれた。


「私達四翼の役目も、今代にて終わりとなるな」

 母はそう呟く。少しだけ、寂しそうだった。



 時任美雨音は、自分の住む町へと帰っていった。いつものように憎まれ口を叩きながら。

「良くやったな、新堂」

 上から目線で褒められたので、俺はその髪をぐしゃぐしゃにしてやる。

 だが、彼の目には涙が浮かんでいた。

「……僕は、両親と向き合ってみるよ。もちろん贖罪の道を探しながら……新堂、本当に、ありがとうな」

 そう言い残し、彼は居なくなった。

 ……童貞とか言わなくなったな。何か察していたのだろうか。


 弓華も、父親と上手くやっているらしい。それでもしょっちゅう我が家へと顔を出している。神楽ともすっかり仲良くなってしまったようで、最近は美香穂と一緒に料理を教えてるらしい。


 凛子さんは既に進路を決めている。有名な工科大学を目指しているそうだ。ちなみに海外にあるらしい。

「直接宇宙には行けないが、宇宙に関わる仕事を目指すよ」

 そう言った彼女の眼は、輝いていた。


 神楽は、俺の一件があったために陸上の練習に殆ど出ていなかったとの事だ。

 気合いを入れ直し、頑張ると言っていた。


 俺は、坂の上から町を見下ろす。

 

 壊れた蛇神がかけた、四翼への呪いがどうなったかは、分からない。

 それでも、俺は精一杯生きてやろうと思う。沢山の潰えた命たちに、報いるためにも。


――フィル。聞こえるか。


 俺は、生きている。


 どこかで――見ていてくれ。




「あー、今日は転校生を紹介するぞー」


 いつもの担任の間延びした声が響く。転校生という言葉に、教室がざわめきだった。


 全員がドアに注目する。

 そこから歩いてきたのは――金髪の、女性だった。長く、なびく髪。美しいプラチナブロンド。


 男子がどよめく。

「金髪だ……」

「巨乳だ……」

「ちょっと男子サイテー」

 女子の、呪いの言葉が飛ぶ。


 俺たちの方を向くその姿を見て、俺は、思わず立ち上がった。彰も、口を開けたままパクパクと動かすだけだ。清水は、まるで思考が停止したかのように固まっていた。

「嘘ぉ……」

 美香穂の声が、一瞬静かになった教室に響いた。


「フィルセウル・I・ディンアと言います! 皆さん、宜しくお願い致します!」

 にぱっと笑う、長身、巨乳の女性。その目は金色ではなかったし、耳の先端も見えなかったが……その耳触りの良い声。その表情。その雰囲気は、俺のよく知る……フィルと同じだった。


 男子から「おお~」という感嘆の声が上がり、黒板に書かれる字は若干慣れていない感じのカタカナ表記。


「えー、長く海外に居たそうだ。みんな、仲良くしてやってくれ。席は新堂の後ろに新しく用意してある。新堂、手ぇ上げろ」


「あ……はい」


「よろしくぅ」

 彼女が俺に会釈したあと、耳元にその美しい唇が近付いてきてこう告げた。


「安心せよ、取って喰いはせんよ」

 と。



  ◆



「……神楽さん、なんだか嬉しそうですわね」

 弓華の問いに、神楽は笑って答える。


「えっへっへ、ちょっとね」


 見えないように、舌を出す神楽。


「……勝負は、平等に行かないとね」

 彼女の呟きは、誰にも聞こえなかった。





 その町には、うんざりするほど長く急な坂がある。鬼を奉るという独特の祭りがあるという。その先の坂には巨大な御神木があり、町のどこからでも見える大きなクスノキ。

 

 月の夜、まるで唄うようにその樹がざわめくという噂が広がるのは、そこから数ヶ月後の事だった。



くれないのうた 完 


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