何者にもならない未来
扉を抜けると、そこには静かな世界が広がっていた。
空は淡い色をしている。
風がゆっくり吹いている。
町も森もある。
しかし、どこにも「役割」を示す看板はなかった。
子どもが不思議そうに尋ねる。
「ここには、何をする人がいるの?」
悠真は周囲を見渡した。
「分からないな」
すると、近くにいた一つの光が答えた。
「ここでは、何をするかを決めなくていいんだよ」
「決めなくていい?」
「うん」
光は草原に座った。
「今日は座りたいから座る」
少しして立ち上がる。
「今度は歩きたいから歩く」
そして木の下へ移動する。
「ここにいたいから、ここにいる」
ユイが微笑む。
「すごく自由な世界だね」
しかし、別の光が少し不安そうに言った。
「でも……何者でもないって、寂しくない?」
悠真はその光を見る。
「寂しいと思う時もあるかもしれない」
「……」
「でも、何者かになることを急がなくてもいいと思う」
その光は黙って考えた。
やがて――
「じゃあ、今日はここにいてみる」
そう言って、草原に座った。
すると、その場所に小さな花が咲いた。
子どもが驚く。
「何もしてないのに、花が咲いた!」
悠真は笑った。
「何もしていないように見えても、そこにいること自体が、この世界では一つの出来事なのかもしれないね」
すると空に文字が浮かんだ。
【存在することに、役割は必要ない】
その言葉を見た光たちは、それぞれ好きな場所へ移動していった。
木の下で休む者。
川を眺める者。
町を歩く者。
何もない丘で空を見上げる者。
誰も同じではない。
そして、誰も「こうならなければならない」と言われない。
悠真は静かにその光景を眺めていた。
すると、ユイが突然言った。
「でも……一つだけ気になることがある」
「何?」
「この世界には、『何者かになりたい』って思う人もいるんじゃない?」
悠真は頷いた。
「いると思う」
その瞬間、遠くの丘から声がした。
「僕は……いつか何かになりたい!」
みんなが振り返る。
一つの光が丘の上で輝いていた。
「でも、今はまだ分からない!」
悠真は笑った。
「それも、この世界では自由だよ」
光は嬉しそうに輝く。
「じゃあ、今は何者でもなくて、いつか何者かになってもいいんだね!」
「うん」
すると空に新しい文字が現れる。
【今の自分と、未来の自分は、どちらか一つでなくていい】
その瞬間、世界の中央に一本の道が生まれた。
道は二つに分かれている。
一方は、穏やかな草原へ。
もう一方は、まだ見えない未来へ。
しかし、その二本の道は遠くで再びつながっている。
ユイが言った。
「何者にもならない未来と、何者かになる未来……別々じゃないんだ」
悠真は頷く。
「今は何者でもない。そのままでもいい。そして、途中で変わってもいい」
すると、道の先に新しい扉が現れた。
そこには――
【第七十三の歴史――変わり続ける者】
と書かれている。
子どもが扉を見上げる。
「次は、変わることがテーマなんだね」
悠真は扉に手を置いた。
「うん。でも、変わるって……本当に同じ自分じゃなくなることなのかな」
扉の向こうから、静かな声が返ってくる。
「変わっても、自分でいられる」
悠真は目を見開いた。
「……誰?」
しかし返事はない。
扉だけが、ゆっくり開いていく。
その先には――
昨日の自分。
今日の自分。
そして、まだ見ぬ未来の自分。
それぞれが同じ場所に立っている、不思議な世界が広がっていた。




