名前を忘れた瞬間
黒い扉の向こうには、少年と同じ姿をしたもう一人の少年が立っていた。
「やっと来たね」
悠真たちは警戒しながら、その少年を見つめる。
「君は……誰?」
少年は少しだけ笑った。
「僕は、君が名前を持っていたころの君だよ」
「僕が……?」
失われた名前の少年が一歩後ずさる。
すると、周囲の景色が変わった。
白い世界が消え、そこには小さな町が現れた。
少年は町の中を歩いている。
誰かと話し、笑い、空を見上げている。
「これ……僕の記憶?」
キオクが目を閉じる。
「うん。これは過去の記憶だよ」
記録者の本にも、初めて文字が浮かび始めた。
【記録開始――失われた名前を持っていた頃】
「名前は?」
悠真が尋ねる。
もう一人の少年は答えなかった。
代わりに、記憶の中の少年が誰かに呼ばれる。
「――!」
しかし、その瞬間だけ音が消えた。
「聞こえない……」
アカリが驚く。
シンも周囲を見渡した。
「名前だけが、世界から切り取られている」
少年は頭を抱えた。
「思い出せない……」
ミオがそっと言う。
「無理に思い出さなくてもいいよ」
「でも、僕は自分の名前を知りたい」
ミチが前に出る。
「だったら、名前そのものじゃなくて、名前を呼ばれていたときのことを探そう」
その言葉に、少年の目が少し明るくなった。
記憶の景色が次々に変わる。
森。
海。
星空。
そして、一つの広場。
そこには、たくさんの人がいた。
みんな少年を見て笑っている。
その中央で、一人の小さな子どもが少年に何かを渡していた。
白い紙だった。
「これは……」
紙には、一つの名前が書かれている。
しかし文字は黒く塗りつぶされていた。
もう一人の少年が言う。
「ここだ」
「ここで君は、自分の名前を忘れた」
「どうして?」
少年は黙り込む。
やがて、記憶の中の少年が言った。
「みんなが僕を呼んでくれるなら……僕は、自分の名前なんていらない」
悠真は驚いた。
「名前を捨てたの?」
「違う」
もう一人の少年が首を振る。
「名前を持つことを、一度だけやめたんだ」
すると、白い紙が光り始めた。
【名前を失った理由】
その文字の下に、新しい文章が現れる。
【誰かに決められた名前ではなく、自分で選んだ名前を持つため】
少年は目を見開いた。
「……僕は、名前を失ったんじゃない」
悠真が続ける。
「自分で選び直すために、いったん手放したんだ」
少年は白い紙を見つめる。
そこにはまだ、名前はない。
ただ一つだけ文字が浮かんだ。
【自分】
トキの時計が動き出す。
イマが微笑む。
「今が、変わった」
アスが未来を見る。
「未来も、広がってる」
記録者が書き記す。
【名前を失った者――名前を選び直す可能性あり】
少年は白い紙を胸に抱いた。
「僕……もう一度、自分で名前を選びたい」
その瞬間、黒い扉が消えた。
代わりに空いっぱいに無数の星が現れる。
その中央に、新しい門が浮かび上がった。
【第十二の歴史――名前を選び直す者】
少年は門を見上げる。
「今度は……僕自身の言葉で選ぶ」
そして悠真たちと一緒に、ゆっくりと門へ歩き出した。




