失われた名前
壁の向こうから現れた影は、じっと悠真たちを見つめていた。
「……僕の名前を、知りませんか?」
その声は小さかった。
悠真は一歩近づく。
「ごめん。今はまだ、君の名前を知らない」
影の少年はうつむいた。
「……やっぱり」
「でも」
悠真は続けた。
「知らないからって、君がいないことにはならないよ」
少年が顔を上げる。
「……本当に?」
「うん」
ミチも頷いた。
「僕も、最初は名前がなかった。でも、名前がなくても未来を探すことはできた」
二人の仮住民の少年も、少年のそばへ歩いていく。
「僕たちもまだ名前を決めてない」
「だから……一緒に探そう」
少年は驚いたように二人を見る。
「……君たちも?」
「うん」
その瞬間、少年の胸にある【第∞+3世界――未登録】の紋章が、淡く光った。
記録者が本を開く。
「……変です」
「何が?」
キオクが尋ねる。
記録者はページを見つめた。
「この少年には、記録がありません。ですが……」
ページの最後に、ゆっくり文字が浮かび上がった。
【名前を失った者には、名前を失う前の記憶がある】
キオクが目を見開く。
「名前を……失う前?」
「つまり、この子は最初から名前がなかったわけじゃない」
悠真が壁を見る。
「じゃあ、名前はどこに?」
壁の向こうから、一冊の本が現れた。
表紙には、
【失われた名前の記録】
と書かれている。
少年が震える手で本に触れる。
すると、本が開いた。
最初のページには、一つの文章。
【この名前は、誰かに奪われたのではない】
次のページ。
【自分自身が、自分の名前を忘れた】
少年は胸を押さえた。
「……僕が……忘れた?」
イマが静かに言う。
「忘れたとしても、今ここにいるよ」
トキの時計が、止まっていた針をゆっくり動かした。
「過去が動いた……」
アスが未来を見る。
「未来にも、変化がある」
ミライも頷く。
「この子の未来は、まだ閉じてない」
レインが空を見上げる。
すると、真っ白だった空に一つの星が現れた。
その星には、名前の代わりにこう書かれていた。
【思い出せる名前】
少年は星を見つめる。
「……僕は、名前を思い出したい」
悠真は微笑んだ。
「じゃあ、探そう」
すると壁が大きく開いた。
その先には、無数の道が続いていた。
【名前を呼ばれた場所】
【初めて笑った場所】
【初めて誰かと出会った場所】
【自分で選んだ場所】
そして一番奥に、
【名前を忘れた瞬間】
という黒い扉があった。
少年はその扉を見つめる。
「……怖い」
ミチが言った。
「一人で行かなくていいよ」
悠真も頷く。
「みんなで行こう」
少年はしばらく黙っていた。
そして、小さく頷いた。
「……うん」
全員が黒い扉の前に立つ。
記録者が記録する。
【第十一の歴史――失われた名前】
扉がゆっくり開いた。
その向こうには――
少年自身の姿をした、もう一人の少年が立っていた。
そして、その少年は静かに言った。
「やっと来たね」
「君が忘れた名前を――僕は知っているよ」
少年の胸の紋章が、大きく輝いた。




