自己紹介
人物!誰でも人物伝!の拡大スペシャルの予告があった。
そして、拡大スペシャルの放送開始。
人物!誰でも人物伝!視聴いただき、まことにありがとうございます。
私は、当番組のメイン司会者、金子奈美です。
『人物!誰でも人物伝!広域調査隊のみなさんを紹介しちゃいますスペシャル!』
今回は、『架空人物伝専門チャンネル』で、題材として取り上げる人物たちに関する調査を行っている、広域調査隊のみなさんをご紹介します。
せっかく、歴史上の人物をはじめ、いろんな人物について調査して、調査結果を伝える番組なのですから、まずは自分たちのことについて伝えないとね。
それでは、まず1人目は、当番組のサブアシスタントを務める、大森南大さんです。
よろしくお願いしまーす♥️
大森南大「俺が、この番組のサブアシスタントの、大森南大です。よろしく。」
それに続いて、広域調査隊の面々が次々と自己紹介をする。
俺は、大森南大。1977年生まれの、就職氷河期世代だ。
2000年に、四年制大学を卒業して就職した世代だ。高卒なら、1996年に卒業して、就職した世代だ。
生まれたのは1970年代だが、物心ついたのは、1980年代に入ってからだ。
とある地方都市の出身で、俺が物心ついた頃はまだ、今よりも賑わっていた。
よく親に、中心街まで連れていってもらっていた。俺は行くのを渋って、ぐずっていたのを今でも覚えている。
駅前にあった一番大きな百貨店は、どうにか残っているが、当時あった多くの店は、今はもう無い。駅前通りから周辺にかけては再開発が進み、高層マンションばかりが立ち並び、かつての面影は無い。
小学生の頃はファミコン、中学生に入るとスーパーファミコンにハマり、ゲームばかりやっていた。
小5の時に昭和天皇が崩御。昭和から平成になったその日も、ファミコンをやっていた。
小6の時に、ベルリンの壁が崩壊した。
翌年に、東西ドイツが統一。
小学校を卒業し、中学校に入ると、人並みに思春期を迎える。
まさに、思春期に少年から大人に変わる時期に、入っていく。
中2の時に、バブルが弾け、平成不況に入り、そこから『失われた30年』と呼ばれるようになり、
俺らが就職氷河期世代と呼ばれるようになる要因となる。
たしか、堺屋ナニガシとかいうエセ評論家、エセ有識者が、『失われたウン十年』と命名したんだということを、聞いたことがある。
これは、俺らが悪いんじゃない、俺らよりも、
上の世代が悪いんだ。
俺だけじゃない、俺と同世代の人たちは、みんな、そうだったんじゃないか。
この時期は、特に俺らが中学、高校、大学の頃は、音楽CDが100万枚、200万枚と、当たり前のようにバカ売れしていた。
みんなが買って聞いていたから自分も、といった感覚で、新曲がリリースされるたびに、次から次へと、買いあさっていた。
高2の時に、阪神・淡路大震災。同年に、
オウム真理教が地下鉄サリン事件を起こした。
バブルが弾けて間もない頃は、そのうちまた景気が良くなるさ、などという楽観論もあったようだ。
しかし、景気は良くなるどころか悪くなる一方、それでもどうにか、第一希望の就職先ではなかったにしろ、就職なり何なりして、どうにか平成から令和を生き抜いてきた。
時は流れ、2026年になった。
今年で49歳。織田信長が本能寺の変で死んだ年だ。戦国時代だったらとっくに死んでいるな。
我ながら、よくもまあ、ここまで生き延びてこれたものだ。
自分たちの生きてきた時代も、いずれ歴史のヒトコマになっていく。そうでなければ何のために生きているのかわからない。
僕らの世代も、いずれ死に絶えていく。
その時に、僕らの世代が残してきたものは、残っていくのか?
著名な人物たちの死は、ただ単にその人物の死というだけでなく、その人物が活躍した時代が、それだけ遠い時代になったということ、一つの時代の終わりを告げる事象として伝えられる。
そして、『失われたウン十年』と命名した、堺屋ナニガシも、先に死んだ。
その瞬間瞬間を見届けていく、そして、この年齢になったら、この歴史上の人物は、この年齢で死んだんだな、と思いながら、その年齢の誕生日を迎える、そうして生きてきた。命脈をつないできた。
次は、北野みちお。
俺は、北野みちおという。
その人物の最終的な値打ちは、死んだことが伝えられた時に、どの程度の衝撃度の大きさだったかで決まるという。
ただしそれは、天寿を全うして、寿命が尽きて死んだ時の話だ。
殺されたり自殺したり、あるいは戦争、事件、事故、災害などの場合は、また別の話だ。
ここまで、持論を展開する。
1947年、いや、昭和22年と言おう。その年の生まれだ。どうも俺たちの世代は西暦じゃなくて昭和で言わないと、しっくり来ないんだ。
第二次世界大戦の終戦から2年後に生まれた。その頃に生まれた世代は、全ての世代の中でも一番人数の多い世代と言われ、いわゆる『団塊の世代』と言われる。
たしか、堺屋ナニガシとかいう人が、俺らの世代を『団塊の世代』と命名したんだとか。
他の作者、あるいは読者のみなさんの中に、同世代の人はいるかな?
同世代の女の子たちは、グループサウンズとかに夢中になっていた。俺らのような野郎どもは、苦虫を噛む思いでそれを見ていたか、あるいは女の子たちにモテてやろうと、グループサウンズの真似ごとをしていたことだろう。
そんな中、俺は学生運動に走る。
かつて、俺たちにも、世の中や、周囲の大人たちに不満を持ち、暴れてやりたいと思うような、そんな時代があった。
東大の安田講堂の攻防戦が行われ、安田講堂が陥落した後、学生運動は急速に下火になっていった。
俺もまた、そのタイミングで、学生運動からは身を引いた。
結局、何も変えられなかった敗北感を背負い、就職が決まって、髪を切ってきた時は、もう若くないさと、言い訳したものだ。
その後は、満員電車に揺られながら、通勤ラッシュの人ごみをかき分け、企業戦士という名の戦士となり、仕事という名の戦場で戦った。
それから時は流れ、定年退職し、長年連れ添った妻を看取った。
若いときから、メカをいじるのが得意でな。
いつか、『鉄腕アトム』のような未来が、現実に来るのではないか?と思いながら、生きてきた。
最初の、1964年【昭和39年】の東京オリンピックを直接見たことがあるメンバーは、俺と、小田切武男の二人だけだ。
最初の、1970年【昭和45年】の大阪万博を直接見たことがある。まあ、並ぶ方が長かったけどな。その時に一緒に万博に行った彼女が、後の俺の妻だ。
その頃には、俺は学生運動からは身を引いていた。
時は流れた。戦争を経験した世代が次々と死に絶え、完全に死に絶えるのも時間の問題とされている。
いや、戦争経験世代の次は、我々の、団塊の世代の番になるだろう。
我々の世代までが死に絶えた後は、いったいどうなってしまうのだろう。
ある若い世代から言われた。
「あーあ、世の中何にも変わってねえな。」
我々のやってきた、学生運動は、本当に無意味だったのか。
「じじいども、さっさと死ねよ。お前らが生きてたって税金の無駄遣いだ。」
こみ上げる怒りを、すんでのところで抑えながら、その場を立ち去った。
それにしても最近は、寿命で死ぬ人よりも、戦争で虫けらのように殺される人々や、事件や事故の被害者とかの方が大きく取り上げられることが多い。
こんなことでは、それこそ令和で終わってしまうかもな。
残るメンバーは、あと5人いる。




