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ティアとアレク

周辺図

挿絵(By みてみん)

南部広域地図

挿絵(By みてみん)




もしこの戦争の歴史書が書かれるようなことがあるとするなら、ティアニーダ・バイルエインはオルターニアを勝利に導き、ノイマールの悪政を終わらせた英雄として描かれることになるかもしれない。

そうなれば、ティアがノイマール王城で王妃と手を結んだその日は、ノイマールが降伏した日として語り継がれることとなるだろう。

そんな終戦の日から二週間。


戦争を終わらせた英雄様は、旧ハズラン伯爵領の領都にある屋敷の応接室で、長椅子に腰かけ頭を抱えて呻いていた。


応接室にいるのは、私と父であるジキュエール・ノーフォート、そしてジリアン・バイルエイン伯爵様にティア。

さらには、アレンデオール・オルターニア様もいらっしゃる。

オルターニア王国次期国王となる、王太子殿下その人だ。

ティアが頭を抱えている原因は、概ね殿下と、ティアの御父上である伯爵様にあった。


殿下が仰るには、オルターニア王家は恭順の意を示した貴族家をそのまま召し抱えるのだという。

そして、これまでノイマール王家の直轄領だった土地、我が家のようにオルターニア国内への転領を希望して浮いた領地、さらに王政派の貴族家でオルターニアへの恭順が許されなかった貴族家の領地を加えた広大な版図を、新たに王家の直轄地として治めると決められたそうだ。

ちなみに我がノーフォート家は、恐れ多いことにバイルエイン領と隣接するオルターニア王権の直轄領を賜った。

父様は近々、準備のために伯爵様とバイルエイン領へ戻ることになっている。


それはともかく、その新たな直轄領経営の白羽の矢が立ったのが、バイルエイン家だ。

しかし、伯爵様本人は本領をおろそかにできない。

嫡男のガルイード様も本領に詰め、未だ不可解な動きを見せている北のモガルアに対する備えをしなければならないし、戦争で延期になっていたという殿下の妹君との婚儀を控えてもいるらしい。

次兄のエルデール様は、内政には向いてはいるものの軍務に関しては不得手でいらっしゃるようだし、そもそも本領の経営にエルデール様は不可欠だ。


そんな具合で本領の現状を語った伯爵様と殿下の視線が向いたのが、ティアだった。

要するに、他に適役がいないから、という理由で、順番が回ってきてしまったのだ。

…いや、ティアにならできると、本当にそう思っていらっしゃるのかもしれない。


「いや、だってアタシには無理だろ!?」


そう呻くティアに、伯爵様が優しい声色で仰る。


「いや、お前ならやれよう。なんでもかんでも自分でこなす必要はない。これまでと同じだ、できる者にできる仕事を配す。適役が居なければ拾い上げてくる。お前の役割はそこだ」


そう、口調はお優しい。

しかし、どこか有無を言わさぬ圧があるのはなぜだろう。


「伯爵の言うとおりだ、ティアニーダ。その方には、人を惹き付ける才があると、王陛下も仰っていたであろう。これ以上の適役がいるものか?」


殿下のおっしゃり様も、褒めてはいても反論しづらい言い方だ。

もし言い返すのであれば、より適した人物を名指ししなければならない。

しかし、伯爵家に指名が来ている以上、残されているのはもうティアしかいないのだ。


「ノイマール国内に残った貴族家や政務官も大勢居りますし、ティア様であれば確とまとめられましょう。ティア様の才は、一連の働きで十分見せていただきましたからな」


そう追撃を掛けた父様は、特に先のお二方以上の意図はなさそうだが、掛け値も裏の思惑もない立場からの意見なので、これまた言い返すことができないようだ。


三方面からの同時攻撃を受けたティアは、もう降伏寸前のように見える。

いやもしかすると、白旗を掲げているにも関わらず集中攻撃を受けている、という状況なのかもしれない。


「仮にだよ、内政やってるだけならなんとかなるかも知んないけど、サラテニアや西側の紛争にだって対応しなきゃなんないわけだろ?さすがに手に余るって」


もう、相手が殿下だろうが構っていられないようだ。

普段、あれだけ場に合わせた切り替えのできるティアが、もうなりふり構っていない様子がうかがえる。

そんな姿がおかしくて、愛おしくて、私は頬が緩みっぱなしだ。


しかし、ティアがそれだけ頑なに拒む理由も分からないではない。

代官職には、ノイマール復興に加えて、サラテニアへの対策と、ノイマールと国境を隔てた西方の小国地域への対処も含まれていたからだ。

もちろん、そのための人手は出してもらえるようだが、だからと言って諾々と承知できるような仕事ではないのは確かだ。


不意に、コンコン、とドアを叩く音が聞こえた。


「構わんぞ」


と殿下が声をお掛けになると、部屋にミーアがやってくる。


「伯爵様、交代の兵が到着したようです」


彼女がそう言うと、伯爵様はあぁ、と声を上げられた。

バイルエイン家の兵は、かなりの長期間の出兵になってしまっている。

そのため、終戦してからすぐに、本領に残った兵と順次入れ替えを行うことになった。

今回はその第三便になる。


「すまんが、アレクシア嬢。対応を願えるか?」


伯爵様はそう私に言ってきた。

私は戦後も変わらずに伯爵家の客分として、兵を率いる立場に据えられていた。

独断専行に関しては注意を受けたものの、それでも信頼を置いていただいている。


「承知しました」


私はそう言って席を立つ。

ティアが助けを求めるような目で私を見て来るが、どうしようもない。


「健闘を祈る」


私はティアの肩を叩いてそう言うと、ミーアと一緒になって部屋を出た。


「ねえ、アレク」


部屋を出るなり、ミーアがそう声を掛けて来た。

見るからに上機嫌な彼女は、珍しく飛び跳ねる様な仕草をしながら私に合わせて歩き出す。


「うん、ご機嫌だな?何かあったのか?」

「実はね、交代の兵と一緒に、例のアレが届いたんだ」

「あぁ、そうなのか」


例のアレ、というのは、かなり値の張る高級なワインだ。

戦争も終わり、ようやく一息吐けそうだという雰囲気になってきたから、オルターニア王都でのように、また四人で夜会を開こうという計画になっていた。

その目玉にするために、ミーアが本国に送ってもらうよう依頼していたものだ。


「ふふふ、今から楽しみ」

「そうだな、それなら今夜、ティアのところに集まるか?」

「うん、そうしよう!ベアトリスにも声掛けなくちゃ」


私の提案に、ミーアはまた嬉しそうに飛び跳ねる。

彼女の微笑ましさは相変わらずだ。

それに、今は兵を率いて領都内の巡回に出ているベアトリスの気遣いも、だな。


あれから私は、ベアトリスにこってり絞られた。

独断専行とは何事か、なぜもっと早くに相談しないのか、と真綿で首を絞めるかのごとく、ハイラの詰み手をするかのごとく、理路整然と詰め寄られ、もう謝る他の言葉が出ないありさまだった。


さすがに見かねてティアが間に入ってくれようとしたのだが、ティアはティアで私が独断専行すると読んで対策を立てていたことを黙っていたと責められていた。


どうやらベアトリスは、私が…その、戦場に長く居過ぎたせいで、欲求不満を感じていると思っていたらしい。

確かに今思い返せば、ティアの体にやたら触れるようになっていた、という実感はある。

だが、欲求不満などと……ないこともないが、やめて欲しいものだ。

というか、ベアトリスは往々にしてそういう発想に飛ぶことが多いような気がする。

むしろ欲求不満は彼女の方ではないのか…?


そんな益体もないことを考えている間に、私とミーアは屋敷の正面玄関に辿り着き、扉を出て屋敷正面の馬車寄せへと向かう。


そこには、十数台にも上る荷馬車が詰めかけていて、大勢の兵達が降り立ち、思い思いに体を伸ばしている姿があった。

ひとまずは、仮兵舎に入ってもらうか。


「ミーア、空きのある仮兵舎がどこか把握しているか?」

「あぁ、それならさっきジーマから報告書を貰ったよ…えっとね…」


そう言いながら、ミーアは懐から皮紙を取り出して広げて見せる。

私もミーアに身を寄せて、二人でその内容を確かめていると、不意に


「あ、あのっ!」


という声が聞こえた。

何事かと思い顔をあげると、そこには一人の女性兵がいた。

赤茶色の髪に、くりくりとした目。

兵としては不利にも思える小柄な体で、まるで小動物か何かを見ているような気分にさせられる。


そんな彼女は、なにか、少し緊張したような様子で、私達…いや、私を見ていた。


「誰だ?」

「うんとね…あー、名前出てこないっ…たぶん、ティア直下の騎馬隊に居た子だと思うんだけど…」


私が小声で聞くと、ミーアがそう言って首を傾げた。

ふむ、まぁ、ティアの配下ならあまり不愛想にしても良くないだろう。

あまり得意ではないが、ティアのようにしっかり対応してやらなければ。


「何か問題か?」


愛想をよくする、ってどうやるんだったろう?

私は言葉を放ってから、そう自問する。

あれからというもの、どうも外行きの自分を見せようとしてもうまく行かない。

相手に対する興味の有無や、好き嫌いが態度に露わになってしまいがちだ。

……まぁ、たぶん、ティアのせいなのだが。


「あのっ…いえ、その…えっと、ア、アレクシア・ノーフォート様、でしょうか?」

「あぁうん、そうだが…」


私が応えると、女性兵はキャッと小さく悲鳴を上げて、パタパタと手を振り何だか興奮し始める。

うん…なんだろう、この子…?

イヤな感じはしないが…対応には困るな。


「あ、思い出した。サリアだ」


不意に、ミーアがそんな声をあげた。

そうか、サリアというのか…それが分かったからといって、なんだというのだ?


そんな私をよそに、女性兵、サリアは、担いでいた荷物から筒状に丸めた皮紙を取り出して私に差し出してきた。

何かの報告書だろうか?


そう思って、それを受け取った私は、蝋封をはがして皮紙を広げる。

今度はミーアが身を寄せて来て、私達はまた二人してその書面を見た。


「おおうっ…」


そうミーアが声をあげたのと、全身が茹りそうなほどの熱が私を襲ったのとは、ほとんど同時だった。

あんまりにも想像を超えた内容になんとも言えない気持ちになって、私はチラッとミーアを見やる。

するとミーアも私を見ていた…何やらニヤついた表情で。


「なんだ、その顔は?」

「いやいや、鏡があったら見せたいよ、アレク」


そう言い返されて、私は思わず自分の頬に触れる。

何だか熱いし…口の両端がつり上がっていた。

どうやらまた、ついつい頬が緩んでしまっていたらしい。


私は一つ咳ばらいをして、皮紙をクルクルと巻き上げ胸元にギュッと押し抱く。


「確かに確認した。わざわざ届けてくれて感謝する」

「いえっ、あの、こちらこそっ!」


私の言葉に、女性兵サリアはそう言うと、ペコっと礼をして荷馬車の方へと歩き出す。

その後ろ姿を見た瞬間、私は思わずハッとした。


「あ、ちょっと待て」

「え、あっ…はい」


私の言葉に、サリアはピタッと立ち止まり、こっちに向き直る。

不思議そうな表情をする彼女の様子とは裏腹に、私は胸の奥から、煮えたぎるような感情が湧き上がってくるのを感じていた。

しかしそれでも私は努めてにこやかに、サリアに声を掛ける。


「良い髪留めを使っているな?」


そう言ってみると、サリアはパッと嬉しそうな笑みを浮かべて、私に報告してくれた。


「はいっ!これ、ヒルダナ領での突撃の前に、ティアニーダ様に頂いたものなんです!」


「あっ」


ミーアがそう声を漏らしたようにも聞こえたが、もう私にはそれを気にしている余裕などなかった。


「ミーア、すまないが」

「あー、今夜の件ね?また日を改めようねぇ」


私の言葉に、ミーアは苦笑いを浮かべながらそう応じてくれる。

そんなミーアに私は頷いて返す。

どうやら今夜は…ティアに言って聞かせなければならないようだから、な。




*   *   *




部屋の窓際に置いた角灯の明かりで、ペンの影が皮紙の上に落ちている。

外はすっかり暗くなり、空気はいっそう冷え込んでいた。

身辺係に淹れてもらったお茶は、もうすっかり温い。

代わりにアタシは、肩から掛けていた毛布をひっぱりあげて、首を竦める。

一応、この部屋に暖炉は付いてるけど、今はノイマール中で物資が足りてない。

自分ばっかり薪や炭を使うのは気が引けて、どうにも使えないでいた。


戦争が終わって二週間。

ノイマールは少しずつ落ち着きを取り戻してきていた。


一方で、各地を回っている巡検隊や、オルターニアに恭順した貴族家からは、戦争による被害の報告がこれでもかっていうくらいに届いてる。

物資不足以外にも、農地が荒れたなんてことから、治安の悪化に流通の断絶、人員不足に資金不足。

挙げ連ねていたら、きりがないほどだ。


しかも、これから本格的な冬になる。

北の方ではかなり雪が降るって聞くし、手当てを急がなきゃならないなんてことは、アタシにだって分かった。

で、そんなノイマールの現状を知ったオルターニア本国は考えた。


ノイマールのことを知っているオルターニアの人間に、ひとまず治めさせれば良い、って。

じゃあ、オルターニアで一番、ノイマールのことを知っているのは誰か。

当然、王都まで軍を進めて王政を打倒した我が家、バイルエイン家だ。


でも、バイルエイン家はオルターニア北方の対応に、本国防衛にとやることが多い。

ただそのバイルエイン家には、運良く前の仕事が終わって手空きのヤツがいた。

それがこのアタシ、ティアニーダ・バイルエインだ。


いや、本当にどうかしてるって。

確かにアタシにも領民を気遣うくらいのことはできるし、暮らしの心配はする方だ。

だけど、内政はダメだ。

決定的にダメなのは数字。


税収はどれだけ?

領内の維持に幾らかかる?

人件費は全体の何割を見込むんだ?

緊急時用の蓄えは、年にどの程度あればいい?

想像するだけで、遠乗りに逃げ出したくなる。


それに加えて、サラテニアと西側の対応だ。

サラテニアは、アタシ達がマーランの町を防衛している頃に、カレンダとヒルダナ領にも攻め込んだ。

ヒルダナ領ではガーダイン伯が、カレンダではリットラン侯爵様がそれぞれ手早く撃退したらしい。

特にリットラン侯爵様が防衛に当たったカレンダでは、兵よりも先に敵の本陣が全滅した。

オルターニアの火砲の性能を侮っていたのかどうか、前に出過ぎて十字砲火を浴びたんだそうだ。

問題だったのは、その本陣にサラテニア王とその直系、さらには血縁が大勢いたこと。


今サラテニアは、指導者を失ってその後継も立てられないでいるようだ。

貴族家の力が強い国で、どこの派閥が跡継ぎを出すのか、って揉めてると聞く。

当然戦争の継続なんかできない。

カレンダでの敗北後、王妃と宰相の名義で講和になった。


それだけでも厄介だってのに、ノイマールを手に入れちゃったおかげで、オルターニアは西側の小国が争い合う紛争地帯に国境を接するようになってしまった。

この地域は、昔はザットレイって王国があったんだけど、政変だったかなんだかで、バラバラに分裂。

それ以来、どこが正当で、どこが傍流で、という戦争が続いているらしい。

一応、オルターニアとしては不干渉のつもりだけど、その小国は後ろ盾を得ようとあの手この手でオルターニアに接近しようとするんじゃないか、って見立てているようだ。

その窓口はノイマールで担うのが距離や時間を考えれば妥当だろう、と判断された。

本当にそうだろうか?

そんなこと代官にやらせるもんか?

そういうのって普通は中央の外交官の領分だろう…?


ペンを握っている手に、いつの間にか力がこもってしまって、皮紙にちょっとインク溜まりができてしまった。

書き直すか…?

いや、もうこれでいいや。

どうせ、ジーマ達に渡す指示書だ、許してくれるだろう。


ちなみにこっちは職掌外だけど、ノイマール、サラテニアと同時にオルターニアに侵攻してきたモガルアも、複雑な状況らしい。

モガルアという国は、十二の「首長」っていう一族の長がいて、その「首長」達の合議で国を運営しているって話なんだけど、今回オルターニアに攻め込んできたのは、その「首長」の一部で、国として侵攻したわけではない、って主張していると聞いた。

尻尾切りなのか、それとも国内問題にすり替えてうやむやにしようとしているのか、オルターニアとしても判断に困っているようだ。


今回の戦争で、バイルエイン家は「護征伯」という名誉号を頂くことになった。

それで、我が家は王家からの「信頼の証」として、直轄領の統治、運営を任されたっていうのが、建て前だな。

本当は、面倒そうだからやっといて、くらいな感じだろう。


ちなみに、何度も国境線を守ったガーダイン伯様のところは「護国伯」ってのを貰って、うちと同じく「信頼の証」としてノイマール王妃…いや、元王妃様と娘のミリアナーデちゃんの預かり役を任された。

アタシの訴えを陛下がちゃんと吟味してくれて、二人の助命はかなり早い段階で決まり、オルターニアのガーダイン伯のところへ向かってもらった。

本当は傍にいて色々と手伝ってもらいたかったんだけど、ここにはアレクもいるし、ちょっと無理はできなかった。


ふぅ、とアタシは息を吐いてペンを置く。

ようやく、八枚目の指示書が出来た。

アタシはそれを机の傍の干し棚にそっと置いて、新しい皮紙を引っ張り出す。


次は、ジーマを取り立てる正式な任命書だな。

ヒルダナ男爵のところで先頭を走ってくれた頃からそれほど経ってないけど、今は百人長を任せられるくらいに頼もしくなってくれた。

ノイマールへの反転攻勢が始まってからは、あいつもミーアと一緒にずいぶんとアタシの無茶に付き合ってくれた。

これからはもっと、あいつに頼ることが多くなるだろう。


この任命書を受けてくれれば、あいつも雇われの兵じゃなくて騎士爵になる。

喜んでくれるかな…?

……嫌がったりされたらどうしよう…大丈夫かな?


そんなことを思っていたら、不意にコンコン、とドアを叩く音が聞こえた。

大事な任命書だから滲んだりしないよう、ペンに着いたインクを拭きつつ声を掛けようと思ったら、許可なくドアが開く音が聞こえた。


警戒なんてするまでもない。

そんなことをするのは、アレクかミーアのどっちかだからだ。


「精が出るな、英雄様」


アレクの声が背中に投げかけられてきて、ちょっとムッとしてしまう。


「その呼び方、やめてくれよ」


アタシが言うと、アレクのクククっという笑い声が聞こえてくる。

ペンを皮紙に走らせようとした瞬間、グッと両肩に重しが乗った。

振り返ると、アレクがアタシの肩に手を置いて、毛布の上から肩を解そうとしてくれる。


「では、なんと呼べば良い?」

「いや、ティアで良いだろ?」

「そうもいかない…ティアは、私の願いをすべて叶えてくれた私の英雄だからな」

「…願い?王のことか?」


アタシが聞くと、アレクは穏やかな表情で、首を横に振った。


「違う…最初に私が頼んだことだ」

「…最初……?」


そう言われて、アタシは首を傾げてしまう。

…何か頼まれたことなんてあったっけな?

いまいち、思い出せない。


「……ごめん、何のことだ?」


恐る恐る聞いてみると、アレクは今度はクスクスっと笑って、それから言った。


「一騎打ちのあと、バイルエインのお屋敷に帰る道中に頼んだだろう…?」


アレクの言葉に、アタシは記憶の糸を一生懸命に手繰る。

あのときは、アレクに林檎を差し入れて、それから一緒に馬に乗って…


そこまで辿って、ようやく思い出した。

あの日、アレクは言った。

ノイマールへの越境攻撃をしてほしい、王政支持派の貴族を殲滅してほしい、親父殿にノイマールを治めてほしい、って。


アレクは、アタシの様子に気が付いたらしい。

穏やかな笑みをたたえて


「どうだ?全部叶えてくれただろう…?」


うん、まぁ…結果的に、全部その通りになった…なっちゃった。

一つ目と二つ目は、まぁ良いよ。

問題は、三つ目のことだ。


「最後の項目に関しては、正直言って納得しかねる」

「なんだ、まだ正式に承諾していないのか?」

「できないことをできない、っていうのは大事だと思う」

「そんなことはない、できるさ…すでに既成事実はできてしまっているし」


アレクはそう言いながら、ポンポンと肩を叩いてくれる。

まぁ……そうなんだ。


実際、アタシはこうして書類仕事をしてる。

ノイマール領内の巡検に、兵員の管理、物資の手配と輸送、各地の貴族家との調整も…なんだかんだ、やれてしまっているのだ。

数字に関しては本当にダメなんで、バイルエイン家の家令を一人、連れ出して来てもらってはいるんだけど。


……あれ、これまずいな。

うんと言わなくても、本当にこのまま任される流れだぞ…?


アタシはそのことに気付いて戦慄する。

しかし、戦慄したところで仕方ない。

だって…本当にアタシしかいないのだ。


「はぁ…せめて人を出して欲しい、次の兄上とは言わないから」

「私ももちろん手伝うし、旧ノイマール貴族家や執政官に優れた者も残っている。伯爵様も仰っていたが…うまく使うほかにないだろう」

「分かってるよ…あぁ、せめてカミラが居てくれたらなぁ…」


アタシは思わず、そんな愚痴を漏らしてしまう。

しかし、それを聞いたアレクはちょっと不思議そうな顔をした。


「カミラとは、誰なんだ?」

「えっ?あぁ、あれ?」


今度はアタシがそのことに驚いてしまう。

思い返せば、アレクがバイルエインに来てからはノーフォート家が避難してきたり、南部で突撃したり、王都に行ったりで、ゆっくりしていたのは最初の頃だけだった。

そっか、アタシ、まだ言ってなかったっけ…?


「カミラってのは、親父殿の側妻だよ。カミラ母さんって昔は呼んでたんだけど、アタシが十になった頃から『私は側妻なんだから、カミラって呼びなさい』って」

「そうだったのか…まさか伯爵様が側妻をお持ちとは…政略結婚なのか?」

「その辺りは、今度親父殿に聞いてみてくれよ、面白い話で、アタシは好きなんだ。今は東大陸に行ってて、王国とバイルエイン家の交易の窓口をやってくれてる」


そう言って笑うと、アレクは少し戸惑った様子だったけど、しばらくしたらまた穏やかに笑ってくれた。


アレクは、ノイマール王都の傍で一騎打ちをしたあとから、変わった。

…いや、戻った、って言った方がいいのかもしれない。

何しろ、アタシは今のアレクを知っていた。


今の彼女は、一騎打ちをしたあとバイルエイン家にやってきたアレクそのままだ。

弱音は吐くし、ときどき辛いと言って泣くし、寂しいと言ってはすり寄ってくる。

気が向くとアタシを皮肉って笑い、夜はくっついて寝たがる。

でもアタシが頼ればいつだって助けてくれるし、こうやっていたわってもくれる。


たぶん、最初の一騎打ちのあとには、アレクの獣は自由だったんだ。

でも…ヒルダナ男爵のところですれ違ってしまったせいで、アレクはまた自分を縛るようになってしまったんだと思う。


でも、今になってみればそれで良かったと思えた。

おかげでアタシはアレクをもっと知りたいと思ったし、幸せになってもらいたいと思えた。

そのせいで大分辛い思いもさせたけど…それでも、最後にはなんとか良い方向に転んだ。

本当に良かったと思う。


まあ、しいてアレクが変わったことと言えば、アタシだけじゃなくミーアやベアトリスにも肩の力を抜いて関われるようになったこととそれから…

多少………多少、狂暴になった、ってことくらいだ。

うん、多少だ。


「ティア」


不意に、アレクがそう声を掛けて来る。


「うん?」

「実は私も見てもらいたい書面があるんだ」


アレクの言葉に、アタシはハッとした。

そう言えば昼間、交代で来た兵の対応を親父殿に頼まれていたっけ。

もしかしてその報告書でも作ってくれたんだろうか?

さすがアレクだ、ありがたい。


「あぁ、見るよ」


アタシが言うと、アレクはアタシの後ろから、筒状に丸めた皮紙をスッと差し出してくる。

……報告書、ではなさそうだ。

手紙みたいな風体してるけど…?


「これは、遺書らしい」

「遺書ぉ?」


思わぬ言葉に、アタシはそう声を上げてしまう。

なんだって遺書?

誰のだ?

うちの兵か?

それとも、リーリニアか?

いや、リーリニアはあの場で死んだし、そもそもアレクには生きてたなんてことは伝えてないから、まずあり得ない。

いや、もしかして「前に」死んだときのものか…?


「宛て名は?」

「私だ」

「……誰から?」


アタシは、恐る恐るそう聞く。

すると背後で、アレクがクスっと笑う声が聞こえた。


「英雄様」


次の瞬間、目の前で皮紙がペロンと広げられた。

リーリニアのじゃ、なかった。

それは……そう、それは、ヒルダナ男爵のところでサラテニア軍に突撃する直前に書いた、アタシの遺書だった。


アレクの名前と、アタシの名前と、遺書だって宣言と…そしてど真ん中に一文だけ


“愛してる”


と書かれている。


ヒュウ、という、息を吸った音なのかそれとも悲鳴だったのか分からない音が喉で鳴った。

肩に置かれていたアレクの手が、アタシの首元に絡みついてくる。

同時にイスの背もたれ越しに、アタシの背にアレクが寄り掛かってくる感触がした。


「い、いや…これは、その…あの、だな…」

「嬉しい」


ぼそっと、耳元でアレクの声がする。

低くて艶っぽいその声に、アタシの背筋が震えあがった。

アタシはその悪寒に堪えながら、


「こっ…これ、いったいどこから…!?」


と、聞いてみる。

するとアレクはアタシの耳に吐息を掛けつつ、クスクスと笑って教えてくれた。


「うん、昼間な、本領から来たサリアという女性兵が、わざわざ私に届けてくれたんだ」


サリア!

あいつ、復帰したのか、良かった………いや、良くないだろ。

あいつなんでこれ持ってたんだ?

アレクに届けたってことは、絶対中身見てるだろ!?

分かってて渡しただろあいつ!


恐慌を来したアタシをよそに、今度は遺書を持っている手が出ているのとは反対側から、すっとアレクが手を出してきた。


そこには、アタシがお守りだって言って渡した髪留めが握られている。


「これを貰う前に私に何と言ったか、ティアはもちろん覚えているよな?」


また、低い声が聞こえる。

吐息が微かに耳に掛かってゾクゾクするが…それだけじゃない。

そこからは、明らかな獣の気配がする。

背後を取られたのは失敗だった。

これじゃあ、いつ首元を食い破られても不思議じゃない…!


「お、お、覚えてる…ずっと一緒にいるって……」


コクっと、アレクが頷いた気配がする。


「そう…だから、私にとってこれは、誓いの品だ。ティアがずっと一緒にいてくれるという証し立て…夫婦の誓いの指輪のようなものだ」


アレクの声色が、不穏だ。

自分で言うのもなんだけど、アタシは鈍い方ではない。

雰囲気や喋り方、表情なんかで、なんとなく相手の様子を察することはできると思ってる。

そう、だから…今、アレクは怒ってる。

そして、大変残念なことに、アタシにはその心当たりがあった。

サリア。

あいつは、アタシがやった髪留めを持ってる。

あいつのことだ、後生大事に身に着けてるに決まってる。


そして、アレクはアタシがどんな髪留めを持ってたのか知ってる。

貸してやるのに見せただけじゃない、なんなら最終的には自由に使ってもらってさえいた。


そう、だから、つまり、これは………やばい。


「違うんだ、アレク」


アタシはイスから跳ねるようにして立ち上がる。

しかし、そんなアタシにアレクは猛然と突撃してきた。

アタシは瞬間的に両腕を掴まれ、ドンっと机に背中を打ち付ける。

インクの瓶が跳ねて、中身が新しい皮紙に飛び散った。


「待って、話をっ…」


言葉を発した瞬間、アレクは机から引きはがすようにしてアタシの腕を引く。

体勢が崩れないように必死に踏ん張るけど、アレクの勢いに押されたまま、アタシはついに、どさっと寝台に仰向けに倒れ込んでしまった。


そんなアタシの上に、アレクが馬乗りになってくる。

腕は両方とも、頭の上でアレクに捕まったままだ。

王都の一騎打ちのあとみたいだな…あのときとは、立場が逆だけど。


「ずっと一緒にいる、と言ったよな?」


アレクがそう問い詰めてくる。

その目はギラギラと怪しい光を帯びていた。

口元は三日月に歪んで、そこから漏れる吐息は熱い。

まさしく、獣のそれだ。


「うん、言った」


アタシはそうとだけ答える。


「なら、話は簡単だ」


アレクは唸るように言うと、アタシの耳元に口を寄せて来た。


「責任は取ってもらう」


あぁ、まったく…

こいつは…アレクシア・ノーフォートは本当に獣だ。

今晩、アタシは……いや、今晩も、アタシは食べられてしまうらしい。

……まぁでも、それでもいいか。

それでアタシは幸せだし、きっとアレクも幸せなんだろうから。


「骨も残らなそうだ」


そう思わずこぼしたアタシに、アレクがクスっと笑って覆いかぶさってきた。




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